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第二章 一幕 『顛末』

 月が真円を描いている。

 荒れ果てた原野を唯一人、ふらつく足取りで行く旅人がいる。

 塗装が剥げ落ち、傷に血だらけの鎧。ボロボロの靴、土埃と泥とで汚れきったマントにズボン。ボサボサの髪。疲れきり、げっそりと痩けた頬。

 ジョージだった。

 あの屈辱的な敗戦から三日が過ぎようとしていた。

 道無き道を進み、野獣の恐怖に襲われながら森を抜け、それでも町は未だ見えなかった。

 ヴェルダインには戻れなかった。守るべき筈の町をさしおき、敵前逃亡した彼にとって、それはいわば死を意味していた。

 だが、だからといってどこへ行けばいいというのか。当然、コーラスへは帰れない。行くべき場所も、顔見知りも居ない。

 他の、誰も自分など知らない、別の場所へ逃げればいい。そして、貴族の地位も名誉も捨て、適当に生きていければそれでいい。そんな甘い考えの元に、ジョージはただひたすらにコーラスから遠ざかる道を選んだ。

 そして、結果、町は見つからなかった。既に水も食料も底を突き、後に待つのはやはり死のみという絶望的な状況だった。

(…やっぱり…死ぬ…のかな? 俺は…?)

 ふと、ジョージは歩きながらぼんやりとそんな事を考えた。それは強ち間違っていなかった。もはや気力、体力共に限界に近づいていたのである。

(…いやだな。…こんな所で…野垂れ死ぬなんてな…もしゲオルグが見たら…なんて言われることかな…? きっと、叱咤しやがるんだろうな、あいつは…)

 不意に、ジョージの耳に最後に聞いたゲオルグの言葉が聞こえてきた。

『…いつの日か立派な騎士に…』

(騎士? …ははっ…お笑いぐさだ。もう、騎士になんて戻れないってぇのに…何で…どうして、あいつは俺なんかを庇って…? くっそぉ…!)

 何故か涙が出てきた。喉の渇きは著しく、体中から水分など涸れ果てたかに思えた筈なのに、それは後から後から止め処なく溢れて止まなかった。

 ここで倒れてしまえば楽になれる筈。何も考えず、横になり、そのまま安穏とした眠りに身を任せてしまいさえすれば…

 幾度と無く襲ってくる甘美な欲求の度に、ジョージの脳裏にはゲオルグの言葉と顔が思い浮かび、その考えを思い留まらせた。

 そして、もう一つ。単純に『死にたくない』という強い思い。その二つだけが、今のジョージを支えていたのである。

 しかし、ついにその支えが切れたのか、ふらつく足が縺れたのか、ジョージは前のめりに倒れ込んだ。雑草すら生えていない土塊の荒野に唯一人突っ伏し、指一本動かせず、意識は徐々に遠のいていった。

 微かに残った最後の力を振り絞り、少しばかり顔を上げ、ジョージは前を見た。目が霞む。眼前に岩の壁、そして空には魂を誘うかのように、炎の塊が幾つも燃えていた。

(…ああ、とうとう終わりだな…こうして見ると、天国ってヤツはあんまり綺麗な所じゃぁねぇんだな…まるで城みてぇな…)

 そこまで考えた後、はっとし、ジョージは上体を起こすと二の腕で目を擦った。徐々にぼんやりとした輪郭の正体が判明する。

 高く積まれた城壁。掲げられた明かり用の松明。そして、その横ではためく旗は、双頭の獅子の紋章…まさしく、コーラス領地の証だった。

「…! ま、町だッ! た、助かったぁ…ッ!」

 まさに九死に一生を得たとはこの事である。先程まで死にそうだったこの男、すぐさま立ち上がると、体力の消耗など気にも止めず、城壁に向かって走り出した。

 あの町がどこであろうと構わない。コーラス領地であるとはいえ、辺境のこの地であるならば自分の正体を知る者などいないだろう。

 ジョージは走った。走った。走った。何度も転び、その度に立ち上がり、ただひたすらに眼前の町へと向かった。

 間近で見れば、かなり高い城壁である。辺境とはいえ、ジョージにとっては初めて見るコーラス以外の城だった。

 ぐるりと、その壁をつたって歩く。やがて、正面門の前に、見張りの兵士と思わしき男の姿が目に付いた。どうやら向こうも此方に気が付いたらしく、早速ジョージの前へとやってくると、訝しげな顔を見せつつ訊いてきた。

