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岡部涼音 朗読シリーズ 涼音色~言の葉 音の葉~

サクラ色の別れ

作者: 風音沙矢

 4月中旬、この旅館でも一番の季節を迎えていた。

 桜だ。旅館の建つ、この城山は全山桜一色となる。日本海の澄んだ青空に、薄桃色の霞が漂っているかのような見事な景色になるのだ。

 そして今日、国道から旅館の正面玄関まで続く桜並木の中、その子はただ一人、歩いて旅館にやって来た。風の強くなった午後、桜の花びらが舞う美しい景色さえ目に入らないかのように、まっすぐに歩いて、玄関に入って来た姿には、これからの休日を満喫すると言う晴れやかな雰囲気がなかった。

「いらっしゃいませ。お早いお着きでいらっしゃいましたね。

 お疲れでいらっしゃるところ申し訳ありませんが、宿帳やどちょうをお願いできますか」

彼女は、女将の話は聞こえているのだろうが、ただ黙ってペンをとった。


 東京都 藤井あかね 31歳

 一人でお泊りになるお客様は、珍しい。まして初めてのお客様だ。

 それも、今日から10日間の予定だ。板長さんとは、まあ、おいでいただいて、お好みを伺って、アレンジをしようと、打ち合わせをしておいた。そして、この旅館で、もっとも景色が良く見える部屋を用意した。お一人で10日間も、お過ごしになる。あまり広くない部屋だが、座り心地の良いソファーからは、日本海が一望できる。天気さえ良ければ、夕焼けも美しい。床の間を飾る花は、やはり桜を活けておいた。


 藤井様は、予想外に若い女性で、まして口数の少ない方のようだ。部屋でお茶をお入れして、今日の夕食のご希望を伺った。好き嫌いは無いとおっしゃったので、今月のメニューをご用意することにして、部屋を出た。夕食後、食器を下げに行くと、あまりお食べになっていない。軽く、近くの名所など紹介しながら、明日の予定を伺ったが、遠出はせずに、散歩をしたいということだった。


 連日、昼近くにお出かけになり、夕方、お戻りになる。食事は、あまり召し上がっていない。少し心配していたら、5日目、風邪をひかれたのか熱がでたと、臥せっていた。ふと、カレイの煮つけとお粥ではどうだろうかと思いついて、夕方、お部屋をお訪ねした。今日は、昨年亡くなった一人息子の佳樹の命日なのだ。縁とはこう言うものか。電話で最後に話をした時に、あの子が食べたいと言っていた好物なのだ。

 藤井様は、じっと、カレイの煮つけを見ていたが、何かをこらえるように口元に手をやり、静かにぽろぽろと涙を流しているのを見て、はっと、胸をよぎるものがあった。佳樹が最後に電話してきたときに、

『母さんに会わせたい人がいるんだ。ゴールデンウィーク、忙しいだろうけど、連れて帰るから会ってくれ。きっと気に入ってくれると思う。』

 そう言ったことを思い出した。佳樹が突然なくなって、泣いて泣いて死んでしまいたいと思っても、自分のわがままを通すことはできなかった。お客様がいらっしゃる。そして従業員たちがいる。日々の暮らしの中で、必死にやってきて、そのことを忘れていた。あの時、その子のことを気にかけてやれるほどの、余裕などまったくなかったのだ。だから、お通夜にも告別式にも、出席させてやれず、さぞかしつらかったことだろう。今、嗚咽をこらえている藤井あかねが、きっと佳樹の恋人だったのだろう。そう思うとこの5日間の行動に合点がいく。抱き寄せて、

「よく頑張ったね。佳樹を愛してくれて、ありがとう。」

そう、言ってやりたかった。







 この旅館にチェックインして、通された部屋は、窓際のソファーから日本海が一望できた。

「佳樹、ここが、あなたの故郷ふるさとなのね。」






 学生時代は良かったけど、お互いに仕事が忙しくて、仕事を優先することで喧嘩になった。何度「もうだめだ」と思ったことだろう。そして実際、3年前、ささいなことが原因で別れたが、佳樹への喪失感に打ちのめされていた2年前の誕生日、寂しくて、すがる思いで彼のマンションへ行ったけど会えずに、泣きながら自分のマンションへ帰ってきたら、佳樹が待っていてくれた。少しぎこちない感じで、

