第三章 一幕 『旅立ち』
朝焼けが美しく海面を彩る。にゃぁにゃぁと鳴くウミネコは、陸が近いことを暗示しているのだろう。
爽やかな朝を演出するかのように、潮騒が静かに辺り一面を包んでいた。白いシーツにくるまったまま、ジョージはもう一眠り、と目を瞑ったまま寝返りを打つ。と、その時。
「ぐごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……」
小さな船室内に、船全体をも振るわすかのような、物凄いイビキが響き渡った。苦虫を噛み潰したような顔し、ジョージは上半身だけを起こすと、イビキのする方向を見る。隣のベッドには、見事なまでに逆立った銀髪の男が横たわっている。イリューンだった。
(…なんで…俺がこいつと…こんな所にいるんだ…?)
ジョージは、自問自答した。その脳裏に、昨日の夜の出来事が走馬燈のように浮かんでは消えていく。
(…ああ、そうだ…そういやあの後…)
酒場の天井からぶら下がる、暗い照明に照らされた人々の顔が次々と思い出されてきた。霧がかかった頭の中が、少しづつ晴れてくるかのようだった。
――――
「…だーかーらー…悪かったって、謝ってるじゃない。…っもうッ!」
「謝ってねぇじゃねぇか、おめぇはよ…」
「っ…だ、大体…もとはと言えば、あんたが女遊びを止めないのがいけないんじゃない! …何さ…もう…っ」
そこまで言うと、ふくれっ面だった女は急にしおらしくなり、泣き出しそうな顔でイリューンから顔を背けた。そして、そのまま急に駆け出し、振り返りもせずに酒場を飛び出して行ってしまった。
残されたイリューンは、やれやれといった様子で、盛り上がる船員達の席へと戻って来た。そこに、顔を赤くした船長がほろ酔い気分で話し掛ける。…というよりは、絡んできたと言うべきか。
「おいおい、イリューン? まぁた、ラヴェルナと喧嘩か? しっかしオメェ等も、よくやるぜぇ…」
「…そんなんじゃねぇよ。大っ体、船長! あんたがもうちっと早く砲撃を止めてりゃ、あんな事にはなんなかったんだろうがッ!」
「お、おいおい…そいつは俺もさんざん謝ったじゃねぇか。本当、すまねぇと思ってるよ。いや、ホント。」
戯けてみせる船長に呆れた顔を向けると、イリューンは机の上のバーボンに手を付けた。これで、三本目だった。
海の主との遭遇というハプニングを迎えながらも、合同漁はつつがなく終了した。結局、夕刻の集計で一番の大物を捕らえたのはタマリスク号だったらしく、船長は終始上機嫌だった。
その後、ジョージは成り行き上、イリューンを含む船員達全員と共にゴードンの宿へと戻る事となる。かつて、ゴードンのオヤジとタマリスク号の船長とは傭兵仲間だったらしく、彼が「懐かしい顔を見たい」と言い出したのが事の発端だった。
もちろん、そのままで済む筈もなく、急遽、宿の向かいの酒場を貸し切り、祝賀会が行われたという次第である。
居心地が悪そうに酒場の隅の席に座ると、ジョージは地酒をチビチビとグラスで呑りながら、そんな彼等の様子を横目で見つめていた。
ぼんやりと聞いた話から察するに、砲撃が止まなかった理由は、船室で出会ったあの女――ラヴェルナが、イリューンに対する嫉妬のあまり、船長から大砲を奪ったのが原因らしい。
ちょうど、ジョージは船首付近に居た為に難を逃れたが、当時の現場は大暴れする彼女にてんてこ舞いだったようだ。最終的には、船長以下全員が柱に縛り付けて黙らせたともいうから、怒りは相当のモノだったのだろう。
ジョージにしてみれば、浮気が原因というからには自業自得ではないかとも思ったが、それを知ったイリューンは漁から戻ってからも不機嫌なままで、それが先程の喧嘩の顛末らしかった。
