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第二章 三幕 『憧憬』

 カモメが鳴いている。潮風が頬に強く当たり、日差しは焼き付かんばかりに顔を照らす。沖に出た船の甲板で、呆然とジョージは遠くなる港を見守っていた。歓声と、掛け声と、出港の喧しい鐘の音に包まれながら、そのどれもが現実感を伴っていなかった。

「……何なんだ。……何なんだ、コイツはよぉっ!?」

「あっちゃー…やっぱりもう出ちまったか。」

 後からジョージを追いかけて甲板に出たイリューンがそう呟く。

「…やっぱりって…、『やっぱり』って何だ!?」

「いや、実はな、船長が『今年こそ俺達が一番の大物を狙うんだ』って、言ってたのをすっかり忘れてたぜ。」

「一番の大物!? おい、まだ船は港に到着したばかりなんじゃないのか!?」

「…なんだ、ゴードンのオヤジから聞いてねぇのか? この合同漁は、もともとガルガライズとアーコンとの間で領海を奪い合うために生まれたんだ。海神様への供物を捧げる祭りの意味も込めてな。ま、今じゃ領海はエレミアの魔術師ギルドから定められているから、祭りの意味しか持ってねぇんだけど、海の男達はこの時とばかりに自分達の力を誇示しようとするんだ。だから、これは試合でもあるんだよ。双方の船が港を出発した段階で、大物狩りの試合は始まってるってワケだ。」

「じゃあ、なんでみんなガルガライズ港に…っ!?」

「そりゃ、決まりでな。…アーコンから出港した船と、ガルガライズから出港した船とに差があっちゃマズいだろ? だから、アーコンから出た船は、一度ガルガライズ港に寄らないといけねぇんだ。…あとは、夕刻までに誰がどんだけ大物を奪えるかが、勝負の分かれ目って事よ。まぁ、量を競ってるワケじゃねぇから、早く出港すりゃ良いってもんでもねぇんだけどな。そこんところ、ウチの船長は気がはえぇからなぁ…。」

「…気が早いから、じゃねーッ! それじゃ何か!? これから夕刻まで、船は港に戻らないって、そういうワケなのか!?」

「おう、そーゆーこった。ま、いいじゃねぇか。どうせ用事なんてねぇんだろ?」

 まるで悪ぶれる様子もなく、さも楽しげにイリューンはニカッと笑った。思わず、ジョージは頭を抱えて座り込んでしまった。

(な、な、な……なんてこった……)

「ま、騎士様も一緒に協力して、いっちょ大漁を狙おうじゃねぇか! ガッハッハ!」

 尚更、頭痛が酷くなった。

 やがて、甲板よりも一段高い場所にある船長室らしき部屋から、白髭のいかにも雄々しげな老人が現れた。禿げ上がった頭に、黒いダブダブのズボンを履き、上半身は一糸纏わぬ姿。年の頃は七十に届くであろう顔立ちながら、その肉体は鋼の如く鍛え上げられており、畏怖堂々とした佇まいを見せている。恐らくは、この老人こそが船長に違いない。

 次の瞬間、腹の底から絞り出すかのような、野太い声が船全体に轟いた。

「…ヤロウどもッ! 今年こそは、あの赤鯱の野郎に目にモノ見せてやらなきゃなんねぇ! 昨年の雪辱戦だ…わかってるかッ!?」

 船長の檄に応じて、船員達も手に手に銛や網を取るや、一斉に雄叫びを上げた。

『ウォオオオオォォォッッ!!』

 後ろに立つイリューンも、楽しげに声を上げながら、まるで子供のように勢いよく腕を振り上げる。相も変わらずジョージは、現実逃避の呪文をブツブツと繰り返すばかりだ。

「見やがれッ! 俺等の後ろを! 赤鯱の野郎、俺らに先を越されたと思ってやがる! 慌ててケツを追いかけてきやがるがもう遅ぇ! いくぜ、大物を仕留めるんだッッッ!」

 振り返れば、まさにそこには何十ともつかぬ船団が、タマリスク号の船尾を目指して、次々と出港を始める姿があった。

 今まさに、年に一度の大合同漁が幕を開けようとしていた。


 陽が頭上高く上がり、焼け付くような熱気と飛び交う水飛沫が頬に、頭に、身体全体に降り注ぐ。その中を、男達の活気に溢れた掛け声が響いている。

 イリューンもまた、そんな彼らの姿に混じり、共に網を引き、水面に銛を打ち、大物を狙って激しく漁を競っている。その顔は活き活きと、まさに生を実感しているかのようだった。

