第三章 二幕 『魔術師ギルド』
「船が着くぞ―――――ッッ!」
威勢のいい船乗りの声が、甲板からデッキを通り、船室内のジョージとイリューンの元にまで届いた。つられて窓の外を覗けば、雲をも貫くような高さの尖塔が、町の中央にそびえ立っているのが見える。噂の魔術師ギルドとは、あの場所を指して言うのだろう。
「よっしゃ、それじゃ行くとするか。」
イリューンは大きく伸びをすると、ベッドから立ち上がり、部屋の隅に無造作に転がしてある黒い鎧を手に取った。昨日の夜、寝る前にイリューンが脱ぎ捨てた物だった。
「…前から訊きたかったんだが、重くないのか?」
「――ん? いや、こいつはな…ミスリル銀で出来ているのさ。だから、見た目ほどかさばりはしねぇし、便利なモンよ。」
ミスリル銀とは、遙か伝説の時代から残されている魔法金属の総称を言う。
先にも述べた通り、この世界からは魔法が消え去って久しい。よって、魔法を掛けた武器や防具などもあり得ないのである。
現在では、理力を電池のように溜めた物質を武器や防具に取り付ける事でその問題を解決する動きが主流になっているが、当然、無限ではない。
しかし、この金属だけは何もせずとも理力を弾き返したり、また、重さを感じさせなくするなどの不思議な力を携えている事から、非常に高価であり、冒険者の憧れとも言える代物だった。
「オレを息子代わりに育ててくれた、ドワーフの鍛冶屋がくれたモンなんだ。…実のところ、そいつも曖昧なんだけどよ。」
「そういや…記憶がどうとか…?」
「ああ、実はオレにはガキの頃の記憶が殆ど残っちゃいねぇ。辛うじて覚えているのは、そのドワーフ…オヤジの記憶と、頭の中にいっつも響いているヤな感じの…『魔剣を奪え』って声。それに、俺と同じ鎧を着た厳つい男の顔だけさ。…そいつが誰なのかは、とんとわかりゃしねぇんだけどよ。」
「………」
掛ける言葉が見つからず、口をモゴモゴと動かすばかりのジョージ。しかし、イリューンはそんな彼を余所に明るい顔を見せると、
「なーに、記憶が無くったって生きていけらぁな。気にする程のこっちゃねぇよ。問題は、今をいかに楽しく生きるか、さ。」
そう言って豪快に笑った。そんなイリューンに、少しばかりジョージは救われたような気がした。
ガチャリ、と船室のドアが開く。同時に、
「着いたわよ、イリューン。」
『う、うわぁぁぁぁぁぁぁッッッ!』
アドンのゴツイ顔が突然目の前に現れ、二人は揃って悲鳴を上げた。
「なによ、もうっ! 失礼ね!」
「…い、いや、ちと急だったもんでな…驚いたんだ。すまねぇ。」
「あら、そう…アタシの美しさに見とれちゃったって、そう言うワケね。ふふっ…! ま、とりあえず、アタシ達は次の港を目指すのに、あと十分程で出港しなくちゃなんないから、早く準備をしてね。」
そう言い残し、投げキッスを残して部屋を立ち去るアドン。遅れた時の報復が怖かったのもあるが、早い所この船からおさらばしたかったが故に、その後の準備は二人とも異常なまでに早かった。
岸寄せされている船の甲板から、エレミアの町全体を見渡すと、魔術師ギルドの尖塔を中心に、放射状に商店や家などが構成されていることに気が付く。赤や黄色の屋根が並び立つその様は、異国情緒溢れる美しい光景だった。
「イリューン、別れるのは名残惜しいわねぇ…ね、ついでだから、アタシ達と一緒に旅をしない? ド・ゴールに何があるのかは知らないけど、きっとこっちの方が百倍楽しいわよぉ?」
そう言いながらウインクするアドンと直に目が合い、ジョージの背筋に寒いモノが走った。まぁ、歪んだ愛をまともに喰らっているイリューン程ではないだろうが。
「…え、遠慮しとくわ。た、助かったぜ、じゃぁなッ!」
「ま、待て、イリューンッ! …あ、えと、その、た、助かりました。路銀は、先払いしておいた通りで。…じゃ! おいッ、イリューンッ…!」
逃げるように甲板から飛び降りるや、一目散に路地を駆け出すイリューンを追い、図らずともジョージも全力で走らざるを得なかった。
「ホンット、正直じゃないんだから…まぁ、そこが可愛いんだけどね。ウふふっ…」
にゃぁにゃぁと騒がしいウミネコの声が、二人を嘲笑うかのように青い空に飛び交う。その下でしなを作り、意味深に嘯くアドンは、何故かとても嬉しそうだった。
走りながらジョージは、ゴードンの娘メリアの事を思いだしていた。
(結局…あの後、ろくに話もしないで出てきちまったな…どうしているだろう?)
