第四章 一幕 『陸路を行く』
あれから数時間。つつがなく旅証を発行されたジョージ一行は、続いてド・ゴールまでの陸路の説明を受けていた。
しかし、その間も勿論その脳裏からバルガスの一件が消えることはなかった。
バルガスとは何者だったのか? イリューンとの関係は? そして、彼の持っていた剣――それが噂のハルギスの魔剣だったのか?
ジョージは、マナ・ライにそっと聞いてみた。だが、
「…もし、イリューンに縁の有る者ならば、そのうちその疑問も解けるじゃろうて、な?」
そうマナ・ライは呟き、微笑むばかりだった。釈然としないものを感じつつも、ジョージもまた薄笑いを浮かべ、それを受け入れるしかなかった。
「…さて、イリューン、ディアーダ、それにジョージ殿。よろしいかな? 続きを申しても?」
黒板の前で簡略化された地図を描き、マナ・ライは説明を続ける。真昼の教室のような、気怠い空気が漂っていた。
「――帝都ド・ゴール。人工三百万を越える、この大陸の中では屈指の城塞都市。南のコーラスに対して、北のド・ゴールとまで謳われたこの都は、エレミアから北北西へ陸路を徒歩で八日余り。現在はコーラス領じゃて心配はいらん。勿論、馬車や馬に乗るも良し。それぞれに思い思いの手段を取るがよろしかろうて。」
チョークを走らせる音が軽快に響く。聞きながら、ジョージは新たな苦労を背負う予感を感じ、思わず大きな溜息を吐いた。
――そして、更に数十分。
「それでは、皆に神のご加護がありますようにな。ジョージ殿、頼みましたぞ。」
胸元で手を組み、マナ・ライはそう言って恭しくお辞儀をした。もちろん、頼みますと言われたものの、全ては成り行き上の事。作り笑いをしながら、ジョージはその場繕いの曖昧な返事を繰り返すばかりだった。
「ま、そんなに心配すんなって、ジジィ。」
イリューンは相変わらず不作法の極みである。ディアーダは何も口にすることなく、簡素に会釈だけをしてのけた。
一の刻の鐘が鳴った。それを機に、三人はマナ・ライに再び頭を下げると、遂にギルドを後にした。
路地を吹き抜ける風が心地よかった。遠く地平線の彼方を目指しての長旅が、今、始まろうとしていた。
並んで歩くジョージとイリューン、その後ろをディアーダが少し遅れてついてくる。途中、歩きながらイリューンが訊いてきた。
「んでよ、これからどうやって、ド・ゴールまで行くってんだぁ?」
「……徒歩だ。」
俯きながら、ジョージは本当にイヤそうに答えた。途端、流石のイリューンも驚きに目を見開くと、上擦ったような声を張り上げた。
「――と、徒歩ッ!? ま、マジかよッッッ!?」
「金が無いんだから仕方が無いだろっ!? 大体イリューン、馬に乗るっつったって、お前、乗ったことあんのかよ!?」
「……ねぇ、な。」
「…私も、ありません。」
後ろで側耳を立てていたディアーダも、小さくそう口にする。舌打ちをし、顔を右手で覆うと、ジョージはクラクラする頭をどうにか立て直し、黙って遠く延びる沿道を歩き続けた。
エレミア郊外へと向かうその道は、旅人の最初に通る道でもある。周りにはジョージ一行同様、多くの人々がそれぞれに道先を歩んでいる。
最初の内は特に気にするでもなく、イリューンもディアーダも明るい様子ではあったが、時間の経過と共に渋い顔を見せ始めた。
全く持って、全てが予想通りである。しかし、馬に乗れる技術も金も無い。当然、馬車など以ての外だ。
湿った空気が頬に触れ、通り過ぎていった。いつの間にか、あれほど歩いていた旅人達の姿も、辺りにとんと見えなくなっていた。
「…いかん。…雨になるぞ、こいつは…」
イリューンが空を見つめ、言った。
やがて、その予言通り、ポツリポツリと小さな飛沫が降り始めた。それは徐々に激しくなり、数分とせず、雨具無しではいられぬほどの土砂降りへと変化した。
「こ、こりゃたまらんっ…!」
両手で頭を抱え、ジョージは小走りに傍にあった大木の下に身を寄せた。イリューン、ディアーダもそれに倣って雨宿りをする。
しかし、雨は止む事無く、更に激しさを増していく。
「ジョージ、森を抜けたらどうだ? こっちなら、そんなに雨足は強くなさそうだぜ?」
振り向くや、既にイリューンは森の中へと突っ走っていた。
「お、おいっ!ま、待てイリューンっっっ!?」
ジョージの制止も聞きはしない。雄叫びを上げながら、まるで野蛮人の如くイリューンは森を駆け抜ける。
追って、ジョージ、ディアーダも駆け出した。雨露に濡れた足下の草が絡み付く。腿を高く上げ、それを振り解きながら必死に二人はイリューンを追った。
「お―――いッッ! 勝ぁっっっ手に、一人でぇッ―――っ!」
大声で呼ぶ。返事は無い。一瞬の間に、相当遠くまで行ってしまったようだった。
だんだんイライラしてきた。どうして、こんな目に遭ってまでアイツを追わなければならないのか。
ムカムカとした気持ちが、どんどん大きく膨らんでいく。このままイリューンを放って旅先を急ごうか、などと不穏な考えがジョージの頭をよぎった矢先。
ずっ―――どぉおおおおおんっ!
