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分我羅者ブンガラッダー  作者: 分我羅者
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ブンガラッダー、その語源

ブンガラッダーから1年たって、落ち着いたので、主題部分だけでも再考してみました

 分我羅者 (ブンガラモノ)


未成の小説「ブンガラッダー」では、この世界を永久の時間と、無限の空間からなる

不滅の存在として、人間=命=心はその永久不滅の世界の一部である・・・という

主題を表現しようとして頓挫中ですが、その主題部分を1年かけて再構築しました。


分:「この世界」では漠然としているので、そこから現在、我々が存在している

   時間と空間を「分けて」考えて「分」と呼びます


我:上記の「分」から個人=自身に影響のある時間、空間、知識、想像の範囲、つまり

  自身の人智の及ぶ範囲を「自ら」の「分」=「自・分」とし、これを「個性=我」

  と呼びます


羅:羅は網羅、神羅万象という言葉にあるように密に絡まるという意味を持ち、心の

  中で「永久不滅の時空・世界」の一部である「分」と自身の世界である「我」を

  密に置くことで「永久不滅の世界」の観念で事象を捉えることを意味します。


  *羅は同ではありません。「世界」と「我」を「同等、同一視」することでは

   ありません。小指は人体の一部で、ぶつければ全身に痛みが走りますが、

   小指は人間そのものではないです。「我」は「分」の一部であり、「分」は

   永久不滅の世界です。


者:分と我を羅に考える人


分我羅者:ブンガラモノ→者はDerダーで「ブンガラッダー」というのが、小説中の

語源の謎の解ではないかと。で、この分我羅の考え方で勝手に設定した4つの門を訪ねて

みようと思うのですが、その前に先人の残してくださった有難い助言を


「やめとき、やめとき、ノイローゼになるだけやで。ホンマ」


お釈迦様やニーチェさんの言葉です。お釈迦様は苦行の果てに「色々やったけど、悟りとは

別のモンや」とおっしゃたらしいです。ニーチェさんは「深淵をのぞくな、深淵を覗くとき

自分も深淵にのぞかれている」との言葉を残しています。哲学の命題を解こうと「深淵」、

つまりは仮定の「苦悩」をアレコレ考えるうちに心が疲弊して正気を失う危険、早い話が

古井戸をのぞき込んで、危ないなぁと思っているうちにスウッと引き込まれそうな感覚に

なるヤツです。

「真面目になるなよ、お前。ホドホドにな」、という先人の注意でしょうね



1門目:虚無

 「すべての存在はどうせ無になるのだから、何もかもが無駄」という命題ですが、

「我」を個人の世界観で終始せず、永久不滅の時空の一部である「分」との関わり

「羅」を意識すれば、「我」は「分」の中でも自身の人知に影響を与えた「自・分」

のことであり、、「我=自身の人知の及ぶ範囲=永久不滅の世界の一部」となり、

「我」も「この世の存在」も消えはしない=虚しくはない。と答えます。


2門目:絶望 (シリアスな絶望ではなく、自棄レベルの話です)

 自分の理想と現実の乖離に心が砕けてしまう現象、もう他のどんな幸せも拒否して

未来のすべてを拒絶:シャットアウトしちゃう感じ。

 これは例題として「あのプリンがいい」を用います。

楽しみにしていた冷蔵庫のプリンを間違えてお兄ちゃんが食べちゃった!お兄ちゃんが

「同じプリンを2個」いや「もっと高いパフェ」をご馳走するといっても「嫌だ、嫌だ、

あのプリンが食べたかったんだ」と泣き続けるパターン。

 これ実は「運試し=博打」とも似ているわけで「自分の理想=我」が「この世界」に

対して「どういう位置づけか?」を試している、そして「思う通り」なら「我」の勝ち、

「アテ外れ」なら負け、として、賭けたモノへの想いのタケで「自・分=我」の自身の

中での価値付けを行うわけです。

 「あのプリンを食べる」が実現できなかったことで「我」の価値が完全に失われたと感じ、

以降の「我」と「分」の連携を遮断してしまう愚かさ。それほどまでにプリンが大好きなら

何がどうなろうとプリンを愛し続ければいい。例を引っ張るなら、代わりのプリンどころか

「うるさい!」と怒鳴られた上にゲンコツを食らうかもしれない。それでも新しいプリンに

出会うために、または他のスイーツを知るために「我」をさらに広げましょうと。

 例にまみれて解が不明瞭になりましたが、現に永久不滅の時空の一部たる存在が不確定な

世々の事象で値打ち付けなぞを行うな。ということです。


ち・な・み・に、この理想も、結構妥協の産物なんですよ。

 第一の妥協:常識

 「自分は空が飛べない」なんて本気で悩む人はいないでしょう。人間は空を飛びませんから

  ・・・もし、真剣に悩んでいる人がいたらゴメン。

 第二の妥協:自・分の範囲(人の浅知恵の限界)

  理想は自身の意識や知恵の及ぶ範囲、想像力の届く範囲で設定されるのです。だから

  「宇宙大帝と同じオヤツが食べられない」なんて悩みも現実味はないでしょう。

  この世のどこかに1億円当選者がいるとしても「あ~いいなぁ」ぐらいですが、たまたま、

  自分の前か後の人がガラガラで「3万円お買い物券当選!」だったら、「あぁ~!何で?