「おい、こんな夜分に何をしている? 見たところ流れモンのようだが…」

「…ここは、…どこなんだ?」

「…あ? ここは、コーラス領ガルガライズだよ。なんだ、流れモンのくせにそんな事も知らねぇのか? …ま、残念だったな。こちとら、あんたらみたいな輩に渡す物は何もねぇよ。さぁ、さっさと行った行った!」

 そういい、兵士は手の平で「しっしっ」と、犬でも追い払うかのような素振りを見せる。

 単純に考えれば当たり前の事。どう見ても浮浪者、おまけに血だらけに傷だらけの鎧を着た男となれば、誰でも厄介事は御免だと思うだろう。

 しかし、ジョージはそうは考えなかった。生まれてこの方、人にこんな態度で扱われた事など無い男。兵士の不遜な態度が彼の心に火を付けた。坊ちゃん育ちの弊害と言うべきか、つい『その言葉』を口に出してしまった。

「…この…無礼者! この俺を誰だと思っている! 恐れ多くも『コーラス正騎士百人長』ジョージ・フラットなるぞ! さっさと門を開けい!」

 言ってしまった後に、ジョージは「あっ」と思わず声を上げそうになった。そして、激しく後悔した。今、高々と宣言した肩書きは、既に無い筈のものだった。

 つい先程まで、身分を捨てて生きていこうなどと思っていたのに、この体たらく。苦々しい顔を見せ、ジョージは奥歯を軋ませた。心の底から自分が情けなくて仕方がなかった。

 が、効果はてき面。今の今まで訝しげな顔をしていた兵士も、ジョージの胸に証である剣と獅子の紋章を目にするや否や、すぐさま『気を付け』の姿勢を取り、

「し、失礼いたしましたッ! 今すぐに領主様へとお取り次ぎ致します!」

 そう高々と声を挙げ、恭しく頭を垂れた。

 恐らくは、危急の用件でコーラスから派遣されてきた近衛兵だとでも思ったのだろう。もしくは隣国との戦争が行われるのかと、あらぬ勘違いをしたのかもしれない。

 ジョージにとっては幸いな、そして不幸な早とちりだった。領主に知らされては、逃亡兵としての自分の身が危うくなる。言葉尻を濁しながら、ジョージは続けるよりなかった。

「…い、いや、すまん。領主様には…取り次がなくてもいいんだ。旅の最中、本隊から外れてしまったが故に、猛獣に襲われ彷徨ったあげくのこの有様。四方の笑い物にされるのは好ましく思わない。…とりあえず、今宵の宿を紹介して欲しい。…頼めるか?」

「…はっ! 了解いたしました。それでは連絡を取ります故、暫しお待ちください。」

 あくまでも曖昧なジョージの返答にも、まるで疑うような様子は見せず、兵士はさっさと門戸を開けると、簡単に奥の控え所へと通してくれた。権威に対するあまりにもあからさまな変容に、ジョージはどう反応したものかと戸惑うしかなかった。

 数分後。控え所のドアをノックする音と共に、先程とは別の兵士と、年の頃は五、六十代であろう白髪交じりのオヤジがその場に現れた。

「おい、オヤジ。確か、御前の所の宿はまだ空きがあった筈だな?」

「ああ、まだあと二人分ぐらいはね。」

「どうだろう、飛び入りですまないんだが、この騎士様を泊めてやってはくれないか?」

 兵士に問われ、オヤジはジロリとジョージの顔を見る。

「…構いませんが。…それで騎士様、お泊まりはいつまでで?」

「…とりあえず、三日程。そこから先は未定だ。」

 ずっとだ、と言いたい気持ちをぐっと押さえ、ジョージはそれだけを伝えると押し黙った。一方、オヤジはそれを聞いただけで満足したらしく、ジョージに向かって顎で「ついてこい」と合図をすると、さっさと控え所を後にする。離されぬよう、ジョージはオヤジのすぐ後ろに付いて歩いた。


