第七章 三幕 『仮面と精霊』
控え室へと向かう廊下は長く、そして静かだった。
何も聞こえない。そして、どこまでも続いているような感覚。ジョージははぐれたが最後、このままここから出られなくなるのではないか、といった妄想さえ感じていた。
「こちらです、ジョージ様。」
ゲオルグが掌で指し示す。そこには大きな木の扉があった。
唾を呑む。――緊張。
そう、緊張していた。ジョージにとって、実に二十と数日ぶりの父との会合。自身のついている嘘がばれることもさながら――父に会うという行為その物が恐ろしかった。
が、この試練を越えねば栄光も掴めない。コーラスに戻る、ただその為に今まで辛い日々を過ごしてきたのだ。
軋んだ音を立て、扉は開く。ゲオルグが先に中へ入り、その後にジョージも続く。
中は同じように暗い石造りの部屋だった。十畳ぐらいの一間。部屋の中には小さな木のベンチと、奥にもう一つ小さな扉があり、その先からは騒がしい歓声が響いていた。アリーナの裏側――闘技場への通路入り口らしかった。
「アレス隊長、戻りました。それと…良い報せです。」
ゲオルグが扉の向こうへ話し掛ける。ジョージは唾をもう一度呑む。
「…ゲオルグ、か…何だ?」
懐かしい声。低い、威厳在る、騎士の声だった。
「ご子息の…ジョージ様が生きておられました。此方にお連れしています。」
「―――!」
がたん、と大きな音が鳴り響いた。父の動揺はジョージにも伝わった。
――少しの沈黙。
しばしの後、小さな扉は開かれた。そして、白髪交じりの男がそこに現れた。
銀に輝く鎧に黄金の獅子の紋章。赤いマント。そして、目の上に残る傷跡と蓄えた口髭。
筋骨隆々の身体は、齢五十を迎えているとは到底思えない。身体から立ち上る闘気は、ただでさえ大きな体をより大きく見せている。歴戦の勇士だった。
「…ジョージ。生きておったか…!」
父、アレスの言葉にジョージは思わず涙ぐんだ。いつになく優しいその言葉。再会。安堵。原因はいくつもあろうが、ジョージにとってこの時は待ち望んだ時でもあった。
すぐ側でゲオルグは片膝をつき、最敬礼をしている。よくよく見れば、ゲオルグの他にも騎士団の者らしき兵の姿が何人か見える。国を挙げての参加なのは間違いなかった。
「ち、父上…!」
ジョージは思わず声に出していた。続く言葉を考えていたわけではなかった。しかし、父に今までの経緯を、どんな思いでここまで来たのかを伝えたかった。
が、アレスが優しげな顔を見せていたのはそこまでだった。突如としてアレスは憤怒の形相へと変わり、ジョージに背を向けると扉の奥へと戻ってしまった。
「…ち、父上!?」
狼狽するジョージにアレスは一言。
「しばらくここにいるがいい。お前の処遇は国に戻ってから決める。」
そう言い、扉を勢いよく閉めた。
乾いた開閉音が響き渡る。
ジョージの身体から、滝のように冷や汗が滴り落ちた。
(…み、見抜かれた…!? いや、間違いない――見抜かれた! な、なんで…!? 何もまだ話してすらいないのに!?)
