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第六章 三幕 『盗賊達の夜』

 夜の帳が降りようとしていた。

 イリューンは完全に酔っぱらい、千鳥足。未だ笑い合う数人の貴族達と共に、まるで盛り場の如くドンチャン騒ぎを繰り返している。

 ディアーダは、といえば喧噪に嫌気がさしたのか、中庭の立木に背をもたれかけ、立食パーティの残り物に舌鼓を打っていた。

 収まらぬ馬鹿騒ぎを遠目に見ながら、ジョージはふと自分の背中に視線を感じた。

 ゆっくりと振り返った。そして、霜が降りたように表情を凍り付かせた。

「――貴殿の客人はなかなかやりおるな、旅人よ。」

「…ト、トマス君主!? だ…、ダリューン王子ッ!?」

 出会ってはならない二人。それが、気が付けばジョージのすぐ目の前に立っていた。

 今更遅いが、すぐさま顔を伏せ膝を地に着いて敬礼をする。勿論、身分の違いからということもあるが、それ以上に顔を見られたくない事が先決だった。

「よい、面をあげい。今宵は無礼講なるぞ。」

「は、ははぁ―――――ッ!」

 言われつつも、ジョージは顔を上げない。無論、気付かれたくないからだった。

 気付かれれば終わる。目論見も。下手をすれば縛り首――

「――ん? その胸に刻まれた紋章…? 剣と獅子…貴殿はコーラスの騎士なのか?」

 ダリューンが目敏く指摘する。ここに至るまで、言わなければ殆どの人間が気付かなかった点を指摘され、ジョージの体にどっと脂汗が浮かびあがった。

 瞬間、脳内会議が大勃発。

(ど、どうする!? ――言うか? 馬鹿! 言ったら終わりだろうが! 何で終わりだなんて解るんだよ? ダリューン王子はこっちの顔なんか知らないだろ? 知らなかったらどうなんだ? ――覚えていないだけなのかも? 逃亡兵の話を聞いていたりしたら終わりだ…! ここでどうやって言い逃れをしろっていうんだ? ――どうにかなる、きっとどうにかなる! …探りを入れるんだ、後は運を天に任せるしか…!)

 ここまでコンマ数秒。数百の言葉が脳裏を駆けめぐった後、ジョージは遂に意を決した。

「…は、はっ! かつて騎士としてコーラスにおりました…! 今は自らの騎士道を探し、流浪の旅に出ている最中でございます!」

 我ながら言い訳としては最高だ、と思った。どう突っ込まれたとしても、何とでも返すことが出来る最強の答えだった。

 ふむ、とトマス君主が首を傾げる。何処かで見たことがある、とでも言いたげな表情。

『気付くな』を三十七回、口中で連呼。ふ、とダリューン王子が笑顔を見せ、

「何と素晴らしいではないか! まさに騎士の鏡だ!」

 とジョージを褒め称えた。いいからさっさと消えてくれ。

 ジョージはただひたすら俯き加減で、二人がその場から離れてくれるのを待つ。しかし、気持ちに反してダリューン王子はジョージを騎士道精神に則った大人物のように見るし、トマス君主は訝しげな顔でこちらの顔色を伺い続けるばかり。

 絶体絶命。四面楚歌。早くこの場から消え去りたかった、と、その時。

「――君主ッ! トマス君主!」

 収まらぬドンチャン騒ぎの向こう側から、神妙な顔をした兵士が駆け寄ってくる。何事か、と振り返ったトマス君主の側に寄り、その耳元で何事かをぼそぼそと口にした。

 否や、老君主の顔色は真っ青に変わった。唾を飲み込み、未だ俯くジョージに向かって、

「…すまぬ、野暮用じゃ。存分に飲み、楽しみ、宴を謳歌するがよい。明日は武闘会、貴殿も見ていくが良かろう。では――」

 ダリューン王子もまた、ジョージに会釈をすると君主の後について背を向けた。

 二人の姿が見えなくなったのを確認した後、ジョージは深く溜息を吐いた。緊張の糸がプッツリと切れ、力無くその場に尻餅をつきへたり込んだ。

「…た…たすかったぁぁ〜〜〜…! …けど…それにしても…? …何があったんだ?」

 理由は解らないが、余程の大事件でも起きたのだろうか?