 やがて、町の盛り場らしき、酒場と宿の集合した夜の繁華街らしき場所へと辿り着くと、オヤジはその一角にある、こぢんまりとした宿屋の二階へとジョージを案内した。

 ボロボロに風化しかけた宿帳へ記載し、チェックインを済ますと、ジョージは外観通りに小さな部屋の、安っぽいベッドに身を投げ出し、ふしくれだった天井へと目を這わせた。

(…いろんな事が…あったな。…これから俺は、一体どうなるんだろう?)

 一人になってみると、不安ばかりが大きくなっていく。そんな気持ちに押し潰されそうになるが、やがて意識は闇の底へと呑まれていった。


 翌日。宿の主人から朝食を振舞われ、ゆったりとした時間が過ぎていく。疲れた体力を回復させ、気力を充実させるには十分な時間であった。

 街の漁師が珍しいものを見るような眼で自分の横を通り過ぎる。それも新鮮な感覚。がんじがらめの騎士生活の中では、他人に出会う余裕も無かったからだ。

 二日目の夜が過ぎる。そして、当初の予定だった三日目。

 路銀も無限ではない。いずれは、身の振り方を考えねばならない。不安な気持ちを散らすように頭を振り、ジョージはベッドから起きあがった。

 観音開きの窓の外には、町の灯が何処までも遠く広がっていた。柔らかく吹く夜風からは、僅かばかり潮の匂いがした。

(…散歩でもして、気を紛らわすか。)

 そう思うが早いか、部屋を出て階段を降り、ぶらりとあてもなく宿を後にする。

 夜の港町。それは、まさしく男達の盛り場でもあった。そこかしこの酒場から、歓声とも怒号ともつかぬ喧噪が飛び交っていた。本来ならば、酒でも飲んで憂さを晴らしたい所であったが、逃亡生活である事を考えると薄い財布事情がそれを許さなかった。

 潮風に吹かれながら、ジョージは図らずとも港へと向かっていた。特に理由はなかったが、とりあえず道のままに従った結果だった。見上げれば、死を覚悟したあの時と変わらず、月がぼんやりと美しく光り輝いていた。

 と、その時だった。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっッ!」


 突如、闇夜に響く乙女の声! 黄金パターンだ!

「な、何だッ!?」

 反射的に声のした方向に向かうと、裏路地の方から人の気配が感じられる。そっと、壁越しに覗き込んでみると、そこには想像通りの光景が広がっていた。

 二人組の、相当に年季の入った革製の鎧を纏う、どう見ても盗賊か山賊風の男達。そしてその中心に、白いエプロンドレスを着た金髪の少女の姿。年の頃は、十五、六といった所だろうか。

 男達の手には、反り返り、鈍い光を放つ蛮刀が握られている。少女は怯えきった表情で、その場に尻餅をつき、ただズルズルと後退りをするばかりだ。

(ど、どどどどどうする? どうするんだよ、ジョージ!?)

 焦り、手が震えてくる。ここで助けなければ男じゃない。そう思いつつも、ジョージはなかなか現場に躍り出る事が出来なかった。

 怖かった。下手をすれば、こちらの命さえ危うい。そんな状況下で、腰元の剣を抜いて戦おうとする度胸など、ジョージには到底無かった。

(…く、くっそぉッ! 怖ぇ、こえぇ…ッ! お、俺は、俺は…ッ!)

「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

「嬢ちゃんよ、大人しくしていりゃぁ何にもしねぇからよ、ヘッヘッヘ…!」

「こ、来ないで、来ないでぇッ…!」

 今まさに、暴漢の手が少女の肩に掛からんとするその瞬間、ジョージの頭の中にゲオルグの最後の姿が浮かび上がる。

(…立派な騎士に…)

 言葉に表せない何かが、何処かでプツンと吹っ切れた。気が付けばジョージは、思わず足下に落ちていた石ころを投げつけていた。


 ガツンッ!