船員の一人がイリューンの肩を叩きながら、酔いが回っているらしく、笑顔で空の酒瓶を振り回しつつ言った。
「おいおい、イリューン、そう怒るなって! おまえのおかげで漁も大成功だし、言うことナシ! とりあえず、呑め、呑め!」
「よっく言うぜ…オレはもう、なんか…そんな気分じゃねぇんだよ。」
既にイリューンは、四本目に手が掛かっている。大嘘つきだ。
ふと、ボトルに下がっている名札を見た船長が、音を立てて席を立ち上がったかと思うと、裏返ったような素っ頓狂な声を上げた。
「お、おい、イリューンッ! そ、そりゃ、オレ様が三年前にボトルキープしておいた年代モンの…ッ!」
「まぁまぁ、船長ッ! いいじゃぁないですか。イリューンのおかげでどうにか全員無事に済んだことですし!」
「そうッスよ! 大体、船長だってあん時ゃ、大慌てだったじゃぁないッスか! 大目に見ましょうよォ!」
「…赤鯱の船が沈んだ時は呆然としていたしねぇ。…あんな船長の顔は、見ようったって見れませんや。」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、禿げ上がった頭の船員がそう呟いてグラスを空ける。全員が、どっと堰を切ったように笑い出した。上機嫌に口笛を吹き鳴らす男達に、堪らず赤面すると船長は大声で返した。
「ばっ……バッケヤロォ! テメェらッ! そ、そんなことあるけぇッ!」
一人の男が、そっと船長の側に近づき、無遠慮に隣の席に座った。白髪交じりの髪に、胡麻塩の無精髭。片目に眼帯を付けた年輩のその男は、そのまま船長の背中をバンと強く叩くと、
「な〜にが、そんなことねぇってんだ?」
そうニヤリと笑いながら切り出した。振り向くや、驚いた顔を見せ、船長は言った。
「あ、赤鯱…ッ!? なんでテメェがここに!?」
「まったく、飲み会だってんなら、誘えよな。俺とオメェの仲だろうが。」
「だ、誰がテメェなんかと…ッ!」
「まぁ、そうつれねぇこと言うなって。正直に祝ってやってるんだからよ。…だがな、来年はこうはいかねぇぜッ!? 今度は俺達があの憎き海の主でも釣り上げて、町一番の称号を奪い返してやらーなッ!」
どうやらこの二人、啀み合いながらもいいコンビらしい。赤鯱の言葉に、船長はニヤリと口元を歪めると、
「おう、やってみろやッ! だがな、そんときゃぁ、また勝負だぜ!? どっちが先に釣り上げるかでなぁッ!」
示し合わせたように、グラスがカチーン、と澄んだ音を響かせた。同時に、全員が『乾杯!』と大声で叫ぶ。だが、構わずイリューンは未だラッパ飲みを敢行中。気が付いた船長が大慌てでボトルを奪おうとするも、あっさりとイリューンにかわされ、机の上を派手に転がった。その様子を指さし、また船員達が笑い声を上げた。酒宴は盛り上がりを増す一方だった。
ジョージは羨ましかった。共に命を懸け、戦い、そして喜びを分かち合う…そんな仲間を、ジョージは一人も知り得なかった。だからこそ、イリューンとその仲間達の存在が一層輝かしい物に思えた。そして、自分はここに居るべきではないのだとも…。
「…騎士様?」
突然、黄色い声が飛び、ジョージは咄嗟に顔を上げて振り返った。見覚えのある顔が、そこにあった。
「――あ、…き、君は…」
「どうしたの? 浮かない顔をして…?」
ゴードンの娘だった。こちらの顔を知っているという事は、昨日の夜、暴漢から助けた(?)事を覚えていたのだろう。
だとしたら、少々気が重かった。正直、偉そうに言える事は何もしていなかったからである。どう答えを返したものか、とジョージは少しばかり迷った挙げ句、
「い、いや…ちょっと…故郷の事を…思い出してね…」
その場しのぎでそう答えた。嘘ではない。しかし、詳細を話す訳にもいかず、やはりジョージはそこで押し黙るしかなかった。