土煙を上げ、遠くの方で何かが崩れ落ちたような音が響いた。咄嗟に、ジョージはその方向へと足を向け、走った。
やがて、森の奥に辿り着くや、そこに奇妙な物が建っているのを二人は発見した。
土塊で創り上げられた、大きなドーム上の建物。
正面には古ぼけた木の扉が荒々しく叩き壊され、その砕け散った残骸を晒している。恐らくは、イリューンの仕業に違いない。
「これは――祠ですね。それも、相当古い物です。…しかし、ギルドで正規の登録を受けたのであれば、こんなになるまで野晒しにはされない筈なのですが…」
ディアーダが訝しげに首を捻る。だが、そんな事よりも、兎にも角にもイリューンを連れ戻さなければ話が進まない。
雨足があがった訳でもなかった。森の中とは言え、頭上から降る水滴は容赦なくジョージ達の体温を奪っていった。
「…取り敢えず、この祠で一休みしていくか。…何にせよ、イリューンは先に…」
そうジョージが呟くや、
「うおおっっっ! な、何だこいつはぁぁっっっ!」
そんな野太い声がエコー付きで耳に届いた。今日、何度目かの大きな溜息を吐き、
「…奥に、いるみたいだしな…」
ジョージはそう同意を求めた。「ええ」とディアーダはまるで無表情に頷いた。
祠の中は思ったよりも暗く、そして深かった。廊下のあちこちに設置されている光苔のせいで灯りには事欠かないが、それでも自由に歩けるという程ではない。
どうやら、入り口から斜め下に向かって通路が延びており、地下に広大な空間が拡がっている作りのようだった。
「カタコンベ(地下墓地)の一種でしょうか? しかし、どうしてこんな処に…?」
「…そりゃ…奥に行けば何か…解るんじゃないのか?」
そんな無責任な事を言って、ジョージは会話を続けた。
黙っていると不安だった。この場に一人、ポツリといるよりは、例え相手がディアーダのような偏屈でもまだマシだった。
そのまま階段を下りきると、やがて二人は大広間らしき場所へと辿り着いた。
「――よぉう、遅ぇな?」
飄々とした顔で、イリューンがぬっと現れた。あまりに急だったので、ジョージは仰け反って驚いた。
ディアーダは相変わらずの無表情を崩さない。ただ一言、
「……何をしているんです?」
そう訊いた。重ねるように、ジョージはマシンガンのような連射を浴びせかけた。
「そ、そうだっ! おい、勝手に一人で先行して――大体、旅証は俺が預かってるんだから、責任者も同然ってヤツだろう!? そんな俺を無視してさっさと――おい、こら、聞いてるのかっっっ!?」
イリューンは小指で耳クソをほじくっている。責任者もクソもない、とはまさにこの事だ。
乱暴に頭を掻いてストレスを発散すると、ジョージはもういい、とばかりに背を向けた。これ以上言っても無駄だというのは、誰の目にも明らかだった。
「なんだよ、そんなに怒んなよなァ? そうそう、そういやさっき、面白ぇモンを見っけたんだ。行こうぜ?」
背中越しに睨め付けるジョージを意にも介せず、イリューンはくだらないモノを見つけた子供のように眼をキラキラと輝かせている。
また嫌な予感がジョージの背筋を駆け抜けていった。
「面白い、モン――?」
「ああ、そうだ。ま、とにかく来いって。」
言うだけ言うや、さっさとイリューンは来た路を奥へと引き返してしまった。仕方無く、ジョージ、ディアーダは後ろについて行くことにした。
大広間を、外周に沿ってぐるりと一回り。すると、更に下へと向かっているであろう階段が、その網膜に向かって飛び込んでくる。
「…おかしいですね。普通のカタコンベならば、この地下一階だけで充分事足りる筈なのですが…」
訝しげな顔をし、ディアーダが呟いた。それを後目に、イリューンはさも楽しそうに、階段を先へと下りていく。
益々、嫌な予感が増していく。ジョージは、いつでも逃げられるように、と常に及び腰で先へ進んだ。
