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第一章 二幕 『暴君』イリューン・アレクセイ

 港町に日が昇る。水面は朝焼けの光を移し、ゆらゆらとさざめいている。遠くから、ウミネコの鳴く声が聞こえてくる。海から来る風は町並みを抜けて、島に新しい一日がやってきたことを知らせていった。


 ラキシア大陸のほぼ南東に位置する、貿易都市ガルガライズから更に南に二十キロ。そこに、アーコンという小さな島がある。

 島の人口は約五百人程度。住民の殆どが漁により生活をまかなっているが、粗野な建物はこれといって目に付かない。というのも、ここは観光地として有名で、特に島の反対側に位置するクレイビーチは、貴族の避暑地として利用されているからだ。

 また、貿易も盛んである。特に、ガルガライズとの間に取り交わされている海産物取り扱い量は大陸一という声も高く、当然のように漁師達は誇りを持って毎日を過ごしていた。


「ぐごおおおおぉぉぉぉぉぉぉ……」

 町の南端にある宿屋、白波亭。その二階にある一室から、静かな朝を破り捨てるかの如く凄まじいイビキが轟く。

 一人の男が、木造の粗野なベッドの上で横になっている。頭から毛布を引っ被り、二度三度と小さく寝返りを打った。

 四度目。ごろり、と大きく寝返りを打つや、男はベッドから激しく転げ落ちた。同時に、彼を包んでいた毛布が剥がれ落ち、その姿が露わになった。

 寝癖なのだろうか、天を突かんばかりの逆立った銀髪。太い眉、そして黒々と日焼けした逞しい体つき。男は褌一つの姿で眠っていた。

 激しい衝撃に目を覚ますと、痛むのか頭をさすりながら男は立ち上がる。

「…んだよ…もう朝か……っくし!」

 小さなくしゃみをしながら、彼は部屋の端にある出窓まで歩を進めた。観音開きのその窓を押し開くと、男は朝市の準備も慌ただしい町の路地に向かって、

「……おっっはよ――――――っっッッ!」

 そう叫んだ。町行く人々が一斉に宿の二階を見上げる。だが、この男のこういった行動は日常茶飯事らしく、女も男も笑いながら彼の事をちらりと一瞥するだけだった。ふと、船員と見られる一人の青年が、その顔を見て返した。

「…なんだよ、イリューン! 今日は随分とご機嫌じゃねぇか!」

「おお! いい朝だからよ、つい、な。」

「…まったくお前らしいぜ。そうそう、そういやお前知ってるか? 今日はガルガライズとの合同漁があるんだ。どうせ来るんだろ?」

「へぇ、そうか。もうそんな時期か。よっしゃ、準備するから先に行っててくれ。」

「おう、早くしろよ。先に船で待ってっからな。」

 そこまで話すと、青年は石畳の路地をまっすぐに歩いていってしまった。

 イリューンと呼ばれた銀髪の男はそれを見送ると、大きく伸びをし、部屋の隅に無造作に脱ぎ捨てられてある黒い鎧に目を移す。傍目に見ても、相当にゴツイ作りのそれは、胸から腰まで一体型に作られた、いわゆるプレートメイルというものだった。

「…さて、と。んじゃ、ま、着替えて出かけるとしますか…。」

 そう独り言を呟くと、頭の寝癖を手櫛でかきなおす。が、天性の剛毛なのか、逆立った髪は一向に元に戻ろうとはしない。

 気にせず、イリューンは部屋の端へと向かうと、衣紋掛けに引っかけられたシャツを乱暴に引ったくった。そして続けて、あの黒い鎧に手を伸ばそうとした。

 その矢先だった。


 バタバタバタバタバタバタバタ……バンッッッ!


