9、決着
教会内で異変が起きていることに、エヴァンを含めた警邏隊員たちは気付いていた。
まだ祭儀までかなり時間があるのに突然入口の扉が閉められ、教会へ集まってきた人たちは中に入れず首を捻る。
扉には鍵がかけられたのか開かないようで、人々は締め出されて教会の外にあふれていた。
「きっとなにかあったんだ。行こう」
教会のすぐ近くに潜んでいたエヴァンたちは数人で入口へ向かい、扉を開けようとしたがびくともしない。
焦れたエヴァンは裏へ回り、建物の窓を盛大に割った。非難する市民の声が聞こえたが、異常事態かもしれないので中に入らぬよう告げ、警邏隊員らと一緒に突入する。
教会の中はしんとしており、席には誰もいない。しかし前方に目を向けると、壇上とそのすぐ下で人が折り重なって倒れているのが分かった。
「人が倒れてる」
急いで駆け寄り、声をかける。全部で十人ほどだろうか。全員ぐったりしていたが、息はあった。
「エヴァン、リニがいない」
隊員の声に顔を上げて見回す。倒れている中に確かにリニはいない。
エヴァンは足音を立てないよう、壇上へ上がろうとした。
「動くな」
低い男の声で足を止める。
舞台袖から出てきたのはコーディと子どもだった。
普段の穏やかな表情が見る影もない。般若の顔で、震える子どもの首を腕で抱えている。リニが言っていた子どもだろうか。首を抱えられ、苦しそうにもがいている。
「司祭、この人たちはあなたが?」
エヴァンが倒れた市民を指すと、コーディは顔を真っ赤にして喚いた。
「違う! リニだ! 忌まわしい獏、あいつがやった」
「そのリニはどこへ?」
「そこで転がっているよ」
コーディが顎でしゃくった先に目をやると、今朝見送った姿のリニが横たわっていた。
真っ先に目に入ってきたのは刃。
リニの腹にナイフが立っていた。
「──リニ!!」
「おい! 動くなよ!」
リニの元へ駆け出そうとして、阻まれる。コーディに捕まっている子どもが苦しそうに呻いた。
「なにがしたい。もう無駄だ、諦めろ。子どもを離せ」
「そこをどけ。子どもを締め殺すぞ」
コーディは子どもを人質に取ったまま、教会から脱出するつもりのようだった。じりじりと寄ってくるため、警邏隊員は距離を取って下がる。
今すぐリニに駆け寄りたいが、コーディがその道を塞いでいる。まずはコーディを取り押さえなければならない。
「どいつもこいつも邪魔ばかりだ、まったく」
コーディは悪態を吐きながらも少しずつ足を進める。同時に警邏隊員らも後退する。
腰を低くしたエヴァンは、手を後ろに回し、指文字で隊員たちにカウントダウンを合図した。
十秒前。
「私はお前たちのような低俗な奴らとは違う。神に仕える身だ」
じりじりと下がりながら、同時に、気付かれないよう口の中で詠唱を唱える。
あと三秒。
「せっかく幻想を見せてやったというのに──…?」
話している途中で自分の状態がおかしくなってきていることに気付いたか、コーディは疑問の表情を浮かべた。
エヴァンは詠唱を唱え終えた瞬間、右手を素早くコーディにかざす。
瞬間、コーディは目を見開き、腕を緩めて硬直した。
腕から滑り落ちた子どもがむせこみ、警邏隊員が拐うように保護する。
「…は…?」
コーディは開いた両手をそのままゆっくり、自分の首に移動させた。這うように指が首に回る。少しずつ、指に力が入る。
「…な…なぜ…」
疑問と苦痛と畏怖が混ざったような顔で、コーディは自らの首を絞めようとしていた。
「確保!」
すかさず複数の警邏隊員が、自分の首を絞めるコーディを取り押さえた。腕を取り、地面に伏せさせる。コーディは縄を回されても暴れていた。
訳の分からない奇声を発しているが、しばらくすれば落ち着くはずだと、エヴァンは隊員に手短に告げた。それから急いで舞台袖へ目を向ける。
「リニ!!」
エヴァンは横たわるリニに駆け寄った。
初めて会った時、机から伸びる足を見て死体かと驚いたことを思い出す。まさかデジャブのようになるなんて。
リニの服にはいくつかの血痕が散っていたが、それは腹からではなく、腕についた切り傷によるもののようだった。
腹のナイフは深くは刺さっていないようだが、抜いたら大出血する恐れがある。救護が来るまで抜くことはできない。
「リニ、リニ、しっかりしろ」