ジョージは愕然とした。やはり父はジョージの行いを許そうとはしなかった。
何が原因でジョージが敵前逃亡した事を知ったのか――それは解らなかったが、少なくともその反応から咎め無しは有り得ぬ事、とジョージは悟っていた。
ゲオルグは首を傾げるばかりである。感動の再会が待っているかと思っていたが、肩すかしを食らったかのようだった。
「…ジョージ様。お父上は試合間近で、些か神経質になっておられるようで。どうぞ、お気になさらぬよう。」
気休めを口にするゲオルグに、ジョージは愛想笑いをすると、ガックリと肩を落として控え室のベンチに座り込むしかなかった。
時間だけが刻一刻と過ぎていく。どれだけの時が流れただろうか。扉の向こうからは、何度も試合の結果を報せる拡声放送が流れている。
順調にイリューンは勝ち残っているのだろうか。放送の内容を聞きながら、父のプレッシャーに押し潰されそうになりながら、ジョージは控え室で膝を抱えていた。
『…Bブロック二回戦第四試合! 勝者――!』
勿論、その間も試合は続いている。どうやら、放送の内容から察するに、父もまた当然の如く勝ち残っているようだった。
(でも、ま…俺には関係ないことか…もう、これで…城に帰って…俺、どうなるのかな…)
そうブツブツと口中で言葉を噛み砕く。夢も希望も無い。コーラスに戻れば英雄、などという都合のいい妄想は完全に吹き飛んでしまっていた。
その時だった。
「で、伝令―――――ッッッ!」
突然、一人の兵士が控え室内に飛び込んできた。その鬼気迫る様子に、扉の向こうで黙っていた父も再び姿を現すと、兵士の側に駆け寄った。
「どうした? 何があった。」
「そ、それが…! それがッ! アレス隊長ッ!」
耳元で囁きかける兵士の様子に、唯ならぬものを感じるが、ジョージにそれを聞き取る術はない。やがて父は今まで見たこともないような凄まじいまでの形相に変化すると、
「すぐに此処を発つ!」
突然、そう言い出した。
ジョージは目を見開いた。ゲオルグも、廻りの兵士も同様だった。
「お、お待ち下さい! ――このままここを発つということは不戦勝に…!」
「そうです! 次の試合、イリューンなどという、あのような蛮族に隊長が負けるわけがありません! お考え直しください!」
(そうか――次はイリューンと父が闘う予定なのか。)
そう思ったが、ジョージは敢えて口には出さなかった。自分には関係のないこと。事なかれ主義の性格が前面に押し出され、ぷい、と顔を逸らしていた。
が、次の言葉で世界は一変する。
「…問題ない。代わりを出す。」
アレスはそう言うと、カツ、カツと踵を鳴らし、ジョージの側へと近づいた。
嫌な予感が全力で背中を駆け抜けていく。抗う術はない。アレスは両手でジョージの肩口を鷲掴み、廻りには聞こえぬ程の小さな声で、
「…ジョージよ。汚名をすすぐがよい。我が代わりに試合に出るのだ。勝て、とは言わぬ。…出るだけでよい。」
(―――え)
「えええええええええええええええええッッッ!??」
思わず叫んでしまっていた。言葉を遮るかのように、肩口を掴む手に更に強い力が込められた。
「…出なければ、コーラスへ戻ることを許さぬ…ッ!」
本気だった。本気の言葉と圧力だった。有無を言わさぬ、とは正にこの事。ジョージは迫力に押され、思わず頷くしかない。嫌とは言えなかった。言える筈もなかった。
「…ゲオルグよ、後は任せる。次の一戦、ジョージを頼んだぞ。」
振り返り、未だ跪いたままのゲオルグにそれだけを告げると、アレスはそのまま数人の兵を連れ、外へ出ていった。
アレスの後ろ姿と、項垂れるジョージとを交互に見つめながら、ゲオルグはどうしたものかと首を傾げるしかなかった。
――――
被らされた兜は重かった。手にした盾は鉛のようだった。
ジョージは後悔していた。何を、というより今、ここに居るということを。
理解できなかった。何故、というより今、ここに居るということを。
眼前には大観衆の姿。血を見ることを、勝利を、そして敗北を期待する人々の目が一様にアリーナに集まっている。
真向かいには、対戦相手――既に良く実力を知る、あの男が立ちはだかっていた。
(…な、なんでこんなことにぃ…っ! う、嘘だろぉぉぉぉぃぃ…っ!?)