「ふーん…まぁ、いいんだけどね、…楽しまなくちゃ損じゃない? いくら騎士様でも、そう緊張した顔ばっかりじゃ、疲れちゃうでしょ? …あ、気を悪くしたらごめんなさい?」
「いや…かえって気が紛れたよ。ありがとう。…ええと…?」
「あ、そういえばまだ名乗っていなかったっけ。私はメリア。メリア・アレクセイ。よろしくね、騎士様。」
「ああ、よ、よろしく。…俺の名は…」
そうジョージが名乗りかけたその時、
「おい、メリアっ! こっち、酒が足りないぞ! 早く持ってこーい!」
陽気な声で、父親のゴードンがそう叫んだ。目を向ければ、酒場の中央に位置する丸テーブルで船長、赤鯱、その他数人の船員達と共に、ご機嫌な様子で杯を交わしては次々と空にしていく彼の姿が目に付いた。
呆れ顔のジョージを余所に、メリアは頬を膨らますとすぐさまそれに言い返した。
「…解ってるわよ! だいたい、お父さんがどうしても、っていうから仕方なく手伝ってるんだからねっ! 『おまえを一人にしておくのは心配だ』なんてっ! …ホンット、冗談じゃないわよ…!」
「それとこれとは別だ、別! 大体、放っておくとおまえはすぐに夜遊びに行っちまうだろうが!」
「もうっ! それは『しばらくはやらない』って昨日約束したばっかりじゃない! …見て判るでしょ!?」
二人のやり取りに聞き耳を立てていたのか、イリューンが今まで呑んでいた席を立つと、ゴードンに近寄り話し掛けた。
「なに? 夜遊び? …そいつはいけねぇな。後でオレが、きっつくイワしておいてやろうか。」
「遠慮する。おまえにやるぐらいなら、近所の野良犬にやった方が幾分かマシだ。」
コンマ数秒で返事が返ってくる。その顔は、かなりマジだった。
「つれねぇな、オヤジ。…ま、オレはガキにゃ興味ねぇからいいんだけどよ。」
「ひっどーいっ! もう、ガキなんかじゃありませんからねっ!」
「そういう台詞はデカチチになってから言いな。」
醜い争いが繰り広げられる。やがて一段落したらしく、
(…ごめんね、また時間があったら、今度はゆっくりお話ししたいわね。じゃ…!)
メリアはそう小声で囁き、手をひらひらと振りながらきびすを返すと、ジョージからそっと離れた。恐らくは、店の奥へ言われたとおり酒を取りに向かったのだろう。
どうやら、あれからゴードンに随分と絞られたらしく、反省の為か、この酒場で手伝いをするよう促されたらしかった。
ジョージは、そんな彼女を少しばかり不憫に思うと同時に、何故か言葉に出来ない不思議な気持ちを抱いた。ほっとするような、心が和むような…彼女を見ていると、そんな暖かい感覚が胸の奥に灯っているかのように感じていた。
(…なんだろう? …変な気分だな。 まぁ、随分と酔ったからな…もうそろそろ、戻って寝るとするか…)
完全に手持ち無沙汰になり、酔いを醒ますかのように水を一息に飲むと、髪を掻き上げながら席を立つ。
とりあえず部屋に戻る前に、ゴードンにだけは挨拶しておこうと、ジョージは彼の座る中央の丸テーブルに近付いた。その時、ちょうどイリューンを相手取って話し始めた会話が、期せずしてその耳に入ってきた。
「そんなことより、イリューン。成り行き上、酒盛りとなっちまったが…おまえに用がある事に変わりはない。聞いてくれるか?」
「…あぁ? 鯱張った顔しやがって…なんだってんだよ、オヤジ?」
『…魔剣だ。』
「!?」
ジョージは思わず目を見開いた。ゴードンは手にしたグラスを呷りながら続けた。
「『炎魔剣ブラッディ・ローズ』『氷槍ペイル・フェイス』『精霊斧セイクリッド・リーヴァ』『幻夢鎌パープル・ヘイズ』『暗黒刀アウントゥム』の五本。そう、伝説のハルギスの魔剣だ。その内の一本が、帝都ド・ゴールにあると噂されている。」
「――本当か?」