 手持ち無沙汰に甲板を歩き回りながら、ジョージは漠然とそんな彼らを見つめていた。その間も船長の檄は飛び続け、男達は作業を止めることはない。

「遅れるな! カデナの船がポイントを押さえたみてぇだぞ! イカルスの旦那も調子が良いみてぇだッ! いいか、俺達ァ負けるワケにゃぁいかねぇんだぞッ!」

 ふと、ジョージは懐かしい思いに駆られた。かつて、幼い頃に父と競った狩り場での遊び。兎追いに眼を輝かせたあの頃を、何故か鮮明に思い出していた。

(…そういえば…そんな事もあったよな。…あの頃は楽しかった。……いつから……、いつから俺は、こんな風になっちまったんだろうな…? ……帰りたい…くそぉ…ッ……)

 ホームシックか、それともノスタルジーからか…そんな望郷感に捕らえられ、図らずとも目尻に熱い物が溜まっていく。しかし、どうしようもないのだと、無理に自分を押し殺し、ジョージは再び顔を上げた。そろそろ船員達も、昼の休憩に入ろうとしていた。

 と、その時。水平線をぼんやりと見つめていた船員が、ふと訝しげな声を上げた。

「…おい、何だありゃ?」

 船の前方に、突然沸き上がる高波。それが音を立て、激しい水飛沫を伴いながら向かってくる。局地的な津波のようなそれは次の瞬間、方向をジグザグに変えながら、やがて円を描くように大きく旋回したかと思うと、漁を続ける一隻の船目掛けて激突した。

 水柱を打ち上げ、遠くに見える船が舳先を異常な角度に傾けた。恐怖と断末魔の叫び声が辺り一面に轟いた。穏やかな筈の海面に、破壊された船の残骸であろう、木っ端破片や布切れが散乱し、波に揉まれて流れ着いた。

「…な、何だッ!? 何が起こったんだ!? あ、ありゃ、一体!?」

 驚きに目を見開き、ジョージは叫んだ。続けて、惨劇を目の当たりにした船員達も口々に騒ぎ始めた。

「あ、あれは…あれは赤鯱の船じゃねぇのかッッッ!?」

「ま、まさか…! あれは…あの水面に僅かに見える、巨大な背鰭は…!」

「おいおいおいッ! じょ、冗談じゃねぇぞ……ッ!?」

 示し合わせたように、その場にいる全員が声を揃えて叫んだ。

『あ、ありゃ…う、海の主…、海の主だァッ!』

 巨大な水飛沫は、今度はその目標をタマリスク号へと変えたらしく、凄まじいスピードで向かってくる。それはまるで、海そのもの――波自体が凶悪な意志を持ち、襲いかかってくるかの如くだった。

「お、おいッ! こ、こっちに向かってくるぞッ!?」

「に、に、に、逃げろォォッッ! お、面舵、一杯ィィッッッ!」

 操舵室からであろう声が、事態の深刻さを知らせていた。やがて、船が大きくゆれたかと思うと、意志を持った荒波から逃げるべく必死に旋回する。

 が、想像以上に敵の動きは素早い。数秒後、


 ドッガァァァ――――ンッ!!