 廊下を駆ける荒々しい足音と共に、激しく部屋の木戸が叩き開けられた。

 恐る恐るイリューンは後ろを振り返る。そこに立ちはだかった姿を見て、その顔がサッと青ざめる。彼の不安は的中したようだった。

「……イリュ〜〜〜ン……ッッ!」

 流れるような長い黒髪。切れ長の目。そのスラリとしたスタイルは、南国風の薄い衣装によって一層際立ち、豊かな胸と腰の妖艶さを計算したかのように演出していた。

 女だった。それも、かなりの美女である。ただ一つ、彼女が普通と違っていたのは、その額に浮かぶ青筋だった。気が付けば、眼隣筋までもがピクピクと痙攣している。その様子から、明らかに彼女は激怒していると見て取れた。

「ら、ラ、ラ、ラ……」

 金魚のように口をパクパクと動かし、イリューンは「ラ」を馬鹿みたいに連呼した後、

「…ラヴェルナッッッ!?」

 息を呑み、そう叫んだ。ラヴェルナと呼ばれたその女は、イリューンが名前を口にするや否や、堰を切ったように喋り始めた。

「イリューン…あんた、また、酒場で女の子にちょっかい出したっていうじゃない。…あたしって者がありながら…あんたって男は……あんたって男はァッ!」

 ギラリ、とその右手に握られたモノが光る。…包丁だ。

「ひ、ひぇぇぇぇぇぇぇッッッ!」

 咄嗟にイリューンは部屋の出窓に向かって走るや否や、なんとそこから路地に向かって一直線に飛び降りた。そして着地すると同時に、脱兎のごとく港に向かって突っ走る。

 後に残されたのは、部屋の中で呆然と立ち尽くすラヴェルナだけだった。

「…あっきれた…まったく、もうッ! 逃げ足だけは早いんだからッ!」

 そう一人呟く彼女を余所に、イリューンの姿はもう見えなくなっていた。


 つづら折れの長い坂を上れば、すぐに幾つもの船舶が停泊しているアーコン港が見えてくる。走りながら何度も後ろを振り返ると、ラヴェルナが追ってこないことを確認した後に、ようやくイリューンは足を止めると一息を付いた。

「まったく冗談じゃねぇぜ…まったく、アイツも初めて会った時はあんなんじゃなかったんだがなぁ…」

 そう独り言を呟き、呼吸を整えるようにゆっくりと歩きながら、イリューンは遠い昔に思いを馳せ始めた。


 数年前。アーコン島を激しい嵐が襲った。風は轟き、雨は叩き付けるかのごとく降り注ぐ。雷鳴止まぬ空は、何度も稲光を伴い空気さえも振るわせた。

 そんな中、一人の男が、ふらつく足取りで町の門を叩こうとしていた。泥にまみれたその姿、ぼろを纏った汚らしい風貌。男は、どうやら流れ者らしかった。

 ぬかるんだ地面に滑ったのか、突如、男の体が前のめりに半回転した。そのまま、激しく水溜まりと化した大地にキスをする。跳ね上がる水飛沫。ゴボゴボと水面に気泡が上がる。

 しかし、男は立ち上がろうとしなかった。いや、立ち上がれなかった。並々ならぬ疲労からか、男は指一本として動かせなかった。

(ゴボゴボゴボ…どうして…オレは…こんな所にいるんだ? エレミアの魔術師ギルドを抜け出して…流浪の旅に出た、そこまでは…覚えている。…そうだ、オレは魔剣を…けど、もっと昔…誰なんだ? あの、白髪のジジィは…? マナ・ライのジジィじゃない…懐かしい感じの…それに、あの黒い鎧の男…俺と同じ鎧の…ゴボゴボゴボ…)

 水溜まりから顔を上げようともせず、男は窒息寸前の状態のまま独り言を呟き続ける。体温がどんどん奪われていく。寒い。このままでは、そう誰もが思った矢先だった。

「だ、大丈夫ですか…?」

 雨音に掻き消されそうな程の、小さくか細い声。男はその声に気付くと、目線を少しばかり上げて見た。

 最初に目に付いたのは、流れるような黒髪。そして、質素だが品のいい服装。そこには、雨傘を差し、心配そうな顔つきで男を覗き込む、可憐な少女の姿があった。

 これが、彼女…メイ・ラヴェルナと、イリューン・アレクセイとの初めての出会いだった。


「くッそぉ…ッ! あのアマ…いくら付き合いが長いからって、俺の交友関係にまで口出ししてきやがって…! 昔、少しばっかり山賊から助け出してやったからって、勘違いされちゃぁ堪んねぇっつーの。…まったく…!」