「ああ。最近、ある情報筋から入手したとびっきりのネタだ。保証するぜ。」
「そいつは助かるぜ。ありがてぇ。」
「だが、問題がある。…ド・ゴールで毎年、大規模な武闘会が行われているのは知っているか?」
「俺はダンスは踊れねぇぞ。」
二、三秒ほど時間が止まった。イリューンは至極当然と言った顔。ゴードンは沈黙を破るように大声で言った。
「舞踏じゃないッ! 武闘だ、武闘! 武器の武に、闘うっ!」
「ああ、なんだ、そっちか。そっちは大得意だぜ。安心しな。」
したり顔でそう答えるイリューンに、ゴードンは思わず頭を抱えた。
「おまえの場合、どこまで本気かわからねぇから問題なんだ。…まぁ、いい。数年前からド・ゴールで、各地から強者を呼び集めては大会を行い、優勝者に賞品を授けるといった催しが行われているのは有名な話なんだ。それで、今年の賞品というのがズバリ…」
「…魔剣、ってか。」
「そうだ。おまえのことだから、強奪しに行こうとでも思ったんだろう? だが、合法的に頂ける手段があるなら、それに越したことはあるまい?」
「あぁ、そうだな。出来れば力ずくだけは勘弁してぇしな。…ほら、俺って平和主義者だからよ?」
嘘だ、とジョージは横で立ち聞きしながら、心の中で激しく突っ込みを入れた。ゴードンもそれは重々理解しているらしく、
「大会は、二週間後の十八日に予定されているそうだ。一本でも手に入れば、少しはお前の記憶も…ひょっとすれば、判るんじゃないか?」
何事もなかったかのようにそう繋げた。イリューンは明らかに不機嫌そうな表情を浮かべながらも、話の腰を折りはしなかった。
「…まぁ、礼は言っとくぜ、オヤジ。早速、旅の準備に取り掛かるとすらぁな。」
「よし、そうと決まれば、先ずはド・ゴールに入る為の旅証だな。…船長、今、エレミア行きの船は何便出ている?」
振り向きつつ、隣に座る船長に向かって、ゴードンは問い掛ける。かなり酔いが回っているようだったが、船長は少しばかり考えた素振りを見せた後、申し訳なさそうに顔を顰めながら答えた。
「――ん? ん〜…悪ぃが今んところ、全部出払っちまっててな。生憎とあそこまでの船は残ってねぇんだよ。帰ってくるのは、恐らく三日後ぐらいになっちまうと思うんだがな…」
と、そこまで言った後に、船長は思い出したように指をパチンと鳴らすと、
「…あッ! そういやぁ、一本だけあったな! …アイツの船が。」
「アイツ…アイツって、まさか…アイツか?」
「ああ、そうだ。…アイツだ。まぁ、イリューンが我慢さえすれば、後は問題ないだろうしな。」
二人の神妙な面持ちに何かを察したのか、イリューンが顔を曇らせる。やがてゴードンは、示し合わせたかのように船長と頷き合うと、
「おい、アドンッ! サムソンッ! いるかッ!?」
未だ大声で騒ぎ立て続ける船員達に向かって、大声で二人の名を呼んだ。やがて、その中から一人、角刈りのいかにもゴツイ男が立ち上がった。
まるで壁のような厚い胸板。健康的に日焼けした黒い肌と、それに相反するかのように際立つ白い歯。男はニッカリと満面の笑みを浮かべ、腕組みをしながら野太い声で言った。
「――ゴードンのオヤっさん、何かお呼びっスか?」
「…アドンか。サムソンはどうした?」
「忘れちまったんスか? サムソンは数日前に、陸路で取引先のエマに向かったばっかりだったじゃないッスか。しばらくはド・ゴールとエマの間の仲介をする筈だから、当分戻って来れないっスよ?」
「そ、そうか。…そうだったな。出来るだけ考えたくなかっ…い、いや、忘れていたよ。」
イリューンが顔を引き吊らせながら、ゴードンの襟首を掴むと同時に、机の下に向かって引きずり込んだ。
(…おい、オヤジッ! …マジか? マジでこいつしかいねぇのか?)
