帰路
植物が生えていた。それは見たことのない形と色であり僕はその名前を知らない。ここに生えているからには誰かがここに植えたのだ。そしてそれが成長したということだろう。しかしその植物はそれ以前の過程を感じさせない姿をしていた。はじめから完成した状態でここに生じたかのようだ。じっさいこれはただの印象ではないだろう。というのも来る時にはここに生えてなかったからだ。僕がDVDを借りている12分の間にそれは現れたのだということになる。
その植物はソテツの葉に似た形状の花を三つつけていた。なぜそれが花だと言えるのかというとそれが強烈に甘い香りを発しているからだ。紅色を煮詰めたような深い色合いは死よりも生を連想させた。花と呼ぶには大きすぎるその三つの構造物は僕の方を見ている。目を合わせてはいけない。その植物には目がなかったが、それは目の概念を伴っていた。
僕がツタヤで借りたのは「オーシャンズ」というドキュメンタリー映画だ。その映画はクジラの映像を見たいひとに適している。クジラを見なければならないという強迫的な衝動に突き上げられて、追い立てられるようにツタヤへと向かった時点で、今日の僕はすでに正気じゃなかった。正気は失うものではない。自分はもともと正気を持っていなかったということにある日突然気がつくのだ。
植物の幹にあたる部分はパイナップルを無数に積み上げたかのような形状をしていた。僕はパイナップルが嫌いだ。しかしそのパイナップルの群は僕の食欲をそそった。おそらくそのパイナップルがチョコチップクッキーのような色をしていたからだろう。僕はチョコチップクッキーが大好きなのである。
家に帰ろうと僕はポケットをまさぐり自転車の鍵を探した。僕ははやくクジラが見たかったしチョコチップクッキーが食べたかった。自転車の鍵が見つからないならば歩いて帰るしかない。30秒数えて鍵が見つからなければ歩いて帰ることにしよう。30秒もあれば事態は改善するはずだ。なぜなら僕が眺めていた植物は12分の間に現れたのだ。数を数えながら服の全てのポケットに手を入れてまさぐり、それを繰り返した。
状況が変化したのは僕がちょうど18秒目を数え終えた時だった。低い轟音と共にパイナップルから黒い煙のようなものが立ち上りはじめた。ミツバチである。ミツバチは近年個体数を減らしている。これほど沢山のミツバチを見られるのは幸運なことだ。ミツバチが飛び去ったころには僕は30秒目を数えて終わっていた。
早歩きで家に帰ると玄関の前に僕の自転車が置かれていた。うっかりしていた。僕は徒歩でツタヤに行ったのだった。
いま僕はクジラを見ながら牛乳を飲み、チョコチップクッキーを食べている。