 石は見事に暴漢の頭にストライク。こんな時にだけよく当たる。二人組はゆっくりと、ジョージの方を振り返った。顰め面に、額に浮かぶ青筋。相当、お怒りのようである。

「なんだァ? テメェはァ!?」

「邪魔する気か? 正義の味方ってか…? …タダじゃおかねぇぞ、このヤロウ!」

(…やぶ蛇だった。)

 今すぐ「出来心だったんです、ごめんなさい」と言って、この場から立ち去りたかったが、まるで救いの天使の姿でも見たかのように、期待に胸膨らます少女の視線をも裏切る訳にはいかない。引っ込みがつかないとは、こういう状態を言うのだろう。

(ち、ち、ち、ちっくしょう…! こ、こうなったら闘るしかねぇじゃねぇか…ッ!)

 咄嗟に腰元から剣を抜き、真一文字に構えると、ジョージは二人を牽制する。しかし、切っ先が震えている。どう見ても、一人で立ち向かえるような器ではない。

(や、やぶれかぶれだ、コンチクショウッッッ!)

 覚悟を決め、ジョージは奇声を発しつつ斬り掛かった。同時に、月が雲に隠れ、一瞬辺りが完全な暗闇に包まれる。


 剣撃――衝撃。そして、肉を切り裂く鈍い音!


「ぐわぁッ!」「ギャァッッ!」

 闇夜に影が閃いた。ジョージの剣が命中した訳ではない。背後から、何者かが凄まじいスピードで飛び掛かると、まさしく瞬く間に暴漢を切り裂いたのだ。

「だ、だだだ、誰だ貴様ッッッ!?」

 鮮血が流れる石畳に臆しながら、ジョージは精一杯の虚勢で問い掛けた。


 ――月が再び顔を出す。


 言葉もなく立ち尽くすジョージの前に、徐々に影の正体が露わになった。

「…ワシじゃよ。」

 髪に白い物が混じった、初老の男。年相応に年輪の刻まれた顔は、見間違う筈もない。

 なんと、それは宿屋のオヤジだった。

「ふぅ、無事でよかった。実は、娘が何時まで経っても帰らなくてな。心配になって来てみれば…この辺りは治安も悪いと言い聞かせたばかりだというのに…」

「…そ、…そうでしたか。…それは、危ないところをどうも…」

 深々と頭を下げ、礼を言うジョージに対し、オヤジは娘の手を取ると、

「…メリア、これに懲りたら夜半の外出は控えるんだぞ。」

「…ごめんなさい、お父さん…」

 そんな彼女のしおらしい言葉に頷き、オヤジは優しく娘の肩を抱きつつ、さっさと背を向けた。その後ろ姿と倒れている暴漢の姿を交互に見据えた後、ジョージは思わず訊ねた。

「お、おい、あんた! …あ、あの男達は? …し、死んでるのか?」

「…気を失ってはいるが、急所だけは外している。放って置いても大丈夫だよ。…そうそう、そういえば騎士様。折り入ってあんたに頼みたい事があったんだが…聞いてくれるかね?」

 そう事もなく返され、ジョージは躊躇いながらも頷くしかなかった。オヤジの眼が恐ろしかったのも原因の一つだが、命の恩人の頼みを無碍に断れる筈もない。そう考えると、答えは一つしか用意されていないに等しかった。

 満足そうにニッコリと微笑むと、オヤジは続けた。

「有り難い。…だが、ま、今夜はもう遅い。明日の朝、話すとしようか。それじゃ騎士様、良い夜を…」

 話し終えると、そのままオヤジと娘は闇の中へと消えた。一人取り残されたジョージも、それから二人を追うようにして宿へと戻り、すぐさまベッドにその身を預けた。

 オヤジの言っていた『頼み』が何なのか。少なからず気にはなったものの、緊張からくる桁外れの疲労から、ジョージはいとも容易く眠りに落ちていった。

 翌朝、彼を待ち受ける運命が、どんなものかも知らずに…


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