(…仕方がないだろッ!? 漁船兼武装商船でやっておるのは、今の所、こいつ等だけなんだからッ!)
(イリューン、おまえが我慢すればいいことじゃろ? …な、悪いことは言わん。陸路じゃ、エレミアまでですら四日はかかるんじゃぞ? 到底間に合うまいて?)
(だからって、…本気かよッ!?)
(…運命だとでも思って諦めるんじゃな。)
船長までもが机の下に潜り込み、三人は何やらヒソヒソ話を続けている。首を傾げ、アドンと呼ばれたその男は次の言葉を待つばかりだ。
一方、ジョージの頭の中では、先程から素晴らしい計画が組み立てられようとしている真っ最中だった。
(…まさかこんな所でハルギスの魔剣の話が出てくるなんて…! 世界に五本…全て揃えれば地上を支配できるとさえ噂される伝説の魔剣…そんなモンが本当にあるとは眉唾だが、その噂を伝えるだけで十万ギルスは出ようって代物だ。…ましてや手に入りでもすれば、貴族に戻っても余りあるほどの財を築けようもの…! こいつはひょっとして…! 運が向いてきたか…っ?)
そっと自分もしゃがみ込むと、ジョージは神妙な面持ちを浮かべつつ、同様にイリューンンに小声で話し掛けた。一世一代の大勝負だった。
(――えぇ…と。…な、イリューンとやら?)
(…あん? …あんだってんだよ、一体?)
(あんた、その魔剣を手に入れたら、後はどうするつもりなんだ?)
(…どうするって…そりゃ、まぁ、用が無くなれば、後は物干しにでもするだろうよ。)
当然のように答えるイリューンに、船長もゴードンも驚く素振りすら見せない。「この男ならば当前」とでも考えているのだろう。
ジョージはそんな二人の様子を確認し、話を続ける。
(…実は、俺はさる密命を受けて、ド・ゴールに向かわねばならない身なんだが…道中に危険は付き物。しばらくこの町に滞在し、用心棒を捜そうとでも思ってたんだ。…もし良ければ、旅を共にさせてもらえないか?)
あまりにも性急な申し出に、ゴードンは訝しげな顔を浮かべた。その表情からは、明らかに懐疑の色が見て取れた。
(…イリューン、どうする?)
