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4、魔力喰いのリニ

 エヴァンは家で食事をするときには、どうしても何か一品は作らないと気が済まない(たち)だった。

 せっかく家で食べるのに、全て買ったものというのはなんだか物悲しいような気になるのだ。もちろん、リニはそんなこと気にしない。


「ただいまー」

「おい、お前の家じゃないぞ」

「いいじゃないですか、別に」


 エヴァンがスープを作っている間、断りもせずにリニはシャワーを使っている。どうせこの後、勝手に棚から出したシャツを着るのだろう。言ったところで響かないので無視する。


「わあ、美味しそう。いただきます!」


 丈の長い袖をまくり、湯気の立つ器をきらきらした目で眺めながらリニが感嘆する。エヴァンも騎士服の首元だけ緩めて、リニの向かいの椅子に座った。


「あー、今日は疲れましたね」

「トラブルもあったしな。あれ、魔術飛ばして無効化したんだろう?」


 近衛隊員を止めたときの話を振ると、ずずずと音を立ててスープを一気に飲み干したリニは軽く頷いた。


「ええ。うまくいって良かったです。大事になるところでした」

「魔力喰いってどんな感じなんだ?」


 『魔力喰い』という名称で、『獏』という別名ではあるが、昔はそのスキルの詳細が分からなかったからそのように呼ばれていただけのようだ。実際のところは魔術の無効化といった方が正確だろう。

 リニはうーんと考えこんだ後、手ぶりを交えて説明する。


「なんか、相手の魔力と自分の魔力がプラスとマイナスという感じなんです。引力で引き寄せられていて、ぶつかると中和して無くなるって感じですかね。それが無効化」

「へえ…、なんとなく分かった」


 その説明だと、確かに相手のスキルがなんであれ無効化するだろう。

 エヴァンは思い切って、ずっと気になっていたことを恐る恐るリニに提案することにした。


「あの、本当に俺の魅了が効かない人物がいるのか気になっていて…、試してみてもいいか?」

「は?」


 エヴァンの言葉にリニはきょとんと目を丸くする。


「効かないと思いますけど」

「試してみたい。効かない相手がいるとしたら、すごく嬉しい」


 ずっと、エヴァンにとってこの魅了スキルはコンプレックスだった。いままで、話す相手、目が合う人、接する人すべてが自分の魅了に侵されているのだとしたらと思うと、誰も信用できなかった。魔力封じの腕輪をつけていてもそうだ。

 出来るだけ人に迷惑をかけないよう生きてきたが、それを完全に排除することは不可能であることを理解している。だからこそ、リニに効かないのかどうか、試したい。

 一人でもこのおかしな体質が影響しない人間がいるのだということが分かれば、自分にとって大変な救いになるとエヴァンは思った。


「一応聞いておきますけど、魅了にかかったらどうなるんですか? 私、分かります?」

「本人は分からないかもしれないけど、俺には視線で分かる」

「ふーん。もし効いちゃったらどうします?」

「捕縛して家に帰し、三日ほど接点を持たないようにする。だいたいそのくらいで効果が切れる」


 リニは「捕縛はいやだな」と笑ったものの、了承した。


 急に緊張してきたエヴァンは、ごほんと咳払いして居住まいを正し、机の上に手をおいた。机の向かいにはリニ。リラックスした様子で座っている。


「外すぞ」


 右手に着けている魔力封じの腕輪をそっと外す。腕輪を着けている間は、なんとなく窮屈だ。腕輪を外したことで自分の魔力が解放され、わずかに漏出し始めたことが分かる。

 飾りがぶつかってしゃらんと音を立てたそれを、机の上に置く。


 それからエヴァンがゆっくりと視線を上げると、先ほどと同じ体勢のリニと目が合った。

 魅了にかかった人間は、一気に瞳が潤み、熱を持った視線を返す。


 しかし、リニは全く変わりない。

 効かなかった。


 エヴァンはとてつもない安堵感と幸福感から、ほーっと息を吐いた。

 しかし。


 ガタンと音がして、リニが椅子をずらしたことが分かった。リニは何度か瞬きすると、そっとエヴァンの手に自分の手を重ねてくる。


 エヴァンは混乱した。


 ──かかって、いないはずだ。魅了は。

 その視線はかかった人間のそれ(・・)ではない。なのに、なぜ?


 リニの白い手がエヴァンの指を撫で、机に身を乗り出してきて一気に顔が近付く。襟ぐりが大きく開いたシャツから真っ白の首元が見える。

 さらりとした髪が肩から滑り、自分が使っているのと同じ石鹸の香りが上って、エヴァンはどきりとした。


 ──かかってしまった? 困惑して体が動かない。


 硬直したエヴァンの方が耐えかねて視線を下げると、リニの唇が目に入った。濡れた、桃色の唇。

 不覚にも食べてしまいたいと思ってしまった、直後。


 ゴツンと派手な音が響き、一拍遅れて額に激痛が走った。目の前にちかちかと星が飛ぶ。


「────!! 痛った!!」

「あははは!」


 思わぬ衝撃に驚愕し、エヴァンは額を押さえた。

 全力で頭突きされたことに気付き、血が出ていないか確かめる。目の前のリニは体を椅子に戻し、大笑いしていた。


「痛って…、リニ!!」

「かからないって言ったじゃないですか」

「だからってこんな」

「動揺しました?」


 まだ腹を抱えてひいひい笑っているリニを見たら、怒りが離散してどうでも良くなってきた。

 リニは魅了にかからなかったのだ。

 ただ、よりによってリニなんぞにからかわれて動揺してしまったことをエヴァンは悔しく思った。


「なにを気にしてるのか知りませんけどね、私は魅了にかからないし、ウチの隊員は気にもしてませんよ」

「…そうだな、ありがとう」


 ずきずきと痛む額を押さえ、エヴァンはいままで感じたことのない充足感を得ていた。



 ♢



 その日、リニは珍しく一人で巡回していた。始めはエヴァンと二人で巡回していたのだが、途中で万引き犯を捕まえたので、エヴァンだけ犯人と共に詰所に戻ったのだ。リニは当初の時間まで巡回して戻るつもりだ。


