10、バディ解消
「お前ら、バディ解消な。エヴァンは異動」
あっさり告げたロブの前で、エヴァンは言葉を失った。
「は…?」
「近衛隊に復帰な。リニのバディはどうすっかなー。誰か補充が来るはずだからそれまでまた一人だけど、構わないか?」
「はい、分かりました」
変化のない声色に、エヴァンは驚いて隣に立つリニを見る。その表情にはなんの動揺も見られない。
「た、隊長。ちょっと待ってください。なんで急に」
「この間、司祭を魅了の術式で確保したろ。あれが噂になって戻って来いってさ」
「しかし、そのスキルのせいで異動になったんですよ」
「腕輪は頑丈なものに変えろと要望があったぞ。リスクを考慮しても手元に欲しいってことなんじゃないの。なんか不満か?」
「不満というか…」
俯いて隣をちらりと見たら、リニはいなかった。慌てて振り返ると、すでに自席に戻って巡回に出る準備をしている。
「まあ決まっちまったことだから。不満があるなら近衛に戻ってあっちの隊長に言え」
「そんな」
「エヴァンさん! もう巡回に出ますよ!」
話は終わりとばかりにロブが書類を広げ始めたので、エヴァンは肩を落として席に戻り、巡回に出るリニの後を追った。
バディ解消を宣告されたにも関わらず、リニはまるで変わりがなく街を見ている。エヴァンの方はかなりダメージが大きかった。
リニとバディを組んで、まだそんなに経っていない。警邏隊は楽しくて、居心地が良い職場なのに、いまさら近衛に戻るなんて。エヴァンは大きくため息を吐いた。
「…リニはさ、ショックじゃないの」
「なにがですか?」
「…バディ解消のこと」
「はあ、まあ別に」
「ええ…」
全然気にしていない様子のリニに、がっくりとうなだれる。バディ解消も、それに対するリニの反応もショックだった。
肩を落としたエヴァンに気付き、少し前を歩いていたリニが足を止める。振り返ったリニは、衝撃の一言を発した。
「だって、家族になったらバディではいられませんよ」
「────は?」
何を言っているのか意味が分からずに聞き返す。赤褐色の瞳がきょとんとエヴァンを見つめていた。
「え、知りません? 同じ隊の中で結婚したら、どちらか異動になるんですよ」
「えっ、はっ!? 結婚!?」
リニの呆れたような顔を凝視して、エヴァンは固まった。
いま、結婚と言っただろうか。誰と誰が? いや、文脈で意味は分かる。自分とリニとが、だ。しかし、結婚の約束なんてしただろうか、してないはずだ。
なぜこんなことになっているのだ。頭の中が混乱したエヴァンは、なんとか口を動かす。
「え、え、結婚するなんて話になってたか…?」
「えっ」
今度はリニが驚愕の表情で固まった。疑惑の目をエヴァンに向ける。
「だって、キスしたじゃないですか!」
「あ、あれは、魅了にかかってないかどうかを確かめたくて」
「それに好きって言われましたし!」
「そんなこと──」
そんなこと言っただろうかと言いかけて、思い出した。リニの腹に刃が刺さっていた時だ。あの時はリニが死んでしまうと思い、感情がぽろりとこぼれてしまったのだ。リニには聞こえていないとエヴァンは思っていた。
そして思い出した。リニの愛読書は『乙女の友』。もしかして、キスされて、告白されたらゴールインというのは乙女のセオリーなのだろうか。
「ええ…、好意もないのにキスしてきたんですか、わいせつ犯…」
汚いものでも見るような目を向けられたので、エヴァンは慌てて取り繕う。
「いや、そんなことはない! ないんだが…」
「もしかして、私が魅了にかからないから好意を持っていたんですか? そういえば魅了にかかって自宅待機から復帰した後、キスしてきたかと思ったら途端によそよそしくなりましたもんね」
「あれは…!」
リニに惹かれたきっかけは、彼女が魅了にかからないからだったかもしれないが、それだけではない。
リニは喧嘩っ早くて血の気は多いが、大胆で前向きでたくましく、輝いている。だから惹かれた。
唇を奪った時、魅了にかかっていないかどうかを確認するためと言ったのは、半分は言い訳だ。残り半分は、三日ぶりに顔を合わせたら、魅了にかかって縋り付いてきた姿を思い出して、思わずやってしまった。
その後、好きな女──つまりリニが、好きな男の不正を暴きに行くことになってしまった。
その不憫さと、恋敵が退場するということを喜んでしまった自分の浅はかさ。
さらに、自分だってリニを魅了にかけてしまったのだから恋は叶わないという落胆といった、種々の感情がごちゃ混ぜになり、距離を取ったのだ。
しかしそんな複雑な男心を目の前の粗雑な女は理解しないであろう。
「そういうことじゃない。リニのスキル関係なく、あの時言ったことは本心だ。でも、リニは俺のこと…」
「好きですよ」
あっけらかんと言うリニにエヴァンは首を捻った。「お肉好きですよ」と同じニュアンスに聞こえる。彼女の言う「好き」と自分の「好き」は違うように感じた。
「まあ、信じないでしょうけど。嫌いだったら家に行ったりしませんし、キスされたりしたら首を締めます」
リニの言葉が信じられず、エヴァンは唸った。
「…でも、リニはコーディ司祭を好きだったわけだし…」
