1、魅了の騎士と魔力喰いの獏
大きな荷物を抱え、詰所に入るエヴァンの足取りは重い。理由は簡単。これから向かう先が左遷先だからだ。
「よっ、と」
荷物を抱え直すと、手首につけた魔力封じの腕輪がしゃらんと鳴った。
古びた建物の入口を通ると、頭に痛々しい包帯を巻いたガラの悪い男と肩がぶつかった。手首には縄。
騎士に連れられて取り調べだろう。今までと全然違う環境に、エヴァンは頭が痛くなる気がした。
あらかじめ言われていた部屋は扉が開きっぱなしになっていて、入ると煙草臭い。
部屋の中は机がいくつかの島となっていて並んでいるが、座っているのは数人。しかしどの机にも崩れそうに書類が積まれている。
一番前の責任者らしき人物のもとへ向かうと、彼はすぐにエヴァンのことが分かったようで視線を上げた。
「エヴァン・ブラウンです。よろしくお願いします」
「おお。隊長のロブだ」
ロブはよっこいしょ、と体格に合わない椅子の中で狭苦しそうに体勢を直し、声を張り上げた。
「おおーい! 皆、新入りが来たぞ! 王子殿下をメロメロにした男!!」
勘弁してほしい。
身も蓋もない上司の紹介に、エヴァンは気が遠くなった。
エヴァンは王都騎士団近衛隊に所属していた。
実家に弟が二人、妹が一人いるエヴァンは金を稼ぐ必要があったため、騎士になった。比較的容姿が整っていたため、入団直後に近衛隊に配属された。
若い王子付きとなったエヴァンは、普段はスキルの影響が出ないよう魔力封じの腕輪を付けていたが、ある日事件が起こった。
祝典中に酔って乱入した不届き者と乱闘になったのだ。王子を守ることは出来たが、腕輪は乱闘のせいで破損した。
結果、エヴァンの魔力が漏れ出て、その場にいた人物皆、王子含めてメロメロにしてしまったのだ。
エヴァンの魔術スキルは『魅了』だった。
漏れ出た『魅了』にかかったとしても時間が経てば効力は消える。しかし王子を魅了してしまった責を問われたエヴァンは左遷となった。この警邏隊に。
せっかく配属された近衛隊を左遷されたのはエヴァンにとって非常に悔しく、恥ずかしいことだった。
ただ、このスキルのせいでもともと周りから煙たがられていたのだ。クビにならなかっただけありがたいと自分を納得させるしかなかった。
警邏隊隊長のロブが大声を張り上げてエヴァンを紹介したところ、あちこちの机からのそのそと人が這い出てきた。席についているのは数人だったが、もっと多くの人たちが机の下で寝ていたようだ。
皆、エヴァンの顔を見て、おお、とか、ああ、とか呟くとまたすぐに机の下に戻っていく。
「おい! リニはどこだ!」
またロブが大声を出すと、近くにいた男が「そのへんにいますよ」と指差す。
その先をエヴァンが目で追うと、机の脇から二本の足が伸びていた。ぎょっとして凝視する。細い脚は真っ白で、しかも裸足だった。
一瞬、死体かと思ったエヴァンは心臓が跳ねた。
リニと呼ばれた白い裸足はゆっくりと起き上がると机の上にのそりと顔を出した。この国では非常に珍しい漆黒の髪。色の白い肌。唇だけ桃色で浮いている。
リニは女騎士だった。
寝るときの枕にしていたのか、凶器にもなりえるくらい分厚い雑誌を手に持っている。あれは『乙女の友』という少女小説雑誌だ。なぜエヴァンが知っているのかというと、妹が熱心な読者であるためだ。
リニはのそのそとロブの机の前に立ち、大欠伸しながら「なんでしょう」とぼさぼさの頭を掻いた。
「エヴァン、これはリニ。リニ、こいつはエヴァン。お前らバディな」
警邏隊は二人一組のバディを組んで動くことは知っていたが、エヴァンは焦ってロブに異議を申し出た。
「た、隊長。俺のスキルはアレなので、女性がバディ相手というのはちょっと」
「大丈夫。こいつ、『獏』だから」
「バク?」
「知らない? 魔力喰いの『獏』」
