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目が覚めてすぐ、あまりの突然の出来事に私はパニックになり、ここの住民達でも手をつけようがないぐらいだった。
なぜならあの悪夢から覚めたと思ったら悪夢が現実になったような場所にいた上に悪夢でしかない現状を突きつけられたからだ。
いっそ、夢であればどんなによかったことか。
まず目が覚めて飛び込んできたのは濃い紫の天井だった。ん?と思い首を真横に動かした。一面真っ黒。一瞬びっくりしてしまったが、ちゃんとみるとそれは漆黒の布であった。
「…ここ、どこなの?」
上半身を起こして周りを見渡した。そうとすると、その真っ黒の布がぐるっと私が寝ていた紫色のベッドを囲んでいるのがわかった。天井を見上げると私が寝ているベッドより二回り大きいぐらいの長方形の枠線を描くかのように天井にレーンが取り付けられていてそこからこの黒い布が吊るされている。つまり、その布は真っ黒なカーテンだったのだ。
普通ならベッドがカーテンで囲まれている部屋といったら入院病棟しかない。実際、ここの造りは完全に入院病棟のそれであった。…なのだけど、紫のベッド、紫の天井、黒のカーテンのゴスロリチックな病室なんて現実にあるはずがない。私はベッドの上で狐に包まれたような気持ちになっていた。
シャッ…
「はいりますわね」
やけに妖艶な声をした看護師さんがカーテンを開けながらはいってきた。
が、その彼女の風貌に私は言葉を失ってしまった。
胸のあたりまでの長さのパーマがかかった髪、メロン程の大きさの胸、血の気がない真っ白な肌。ここまでならただの色っぽい色白の看護師さんで済むのだけどここからがものすごくおかしいのだ。
まずナース服はミニスカのような丈でナース服自体も真っ黒。エレガントな巻き髪は鮮やかな血のように紅く、眼も同じく紅い。漆黒のナース服を着た色白の肌に紅の眼というその姿には危うい妖艶さがあった。そしてなんと頭に動物のヌーのような立派な角が生えていた。
「…その格好ハロウィンか何かですか?」
あまりの奇抜な看護師だったのでこんなとんちんかんなことを私は聞いてしまう。
そんな質問にふふっと笑みを溢しながらその看護師はこう返した。
「違いますわ。まだ貴方には私の姿を見慣れないかもしれませんわね。でも、これから嫌でも慣れてくるはずですわ」
奇抜といえど色っぽくて大人っぽい人がこんな柔らかな表情をしてると同じ女性だとしてもギャップで惚れてしまいそうになる。しかし、そのあとに続く言葉に私は耳を疑った。
「貴方は、我らの仲間のインキュバスが大容量の淫夢を送り込んだのが原因で急性淫夢中毒によるショックで亡くなってしまわれました。その際に貴方の魂と肉体とインキュバスの彼の魔力が混合してしまい貴方の魂は人間方のものではなくなってしまわれました。これは大変珍しい《事故》でございましたわ。そのためにとりあえずはこちらで暮らしていただくことになりましたのよ」
…この看護師は何を言っているのだろう。あまりにも現実離れかつ意味がわからない話に私はポカンとしてしまう。
急性いん…?
亡くなった…?
人間のものではない…?
そして、目が覚める前の悪夢がじわじわと思い出されてきた。拒否反応なのか頭がじんじんと痛む。
…あれは夢じゃなかったの?
「ここ最近、特に貴方のいた日本はエロスが蔓延していますのよ。だから日本の大半の人間方達はエロスが身近にあるため、淫夢に対する耐性も少なからず持っていますわ。そのために貴方のような方は大変珍しいのですわよ。貴方の場合、エロスに対する耐性が全くないのにいきなり強い淫夢を見せられたものだから一瞬でショック死してしまったのです、急性淫夢中毒というのは人間方達の世界での急性アルコール中毒のようなものでしてね、例えるならアルコール耐性が全くない人間方にいきなりテキーラをストレートで一気飲みさせたようなものですわ」
この看護師は何を言っているのだろう。ハロウィンのようなコスプレをして破廉恥な単語を連発しているし、私が亡くなったという支離滅裂なことを言っている。
私は今もこうして生きているというのに?