何故だかジョージの心に彼女の笑顔が強く印象付いていた。理由は全くわからなかったが、確かにもう一度彼女と話したいという気持ちが強く燻っていた。
「…ん? どうした? 随分とご機嫌じゃねぇか?」
前を走るイリューンが振り返り、ジョージの顔を見るやそう言った。ジョージは思わず顔を真っ赤にすると、照れ臭さを誤魔化すように、さり気なく話題をすり替えた。
「…いや…、あの、その…そういや、あの女の人…ラヴェルナさんだっけ? どうしたんだ、あれから?」
「結局、船長がアーコン島に連れ帰ったとよ。なんでだ?」
「いや、ちょっと…気になってな…。あんな綺麗な女の人だろ? …好い人なのか?」
「…オレが? 馬鹿言うな。」
「え…? 仲が良さそうに見えたけど…?」
「男と女にはな、事情っつーのが山ほどありやがるんだよ。」
イリューンの言う、男と女の話はよく解らなかったが、事情が山ほどあるという部分については、驚く程すんなり理解出来た。
なるほどね、とジョージは納得したように小さく頷きながら、魔術師ギルドの尖塔を目指して、尚も坂道を走り続けた。
数分もしたところで、坂道は徐々になだらかになり、目前には物々しい塔が立ちはだかった。入り口と思わしき巨大な門の前には、多くの旅人が詰めかけ、中には冒険者とも賞金稼ぎとも見えるようなゴロツキの姿も多数見える。
辺りを包み込む喧噪の中、ジョージは尖塔を見上げると呟いた。
「ふぇー…ここが噂に名高い魔術師ギルド総本部か…」
この世界において、魔術師ギルドは重要な統括部であり、幾つかの平和維持に関する仕事を先んじて行っている。その多くは、世界各地に蔓延る人類に害成す魔獣や幻獣の類を退ける業務、そして諸万国に対する仲介役が主な役目だった。
そんなギルドの仕事の中の一つに、旅証の発行というものがある。旅証とは、鎖国制度を布いている国――帝都ド・ゴールや、クラメシア共和国など、特定の場所に入国する際に必要な物で、高い照会技能を持つギルドならではの身分証明証とでも思ってもらえれば良いだろう。
証明証の前面には、理力によって映写された小さな写真が貼られており、その控えはデータベースとして、旅証の有効期間の間、ギルド内の金庫に保管されるようになっている。
もし、前記の特定国で犯罪が起きれば、控えの中から該当者を検索し、即座に容疑者に対して指名手配を行えるという訳だ。
だが、当然の如く、特定国を除いた場所での犯罪に対しては、そのような有効手段が取れないケースが殆どであり、よって大方の場合は、証言にそった似顔絵を公開するという手法が未だに主流となっている。
余談であるが、ギルド自体には逮捕権は無い。あくまで、自治体による犯罪者の検挙に力を貸しているのが現状だ。
よって、ジョージが敵前逃亡罪によってコーラスから指名手配されていたとしても、ギルドにはそれを咎めるだけの能力はない。これが現在のギルド業務の限界点だった。
もちろん、それを補う為に、この世界には懸賞金制度があるのだが、これについては、またの機会に述べさせていただくとしよう。
「なぁ、ジョージ…ホンっとーに、行くのか?」
情けない声が聞こえ、ジョージは後ろを振り返った。見ると、渋い顔をしたイリューンが立ち止まり、門をくぐるのを躊躇っている。何故か、先程まであった覇気が全く感じられず、まるでこれから叱られるのが解っている子供のような表情をしていた。
向き直るや、ジョージは怪訝そうに聞き返した。
「…何言ってるんだ? 旅証が無けりゃ、ド・ゴールには入れないだろう?」
「行かなきゃ、…駄目か?」
「駄目だッ!」
何を言ってるんだ、とばかりにジョージは語気を強めてみせる。その迫力に押された訳ではなかろうが、このままでは当初の目的も果たせぬだろうと、渋々イリューンはジョージの後ろについてギルドの門をくぐった。