やがて、松明の篝火に照らされた、やけにだだっ広い場所に三人は辿り着いた。
「……こ……これは……ッ!?」
それは、驚くべき光景だった。
階段の先は、吹き抜けの二重構造になっており、その階下――数メートルほど下の床には、一面に巨大な魔法陣が描かれている。
周辺には、禍々しい彫像の数々。それらは全て、神話の世界の邪悪な魔王を形取っていた。
ちょうど円陣の中央では、何やら怪しげな一団が祈りを捧げている。嫌な予感は的中した。
「――な? どうよ?」
得意げに鼻を鳴らし、イリューンはそう言ってニヤリと笑った。
「い、いや…どう、と言われても…?」
返す言葉もないジョージ。対して驚きに目を見張りつつ、
「まさか…邪教――あの魔法陣は、ハルギスを象徴する紋章…! こんな、エレミアの目と鼻の先で…!」
ディアーダは呟いた。悪寒が背筋をぞっと這い上がってくるのがイヤでも理解できた。
現在、ラキシア大陸の宗教事情は大きく分けて三つ存在する。
一つは、竜族信仰。太古の昔に世界の覇権を握ったといわれる竜族を神と信じ、彼の者の残した『分かつもの』、即ち『剣』を信じ、剣に生きる者達。コーラス王国と敵対する城塞大国クラメシアがこの竜族信仰の中心地である。
二つ目は、主神信仰。世界を作り上げ、結果、自らの作りし竜に滅ぼされた慈悲深き神『アーリア』を祭る者達。偶像信仰を主とする、神殿国家コーラスで広く信じられている宗教である。
そして、三つ目が邪教信仰。人をたぶらかし、竜と戦った混沌の神『ハルギス』を信仰する者達。彼らは呪術に長けており、この世界とは異なる別の世界から、自らの体を依代に、悪魔と形容するに相応しい邪悪な生物を召還する。
その目的は不明。ただ一つ判っていることは、彼らは明らかに人に害をなし、世界を混沌に導く――まさにハルギスの教えを忠実に守っているという事。それが故に、邪教信仰者は常に二つの国家から敵視され、いわば犯罪集団に近い集まりとされていた。
これら三つの宗教が、それぞれに相容れず、現在も遙か太古の如く、三つ巴の戦争を繰り返しているのがこの世界の現状であった。
唾を飲み込むジョージ。息を殺すディアーダ。ニヤリとした笑みを絶やさぬイリューン。
そうこうしている内に祈りを終えたのか、謎の一団はやがて散り散りとなり、一人、また一人と闇の向こう側へと姿を消し始めた。
期を逃さぬ、とばかりにイリューンは背中のハルバードをガチャリと大きく手に取った。
「――!? イ、イリューン…っ!? ま、まさか、まさか――ッ!?」
返答も無く、そのままイリューンは真っ逆様に階下へと飛び降りた。その顔が本当に楽しそうに見えたのは…見間違いではなかった。
「――いぃぃぃやぁっっっほぉぉぉぉっっっッ!」
声が反響し、エコーになる。それを後目に、
「私達も行くとしましょうか。」
「――え? は――はぁっ!?」
聞き返すジョージをまるっきり無視し、ディアーダもまたその後を追って飛び降りる。
空中で呪文を唱えたのか、その身体は羽が舞うかのようにゆっくりと、重力に逆らって静かに落下していった。
唯一人、ジョージだけがポツンと、その場に残されてしまった。
追い掛けぬワケにはいかない。しかし、どうしろというのか。
ジョージは心中で、考えられる限りの悪態を吐いた。
「……お、俺に……どうしろってッ! …え、ええい…! ちっくしょぉぉぉ……っ!」
ガリガリと強く頭を掻きむしり、意を決してジョージは覚悟した。その時の気分を一言で言うなら、最悪だった。
屈伸運動。深呼吸。二度、三度と息を吸い、そして吐き、目を瞑ってジョージは奈落に向かって跳んだ。
浮遊感、そして落下する恐怖が体の中を駆け巡り――当然の如く、ジョージは激しく後悔した。
凄まじい足への衝撃。踏ん張りきれずに後ろに横転し、強烈な尻餅をつく。骨が折れたかのような痛みが、ケツから脳天に向かって電撃のように突き抜けていく。
