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2、バディ

 これまでの環境と大きく違うことに不安を感じていたエヴァンだが、思いのほか早く慣れた。


 以前所属していた近衛隊は皆、出身も良く、すました人間が多かった。同僚でもライバル意識が強く、一定の距離感を保つ。特に魅了スキルを保持するエヴァンに対してそれは顕著で、エヴァンは遠巻きにされていた。


 一方、警邏隊は新しく来たエヴァンに対し、いきなりずいぶんと親しげだった。魅了スキルを敬遠することもなく、かといって無遠慮に入り込んでくることもない。『普通』だ。

 それはもともといるリニが特殊スキル持ちであるためかもしれない。隊員はリニに対しても畏怖することなく接している。

 エヴァンは新しい職場で居心地の良さを感じていた。


 しかし、許せないことはある。

 詰所が無秩序で汚いのだ。


 日勤と夜勤が入り混じる警邏隊は、常に誰かしらいる状態だ。忙しいのは仕方ないが、常にその辺りの床で寝ている者がいるし、書類は山積み。

 ただ、新入りがそれらを指摘するのは気が引けるので、せめてバディのリニだけは、とエヴァンは口うるさく注意した。


「リニ、手を洗ったか? せめて器に移せ。ああ、その書類は俺がやろう、寄越せ」


 エヴァンは魅了スキル持ちの割に、女性に対して幻想を抱いていた。

 なぜなら前職が近衛隊。警護対象の女性はお姫さまだし、同僚の女性騎士はマナー教育を受けた淑女であることが多かった。妹も大人しく少女小説を読んでいるタイプだ。

 女性はふわふわして、柔らかくて、守るべきもの。そんな意識のあるエヴァンだが、目の前の女はそれに当てはまらない。


 エヴァンに注意を受けたリニはいま、簡易キッチンで作った食事を鍋のまま食べ始めるところだ。

 鍋敷きは少女小説雑誌『乙女の友』。先日は枕にされていたやつだ。


「ははは、エヴァンってリニのお袋みたいだな」


 二人の様子を見た同僚がからかう。その同僚の机にはいつ使ったのか分からないコップが四つも置かれたままだ。


「こんな大きな娘はいない! それにもし娘がいたらもっと淑女に育てる!」

「いやあ、お母さんに世話を焼かれるという経験はありませんが、悪い気分ではないですね」


 エヴァンの注意などどこ吹く風のリニはにやにやしながら、ふうふうと鍋の中身を冷ましている。

 リニの生活と机の周りの混沌はなんとかしたいエヴァンだが、早くもこの新しい職場を好きになり始めていた。



 ♢

 


 警邏隊の勤務は一週間ごとに日勤と夜勤が入れ替わる。勤務中は通報に備えて待機していることもあれば街に巡回に出ることもあるし、捕縛者の取り調べなどもあってなにかと忙しい。そして空いた時間には体づくりのため訓練を行なっている。


 訓練場でエヴァンはリニと走り込みをしていた。リニの走りは軽快だ。

 細いだけと思っていたリニの体は、しなやかなバネのようだった。ほどよく筋肉がつき、体幹が鍛えられている。

 走るリニを見て、先日の飛び蹴りが非常に美しかったことをエヴァンは思い出した。


「私は相手が魔術を使ってきたら対応できるんですけど、逆に自分からはなにも攻撃できないんですよね」

「ああ…」


 走りながら、二人は先日のひったくり犯を捕まえたときの話をしていた。あのように魔術で攻撃されることは、実はあまり多くないという。


「だから基礎体力と体術は鍛えておかないといけなくて。それでも大柄な男が相手だと苦戦しますね。私は魔術を使わない攻撃には弱いんです」

「まあ、体格差はどうしても仕方ないさ」


 リニの魔力喰いは相手が魔術を使ったときには有効だが、自らがなにかを生み出すのは困難だ。どうしても受けの戦法になるため、その分、体も鍛えていると言った。


「なにか攻撃できるような術式が出来ないか、色々検討してはいるんですけど」

「特殊スキル持ちは相談できる相手もいないし、お互い辛いな」



 一通り訓練を終えた二人は、他の班と交代して街に巡回に出た。今日は日勤で平日。街に異常はない。

 巡回ルートは概ね決められているようだったが、各班で気になるところを回るのは自由だ。まだエヴァンはリニについていくだけだが、時折、巡回ルートに教会が入ることがあった。

 この教会は王族の儀式が行われることもある大きな教会で、リニの気になるスポットなのだろう。


 その日、二人が教会へ行くと、ちょうど子どもの洗礼式が終わったところだった。

 教会から出てきた子どもは青い布で巻かれている。魔術スキルが『水』だったという証だ。洗礼式を終えた家族が帰るのを見送ると、中から司祭が出てきて、リニに目礼した。リニもそれに気付き、頭を下げる。