  何で後ちょっとズレなかったのぉおぉぉお~」とのたうち回るほど悔しいハズですよね。


 自身の価値を賭けた想いなんぞという「理想」も実際のところは狭い「我」の中のことで

「知らぬがホトケ、見ぬことキヨシ」で、「他」を知らなかったら全く満足しているかも。


3門目:恐怖

 ここではマジに怖い事象のことではなく、自分自身への恐れを扱います。自分が自他への

加害者になってしまう恐怖。(過失ではなく故意に)

 加害、つまり物的、または心象的な破壊や損傷を自他に故意に与える行動。


ここで前置きにあった「考えすぎ」を再注意!こういうことを扱う際の命題で「落ちたら確実に

助からない穴に落ちた場合にどうしよう?」というドツボ。「絶対に助からない」と定義して

おいて、「助かる方法」を模索する矛盾。こんなもの「考えるだけ無駄」です。これは「その

穴に落ちて助かった人がいる。どうやって?」とか、「今では科学の進歩で対処可能になった」

でしょう。狭い「我」の中だけでなく、視点を「過去、未来」の「分」まで広げれば・・・、

といっても、それ程の知恵があれば最初から悩んだりしないので、「どうしよう」という時点で

少なくともアナタ一人では「お手上げ」な状態です。「自・分=我」だけでは知力、戦力ともに

不足しているので「他・分=他人、又は社会的、法的な保護、保証」を頼りましょう。

という解になります。小説の紹介でも触れましたが、私も「安定薬」で助かったクチですよ。

 あと、割とポカをする私としては「失敗しないことが大切なのではなく、失敗を償うことが

大切なのです」という言葉が「どうしよう」の答えになっています。


 要は永久不滅の分我羅の観念で生きるならば、人生に価値や意義、理由は必要なく、生命は

生きる存在である、ただそれだけ。それに従って生命の続く限りを生きるのが人間、というか

生物の自然である。この自然の姿を守る=愛することこそが人間の本来性であり、それに従って

生きるならば、自分が故意に自他を損ねることなどありえないのに、この自然に逆らったり、

捻じ曲げることを「賢い」と値打ちづけ、自他を損なう行為を「理性の行い」とか「自我の欲求」

「根性」「勇気」「精神力」などと銘打って正当化する。が、それら「理性」「自我」こそ時の

流れの中で消えゆく虚しいモノであり、その音が聞こえた瞬間から、その臭いが届き、とどまる

だけの範囲と時間しか効果を発揮しない「屁」と同じ「屁理屈」である。自分が「屁」で良いと

自棄を起こした者が「我」の「わがまま」に踊らされて自他を損なう蛮行に走るのである。

 リトルリーグのチャンピオンもワールドチャンプから見れば「一捻り」だし、仮に世界一と

しても、全く別の畑の人から見れば「それが?」てなモンです。



4門目:疲労(いや、実際、長文で疲れたでしょう)

 身体的な疲れは心を蝕みます、充分な休養、睡眠と、適度な運動で健康を維持、修復しましょう。

「分」の中に存在する「自・分=我」は、肉体という物質世界の存在でもあります。「歯が痛くて

八つ当たり」「高熱で、もうダメ」という感じで健康状態は心理に大きく影響します


 実は「ホラーゲーム」の手法に疲労と心理の関係が考察できまして、あの種のゲームは

音や色彩が単調で、しかも変化に乏しい操作を延々続けているとイキナリ!が主でしょう。

そのシーンは派手でも、そこまでは単純作業で、しかも「来るか?来るか?」という緊張が

続きます。たったそれだけのことで「恐怖」を作る(演出する)ことができるんですよ。

逆もまた、真なり。リラキゼーションなんて両手を膝の上において深呼吸~、でしょう。

身体のコンデションも心理にかなり影響するんです。



以上、私なりに分我羅を考えてみました。


 分我羅者。自分は永久不滅の時空である世界の一部である。世界は何らかの意思を持たず、ただ

そこに在り続ける。「消えようとしない」「消そうとしない」「あり続けようという意思もない」

「只そこにあり続ける」という状態、性質。「無限の空間=世界」に「はるか過去から未来永劫」

に存在する「不満、心配のない心、満ちた精神」であり、自他がその状態で存在することを認め、

それを求める精神を「愛」と呼ぶのだろう。世界に満ちる「愛」の要素が生命のヒモで肉体に結び

ついた状態が人間の本来性であり、それを信義として生きることが分我羅者であるということで。

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