「……や……やっぱり……やるんじゃなかった……! …くっそぉぉぉ…っ!」
腰元をさすり、涙目でジョージは顔を上げた。否や、「信じられない」とばかりに、ジョージは思わず大声で叫んだ。
「ば……っ! イリューン――ッ!?」
既に、イリューンはハルバードを真一文字に構え、驚き逃げ惑う一団に向かって突っ込んでいる真っ最中。
眼光はまさしく、獣のそれに近かった。殺気が目に見えるようだった。
「殺すなぁぁぁぁ――ッ! イリューンっ――ッ!」
しかし、数秒ばかり遅かった。
言葉と同時に、首が四つ、五つと宙に舞う。その内の一つが空中で勢いを増し、ジョージの眼前に落ちてきた。
恨めしそうな顔をした女の生首――それと目が合い、ジョージは「ひぃ」と情けない声をあげてへたり込む。
後ろを振り返り、イリューンは一言。
「――なんだ、いたのかよ。」
「い、い、い、いたのか、じゃなくてぇ…ッ! な、な、なんてことをぉぉ……っ!」
「何だよ? ははっ、そう嘆くなって。どうせこいつら邪教なんだからよ、捕まったら火炙りか縛り首なんだから別に構わねぇじゃねぇか。なぁ?」
素っ気ない態度のイリューンに悪気は無い。それがかえってジョージには腹ただしい。
やがて、静けさが戻ってきた。
あれ程いた怪しげな一団も、数分あまりの間に十数人が切り倒され、残りは既に逃げてしまったらしかった。
右手で顔全体を覆い、ジョージは深く溜息を吐いた。
後始末が、いや、この状況の説明自体が既に面倒事に違いなく、ジョージはどうしたものか、と考えを張り巡らし続けた。胃の奥がキリキリと痛むのがハッキリ感じられた。
と、その時。
「…待ってください! 様子が――変です…っ!」
不意に、ディアーダの声が辺りに響き渡った。それを聞き、死体に向き直ったイリューンが、真っ先に目を見開いた。
首を切り落とされた胴体が次々と立ち上がってくる。身体の節々からは黒い角や長い爪、そして蝙蝠のような羽が生え始めている。
邪気。そう表現するに相応しい、息の詰まるような気配がその場に充満していった。
「――大当たりじゃねぇか。こいつは邪教そのものって感じだなァ? ――ええ、おい?」
さも楽しそうに、イリューンは再びハルバードを真一文字に構え直した。まさしく気力は充分だった。
ジョージはもう、この場から逃げ出したい気持ちで一杯だった。まさしく全てが充分過ぎていた。
【――キシャァァァァッッッ――――ッ!】
雄叫びをあげ、人の皮が勢い良く弾け飛ぶ。その内から現れたのは、醜悪な悪魔の姿そのものだった。
機先を制し、イリューンは真っ先に床を蹴る。宙で一回転。否や、手にしたハルバードが風を切った。
――三連撃。振り下ろし、凪ぎ、そして突く!
肉を裂く音が部屋中に轟き渡った。しかし、悪魔共は倒れない。大きく開いた傷口を片手で撫で、絶叫をあげるや一斉に襲い掛かってきた。
「…なんだこいつらッ!? 効いてねぇのかッ!?」
眉を顰め、イリューンはそう吐き捨てる。振りかぶったハルバードで爪を防御し、返す刀で一匹の足を切った。倒れ込んだ悪魔の身体を踏み台に飛び、別の一匹の肩口に一撃。更に、背中へと舞い降りると、横一閃にハルバードを凪ぎ払う!
しかし、すぐにその傷口は修復してしまう。十数匹全てが同じ様子。どうにもキリがない。
はっと気が付くや、イリューンは慌ててその場から離れた。火球が飛んできた。悪魔共の中心で大爆発が起こった。ディアーダが呪文を唱えたらしかった。
些少は効果があったようだが、それでも焼け石に水といった処。根本的な解決には至っていない。
一方、今にも腰を抜かしそうだったが、どうにかジョージは部屋の隅まで避難していた。
(じ、冗談じゃないっ…デーモンなんて、正騎士だって討伐を躊躇するような怪物だってのに…っ! つ、付き合ってられるか…っ!)