 激しい横揺れが船全体を包み込んだ。まるで波の中にでも飲み込まれてしまったかのように、大量の海水が一気に甲板に叩き付けられる。荒波に吹き飛ばされないよう、ジョージはしっかりとマストにしがみつき、泣き出しそうな顔で叫んだ。

「…し、死んじまう、死んじまうぅぅっっ…! 何で、何で俺ばっかりッ!?」

 徐々に水飛沫が遠ざかていく。しかし、第二波はすぐだろう。やや大柄な船員が、歯軋りをし続ける船長に向かって、大声で現状を捲し立てる。

「船長ォォッ! 土手っ腹をやられたッ! まだ浸水しちゃいねぇが、ヤバイぜッ!」

「ち、ちっくしょうめ…こうなったら仕方がねぇ…! 緊急避難だッッッ! 手の空いているヤツは、波にさらわれた仲間の救援に向かえッ! その他は脱出用の小舟を出して、一刻も早く街の人間に知らせるんだッ!」

 船長の声に口惜しさが混じる。誰もが憔悴しきった顔を見せ、不安と恐怖の影を背負う。

 と、そんな中。数人の船員達がマストの上を見上げると、口々に驚きの声を上げた。

「…お、おいッ! み、見ろ、あれをッ!?」

「マストの上だッ! あ、あいつ、まさかッ!?」

 船員達の声につられ、ジョージも思わず頭上を見上げてみた。そこには、いつの間にか姿を消していたあの男が、さも勇ましそうに立ち尽くしている。

「…な…ッ!? い、イリューン!?」

 マストの最先端に設置された物見台の上に陣取り、その手には、槍と斧を組み合わせた強力な長尺武器であるハルバードを構え、遙か彼方、水飛沫の上がる波間に向けて物々しい視線を投げつけている。その身体から発せられる闘気は、離れていてもビリビリ感じる程に強烈な物だった。

「…あいつ…? あんな所で一体何を……ま、まさかッ!?」

 ジョージがそう呟いた、次の瞬間!

「ドオオオリャアアアアァァァッッッ!」

 雄叫びを上げ、奔り、マスト上を一気に駆け抜けると、イリューンは海の主を目掛けて一直線に飛びかかる!

 青い空に、男は一人舞った――


 ……ボッチャ―――――ン……!


 見事な水柱を打ち立て、その姿は忽然と海面下へ消えた。

「…な、何をしたかったんだ…? あいつは……?」

 はっとして目を戻せば、既に海の主はタマリスク号から数十メートルといった距離である。もはや、どう足掻いても次の攻撃は避けきれない。

(駄目だ――!)

 誰もがそう思った、その矢先!


 ザッパ――――――ン……ッ!


 突然、海の主の目の前に、再び高い水柱が上がった。何事か、と全員が眼を見開いた。

「……い、イリューンッ!?」

 水面から飛び上がるように姿を現したのは、紛れもなくイリューンだった。その身体が僅かばかり海面から浮いている。まるで、そこに重力が存在しないかのようだった。

 肩で息をしながら、握り締めたハルバードを頭上高く構え、イリューンは水飛沫の立つ方向に音もなく飛ぶ。風を切り宙を舞うその姿は、まさしく鳥の如く。

(あ、あれは…浮遊理力の一つ『Swallow』だ…! 重力を支配して、空をごく短時間だけ飛ぶ事が出来るとか…! 噂には聞いた事があるが、どうしてあの男が…!?)

 驚き、言葉を無くすジョージ。その間も、イリューンは海の主と併走するように飛び、タマリスク号から興味を逸らそうと画策する。

「…テメェの獲物はこっちだッ! さぁっ、きやがれッッッ!」

 その怒鳴り声に腹を立てたのか、それとも頭の上を飛び回る虫螻が気に食わないのか、海の主は進行方向をイリューンに変え、猛津波となって襲いかかる。

「あ、あいつ…自分が囮になって…!?」

 呟くジョージの脳裏に、再びあの時のゲオルグの姿が浮かび上がった。

「イリューン一人に任しちゃぁおけねぇッ! 野郎どもッ! 俺達も彼奴の援護をする! 対海賊用に取って置いた大砲を、ありったけ用意しろォッ!」


『オオオオオオオオオオオッッ!』


 それを機に、船員達の顔付きも変わった。船長の声に目を輝かせるや、船底から次々と古ぼけた大砲を用意し始める。そこには、怯えていた表情の欠片も感じられなかった。

 居ても立ってもいられず、ジョージは立ち上がるや船の先頭へ向かって走った。甲板の端までやってきたその時、イリューンは手にしたハルバードを水飛沫へと突き立て、振り回され、悪戦苦闘している真っ最中だった。