「刺された相手のことを好きでいると思います!? もともと憧れ程度だったんですよ。優しくされた思い出が残っていただけで。恩はありますけど、教会が全て正しいわけではないことに気付きましたから」
「それはエヴァンさんのおかげです」とリニは付け加えた。
朗らかに笑っているリニだが、エヴァンの気持ちは晴れない。リニは魅了にかかったことがあるのだ。
「魅了の時の記憶が影響しているのかもしれない。好きだと言ってくれるのはありがたいが、それは魅了のせいかも」
「もう効果は消えています」
「記憶は残る」
「記憶が残ったらずっと好きなままだって言いたいんですか? それはないですね。パレードの時に会った近衛の騎士は、エヴァンさんのことをすごく嫌っていました」
言われて考えてみると、確かに、という気もしてきた。近衛隊で魅了にかけてしまった騎士たちは、効果が切れた後は自分のことを蛇のように嫌い、避けていた。
記憶がその後の思考に影響するのではないかと考えていたが、そんなこともないのだろうか。
エヴァンが逡巡していると、リニは試すような目をして口を開いた。
「エヴァンさんはいいんですか? 私が他の男と結婚しても?」
問われて瞬時に、嫌だと思った。
リニを支えるのは自分でありたい。本と紙で埋まる部屋を片付け、共に術式を検討し、一緒に食事をして、生活する。
一番近くにいるのは自分であって欲しい。他の男ではなく。
「嫌だ」
低く唸るように告げると、リニはほっとしたように頬を緩める。
「よかった。では、引き続きよろしくお願いします」
それからリニは踵を返し、街の巡回に戻った。
前を行くリニの姿が、逆光のため輝いている。でもそれだけではないのかも。
エヴァンは艶やかに揺れる黒髪を呆けたようにぼんやり見つめていたが、状況を理解してはっと我に返り、軽い足取りのリニを追った。
♢
リニの新しいバディ相手には新人のジョーという男が来た。彼はこの街出身で、早くも街の人たちから可愛がられていた。
ジョーはリニの魔力喰いスキルを知ると、「すごいっすね!」と目を輝かせた。いろいろな価値観の人間がいる。その事実はリニをほっとさせる。
「リニさんって近衛隊の旦那さんがいるんですよね? この間の式典で警護してました?」
「まだ結婚してませんけどね、式典にいました」
リニはエヴァンと一緒に暮らすようになっていたが、まだ結婚はしていなかった。仕事の休みが合わなくて、書類を一緒に提出しに行けていないのだ。
エヴァンは辞令通り、近衛隊に戻った。
魅了にかけてしまったことのある元同僚とは気まずい関係のようだが、教会での事件解決で大多数の騎士からは評価されていると聞いた。王子には歓迎され、おおむねうまくやっているようだ。
少し前に王子妃の懐妊が発表され、その祝いの式典が街で催された。エヴァンは金糸の飾り紐を付けた騎士服を着て、王子の警護に当たっていた。
彼は入団後すぐに近衛隊に抜擢されただけあって凛々しい。リニは式典を遠目に見ただけだが、真剣な顔をしたエヴァンは素敵だなと思った。
二人は一人暮らし用の宿舎を出て、家族用の宿舎に引っ越していた。各自部屋もあり、リニの自室はすでに紙で埋まっている。
相変わらず、リニは新しい術式の検討を続けていた。あの時教会で試した魔力を吸い取る術式はわりとうまくいったものの、反動が大きかった。もう少し美しい術式が出来れば、負担も少なくなるはずだとリニは考えている。
「ただいまー」
「おう、おかえり」
扉を開けると良い匂いがした。帰ってきて「ただいま」と言って、返事が来ることがとてつもなく幸せに感じる。
着替えて食卓に座ると、夕飯はシチューだった。エヴァンは料理が得意で、リニはほとんどしない。それでうまくいっている。
「あー疲れました。今日もジョーさんは街で声をかけられていて。巡回が全然進みません」
「へー、そう」
エヴァンはジョーの名前を出すと、明確に嫉妬する。「もっとバディを組んでいたかったな」とこぼしたこともあり、それを聞いたときリニは嬉しくて身悶えた。
きっと、エヴァンが思っているよりも自分は彼のことが好きだとリニは思う。
エヴァンは最近になってようやくリニの気持ちを信じられるようになったらしく、二人きりの時には魔力封じの腕輪を外すようになった。今も手首には何もつけていない。
「そうだ、エヴァンさんの次の休みはいつですか?」
「来週末は休めそうだ」
「お、ようやく休みが合いますね。婚姻書類を出しに行きましょうよ」
するとエヴァンは一瞬止まり、少し表情を固くして俯いた。
「…そうだな」
喜んだことがバレてないと思っているのだろう。だが、耳が赤くなっている。
エヴァンは嬉しいことがあったり、リニが愛情表現をしたりすると、照れるくせにそれを隠そうとするのだ。
「耳が真っ赤ですよ、嬉しくて照れているんでしょう」
リニはにやにやして指摘してやった。
きっと、今度は顔まで赤くなって、「照れてない」と難しい顔をして言うのだろう。
しかし、リニの予想は外れた。
「ああ、嬉しいね。大好きなリニと結婚出来るなんて最高に幸せだ」
赤くなりながらも意地悪な顔で愛を告げられたリニは予想外の切り返しに動揺し、顔を手で覆って机に突っ伏した。
《 おしまい 》