そう小さく呟くと、ジョージは階上へと登る階段にそっと足を向けた。
が、突然。それに気が付いた悪魔の一匹がイリューンの下を離れると、ずどん、とジョージの眼前に立ちはだかった。
野獣のような咆吼。ぎらつく眼。それは、形容するならば恐怖そのものだった。
ぎょっとした。カチカチと、歯が噛み合わなかった。
言葉を無くし、反射的にジョージは腰元から剣を引き抜いた。
「――ひぃぃぃっっッ! く、来るな、来るなぁぁぁッ――ッ!」
叫びながら、迫り来る悪魔目掛けてその剣を振り回した。
勿論、微塵も恐れる事なく、悪魔はジョージに向かって飛び掛かる。
正直、終わった、とジョージは思った。
――が、奇跡は起きた。
偶然にも、突き出した刃の切っ先が悪魔の眉間深く突き刺さった。ドロリとした紫の返り血が、噴水のようにジョージの腕を濡らした。
狂おしげに身を捩り、断末魔の雄叫びと共に地響きを立てて倒れ――そして、悪魔はそのまま霧のように消え去った。
何が起こったのか、ジョージ自身全く理解できなかった。ただ呆然とその場に立ち尽くすしか出来なかった。
未だ部屋の中央で闘い続けているイリューンはそれを目にするや、
「――ほっほ――ッ! やるじゃねぇか、ジョージッ! なぁるほど、額がコイツ等の弱点ってぇワケだなぁッ!? よぉっしゃぁぁッ!」
天を突くようにハルバードを掲げ、そのまま頭上で振り回す。二回転、三回転。四回転目で腰元にそれを力強く構えると、イリューンはまるで鬼神の如き形相で悪魔共に向かって走り出した。
傍らではブツブツと、ディアーダが何事かを唱えていた。
「――立て紫の霧よ。彼の者の視界を遮れ。『Chameleon』ッ!」
呪文を詠唱するや否や、辺り一面に紫色の霧が発生し、視界は一気に悪くなる。
理力の霧が、悪魔共の行動を制限している。動こうとする先に霧が発生し、イリューンの居場所を悟らせない。
這々の体で距離を取るジョージとは裏腹に、部屋の中央では凄惨な剣の舞が繰り広げられる。飛び、舞い、イリューンは次々と悪魔共の額に刃を突き立てていく。
さながらそれは、ましらの如く――
しばしの後、徐々に理力の霧が晴れてきた。そこには紫の血にまみれたイリューンが、一人悠然と立ち尽くすのみだった。
「どうやら…終わったみたいですね?」
ふぅ、と一息を吐き、ディアーダはそう言って肩を竦めた。
事態の収縮を受け、ようやく立ち上がったジョージは息を切らせてその側に走り寄ると、
「――終わった、じゃねーよ、この馬鹿魔術師ッ! なんでこの俺がこんな目に……ああ……ちっきしょう……!」
「いいじゃないですか。旅は道連れとも言うでしょう? …この者共は恐らく、ハルギスに身も心も売り渡した不心得者だったに違いありません。いわば、運命です。」
「だからって、こんな大騒動……ッ!」
「神の御心をお伝えしたと思えば、安いモノじゃないですか?」
「だ―――っ! なんでお前はいっつもそんな調子なんだっ! もう少しだな、事件を起こさず、世間とは隔たりを置いてだな、平和に何事もなく……っ!」
と、二人が言い合いをしている所に、最も関わり合いになりたくない人物がやってきた。
「よ――う…どうだぃ? 調子は?」
「もとはと言えばイリューン! あんたが断りもなく全部やっちまった事だろうがっ!」
「…なんだよ、怒るなよな? 最近怒りっぽいぜ、あんた?」
「誰のせいだァッッ!?」
コリコリと額を掻きながら、イリューンは悪びれる風もなくその場から離れると、
「ま、少しばっかり冷静になれって。俺はあっちの部屋にいるからよ。何だか、イイモンがあるような気がしてるんでな。」
そうして、奥にあった小さなドアの向こうへと姿を消してしまった。
しばらく憤慨していたジョージだったが、段々とイリューンの様子が気になってきた。
放っておけば、また面倒ごとを起こすに違いない。これまでの経験で、目を離すのが一番危険な男だという事だけは重々承知していた。
(…大体、アイツの言う『イイモン』って一体…何だ?)