 大事件――言葉とイリューンの顔とが脳内でリンクする。

 ぞっとした。気が付けば、あれ程飲み騒いでいたイリューンがいないのだ。

 ジョージはぐるりと辺りを見回した。先程まで立木に寄り掛かっていたディアーダの姿までもが見えない。

 イヤな予感がざざざ、と小波のように背中を駆け抜けた。この予感は当たる。経験上、そんな気がしてならなかった。

 ジョージはがば、と立ち上がった。そして、すぐさま二人を捜して、未だ興奮冷めやらぬ酔った騎士達の間を駆け抜けた。

 開放された城の中門を抜け、螺旋階段を駆け上がると赤絨毯の敷き詰められた二階に出る。

 下手に走り回ると、またトマス君主達に鉢合わせしてしまう。城の中に入り、慎重に先を伺いながらジョージは歩を進めた。

 ふと、尖塔に向かう外階段に人影が見えた。見間違う筈もない。黒光りする鎧を着、逆立った銀髪の男が、確かに尖塔へ向かう螺旋階段を歩いている。

 ジョージは「げぇ」と声が出そうになるのを必死に押し殺した。そして、大急ぎでその後を追い掛けた。

 石造りの階段まで他に人影は無い。カツ、カツ、と踵の鳴る音を供に、ジョージは大急ぎで尖塔を駆け上る。

 途中、入り組んだ通路を抜け、頂上――行き止まりの木製扉の前に二人はいた。

「お、おまえらっ! な、何してるんだよ、こんな所でぇっ!」

「――シッ!」

 大声を出したのを窘めるように、口元で人差し指を立てるディアーダ。

 その威圧的な空気に怯み、ジョージは思わず押し黙る。

 ディアーダの反応にイリューンは振り返ると、

「なんだ、ジョージじゃねぇか。」

 そう言ってふぅ、と緊張を解くように息を吐いた。

「な、なんだ、って…! そりゃこっちの台詞だ…っ! こんな所で何を…!」

「まぁ、来いよ、ジョージ。」

 イリューンはそう言うと手招きをした。首を傾げつつも、言われるがままにジョージはイリューンの側へと寄った。

「鍵穴から中が見える。覗いてみな。」

 ジョージは何も言わず、ディアーダと入れ替わりで扉の前に座り込み、鍵穴から中をそっと覗き込む。

 扉の向こうには燭台の光に照らされ、眩いばかりの黄金が見える。宝物殿のようだった。

 その中に、ぼんやりとした男の姿。ガサゴソと何かを持ち歩いては動かしている。茶色い麻袋に何かを詰め込んでいる。その動きが指し示している事実はただ一つ。

「…ど、泥棒!?」

 ディアーダがジョージのその言葉に続けて、

「盗賊ですかね。一人でいる所を見ると、大したタマでは無さそうですが。」

 そう言った。ジョージの目が泳ぐ。

「ま、まさかさっき君主が慌てていたのは…!? …ど、どうする? どうするよっ!?」

「ん――…やっちまうか。」

 え、と聞き返す間もなく、イリューンは手にしたハルバードを頭上で一回転。勢い良くドアシリンダー部分に振り下ろした。


 ごわしゃァッ! バキン、バキンッ!


 木屑が弾け飛び、辺り一面に埃が舞う。衛兵が来る、とは微塵も思わなかったのか?

「ん、んなぁッ!?」

 まさかそんな開け方をするなどとは夢にも思わない。驚いたのはジョージだけではない。中にいた不審人物もまた、呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。

