5、異変
夜勤明けの休日、エヴァンは仕事帰りに市場へ行った。疲れていて眠いが、普段から料理をするエヴァンは休日に食材を購入しておかなければいけないし、朝早く市場に行くと野菜が新鮮で安い。
野菜を大量に抱え街に戻ってきたエヴァンは、大勢の市民がぞろぞろとどこかを目指しているのに遭遇した。休日の朝早くからなんだろう、と疑問に思って気まぐれに着いて行くと、着いた先は教会だった。
休日の祭儀だろう。熱心な市民は休日になると教会に行き、祭儀と呼ばれる儀式で祈るのだ。教会の前では司祭らが市民をにこやかに案内している。朝早くからご苦労なことだ、とエヴァンは大欠伸をして帰ろうと踵を返す。
すると、顔見知りの精肉店の女将から肩を叩かれた。
「エヴァンさんじゃない、おはよう。あなたもお祈りへ?」
警邏隊員になって日が経ち、エヴァンも街の人々から顔を覚えられるようになっていた。精肉店は私的に買い物をする店でもある。
「おはようございます。俺は夜勤明けなんで帰ります。皆さん朝早くから熱心ですね」
「まあね。神様を見られるんですもの」
「へえ、信仰深いことでなによりです」
エヴァンは信仰心が深くない。休日の祭儀なんて行こうと思わない。このスキルを見定められた洗礼式で十分だ。
「違うわよ。知らない? 教会が、神様が見える魔術を開発したの」
「ええ?」
女将の言う「神様を見られる」というのが比喩だと思ったエヴァンは、意味がわからず聞き返した。
「神様ってほら、基本的には彫刻の像だけじゃない? でも実際に神様を可視化できるようになったんですって」
「本当に目に見えるんですか? 誰かが神様の役をしているんではなくて?」
「違うわよお、ぼんやり光のように見えるのよ。でも、信仰心が深くなればどんどん鮮明に見えてくるんですって」
どういうことか分からずにエヴァンは考え込んだが、女将は「遅れちゃう、またね」と言って教会へ駆けて行った。
女将は、教会が神様が見える魔術を開発したと言っていた。特殊スキル持ちの誰かが教会に協力しているんだろうか。
疑問に思ったエヴァンだが、夜勤明けの頭は上手く動かず、とりあえず帰って寝ようと家路を急いだ。
次の出勤日、エヴァンは休日に女将から聞いた教会の話をリニに聞かせた。
「神様の見える魔術…?」
リニも心当たりはないようで、首を傾げている。
リニは教会育ちなのに、祭儀には行かないという。自分の特殊スキルのせいで、教会に対して何故か負い目を感じているようだ。
「なんだろうな。教会にいる司祭らに特殊スキル持ちがいるのか?」
「私が知っている限りではいません」
「ま、今度司祭に会ったら聞いてみるか…」
神様が見えることなんてどうでもいいのだが、謎の魔術が使われているということがエヴァンは気になった。それはエヴァン自身が特殊スキル持ちだからかもしれないが、リニも同様だったようで頷く。
司祭に直接聞く機会はすぐに訪れた。
巡回中に教会へ寄ったエヴァンが中に入ると、コーディが聖歌隊の練習を眺めていたのだ。リニは外で待っている。
「こんにちは。皆さんお上手ですね」
「ああ、エヴァンさん、こんにちは。そうなんです、素晴らしいでしょう」
コーディの隣に腰掛けたエヴァンは教会をぐるりと見回した。
エヴァンの記憶には教会の思い出がほとんどないが、ここはどこも輝いており、豪勢に見える。コーディも艶があって重そうな祭服を着ており、手首にはじゃらじゃらとたくさんの飾りをつけていた。
「街でちらっと聞いたんですけどね、神様が見える魔術を開発されたそうですね」
何気なしにエヴァンが尋ねると、コーディは顔を綻ばせた。
「ええ、そうなんです。皆さんと神の姿を共有出来て嬉しいですよ」
「誰か特殊スキルの人の術式ですか?」
「まあ、そんなものです。詳細は秘密ですけどね」
コーディは茶目っ気たっぷりに片目をつむってみせる。
「良かったらエヴァンさんもお越しください。なにか懺悔したいようなことがあれば、特に」
「ええ。考えておきます」
懺悔したいことは山のようにあったが、せっかくの休みに教会に来るのは嫌だ。
エヴァンは曖昧に返事して教会を出た。
教会を出た階段の側でリニは立って待っていた。エヴァンの足音に気付いて振り返る。
「どうでしたか?」
「うーん、詳しく教えてもらえなかった」