 教会の前を通ると、コーディを含む教会関係者らが階段を掃き掃除していた。

 こちらに気付いたのでお互い会釈する。コーディはそのまま掃き掃除に戻った。その横顔が綺麗だなとリニは思った。


 リニは教会に立ち入らない。独り立ちしてから一度も入ったことはない。忌まわしい子と言われて育てられてきたからだ。育ててもらった恩を感謝し、あとは近付かないことが求められているだろうと考えていた。


 リニは教会の中で虐められることはなかったものの、少なくとも他の子どもよりはずっと軽視され、放置されていた。

 そんなリニにも優しいコーディに好意を持っていたが、それ以上のことはなにもない。リニはエヴァンにもその理由を話したし、別に成就させたいとは思っていない。


 コーディに好意を抱いているリニだが、実は過去に彼から「そんな体質だと捨てられても仕方ないね、可哀想だけど」と言われたことがあった。すなわち、司祭であるコーディからも忌まわしいとは思われているのだ。

 そのときは、忌まわしい自分にも優しいコーディに感謝し、ますます好きになった。


 しかし、少し前にエヴァンから言われた「教会は恩着せがましいな、頭おかしい」がリニの中でずっと引っかかっている。


 独り立ちする前は、教会を出たら周りから石でも投げられるのではないかとリニはビクビクしていた。だが実際は全くそんなことはなかった。

 警邏隊の気質もあるだろうけれども、周りの人は普通に受け入れてくれたのだ。もちろん、奇異の目で見られることはある。それでも想像していたような迫害を受けることはない。


 外の世界は違う。職場や街には認めてくれる人がいる。

 それでも長年の教会での扱いから、自分が永遠に忌み子であるという意識は消えなかった。

 教会はいつも正しい。教会で疎まれてきた自分は、世の中の『役立つ』人間であらねばならないと脅迫的に思ってきた。忌まわしいスキルだけれど、これ以外に自分に秀でた部分はない。スキルを使わない選択肢はなかった。

 だからリニは術式を研究し、体を鍛え、仕事に邁進する。


 リニの頭から消えないエヴァンのあの言葉。

 ひょっとすると異質なのは教会の方なのではないか。リニは出会ったばかりのエヴァンの言葉をきっかけに、ほんの少し自分の価値観に疑問を感じ始めていた。



 巡回を終え、リニが詰所に戻るとエヴァンが難しい顔をして席に座って、椅子をゆらゆら揺らしていた。


「取り調べ終わりました?」

「いや、なんかおかしなこと言ってる」

「は?」


 始めはエヴァンが取り調べをしていたが、犯人の発言が要領を得ないので別の隊員に変わったという。

 リニが取調室を小窓からこっそり覗くと、取り調べを交代した隊員も困惑した表情を浮かべていた。


「なに言っているんです?」

「よく分からないが、店にあるものを持ってこいと指示を受けたと」

「は? 誰から?」

「言えないとさ」


 他の警邏隊員らや隊長のロブもなんだなんだと集まってきて、小窓から取り調べの様子を眺める。

 リニは少し前に思いついたことをエヴァンに尋ねた。


「ちょっと思いつきなんですけど、エヴァンさんって自白させるような術式はできないんですか?」


 以前、魔術で男二人を仲違いさせていた。精神操作なら、自白させることもできるのではないかとリニは思ったのだ。


「うーん、俺のスキルの術式で出来るのは人の感情とその方向を指定するようなものだから、自白は難しいかも」

「ついでに言うと、魔術での自白は強要になって証拠として扱えないかもな」


 隊長のロブが付け加えた。


「そしたらもう面倒くさいから一発殴ったらどうです」

「リニはいつも過激派だなあ」


 ロブが朗らかに笑ったが、エヴァンは「ええ…」と呟いて引いていた。

 結局万引き犯は品物を返却し、家族が身柄を引き取りに来て厳重注意で帰って行った。



 その日も取り調べの対応で仕事を上がるのが遅くなったので、エヴァンの家で食事をとらせてもらうことにした。

 別にリニは腹が満たされれば良いので、どこで食事しようが、内容がなんであろうが興味がない。エヴァンが家で食べようと言うから従うだけだ。


「ただいまー」

「はいはい。あー、暑い」


 家に入って上着を脱いだエヴァンはそのまま手首の腕輪も外した。しゃらんと音がして、玄関に置かれる。

 あの魅了のスキル試しの日以来、エヴァンは二人だけの時は気まぐれに腕輪を外すようになった。リニに魅了がかからないことを確認したいようなのだ。


 それにあの日を境に、エヴァンの雰囲気が変わった。なんだか腑抜けたような、肩の力が抜けた気楽な態度で接してくる。


「魅了はかかっていない?」

「ええ、もちろん」


 リニが正気であることをわざわざ確認しては、安心したように笑みをもらす。

 それを見るとリニは、まるで自分が特別な価値のある人間に思えて、心がむず痒くなるのだ。


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