『獏』と呼ばれた女を見ると、握手のつもりなのか手を差し出してきた。しかしその細い指には乾いた血がこびりついている。
エヴァンがぎょっとして一歩下がると、リニはそれに今気づいたように「へへへ」と笑い、汚れた手をシャツの裾で拭った。
「お前ら、相性良いから大丈夫。リニも相方が異動しちまったからちょうど良かった。仕事内容はリニに聞け。机はそこ」
「どうも、リニです。よろしくお願いします」
拭いきれていない血の付いた細い手と、とりあえず触れるだけの握手をする。
へらりと笑ったリニと目が合うと、その瞳は赤褐色。幼さの残るその表情で、いくつか年下だろうとエヴァンは思った。
「エヴァン・ブラウンだ。えーと、君の家名は?」
「ありません。ただのリニです」
「は?」
「忌み子だったので、家がなく。リニと呼んでください」
意味が分からなかったが、エヴァンは了承した。
それからリニはまた机の下にのそのそと戻り、寝息を立て始めた。仕方なくエヴァンもその隣の机に荷物を置く。
昨日までいた世界とは真逆だ。左遷されてきたおかしなスキルのやつだと爪弾きにされるだろうと思っていたのに。エヴァンは、新しい職場のあまりの反応の薄さに拍子抜けした。
♢
この国で生まれた子どもは、教会で洗礼式を受ける。その洗礼式では、魔術スキルの鑑定が行われる。
魔力は全ての人に備わっている生命活動の源で、基本的な魔力とは別に、自分の特性が『スキル』として分類されるのだ。
99.9パーセントの人間の魔術スキルは『火・土・風・水』の四元素に分類されるが、残り0.1パーセントは特殊スキル持ちだ。エヴァンの『魅了』も特殊スキルである。
魅了スキルはそれ自体が厄介だった。
人はスキルの魔力を帯びており、常にわずかに漏出している。四元素の場合はなにもないのだが、エヴァンの場合は普段漏出している『魅了』だけで周囲の人間に影響を与えるのだ。すなわち、好意を抱かれる。
よって、エヴァンは自分と周り、両方を守るために魔力封じの腕輪を付けている。
「えっ、てことは俺の魅了はリニには効かないのか?」
「漏出による魅了なら効きませんね、よっぽどのことがなければ。私から漏出する魔力が魔力喰いなので、無効化します」
エヴァンは街の巡回がてら、リニから彼女のスキルである『魔力喰い』について説明を受けていた。
リニの魔力喰いは特殊スキルの中でもさらに特殊で、過去に記録のある同じスキル持ちは本当にわずかだという。
「術式による魔術を受けても全然効かないってこと?」
「魔力量とかによりますけど。弱い魔術であれば私から漏出する魔力で無効化しますし、強い魔術には私も術式を発動して無効化で対抗しますよ」
魔力を術式に流し込むことで発動する技を魔術と呼ぶ。魔術同士で戦えば、魔力量と術式の練度、相性で勝負が決まる。
魔力喰いは、相手のスキルがなんであれ、相性関係なしに魔術を無効化するということになる。
「…なんだそれ、最強じゃないか…」
ロブが、相性が良いと言っていた意味をエヴァンは理解した。
すると感嘆の声にリニは大きな目を丸くしてから、ふっと破顔した。
「普通は嫌がられるんですけどね。魔力は神聖なものだから、それを喰らうなんてと」
「『獏』っていうのは?」
「古い文献にそう書かれてるんです。昔はこのスキルがよくわからなくて、魔力を吸収していると思われていたようで。だから親に捨てられました」
「でも俺は君が相手でラッキーだ。漏出するこのスキルを気にしなくていいなんて、なんて気楽なんだ」
エヴァンはずっとこのスキルに悩まされてきた。魔力封じの腕輪をつけていたって、何かの拍子に漏出してしまうのではないかと。もし周りが魅了にかかっていたらと思うと、人を信用できない。それを気にしなくていいだなんて。
喜んだエヴァンを見て、リニはまた驚いた顔をする。
「それはどうも」