『Aブロック三回戦第一試合! イリューン・アレクセイ! バーサス! アレス・フラット!』
アレスじゃない、俺はアレスじゃない、と呟くがどうにもならない。観客の大歓声に後押しされるように、前へ、前へと進むしかない。願わくば、いかに痛くないよう負けるか、だ。
兜の奥に隠された顔だが、流石に相対すれば誰だかぐらい解る。
見知った顔が突然、目の前に現れたとあれば、イリューンも呆けた顔を見せるしかない。なんで? とでも言いたげな顔。こっちの台詞だ。
「――ん、んん!? なんだ、ジョージ、おめぇが相手ってか!?」
ぶるんぶるん、と首を大きく振ろうとするが、兜に邪魔され全く動かない。全てが悪い方向へ向かっている。
ほぉう、と嘆息を吐き、しみじみと思い返すような素振りを見せると、イリューンは小さく頷きながら、
「そういやぁ、コーラスの騎士とか聞いてたな。なァるほど、おめぇも黙って参加してるたぁ、やるじゃねぇか。しかも三回戦まで勝ち残ってやがるとはよ?」
誤解だ。これ以上ないぐらいの誤解だった。
「――全力でやるぜ? 覚悟しろよ!?」
「ま、まて、まてってぇぇぇぇぇぇぇっっっ!??」
涙目のジョージ。無情にも、拡声放送が響き渡る。
『――始めぃッ!!』
言葉よりも早く――イリューンはジョージの間合いに踏み込んだ。
強烈な一撃。クリティカルヒット。
「げ、ばぁぁぁぁっっっっ…っっ!」
大剣の腹でとはいえ、ジョージは思い切り仰け反った。激しい衝撃に胃液が遡った。
返す刀で二撃目。クリティカルヒット。空中でそのまま一回転。明らかに慣性の法則に逆らった動き。もはや痛いとかそういう問題ではない。何が起きたのかすら解らない。
三撃目。クリティカルヒット。垂直にぶっ飛んだ。
四撃目。クリティカルヒット。弾け飛んだ。
五撃、六撃、七撃、八撃、九撃、十撃。十一、十二、十三。クリティカルヒット。
「どぉぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁッッッ!!!」
イリューンが雄叫びを挙げた。振り上げた大剣が風を切った。
十四撃目――クリティカルヒット。
――――
(…俺は、誰だ。…心地良い、風だ。…ここは…何処だ。)
気がつけば、そこは白い部屋。シーツに包まれたベッドでジョージは気がついた。
「いき…て…? いき…て…た? …い、痛くなかった…よ、よか…った…」
「試合は終わりましたよ。」
気付けば、側にディアーダが座っていた。全てが夢だったかのようだった。
「ディ…アーダ? どうして…?」
「言伝を承っています。読みますか?」
すい、と二つ折りにされた紙を手渡された。ゆっくりそれに手を伸ばす。そこで初めて自分の身体が包帯だらけだという事に気がついた。
痛みはない。ボロボロの身体だったが、痛みは全く感じなかった。
紙をゆっくりと開く。達筆で書かれた文字は、ゲオルグの文字だった。
『――ジョージ様。本来ならば、目を覚まされるまでご一緒するべきだったのですが、コーラスにて一大事が起きた模様。あの後、お父上より伝言を賜り、私も行かねばならなくなった事をお許し下さい。――お父上は申しておりました。想像以上に逞しくなった、と。私めもそう思っております。良いご友人をお作りになられましたな。願わくばコーラスにてお会いできる事を。――ゲオルグ・サリバン』
がば、と思わず上半身を起こし、目を見開いた。
「…で、ディアーダ!? お、俺…! 俺、…置いてけぼり?」
こくり、と頷くディアーダ。反射的にその胸座を掴み、
「ど、どどどどどどうしてだよぉっ!? もうちょいで、もうちょいで俺は…! うぉぉぉぉっ! …マジかよぉぉぉぉッ!?」
がくんがくん、と前後に揺すられるがままのディアーダだったが、ぽつりと一言。
「待つ人がいてくれるのですから…まだいいではないですか。」
そう呟いた。ピタリ、とジョージは手を止めた。深く、重い言葉だった。
考えてみれば、ディアーダに肉親はいないのかもしれない。ギルドに預けられていたということは即ち――少なくとも今は離ればなれで暮らしているのか、それとも――なのだ。