そっと、奥のドアの前に陣取り、中の様子をチラチラと覗き見ようとした。だが、ここからではちょうど部屋の隅が影になり、イリューンが何をしているのかまでは伺い知れない。
後ろからディアーダが追いかけてくると、臆することなく部屋の中へと入っていった。
が、とてもジョージにはそんな度胸はなかった。
しばらく小部屋の前で右往左往していたが、やがて中から激しい破壊音が聞こえて来るにつれ、徐々に不安感が増していった。
結局、遅れをとりながらも仕方なく、ジョージは小部屋の中へと進入した。
想像通り、そこではイリューンの大暴走が始まっていた。
「なんだよ……ろくなモンがありゃしねーな。」
どすん、ばたん、と棚を壊し、机の上の小物を床に叩き落としていく。今時、盗賊だってこんな乱暴な行いはしないだろう。
濛々と舞う粉埃の中、イリューンは部屋中の物を壊さんばかりの勢いで散策を続けていた。
「お、なかなかよさげなモンが出てきたぜ?」
そう言うや、イリューンは隅から小さな宝箱を取り出した。寺院の紋章が刻まれていた。
ジョージは目を見開いた。ディアーダもまた、一瞬言葉を失った。
世間的な常識として、寺院や祠にある宝箱にはその殆どに侵入者撃退用の罠が仕掛けられている。それは、ジョージ自身、かつて城の宝箱に手を付けようとして経験済みだった。
勿論、その時は王宮室内用なればこそ、大事には至らなかった。しかし、今回は違う。下手をすれば、この場で大爆発もあり得るのだ。
が、そんな事とは露知らず。イリューンはウキウキ顔でその箱を持ち上げるや、
「そぅ―――れぇッッ!」
ガッシャン、と宝箱は激しく床板に叩き付けられた。
ジョージは絶句した。ディアーダも同様の気持ちに違いなかった。
「よっしゃあ、鍵が緩んだみたいだな!?」
そう言い、尚もイリューンは宝箱に手を掛けると、更に信じられない行動に打って出た。
「中身はなんだ?」
逆さにし、ガシャガシャと箱を縦に振る。もう、何も言うことはなかった。ただ、少しでもおかしな事があったら、すぐにイリューンを放って外に出ようと、ジョージはそっとドアの前にスタンバイした。
しかし、心配とは裏腹に何も起こりはしなかった。床一面に金貨とネックレス、宝飾品の数々がぶちまけられ、それをイリューンは堂々と拾い集めるばかりだった。
「――か、勘弁してくれよ……」
へなへなと力を無くし、へたり込みながら、ジョージはただそれだけを呟くしかなかった。
ふと気が付けば、ディアーダはそんなイリューンには目もくれず、棚から落とされた小物の一つに目を奪われている。
それは小さな写真立てだった。中に入れられた写真には、物憂げな顔で微笑む一人の少女が写されていた。
金髪、碧眼、そして美しい姿態。そのどれもが、ディアーダのみならずジョージをも魅了させてしまう程の魔力を放っている。
角の方に、小さく名前らしき文字が刻まれている。
(……レミーナ…エン…ラ…? なんだ? 掠れていて、その先が読めない……)
良く見ようと立ち上がり、ジョージはディアーダの側へと近寄ると、背中ごしに写真立てを覗き込もうとした。
が、すぐにディアーダはそれを懐に入れてしまうと、
「…いえ、なんでもありません。」
小さく呟き、何かを考えるように天を仰ぎながら黙り込んでしまった。
それ以上、ディアーダは何も喋ろうとはしなかった。問い詰めたとしても、一切合切、答えてくれないだろうという事だけは早々に理解出来た。
無理強いはせず、それでも疑問に首を傾げながらジョージは側を離れた。そして、遠巻きに二人を見つめた。
部屋の隅では、未だイリューンががらくたを引っ掻き回し続けている。ディアーダはまだ何かあるのか、転がった幾つかの小物を手に取り、物思いに耽っているようだった。
埃が舞う室内はあまりに息苦しく、ジョージは部屋の外で二人を待つ事にした。
あまりにも静かになった地下墓地に、流れるような水音が染み込んできた。外はまだ雨が降っているらしい。シトシトとした雨音が微かに遠くから響いている。それを聞きながらジョージは、今まで起きた様々な出来事を思い返していた。
まだまだ旅先は長い。これから一体どうなるのか。
しかし、どんなに考えても、満足のいく答えは出なかった。
取り敢えず、一つだけ確かな事――しばらくは三人共、この場所に留まるしかないという事実だけが、今のジョージの心に深い闇を残していた。