(ああ、オレは別に一向に構わねぇぜ。まんざら知らねぇ仲でもねぇしな。)
事も無げに答えるイリューンに、ゴードンは仕方ない、と溜息をつくしかない。
横を見れば、船長もまた「まぁいいだろう」といった顔を見せていた。不安要素はあったものの、どうにか商談は成立したようだった。
(――よし。そういえば自己紹介が遅れてたな。俺の名はジョージ。ジョージ・フラットだ。よろしく。)
机の下で三人と握手をした後、ジョージは立ち上がると、待ち構えていたアドンに向かって真っ先に話を切り出した。
「…話は決まった。エレミアまで向かって欲しい。頼めるか?」
「ああ、構わないゼ。で、どちらさんが同乗で?」
「二人だ。俺と、このイリューンという…」
その瞬間、アドンの目線が鋭く、まるで狩りをする得物の如くイリューンを捕らえた。同時に、様子がガラリと変わり、今までの男らしい立ち居振る舞いが、ナヨナヨとした動きに取って代わると、
「あ〜らぁ! イリューンじゃぁない! もうっ! イリューンだったら、こっちから頼みたいぐらいよォ! ウふふっ…!」
「…じ、じ、じ、冗談じゃねぇぇぇぇッ!」
「あァ〜ら、待ってよ、イリュ〜ン! つれないわねェ!」
「な、な、な…?」
狼狽するジョージの肩をポン、と軽く叩き、ゴードンは溜息混じりに言った。
「騎士様…あんたにゃ言い忘れていたが…あのアドンって男はな、モノホンなんだよ。」
「モノホン…って…」
「そう、ヤツはマジなんだ。…わかるだろ?」
「…な、ん、だっ、てぇぇぇぇぇぇッッ!?」
ゴツイ男が、よりゴツイ男を追い掛けまわすその姿は、不気味以外の何物でもない。本気でイヤがり、酒場を逃げ回るイリューンを、船員達は皆で指さしながら笑い転げた。その光景を見つめながらジョージは、仲が良すぎるのもちょっと問題だな、などと思った。
――――
徐々にハッキリしてきた記憶に、ジョージは一人相槌を打った。
「…そうだった。それで俺はコイツと一緒に…エレミアに向かう船に乗ったんだっけ…」
だらしなく涎を垂らし、イビキをかき続けるイリューンの顔を見つめながら、ジョージは物憂げにそう呟いた。
あれから結局、アドンが途中で折れ、
「イリューンがイヤなら、あたしは取り敢えず手出ししないでおくわ。心変わりするまで、見守っていてあ・げ・る。」
という約束の元に、二人は武装商船『薔薇族』に同乗したのである。
夜の内に船は出発し、翌日の昼までにはエレミアに着く予定だった。目的地、帝都ド・ゴールは、エレミアから陸路で八日程の道程であり、かなり余裕がある旅だといえた。
勿論、ジョージの目的は言わずともがな、ハルギスの魔剣を奪う事だった。
話から推測するに、イリューンにとって魔剣は、自分の失われた記憶を取り戻すカギのようなものらしい。と、なれば、その目的さえ終われば魔剣といえども用無しになる。面倒な大会云々は、全てイリューンに任せておき、漁夫の利は一人だけが得られればいい。
最悪、魔剣を奪い取れなくとも、イリューンをどうにかしてコーラス城へ連れて行きさえすれば、自分は功労者として敵前逃亡の罪を許されるやもしれない。要は、魔剣さえコーラスに持ち帰れれば重畳。イリューンが優勝できなかった時は、情報だけを持ち帰る他にないが、それでも今の手ぶらの状況よりは明らかにマシだった。
(…どう転んだとしても…なかなかオイシイ目が見られそうだぜ…!)
消え去ってしまった筈の貴族の道。それが再び目の前にぶら下がり、ジョージは思わず笑い出したい衝動に駆られた。一歩間違うと、主人公ではなく悪の大幹部に見えてしまうような、そんな表情を浮かべていた。
やがて、五度目の寝返りを打ち損ねたところで、イリューンはようやく目を覚ました。
「ふわぁぁぁ〜〜〜っ…! …ん? …おう、騎士様、起きてたのか?」
「…その騎士様ってのは…止してくれよ。…呼び名はジョージでいい。」
「わぁった、わぁった。以後、気を付けるよ。ふあぁぁぁぁぁ…!」
言葉尻を濁しながら答えるジョージを余所に、イリューンは立ち上がると、退屈そうに欠伸をする。
一路、エレミアへと向かう二人に、波間からは漣の音が、幾つも連なって聞こえていた。
船はやがて陸に着くだろう。だが、果たしてこの旅にも、いつかは終わりが来るのだろうか?
その問いに、答えられる者はまだ居ない。