 あっという間だった。イリューンはハルバードを引き抜くや同時に扉を蹴破り、部屋の中央に躍り込むと、立ち尽くす男の首根っこを掴み上げた。

 ぐえぇ、と苦しげに呻く男。良く見れば、まだあどけなさの残る顔立ちである。

 年の頃は十四、五歳といった所だろうか。髪を束ねたバンダナがいかにも盗賊らしい、ボロを纏った少年だった。

「おい! てめぇ、こんな所で何していやがるんだ――えぇ!?」

 恫喝するイリューンに、少年は怯えた声で言った。

「…ひ、ひぃぃ…! あ、あっしは…け、ケチな盗賊団の下っ端でさ。あ、兄貴、頼みます! み、見逃してくだせぇ…! 御願いします…っ!」

「――てめぇ、名は…!?」

「ジ、ジムっす。ジム・ホプキンスと言います。兄貴、御願いっす…! う、家には病気の家族がいるんす! た、頼んます…!」

「家族もおめぇみてぇな不幸者を持ったのが運の尽きだったな。」

「…ひ、ひぃっ! そ、そんな…っ! た、たすけ…」

 聞く耳持たず。イリューンの片腕一本で、ジムと名乗った盗賊の体は頭上高く持ち上げられ、既に首吊り状態だった。

 呆然とそれを見ていたジョージだったが、ジムの顔から徐々に血の気が失せていくのに気が付き、大慌てでイリューンの肩をぶっ叩く。

「…お、おいっ! 本当に死んじまうぞっ! こいつが何をしてたのかを確認するのが先だろっ!?」

 冗談じゃない。この上、城内で殺人なんて以ての外だった。

 しばらくイリューンは無表情だったが、突然ぱっと手を放すと、石畳の床にジムの体を落下させた。尻餅を付き、咳き込みながら、ジムは苦しげに喉元を押さえてうずくまった。

「…げほっ、ごほっ…! ぐえへっ…」

「そこの騎士様に感謝しとくんだな。さ、洗いざらいぶちまけて貰うぜ。」

 イリューンはそう言い、ジョージをちらりと見るとニヤリと笑った。自分が正しいと信じて疑わない笑顔だった。

(…よく言うぜ。)

 ジョージは苦虫を噛み潰したような顔を見せるしかない。

 しばらくその場から動かなかった――いや、動けなかったジムだったが、ようやく腰を上げて立ち上がると怯えた顔で口を開く。

「へ、へい…あ、ありがとうごぜいやす…。…あ、あっしは先にも言ったとおりケチな盗賊でさ。小さいながらも盗賊団に属しちゃおりやすが、今日はたまたま城の警備が手薄、ってことで金目の物を探しに来てたんす。」

「なるほどな。けどよ、なんだかそれにしちゃぁ様子がおかしくねぇか? どうも君主とやらも衛兵も、影でコソコソ動いてるっぽいがよ? おぅ?」

 どうやらイリューンも気が付いていたらしい。確かにトマス君主も衛兵も普通ではない、尋常ならざる出来事に慌てふためいた様子を見せている。

「ここに来るまでに精霊に幾つかの会話を拾わせてみましたが…どうやら、何か事が起きているのは間違いないようですね。」

「ふん…ディアーダ、おめぇもやっぱりそう思うか。」

 したり顔で頷き合う二人。勿論、ジョージには皆目検討もつかない。

 三人の様子をしげしげと見つめた後、ジムは怖ず怖ずと切り出した。

「あ、あの…! も、元々、今日は警備が手薄だってことをあっしは知ってたんす。けど、たまたま忍び込んだ時間に、反対側の塔でどうも…衛兵が襲われたとか…」

「――襲われた? 誰に?」

「そ、それは…あっしにも……で、ですが! ここの明かり取り窓からなら、ちょうど騒ぎの起きていた辺りが見える筈っす!」

 詰められ、慌てて後ろに開いている明かり窓を指すジム。それを受け、ジムを牽制しつつ三人は窓に近づいた。最初に外を覗き込んだのはジョージだった。

 すっかり日は落ち、辺りは闇に包まれていた。そんな中、篝火を掲げ、真向かいの尖塔下に凄まじい数の衛兵が集まっている。十や二十どころではない、相当の数だった。

「な、なんだありゃぁ…! 普通じゃないぞ、あんなの…!」

「――理力で集音してみますか。」

 ディアーダはそう言い、ぶつぶつと口中で呪文を唱え始めた。

「隠れたる音、真実の声、我の知りたき謀をその耳で捉えよ。『Rabbit』!」

 やがてディアーダの掌に光球が浮かび上がり、ぱーん、と勢いよく弾けたかと思うと、光の残滓が耳元にまとわりついた。集音の理力だった。

 途端、ジョージ達の脳裏に衛兵達の声が響き始める。

(……こんな…衛兵を3人も…惨殺……ハルギス…魔剣……明日の参加……)