リニは最初の印象と比べると、よく話す女性だった。
死んだように寝ていた時はボロ雑巾のように見えたが、髪を整えて後ろに一つに結び、騎士服をきちんと着ると、パリッとして凛とした警邏隊員になった。
街に慣れていないエヴァンに対し、この路地は半グレが集まる、あの家は子どもがたくさんいる、あの店は飯が上等、など業務上必要な情報もそうでない情報も教えてくれる。
リニは顔がよく知られているようで、街を歩いているだけであちこちから声をかけられた。それに対しても丁寧に対応している。
「ずいぶんと顔なじみが多いんだな」
「警邏隊は皆そうです。エヴァンさんもすぐに覚えられますよ。それにしても、近衛からウチに来るなんて大変ですね」
「ああ、ずいぶん雰囲気が違うから色々教えて──」
のんびり話しながら路地を歩いていると、突如、大きな悲鳴が聞こえた。
「誰か! ひったくりよ!」
悲鳴の直後には、慌てて助けを呼ぶ女性の声。声の方を見ると女性が倒れ込んでおり、周りが騒然としている。
リニは瞬時に表情を変え、一気に駆け出した。エヴァンもすぐにその後を追う。
しゃがみ込んだ女性を追い越してリニの背中の先に見えたのは男二人組で、片方の男はひったくったのであろう鞄を手に持っていた。時折後ろを振り返りながら、猛スピードで逃げている。
狭い路地を駆けてリニを撒こうとしているが、女ながらにリニは走るのが早かった。男二人に引き離されない。
なかなか撒けないことに男たちが焦れているのが分かった。
「止まりなさい!」
リニの声に焦った様子の男が、走りながら半身で右手をリニに向け、詠唱を唱えた。
──まずい、なにか攻撃がくる。
身構えたエヴァンだが、リニは怯むことなく距離を詰める。男の手から一直線に炎が伸びてリニに向かい、あっ、とエヴァンが思った時にはリニの目前で炎は離散、消滅した。
驚愕した表情を見せた男だが、すぐさまもう一人の男が詠唱を唱えようとしている。
それに気付いたエヴァンも男二人に向かって手を構え、詠唱を唱えた。
結果、エヴァンの方が一瞬早かった。
唱え終えた瞬間、男二人は足を止め、急にがくりと頭を落とし、次に顔を上げた時には目が座っていた。
顔を合わせた男らはお互いを睨み合い、罵倒を始める。
「おい! 遅いんだよお前!」
「お前の方だろ! グズ!」
突然仲間割れを始めて揉め出した二人を見て、リニは呆気に取られた。
男らはひったくった鞄を放り出して、お互いを罵り合っている。
「はあ…??」
手を下ろしたエヴァンはリニに並び、肩をポンと叩いた。
「俺のスキル。魅了ってのは好意を抱かせるだけじゃなくて、精神状態の操作ってこと」
「仲違いさせるよう魔術を使ったということですか?」
「そうそう」
四元素の魔術スキルはこれまで大いに研究されてきたため術式もたくさん確立されており、それらは文書になっている。
一方で特殊スキルはそういった知見がないことの方が多い。エヴァンの場合は運が良かったことに、過去に同様のスキルを持った人物がいくつか文献を残していた。それを見ながら、独自の術式を作り上げてきたのだ。
「あれ、でも魔力封じの腕輪してますよね?」
「これは堰みたいなもんで、弱い魔力は抑えられるけど、術式発動したときみたいな強い魔力は通すようにしてる。それよりリニの、さっきのが魔力喰いだろ? すごいな」
「いいえ、大したものでは──、ってコラ!!」
目を離したすきにひったくり犯二人が揉み合いになっていた。リニがつかつかと近寄る。止めに入るのだろう。
しかしリニはエヴァンの予想を裏切り、光の速さで男らに飛び蹴りし、倒れ込んだところに右手の拳を振り上げた。
「こ、コラコラコラ!!」
そのままリニも参戦しそうだったので、エヴァンは慌てて止めに入った。
なんて喧嘩っ早い女なんだ。手が血に塗れるわけだ。エヴァンは新しいバディに不安を覚えた。