 司祭は隣にいるエヴァンに気付くと声をかけてきた。


「見ないお顔ですね、新人さんですか?」

「エヴァン・ブラウンといいます。先日異動してきました。よろしくお願いします」

「ここの責任者で司祭のコーディです。どうぞよろしく」


 司祭は細身で短髪、銀縁の眼鏡で神経質そうに見える。少しの時間、じっとエヴァンを見て、わずかに驚いたように目を開いた。


「おや、四元素スキルではない?」

「分かるんですか?」

「それくらいは分かりますよ。リニと同じ特殊スキル持ちですね」


 司祭が視線をエヴァンの隣にいるリニに投げると、リニはほんの少しだけ恥ずかしそうに俯いた。

 おや? とエヴァンは思った。もしかして。


 リニは同僚には向けない柔らかい声で司祭に話しかける。


「コーディ司祭、教会はなにも問題ないですか?」

「ええ。皆さんのおかげで。ただ、最近補助金が減らされてしまったのはご存じですか? なので私たちも営業活動をしなければいけなくて。頭を悩ませているんです」


 はははと穏やかに笑う司祭に、リニも微笑む。

 おやおや?


 なにかあったら連絡をくれと、型通りの挨拶を終えて司祭と別れてから、エヴァンはリニを小突いた。


「おやおやおや、リニ? 顔が赤いぞ?」


 にやにやと顔を覗き込むエヴァンに、リニは両手を頬に当てた。


「は、はあ? なんですか!?」

「なにって、俺にバレないと思っているのか。好きなんだろう、あの男のこと」

「はあ!?」


 心底驚いたようなリニの反応に、エヴァンの方が驚く。リニの頬はリンゴのように一気に色付いた。


「真っ赤だぞ」

「………コーディ司祭にもわかってしまいますかね?」

「うーん、どうかな」


 エヴァンはそのスキル故、人の好意には敏感だし、すぐに分かる。そのためリニの恋心もすぐに分かったが、コーディがそれに気付くかどうかは微妙だとエヴァンは思った。リニの変化はほんの少しだったのだ。


「別にいいんじゃないのか? 好意を持たれて嫌に思うやつはいない」


 すると途端にリニは暗い顔になった。なにか失言だっただろうかと顔を覗き込む。


「…あの教会は私が育ったところなんです」

「ああ。そうなのか」

「このスキルが分かって洗礼式の後に捨てられた忌み子の私を保護し、育ててくれました。大変な恩があります」

「ああ」

「しかも司祭は神様のものです。私のような忌まわしい魔力喰いが好意を持って良い相手ではありません」


 肩を落としたリニは悲壮感を漂わせている。エヴァンは首を傾げて質問した。


「忌まわしいなんて、誰に言われたんだ?」

「え? えーと…」

「他の隊員は『獏』とは言っていたが、少なくともリニを忌まわしいとは思っていないようだけど」

「昔から言われていました。お前は忌まわしいから捨てられたけど、教会はお前を保護してあげるよって」


「ふーん、教会は恩着せがましいな。頭おかしい」


 嫌悪感をあらわにしたエヴァンに、リニはきょとんと目を丸くする。


「ま、どうしてもあの男を落としたくなったら言え。俺のスキルでくっつけてやるよ」


 にやりと笑ったエヴァンに、リニは「うわっ」と呟き、露骨に嫌そうな顔をした。


「エヴァンさん、騎士なんて辞めて占い師にでもなったらどうですか」

「いいな、それ。そうしたら友人価格でお前の恋を成就させてやろう」


 リニは呆れたように「お断りです」と言うと、占い師になったエヴァンを想像したのか、ふふふと笑みを漏らした。



 ♢



 エヴァンが警邏隊に来てからしばらくが経ち、雨の季節になった。この時期は夕方になると強く雨が降る。警邏隊員は雨具を着て巡回に出ていたが、こんな大雨ではそもそも街に人はいない。