そうだ、これは夢だ。悪魔の続きだ。一刻も早く覚めないと。
「へ、変な夢!」
私は布団に潜りこむ。それは夢だから寝たら逆に目が覚めるはずだ。
「夢じゃないですわ、あなたはサキュバスになったのです」
私サキュバス?
夢だとしても冗談じゃない!清く正しく慎ましくが家訓の家で生まれ育ったというのにその家訓とは真逆の存在になるのは死んでも嫌だ。
「嘘よ!嘘嘘嘘嘘嘘!!!!!」
もう成人だというのに布団をかぶってこんなこどものような言動をするのは我ながら情けなかったけど、冷静でいるのに限界がきてしまっていた。この悪夢から逃れられるなら3回回ってワンとやってもいい。もうそんな心境だった。
「もう!貴方っていう方は…」
まるでわがままな子供と向き合う寛容な母親といった雰囲気を醸し出すこの看護師に私は大人気なく反発心を抱いてしまった。実際には言ってなかったがあらあらまあまあと言ってる風である。
しかし、このおっとりな母親のような雰囲気の看護師は一枚上手だった。
パチン!
彼女が指を鳴らすと私の身体が宙に浮きはじめ引きずりだされてしまった。
パサッと掛け布団が床に落ちる。
同時にカーテンがひとりでにシャッと全開に開き、どこからともなく宙に浮かんだ全身鏡がスーとこちらへ向かってきたのだ。そう、それはまさにデ●ズニー映画の魔法のように。
なにこれ!?
私は驚きのあまり喉がきゅっと締まってしまい叫び声すらあげることができなかった。私の元へやってきた全身鏡に映った私の姿は直視できないほどの哀れもない姿になっていたのだ。
人生で一度も染めたことがなかった艶やかな黒髪、黒黒とした艶のある瞳がこの看護婦と同じような血のような紅色に変わり果ててしまっていた。顔色もともと色白な方だったというのにさらに血の気がひき白くなってしまっている。
それ以上見るに耐えなかったのが私の格好だった。なんということなのだろう。私は漆黒の下着のようなビキニのようなそんな面積の小さすぎる布しか身につけてなかったのだ…!
「私達サキュバスとインキュバスは雪のような白い肌、血のような紅い髪と瞳を持っておりますわ。そう、今の貴方と私のように。貴方は正真正銘私達と同じ夢魔になってしまわれましたのよ」
この看護師のサキュバスは申し訳なさそうな顔でこちらを見つめながらこんな非情なことを言い放った。
この時には意識が既に朦朧としはじめていた。その時、視界に入っていたものもほとんど覚えていない。ただ、鏡に映った私の顔はきっと絶望に満ち溢れていたことだろう…。
「ひっ…いやああぁぁぁぁぁぁ…!!!!」
ついに理性が崩壊してしまった。それに伴い、衝動的にダムが崩壊するかのように私は泣き叫んでしまっていた。
…ここから先はよく覚えていない。
私が泣き叫んでいる間、それに共鳴するかのようにポルターガイストのような現象が発生し、物がひとりでにガタガタと動きだしたり物が落ちて割れたりした。
その騒ぎから近くにいたと思われる看護師のサキュバス達が3人もやってきて、その3人とヌーのような看護師とで私を落ち着かせようと奮闘していたのを記憶の片隅で覚えているのだけど。
サキュバスになったという非情な現実を突きつけられ理性を失った私は4人のサキュバスによってまた眠らされたようだった。
そして、再度意識を取り戻すと今度はこの熱海の旅館のような部屋で浴衣を着させられて寝かされていたのだ。またサキュバスの魔力とかいうもので沈静化かなにかをされたのだろうか、私は理性を取り戻していた。なのだけど、ただ理性を取り戻しただけなので私の気持ちはこれ以上ないほどひどく沈んでしまっていた。
あのインキュバスが訪ねてくる前に先程のヌーの看護師が一回様子を見に来た。そして、私にとりあえずはこの和室が私の住居になり私はここで暮らすことになったことを伝えてきた。
本気で心配しているようだったのでサキュバスといえど申し訳ないと思ったのだけど、私はショックから立ち直らず、彼女に心を開く気にもなれなかった。
またくると言って看護師は部屋から出て行った。それからは何をする気も起きず、涙目になりながらずっと布団にくるまって壁を見つめていた。
そして今、忌々しいあのインキュバスが私の目の前に現れたのだ。