しばらく長い廊下をまっすぐ進むと、やがて二人は開けた場所に出た。受付であろう、カウンターの向こう側に多数のギルド職員の姿が並んでいる。全員が魔術師に違いない。
ジョージは人混みを掻き分けると、手が空いていそうな若い女の職員に話し掛けた。
「あの、すいません…?」
「はい、どういったご用件でしょうか?」
「実は、旅証の発行をお願いしたいんですが…」
「ああ、それなら順にお呼びしますので、こちらの紙に名前を記載してお待ちください。呼ばれましたら三番のゲートを通って、奥までお進みください。」
あまりにもメカニカルな返答に少しばかり気を悪くしたものの、その後は至ってスムーズに事は進んだ。ゲートを抜け、細い通路を歩くと、突き当たりに小さな扉があるのが見える。それをゆっくりと開け、ジョージはそっと部屋に踏み込んだ。
暗い部屋だった。照明類が殆ど付いておらず、辛うじて辺りにある家具類が見えるか見えないか、といった程度の明るさだった。
いきなり、ジョージは後ろに立つイリューンに突き飛ばされた。コンマ一秒後、床に強かに顔面を打ち付け、ジョージは勢いよく鼻血を吹く。
「――…ッ…な、なにしやがッ!?」
起きあがるや、足下に乾いた音を立て、鋭いナイフが突き刺さった。ぎょっとした顔を見せるジョージの眼前には、床に打ち倒された若い男――年の頃十七、八といった風の、赤い髪に細面の青年の姿。そして、その鼻先にハルバードの刃先を突き付け、見下したような表情を見せるイリューンが立っている。
状況を把握するに、襲い掛かってきた男のナイフを手にしたハルバードの柄で打ち払い、返す刀で転ばせると同時に男の動きを完全に掌握した――といった所らしい。
それにしても、もう少しスマートな方法が無かったのだろうか、とジョージは痛む顔をさすりながらイリューンを睨み付けた。
「――オレを殺りたいんだったら、次からはもう少し巧くやるんだな。」
鼻で笑い、イリューンは突き付けたハルバードを背中に納め、床に這い蹲る男の尻を思い切り蹴飛ばした。勢いよく床を転がり、蛙の潰れたような声を上げる男。が、それでも彼は、怒りに燃えたその顔を崩そうとはしなかった。
「…イリューン…ッ! 貴様…貴様ァッ! 何故今更戻ってきたッ!? 貴様なんぞに、この地に戻る資格なぞ無いッ! さっさとこの場から立ち去るがいいッ!」
そこまで言ったところで、つかつかと歩み寄ったイリューンの蹴りが再びヒット。またも床を激しく転がると、男は胃の奥から苦しげな呻き声を絞り出す。これにはさすがに、端で見ていたジョージも気の毒に思った。
ふと、そんなやりとりの最中、嗄れた声が部屋の端から聞こえてきた。
「…やれやれ、イリューンよ。帰ってくる早々、騒ぎを起こしおってからに…」
「その声は…ジジィか?」
声のした方向に顔を向けると、いつのまに現れたのか、白髪の老人の姿がそこにあった。老人はゆっくりと足を進めると、やがて、イリューンの眼前で立ち止まった。
「イリューン、久しぶりじゃな。――とはいっても、数日前に兆候はあったがの。」
「そういうテメェも元気そうじゃねぇか。まだ生きていやがったとはな、クソジジィ。」
どうやら二人は旧知の仲らしい。呆然とするジョージを余所に、今まで床に倒れ込んでいた赤髪の男が慌てた様子で立ち上がる。
「まッ…マナ・ライ様! こんなヤツに…こんなヤツに掛ける言葉などありません! どうか、どうかお引き取りくださいッ!」
「…ま…マナ・ライッ!? じ、じゃあ、このじいさ…いや、この御方が…こ、この魔術師ギルド全体を司る総責任者の…ッ!?」
思わず声に出し、ジョージは老人を凝視した。見るからにヨボヨボのその姿からは、確かに威厳こそ感じられるものの、やはりそれ程の大人物には思えない。
ジョージはそそくさとイリューンの側へ近寄ると、そっと耳打ちをした。
(…お、おい、イリューン! おまえ一体、どういう関係なんだ?)