 ジムは驚きに目を丸くしている。理力を経験することが初めてのようだった。

「――どうやら、衛兵が殺されたようですね。それも、魔剣の守護者が。」

「…んだと!? じゃぁもう魔剣は誰かに奪われちまったってぇのか!?」

「――しっ!」

 声を荒げるイリューンに対し、ディアーダは冷静に耳を澄まして続きを聞いた。ジョージにとって、聞き覚えのある声が脳裏に流れ込んできた。

(…騒ぐでない。こんな事もあろうかと、魔剣は別の場所に隠してある。)

 トマス君主だった。姿は見えないが、渋い顔をしているであろう事は容易に想像できる。君主は重苦しい声で続けた。

(…じゃが…間違いない。…あの仮面…! 邪悪な者が魔剣を奪おうとしておる。…彼の占い士は言いおった。優勝者に魔剣を託し、我が国に迫る闇より指標を逸らせ、と。…此度の大会はその為…! が、やはり邪教の主はそれを良しとは…)

 そこで不意に音声が途切れてしまった。耳元に留まっていた光の残滓が蒸発していく。理力の効力が切れてしまったようだった。

「――ンだよ、ディアーダ! もうちっとばっかし保たせやがれよ!」

「…無茶言わないでください。この距離ではこれがやっとです。」

 イリューンの突っ込みに冷静に返すディアーダ。ジョージもまた、口惜しげに歯噛みした。

(――なんだ? この大会、何の為にやろうとしてるんだ? 考えてみれば…世界を手に出来るほどの力を持つなんて噂のある魔剣を、賞品にする事自体おかしい…何かあるのか…? この大会、裏に何かが…!?)

「あ、兄貴達、ひょっとして魔術師様なのか…っ!?」

 ジムがまるで英雄を見るかのようなキラキラした眼で見つめていた。あれだけ酷い目にあったというのに、そんなことはすっかり忘れてしまったかのようだった。

「…ん。まぁ、な。こっちの金髪と、オレは魔術師ギルドにいたことがある人間だ。そこにいるひょうろく玉はどうでもいいが。」

 ひょうろく玉で悪かったな。

「す…すっげぇ! 魔術師ギルドって、あのエレミアのだろっ!? お、俺、憧れだったんす! 今はこんなだけど、いつかあそこに行けたらいいな、なんて…! そ、その魔術師様がここにいるなんてっ!」

 どこからどう見ても魔術師に見えないヤツが一人いるのだが、そんな事はお構いなしだ。

 ジムは「すげぇ、すげぇ」と珍獣でも見るかのように連呼している。いい加減、そろそろ自分達もこの場所から離れなければマズイというのに。

 ジョージは咳払いを一つ。取り急ぎ、この尖塔宝物殿からの脱出を提案する事にした。扉を破壊した音が聞こえたならば、そろそろここに衛兵が来てもおかしくはない。

「…まぁ、積もる話は後だ、後。取り敢えずはここから出よう。在らぬ疑いを掛けられても困るだろうし――って、えぇ!?」

 振り返って驚いた。イリューン、ジム、ディアーダの三人は、ずた袋に金貨、銀貨を詰め込んでいる真っ最中。どこからどう見ても盗賊一味にしか見えなかった。

「お、お、お、おぃおぃおぃおぃ!? お前らぁッ!?」

「おぅ、ジョージ。さっさと詰め込んで脱出すんぞ。グズグズすんじゃねぇぞ?」

 こいつは言ってる意味を理解しているのだろうか?

 状況は明らかに最悪。どう返答していいのかも解らず、ジョージはあー、うー、と口中で続く言葉を探したが、結局見つからず頭をガリガリと掻きむしると背を向けた。関係者なのは間違いないが、事実を知って無視する訳にもいかず、見なかった事にするしかなかった。

 じゃら、と金貨がかさばる音がした。イリューン、ディアーダ、ジムの三人が袋を持ち上げて立ち上がったようだった。

「――よぉし、脱出だぜ!」

 豪快に笑うイリューン。振り返らず、ジョージは両の手で耳を塞いだ。もう何も言うことはなかった。何も見えなかった。何も聞こえなかった。

 先に走りだしたのは勿論イリューンだった。続いてディアーダ、ジム。最後にジョージがその後ろについて走り出す。

 石階段を駆け下りながら、心臓が高鳴り続けた。見つかったなら一巻の終わりだった。

 いつ、どこで衛兵に鉢合わせするか解らない。扉の破壊音はどこまで響いたのだろう? 衛兵は全員裏口に集まっているのだろうか? 一人、二人ぐらい残っていたりしないか?