 悪態をつきながら、イリューンは歩き続けた。しかしそう言いつつも、彼は一度として彼女に感謝の気持ちを欠かしたことはなかった。

 少なくとも、自分を助けてくれたのはラヴェルナだった。身寄りのない、行き場所のない自分に、船員としての居場所を用意してくれたのも、長期滞在が認められる宿を提供してくれたのも彼女だった。世話焼きな部分は確かにあるものの、苦痛には感じなかった。何より、自分に対して心を許してくれているのがよく解った。

 だが、だからこそイリューンは、ラヴェルナの思いに応えられなかった。素姓もわからず、生まれも育ちも覚えていない。そんな男が、彼女を幸せに出来るとは思えなかった。

 それに、彼自身、彼女に対しては友情以上の感情を持ち合わせていなかったのである。

 よって、二人のすれ違いは日常茶飯事のように起こった。顔を付き合わせれば始まる痴話喧嘩は、もはやアーコン島では名物とも言える程だった。

「…ふぅ、まぁ、そんな事を考えていても仕方ねぇか。埒が明かねぇもんな。」

 さっと顔を上げ、イリューンは開き直ったかのように明るい顔に戻ると、港に泊めてある船の一つへと近づいていった。

 船体には赤い文字で大きく『タマリスク』と描かれていた。

 すぐ側で荷造りをしていた船員達の一人が、イリューンに気付き、声を掛けてきた。

「お、イリューン! なんだなんだ? またラヴェルナさんと喧嘩か?」

「おお、まったく仕方がねぇヤツなんだ。…こっちも参るぜ。」

「だからって、そんな格好で飛び出してくるたぁ…ひょっとして、ベッドの上ででも喧嘩していたんじゃねぇのか?」

 言いながら船員は、ニヤニヤとイヤらしい笑みをその顔に浮かべる。イリューンはそこで初めて、自分が褌一丁のままだった事に気が付いた。

「お、おわッ!? そ、そういやぁ!?」

「なんだ、今まで気が付かなかったのか? …ハッハッハ! オメェらしいや!」

 膝を叩き、船員は声を上げて笑った。今まで真面目に仕事に勤しんでいた他の船員達も、それを合図にわらわらと集まり、口々に好き勝手な声を上げ始めた。

「…大体よォ…なんで、てめぇみたいなヤツがラヴェルナさんに好かれてやがるんだ?」

「新しいプレイかよ? まったく、羨ましいかぎりだゼ。…へへっ!」

「オメェの肉体美はよっくわかったからよ、そのへんにしとけや。」

「おいおい、今日の漁は素潜りじゃねぇんだぞ? それとも陸釣りしようってかぁ?」

 全員が大爆笑する。言い訳を考えている間に、誰かがどこからか古ぼけたズボンを取り出すと、イリューンに向かって放り投げた。そして続けて、

「俺達ぁこれから朝飯だけどよ、どうせ、オメェも喰っていくんだろ? とりあえず褌一丁じゃサマになんねぇから、それでも着ておけや。」

 再び船員達はどっと笑った。照れ隠しに頭を掻きながら、イリューンは受け取ったズボンをそそくさと履くと、これから乗船しようとする船…タマリスク号の甲板を見上げた。

 真っ青な空が、白いマストの向こう側に広がっている。吹き抜ける潮風、そして照りつける太陽の日差しが、肌に染み込むようで心地よかった。

「やれやれ…どーやら、今日も忙しくなりそうだゼ。」

 呟きながらイリューンは、船員達に続いて賑やかな船室へと足を踏み入れた。同時に、朝八つの刻を知らせる教会の鐘が、辺り一面に鳴り響いた。

 今日も波瀾に満ちた、海の男達の一日が始まろうとしていた。


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