「なんでしょうね…」
下を向くリニの表情は暗い。エヴァンも同様だった。自分が特殊スキル持ちだからか、なんだかこの件に関しては胸騒ぎがするのだ。
魔術を使うことが法的に咎められているということは全くない。風スキルを持った人が掃除や洗濯業を仕事にしていることもあるし、火スキルの人が飲食店や窯を営んでいることもある。
自分の魔術スキルを使った仕事をすることはいたって普通で、エヴァンやリニだってそうだ。
「試しに、特殊スキルの記録を調べてみるか」
「ええ」
特殊スキルはその異質性から、洗礼式で発覚するとその情報が履歴としてまとめられていた。通常は王宮の記録庫に保管されており、一般市民は閲覧できないものの、警邏隊は申請すれば可能だ。
エヴァンとリニは記録庫へ行き、うすら寒い地下の記録庫で台帳をめくった。
記録されているのはこの街の教会で洗礼式を受けた子どもの情報だけだ。リニの名前と『魔力喰い』の記載もある。エヴァンは田舎で生まれたのでこの台帳には記載されていない。
「特殊スキルだとしたら、なんだと思う?」
台帳をめくりながらエヴァンはリニに話しかけた。
「なんらかの物体を映し出すのであれば…、光とかですかね。でも、エヴァンさんみたいに精神状態への関与の可能性もあるかも」
「そうだな…」
台帳に載る特殊スキルを眺めていくが、それほど多いわけではない。その中でも、数が多いのは『光』や『闇』、それから『治癒』。他にも『強化』、『鑑定』、『転移』といったものもあった。
「分かりませんね。それに特殊スキル持ちの人で教会関係者はいない」
「そうだな」
パタンと台帳を閉じたエヴァンは、これからどうしようかと思案した。別に悪いことが行われているわけではないのだ。少し気になるだけで。隊長のロブに報告するほどのことでもない。
悩むエヴァンを見たリニは、「そうだ」と口を開いた。
「私が行ってみますよ、祭儀に。それで神様がどんなものか見てきます」
「うーん…」
実際に行ってみることは考えていたが、リニに行かせていいものかどうか、エヴァンは迷った。リニが教会に足を踏み入れないようにしているのではないかと思ったためだ。
「いや、俺が行くよ」
「私の方がいいですよ。もしエヴァンさんと同じ魅了みたいな精神操作だったら、私なら効きません」
「でも…、リニは教会に入りたくないんじゃないか?」
エヴァンの言葉を聞いたリニは、一瞬驚いたように目を丸くした後、首を横に振った。
「いいえ、教会関係者に見つからない方が良いかなと思っていただけで、ばれなきゃいいんです」
「その髪でばれるぞ」
エヴァンが指差したリニの髪はこの国では珍しい漆黒。しかしリニはにやりと笑った。
「いくらでも方法はあります。今週末の休日の祭儀に行ってみますね」
♢
二人が記録庫を出て詰所に戻ると、また取調室の前に隊員が集まっていた。皆、小窓から代わる代わる中を覗き込んでいる。
「どうした?」
「またおかしなやつが」
エヴァンが同僚に尋ねると、同僚は訝し気な顔をし、取調室を顎でしゃくった。
今度は置き引き犯が、先日の万引き犯と同じような供述をしているという。エヴァンが小窓から中を見ると、とても犯罪をしそうにない穏やかそうな老婆だった。
「ええ? あれが窃盗犯?」
「そう。置いてある鞄をどうしても持っていかないといけないって。でも誰に指示されたのかは言えないって」
取調室で様子を見ていた隊長のロブが出てきて、隊員を招集する。
「供述がおかしいから、似たような事案がないか調べよう。それから同じような窃盗犯が出てきたらすぐに情報共有するように」
隊員たちは返事をし、各々の仕事に戻る。
エヴァンもリニと席に戻ると、机を見たリニが急に「わっ」と嬉しそうな声を上げた。
「なんだ?」
「『乙女の友』の新刊が回ってきました」
「はあ?」
「警邏隊の女子で一緒に買って、回し読みをしているんです。嬉しいなあ」
にこにこと笑ったリニは、業務中にも関わらず手元の分厚い雑誌をぱらぱらとめくり始めた。
好きな雑誌を鍋敷にするのはどうなんだとか、少しはその登場人物を見習えとか、言いたいことは山ほどあったが、嬉しそうなリニの顔を見たエヴァンはそれらを全て飲み込む。
それから書類仕事を代わってやろうと、リニの机から紙をひょいと取り上げた。