手を放し、項垂れた。落ち込んではいたが、ジョージはそれでも重い口を開き、
「…取り乱して…すまなかった。傷の手当ては…ディアーダ、お前が?」
「…回復理力は苦手なのですが、それ程の傷ではありませんでしたから。」
それを聞き、あれでもイリューンは手加減をしてくれていたのか、と絶句した。同時に、意外にもディアーダが助けてくれた事に感謝した。
ジョージはゆっくりとベッドから立ち上がる。そして、身体に巻き付いた包帯を引き剥がすと、外へ出たい、とディアーダに目で訴えかけた。イリューンの様子が気になったのだ。
ディアーダもそれはすぐに解ったらしく、ツカツカと先に歩くと、出口らしき木の扉を押し開け、ジョージを手招きしてみせる。
導かれるままに扉を出た。外はすぐに廊下で、ちょうど対面の通路が直接観客席へと繋がっている。戻れば、既に観客達の興奮は頂点に達していた。その原因はすぐに知れた。
『――優勝者ッ! イリューン・アレクセイッ!』
『ウォォォォォォォォォォォォォォッッッッッ!』
大歓声。遂に、武闘会の覇者が決まったのだ。有言実行。まさに、鬼神の如き強さでイリューンは頂点への道を駆け上っていた。
「…すごいな。」
「ええ。」
現実感のない風景に、ふと、足から力が抜けた。咄嗟にディアーダが肩を貸してくれた。
何故だか、他人事の筈なのにジョージは感動していた。
魔剣はもう必要なかった。しかし、ここまでの長い旅と、そしてそれを達成したという事実が、ジョージの心を振るわして止まなかった。
ディアーダもまた、感慨深い顔をしていた。しかし、その目は未だどこか遠くを見つめている。それは、何かを求め彷徨う男の顔にもみえた。
紙吹雪が舞うアリーナに、トマス君主が姿を現した。赤布に包まれた魔剣を胸元に、イリューンに向かって一歩、また一歩と近づいていった。
イリューンの身体は傷だらけであった。
一戦とて楽な試合は無い――いや、一戦だけはあったか。何れにせよ、全てが生死を賭けた、正に真剣勝負だった。
トマス君主もそれは重々承知か、イリューンに二度程頷く。そして、嗄れた声で言った。
『――見事じゃ! 今大会の覇者、イリューンよ! 貴殿に約束の通り、全てを得た者の証として魔剣を与えん!』
またも激しい歓声が挙がった。遂にやり遂げたのだ、とイリューンは疲れた顔を見せつつ微笑んだ。
ふと、目線を上げれば、二階席のジョージ、ディアーダと目が合った。小さく、合図を送るかのようにガッツポーズをするイリューン。それを見て、今はただ素直に心からの拍手を二人は送った。
ゆっくりと、トマス君主がイリューンに魔剣を手渡さんと近づく。その手から手へと、魔剣が渡ろうとした――その瞬間。
激しい衝突音が響き渡った。
何者かが突如、上空よりアリーナ中央へ降り立った。朦々と土煙が舞い上がる。驚き、腰を抜かすトマス君主。こぼれ落ちる魔剣を、土煙の中から現れた影が乱暴に奪い取った。
「…んなッ!? な、何者だぁッ!?」
土埃から目を庇いつつイリューンが叫ぶ。やがてそれは収まり、目の前に降り立った影の姿が徐々に明らかになった。
影の正体は男だった。イリューンと同じか、少し小さいぐらいの身長の男。黒いローブを纏った幽霊のような立ち姿。そしてその顔には不気味な仮面を被っていた。
祭事に使われるような、半分が黒のチェック、半分が白色に彩られた仮面。目の部分だけが細く切り込まれて開いており、そこからはギラギラした眼光が覗いている。手には、今しがた拾いあげた、赤布に包まれる魔剣があった。
ディアーダがいつになく慌てた様子で身を乗り出した。その目は大きく見開かれ、仮面の男を凝視していた。
口の端を引き吊らせ、イリューンは唾を一吐きすると、
「…てめぇ、ひょっとして…! ユリシーズのジジィが言ってた仮面ってぇのは…てめぇの事か…! てめぇが全ての黒幕かぁッ!?」
いわんや、イリューンが黙っている筈がなかった。
すぐさま地を蹴り、その脳天目掛けて大剣を振り下ろす――!