「――あ? …いや、もう何年経つかな…随分昔、記憶を失ったオレはこのジジィに拾われたんだ。けどよ、オレには魔剣を探すっつー使命があった。おまけに、度重なる試験、キッつい制度、そんなモンに耐えられなくてな…理力アイテムを片っ端から掻っ払って脱走したっつーワケよ。…おかげで、ギルドの連中からは嫌われ者さ…。」
さも被害者のように、遠い目をしてみせるイリューン。そりゃ、おめーが全部悪い、とジョージは思ったが、敢えて口には出さなかった。
「…出来ることなら、ここにゃ戻って来たくなかったぜ。」
「ふむ、そう言うからには…旅証が必要だというワケじゃな?」
「…ああ、野暮用でな。」
「ならば、少しばかり貴様に頼みたいことがあってな。引き受けてくれたならば、貴様の過去の罪を許してやっても良い。」
「――ほう?」
乗り気のイリューンに反して、ジョージの背筋をイヤな予感が走り抜ける。
(…大体、この手の頼み事には、ろくな結果が待っていねぇんだよなぁ…)
だが、とてもそれを言い出せるような雰囲気ではない。
その一方で、赤髪の男は先程と変わらず、強い口調でマナ・ライに訴え続けている。
「いけません、マナ・ライ様ッ! この男に『アレ』を押しつけるなどと…ッ!」
「…少し黙っておれ、フレイム。ワシはイリューンに聞いておるのだ。」
しかし弁舌空しく、赤髪の男――フレイムは、そこで無理に言葉を飲み込むと、口惜しそうに奥歯を噛み締め、押し黙るしかなかった。
フレイムを諭し終えた後、マナ・ライは蓄えた白髭をさすりながらイリューンに向き直ると、少しの間を起き、溜息混じりに切り出した。
「…実は、ギルドの卒生の一人に、旅に出たいと言っている者がおっての。じゃが生憎、そやつもまだまだヒヨッコ。…魔術師一人での旅は危険すぎると思うてな。共に旅をする仲間を探しておったんじゃ。…どうじゃ? 頼まれてくれるかの?」
「…まぁ、そいつはいいんだが…何故オレに?」
「いや…、実は…少しばかり変わり者でなぁ…。」
(――変わり者。――イヤな言葉だ。)
思わず心の中で突っ込みをいれるジョージ。しかし、当然、誰に伝わる訳でもない。
「まぁ、ついてくるのは勝手だが……」
イリューンの答えにイエスのサインを見たのか、マナ・ライは二度程頷くと、部屋の奥に向かって、来い、とばかりに小さく指先を動かした。
それに従い、闇の中からすっと、一人の少年が現れる。
抜けるように白い肌、流れるような金髪――そして真っ赤な、血の色のような薄い唇は、見る者全てを魅了してしまうかのような、そんな怪しい魅力を放っている。
辛うじて少年だと見分けられたのは、彼がその美しい髪をやや短めに切り揃えていたからだった。もし、長髪だったなら、誰もが少女だと思いこんでしまうに違いない。
「……ディアーダです。よろしくお願いします。」
少年はそれだけをポツリと呟くと、まるで人形のように口を閉ざしてしまった。