 必死に戦うイリューンの姿を遠目に、思わず握り拳を作ると、ジョージは何かを思い切り叫びたい気持ちに駆られた。しかし、何を叫べばいいか、それが解らなかった。ただ、その心を羨望と憧憬、そして嫉妬に似たような感覚が支配するばかりだった。


 一方その頃、イリューンは海の主に振り回されながら、辛うじて得物にしがみついているような状態だった。突き刺さったハルバードから手を離してしまったなら、すぐにでも死が迎えにやって来るだろう。悲痛な声で、イリューンは叫んだ。

「船長―――ッ! 駄目だッ! こいつはオレ達の手に負えるような相手じゃねぇッ! 逃げるんだ―――ッ!」

 が、その声が遙か遠い船団に届く筈もない。奥歯を噛み締め、イリューンは憎たらしげに舌打ちをする。

(ヤベェ…このままじゃ…オレの理力の方が先に尽きちまいやがる……どうするッ!?)


 ……ヒューン……バッシャ――――ンッ!


 否や、風を切る音と共に、イリューンの眼前で激しい水柱が上がった。

「ぶ、ぶわぁッッッ……な……なんだ…ッ…?」

 頭から大量に海水のシャワーを被り、イリューンは咄嗟に下を向く。収まった頃に顔を上げると、更に二発目の水柱が上がった。


 ……ヒューン……ズバッシャァ――――ンッ!


「…わぶぅぅッ! …な、何事……!?」

 ようやく視界が晴れてくる。その時イリューンが見たものは、一斉に次々と大砲を放つ、船団の姿だった。しかも、肝心の海の主には一発たりとも命中しない。連続して上がる水柱が、逆にイリューンを窮地に追い込もうとしているかのようにさえ思えてくる。

「う、うわぁッ! や、やめろォ―――ッ! せ、船長! こ、殺す気かぁ―――ッ!?」

 言うまでもなく、その声が届く筈もなく、砲撃は止む気配すら見えなかった。

 だが、幸か不幸か、その当たらない砲弾が、今まで自由奔放に海中を泳ぎ続けていた海の主を驚かせるには、充分すぎる程の威力を持っていた。

 水面が盛り上がり、一段と大きな水柱が打ち立てられる。イリューンもまた、それに引きずられるようにして宙へ舞う。砕け散る水飛沫、反転する空と海。次の瞬間、海面から巨大な影が躍り出た。息を呑むかのように、船団の砲撃も一瞬止まる。そこに現れた怪物の真の姿、それはまさしく驚くべき大きさの鮫だった。

 勝機、とばかりにイリューンの眼がギラリと輝いた。

「……ィけるッ! …もらったぁぁぁッッッ!」

 深く突き刺さっていたハルバードを引き抜き、振りかぶるや、イリューンはその赤く光る眼に向かって、力の限り突き立てる!

 肉の潰れるような、そんなイヤな音が辺り一面に響き渡った。


【…ギャ…ォォォォォォッッッッッ!!】


 凄まじい叫び声が轟いた。

 激しい水音を立てて巨体が一度大きく跳ね――そして波間に落下するや高波が湧き起こり、船団を大きく揺らした。

 同時に、理力が切れたのか、イリューンもそれに伴い海面に小さな水柱を立てる。

 傷を負った海の主の血が、水面に大きく広がっていく。やがて、巨大な影はゆっくりと、静かに海底へと消えていった。

 緩やかな波の音が、騒がしかった耳の奥に戻ってきた。

 青空と、太陽の眩しさが心地良かった。

 鎧を付けているにも関わらず、凄い勢いで立ち泳ぎをしながら、イリューンはようやくほっと一息をついた。

「ふー……、何とか…助かったか……?」


 バッシャ――――――ンッ!


 水柱がまたも、イリューンの眼前で上がった。

「…なッ!? おいッ!? 船長ッッ!? マ、マジで殺す気かァッ!?」

 しかし、悲劇か。戦いが終わった事に気が付かないのか、気付かない振りをしているだけなのか、船団は大砲を撃ち続ける。

 結局、それからしばらく砲撃は止まなかった。

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