 様々な不安が浮かんでは消える。生きた心地がしなかった。遠目に篝火の炎を見かける度に寿命が縮まる思いだった。

 やがて四人は二階中央広間に戻ってきた。赤絨毯の広がる広間周辺には、まだ酒の抜けきらない貴族達の姿が見え隠れしている。

「こ、こっちでさ。裏口に出られる道がこっちにありやす。」

 ジムの案内で、古びた木製扉の向こう側へと案内される。使われていないすえた臭いが鼻を突く。第二次ラキシア大戦時にでも使われたであろう、抜け道のようだった。

 湿った薄暗い通路を前屈みになりながら進む。やがて、がら、がらん、と煉瓦の崩れる音がすると、突然視界がぱっと開けた。

 先頭のジムに続いて、イリューン、ディアーダ――最後にジョージが、開けたその場に躍り出る。

 そこは闘技場だった。城塞の裏口にあるコロセウムに三人は到着したようだった。

 ――見上げれば、月明かり。

 この場所で明日、遂に死闘が繰り広げられる――

 平時ならばそんな感傷を引き起こさせるかもしれないが、今は全く持って余裕がない。

 アリーナをさっさと横切り、抜け穴の真向かいにある扉から城塞の裏手へと抜け出した。


 運が良かった、と言えるのか。


 結局、ジョージ達は誰に見つかることもなく、城壁の外へ出ることに成功した。

 話に聞いた通り、城壁の裏――コロセウムの前は断崖絶壁だった。架けられていたであろう橋は落とされ、遙か彼方に黒々とした森が見えていた。

「あ、あそこでさ…! あそこからあっしは忍び込んだんっす…!」

 よく見れば、目立たぬよう黒く塗られた縄の橋が、落とされた橋の上に架けられている。

 橋を越えた森の中には、小さな篝火がちらほらと揺らめいている。恐らくはジムの所属する盗賊団のものに違いない。

 篝火とイリューンの顔とを交互に見つめた後、ジムは怖ず怖ずと切り出した。

「あ、あの…兄貴…、こういっちゃなんですが…あっしを逃がしてはくれやせんかね…?」

「駄目だ。」

 即答である。予想できた答えだった。が、イリューンは続けて言った。

「…おめぇには色んなとこに潜入して、俺達に情報を与えるっつー任務がある。わぁったらとっとと戻るんだな。さっさと戻らねぇと橋を落としちまうぜ?」

 え、とジムは呆気にとられた顔を見せた。ジョージも同じだった。ディアーダの表情は変わらなかった。

 一息、空気を呑む。ジョージは狼狽しつつ、切り出した。

「…ちょ、ちょちょちょちょっと待てっ、イリューン!? こ、こいつは盗賊だぞ? こいつが盗みに入った事実も俺達のせいになるんだぞ? おいっ!?」

 しかし、イリューンはびくともしない。言い聞かせるように、

「…まぁ、落ち着けジョージ。俺には考えがある。」

「お前の考えでどんだけ大変な思いをしてると思ってるんだっ! おいっ!?」


 ぼすっ!


 噛み付くジョージの腹に一撃。吸ったばかりの空気をずばぁ、と吐き出した。ジョージはその場にうずくまった。隙をつき、イリューンは顎で「行け」とジムに指示をする。

 ぽかん、と口を半開きにしていたジムだったが、深意を酌んだのか深々と頭を下げ、

「――あ、ありがとうごぜいやすっ! あ、兄貴の事は忘れやせん! またどこかでっ!」

 そう言い、軽快な足取りで縄の橋を飛び渡ると、ジムは暗い森の中へと消えていった。

 その姿が見えなくなってから、イリューンは空を見上げた。そして、

「…昔を思いだしちまってな。俺にもあんな時代があったぜ…! 光り物が好きでよ。ギルドから魔術アイテムを拝借した時もこんな夜だったわな…!」

 しみじみと呟くイリューンだったが、その声はジョージの耳には届いていなかった。

 腹の底に残る鈍痛がジョージの呼吸を乱し、ひんやりとした土の感触が頬にじっとりと、正に理不尽という言葉を演出している状況。

「…な、…なんで俺がいつもこんな目に…っ!?」

 涙目のジョージ。その問いに答えるのは、森のフクロウだけだった。


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