――!?――
ふわり、と。
気が付けば、刃の上に仮面の男が飛び乗っていた。重さを感じさせず、その様はまさに羽の如くだった。
イリューンはぞっとした。恐るべき使い手だと瞬時に理解した。
直ぐさま剣を引く。逆らわず、す、と地面に降り立つ仮面の男に向け、今度は寸でで大剣を凪ぎ払った。
が、その攻撃は当たる前に静止した。まるで空気の壁が男の廻りに出来上がっているかのように、イリューンが剣にいくら力を込めようと、ピクリともそれは動かなかった。
突然の出来事にトマス君主は腰を抜かすばかり。すぐさま衛兵が君主を助け起こし、仮面の男を取り囲む。観客は全員が立ち上がり、事の成り行きを見逃すまいと目を凝らした。
(…野郎ッ…! 風か…! 風で攻撃が止められやがる…! これが魔剣の力ってか…だが、何故こいつは攻撃してこねぇッ!?)
次の一撃の間合いを取るべく、イリューンは飛び退る。今が勝機、とばかりに取り巻いていた衛兵達が一斉に槍を構え、仮面の男に突き掛かった。
ぞくり、と背筋が凍った。嫌な予感がイリューンの身体を駆けめぐった。咄嗟にイリューンは一人、地に伏せた。
――風が吹き荒れた。
嫌な音だった。仮面の男から水平に『薄緑の風』が吹き出した。
赤い霧がぶわぁ、と舞い上がった。
取り囲んだ衛兵達の身体が徐々にスライドし――
鎧が、盾が、両断された武器が妙に澄んだ音を立てて地に落ちて――
赤い噴水が上がった。言葉さえ発せず、血と臓物が一瞬で眼前に広がった。
甲高い悲鳴が挙がった。ここに来てようやく観客達も事態が飲み込めたらしく、初めの一人が慌ててアリーナに背を向けるや、それを合図に全員が我先にと逃げ出し始めた。
会場内は大混乱。ジョージ、ディアーダはその中で呆然と惨劇を見つめていた。
足が竦んでいた。だが、それとはまた別の理由で、ジョージは逃げられなかった。今ここで逃げては、何かに顔向けが出来ないような――勿論、それが何かは解らないのだが、そんな気がしてならなかった。
答えを見つけるように、ジョージはディアーダの顔を見た。ディアーダはいつになく真剣で――そして、凄まじいまでの怒りに満ちた表情を見せていた。
「…行きます…!」
言うが早いか、ディアーダは呪文を唱え始めていた。
「…風に舞う鳥よ、羽よ。我が身に降りて空を味方に付けよ――『Skylark』…!」
身体に光が降り注がれ、すぐさまディアーダはアリーナ目掛けて飛び降りた。しかし、ジョージはそれを見送るばかり。唖然としつつ、事の成り行きを見守るしかできなかった。
アリーナに降り立ったディアーダに気付き、イリューンは反射的に荒げた声を挙げる。
「…ばっ…馬鹿野郎ッ! 来るんじゃねぇッ! こいつはヤベぇ! ヤベぇんだッ!」
同時に、仮面の男が手にした魔剣から赤布を引き剥がした。精霊斧セイクリッド・リーヴァ――露わになったその刀身から、緑色の風がより一層強く吹き上がった。
「お、おぉ…な、なんということじゃ…! 邪教が…! こうなる前に…! こうなる前に野に放したかった筈の魔剣が…っ!」
腰を抜かしたままの体勢でトマス君主が嘆いた。ギリリ、とイリューンが歯軋りをした。
「…やらせるかよ…! …ここでおめおめとブツを奪われてたまるかぁッ!」
再び、イリューンは地を蹴った。仮面の男の頭上高く、地をも断たんばかりの勢いで大剣は振り下ろされた。