「くしゅん、くしゅ」

「どうした、風邪か」


 街に人はいなくてもたまに通報はある。対応のために街に出ていると、雨具を羽織っていてもどうしても体が濡れてしまう。リニは体を冷やして風邪をひいていた。


「熱っぽくて…」

「もう上がりだ。帰れ」


 終業時間は過ぎたのでそのように告げたエヴァンだが、リニはその言葉を無視してのそのそと机の下に潜り込んだ。そのまま寝ようとしている。


「待て待て、熱があるんだろう、帰れ」

「いやもうだるいですし…、家もちょっと…」


 エヴァンがリニの額を触ると、予想以上に熱くなっている。しかもしんどいのか、ぐったりと力が抜けていた。


「ここで寝てはだめだ、悪化する。送るから、家はどこだ」


 ぐったりとしたリニが口にした自宅は、エヴァンが住んでいるのと同じ宿舎だった。仕方なくリニを抱え、自宅まで送ることにした。


 ぼんやりしているリニを支え、雨の中、ふうふうとリニの自宅に着いたエヴァンは、扉を開けて驚愕した。


「…なんだこれ!」


 独身者向けの狭い部屋の中は、大量の本と紙で埋まっていた。

 見える限り、本と紙。一人用のベッドの上も本で埋まっている。壁に沿って積み上げられた本は今にも崩れそうだ。部屋の中央には机が置いてあるようだが、こんもりと紙で覆われていてよく分からない。あちこちにペンも転がっている。

 とても人が生活できる部屋ではない。


 エヴァンはバン、と手荒く扉を閉め、別棟にある自分の部屋へ向かった。リニが不思議そうに熱っぽい頭を上げたが、無視する。

 自宅に入り、整えられたベッドにリニを放ると、ようやく息をついた。

 ベッドの横に座り、足を投げ出す。ふと、足も伸ばせないであろうリニの部屋を思い出した。あの本と紙の恐ろしい部屋は今いる自宅と同じ間取りのはずだ。信じられないが。


 ベッドに放り投げられたリニは、ふうふうと熱い息をしている。エヴァンは、上着を脱がせてシャツの首元だけ緩めてやった。それから水を飲ませ、簡易魔術で氷を作って頭を冷やしてやる。

 するとリニは気持ちよさそうに表情を緩め、熱い呼吸は穏やかな寝息に変わった。


 エヴァンは騎士服を着替え、いつも通り手首に付けた魔力封じの腕輪を外そうとして、おっ、と思いとどまった。

 リニに魅了は効かないというが、それは「よほどのことがなければ」と言っていた。具合の悪いリニにはどうなるかが分からない。念のため外さずにそのまま寝ることにする。


 ベッドは病人に譲ってやり、エヴァンは宿直用の寝袋を出して部屋の反対側で寝ることにした。寝袋に体を横たえ、やれやれとため息をつく。

 こんなに生活力のない人間は初めてだ。放っておけばいいのかもしれないが、バディだとそうもいかないし、自分の性格上、無視もできない。

 目を閉じたエヴァンは、一日の仕事を終えた疲れもあって、あっという間に眠りについた。



 次の朝、エヴァンは水が流れる音で目を覚ました。ぼんやり目を開けて、自分が寝袋で寝たことを思い出す。体を起こすと、ベッドにリニはいなかった。


「おはようございます。シャワーを借りました」


 目をやると、浴室から出てきたリニはラフなシャツとズボン姿で頭をガシガシと布で拭っている。そのシャツの袖もズボンの丈も余っていた。

 エヴァンは驚いて二度見した。


「それ! 俺の服だろ」

「借りました。汗かいて気持ち悪くて」


 だからといって勝手に異性の部屋でシャワーを使い、服を拝借するなんて、どうかしている。

 だが注意しても無駄だと気付いて、エヴァンは諦めた。


「具合はどうだ」

「おかげさまで、よく寝たので熱も下がりました。ありがとうございます」


 それからリニが「帰りますね」と出て行こうとしたので、引き留める。


「待て待て、今日は非番だろう」

「そうですが」

「あの部屋を片付けよう」

「は、はあーー!?」


 嫌だとか、必要ないとか喚くリニを引っ張って、外で朝食を済ませ、そのままリニの部屋へ向かう。

 部屋の中は当然ながら昨日と同じ惨状だ。エヴァンには一体なんの本なのか昨日は分からなかったが、全て魔術書だった。そして部屋を覆い尽くす紙の束には、術式が書き綴られていた。


「…すごいな。全部術式?」

「はあ、まあ、うまくいってませんけど。前に言ったように私の魔術は基本受け身なので、なにかこちらから攻撃できる術式をずっと考えているんです」

「…なるほど」


 術式の墓場となっている部屋をぐるりと見回すが、生活に必要なものは本当に少ない。リニはこの狭い部屋ではほぼ生活せず、ひたすら術式を検討しているようだ。

 リニのスキルについての過去の文献はほぼないと聞いていた。それはつまり、術式を一から考えないといけないし、今までそうしてきたということだ。

 親に捨てられた幼子が、ひたすら机に向かって術式を考える様子を想像し、エヴァンはなんだか胸が切なくなった。


「とりあえず必要なものとそうでないものを分けてくれ」

「はあーい」


 本は整理し、術式の書かれた紙は残しておくものだけ仕分ける。

 二人の休日は部屋の掃除で潰れた。


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