呼びかけに応じないリニの顔は白い。エヴァンは焦って肩を叩いた。
やはり、一人で行かせるんじゃなかった。
まさか、死ぬなんてことは。
「リニ、やめろ、死ぬな。好きなんだ。死なないでくれ」
肩を揺すりながら涙声でエヴァンが懇願すると、小さく呻いたリニがまぶたを震わせた。
「リニ!」
「うう…」
リニがゆっくりと手を上げたので、エヴァンはその手を強く握った。指先は冷たいが、きちんと動いていることにエヴァンは安堵する。生きていた。
しかしリニはエヴァンの感動をよそに、握ったエヴァンの手をぺいっと払うと、自分の腹の上を探る。
「お、おい…」
それから腹の上のナイフの柄を見つけると強く掴み、一気に引き抜いた。
「あっ! リニ!」
「いたた…」
カランと放り投げられたナイフの先端には血がついていない。疑問に思ったエヴァンがリニを見ると、のそりと起き上がって服をごそごそとまくり、腹から何かを取り出した。
それは人も殺せそうな厚さの少女小説雑誌、『乙女の友』だった。
「は…?」
「ああ、痛かった…って、腕も痛いし、血が…」
リニの愛読書は中心付近に突かれた穴が空いており、刺された彼女を守ったようだ。
エヴァンは脱力してうなだれ、リニの体に腕を回す。
「リニ…も…、死んだかと…」
「何かあったらと思って仕込んでおいたんです。ああ、腕が痛い」
「腕を切られたんだろ、血が出ている」
「あの、私が」
切られた腕を押さえるエヴァンとリニに、人質にされていた子どもが駆け寄ってきた。
血で濡れた腕に手を添え、詠唱を唱える。するとゆっくり傷が塞がった。初めて見る魔術に、エヴァンは目を開いた。
「…治癒…!?」
「はい。少しですが…」
アンナは塞がった傷を最後にひと撫ですると、口を開いた。
「…実は清めの水には薬が混ぜられていました。治癒のスキルを使って、薬が体内で浸透しやすくなるような魔術をかけていたんです、ごめんなさい」
「アンナさん、教えてくれて、それに治してくれてありがとうございます」
俯いて懺悔するアンナの頭をリニは治った右腕で撫でた。
それからきょろきょろと周りを見回す。
「コーディ司祭は?」
「連行された。魅了で、自分を憎むような魔術をかけたからしばらくは錯乱してるはずだ」
エヴァンの魅了スキルは、人の感情とその方向を指定するようなものだ。
コーディには、自分自身に憎悪を向けさせた。以前、ひったくり犯を仲違いさせた術式とほぼ同じ。
「外、人が集まってますよね。なんとかしないと」
「他のやつらが対応してくれてるからいいさ。力を使って疲れたし、詰所に戻ろう」
二人は清めの水を回収し、証人としてアンナも連れ、よろよろと詰所に戻った。
♢
コーディを始めとする教会関係者ら数名は捕まった。
彼らは教会への補助金が減ったのを受け、信者と寄付金を増やすために『神様の見える魔術』を思いついたという。
バレないよう弱い催眠剤の入った清めの水に、アンナが治癒スキルを応用した魔術をかける。薬が体内で浸透しやすくなることで、その薬の効果は何倍にもなる。
そしてそれを飲んだ人間は精神状態が薄弱になり、幻覚や意志誘導などにかかりやすくなる。
そうやって信者を増やし、寄付金を集めたと供述した。一部は私的にも流用されていた。
さらに街の窃盗事件はロブの読み通り、今回の件と関連があった。
熱心に祭儀へ通う一部の市民は、薬の反復使用が原因で効果が強く出たようだった。彼らは神に金を献上しなければいけないという強迫観念に駆られ、窃盗事件を起こしたようだ。
実際、押収した清めの水からは催眠剤の薬物反応が出て、アンナからは証言が取れた。
アンナは脅迫されて加担していたと判断され、おとがめなしで別の教会に保護されることになった。治癒のスキルを歓迎されているという。
エヴァンの魅了によって錯乱状態となり自傷を試みていたコーディだが、効果は一日で切れた。
そうして事件は幕引きとなった。
日常に戻ったリニは、エヴァンとまた一緒に過ごすようになった。食事にも行くし、エヴァンの家で料理をもてなされることもある。
魅了にかかってしまった後のよそよそしい態度はなんだったのかとリニは疑問に思うが、蒸し返すのもおかしいかと思い、結局分からずじまいだった。
そんな中、二人は隊長のロブから呼び出しを受けた。