「誕生日、おめでとう!」

そう言いながら、コスモスの花束を差し出した。

「俺、花なんか買ったことないからさ、恥ずかしかったけど、どうしてもあかねに受け取ってもらいたくて。

 知ってるか、コスモスの花ことば?」

震える手で花束を受け取り、涙でクシャクシャになりながら、首を振った。

「もう一度、やり直したい。」

そう言って、私の涙を、その指で掬い取ってくれた。もう、一生離れない。どんな事をしても、佳樹と歩いていくと彼の腕の中で誓った。


「ねぇ、コスモスの花束なんて、世界中で私だけね。」

「あー!、やっぱり言われたよ。でも、花言葉が大事なんだからな。」

「うん。すごく、うれしい。」

「これから先、ずっと、コスモスの花を見たら、今日のこと思い出すわね。

 きっと、そのたびに幸せを感じるのよ。」



それなのに、



 昨年の春、佳樹と付き合って10年が過ぎようとしていた。佳樹が目黒川の桜を見に行こうと誘ってくれた。たくさんの人でごった返している。迷わないようにねって手をつないで、にっこり笑っていた。歩き出して何本目かの橋が見えてきたとき、佳樹が橋のほうへ歩き出した。川岸からでは見えない風景が広がって、私が歓声を上げたら、佳樹が手をぎゅっと握って私を止めた。そして、そのまま私の左手を自分の目の前にかかげて

「結婚しよう。」

と、言いながら、婚約指輪をはめてくれた。私は、声にならず、うんうんと首を縦に振るだけだった。もう、桜なんて目に入らなかったっけ。

 その後は、

「来週から出張だから、再来週には、君の家に挨拶に行って、ゴールデンウィークは、俺の実家に報告に行こう。

 喜ぶよ。おふくろ。君が一緒に行ったらさ。

 あー。久しぶりに、カレイの煮つけが、たべたいなあ。」

「なんで、カレイなの。新潟だったら、もっと違うお魚があるんじゃない。」

「俺、おふくろの作るカレイの煮つけが一番好きだったんだ。

 俺んちはさ、新潟で旅館をやっているんだって話したよね。

 物心ついたころには、おふくろは女将をやっていたから、忙しかったんだけど、俺が熱を出すと、忙しい合間に部屋に来てくれて、消化が良いからこれ食べて、待ってて。て、言うのさ。

 旅館やってたら、板前さんたちが、奥の俺たち家族の分も作ってくれるから、おふくろの味ってそんなになかったけど、カレイは、白身の魚だったから、病気をした時にちょうど良かったんだね。

 これだけは、おふくろが作ってくれたんだよなあ。」



 あの時、佳樹は、ほんとうに懐かしそうに話してくれた。わたしも、佳樹の家族に会えることを楽しみにしていた。それが、2週間後、佳樹は死んでしまった。会社の出張先での事故だった。連絡がつかないと心配していたわたしが、佳樹の死を知ったのは、その5日後だった。その時には、彼の遺体は新潟の実家に運ばれて、告別式も終わり遺骨となっていた。

「なんなの。こんなことって、ひどいじゃない。

 一生、貴方と歩いていくと誓ったのに!」



 泣きたかった。でも、泣いてるわけには行かなかった。私が責任者になっているプロジェクトが動き出して、会社に迷惑をかけられなかった。そして、プロポーズの時、佳樹が言ってくれたことを噛みしめていた。

『あかね、仕事で頑張っている君を尊敬している。結婚しても、今まで通り仕事を続けてくれ。おれも、協力するからさ。』

会社で踏ん張って、家で泣いてを、どれだけ繰り返しただろう。それでも、この3月そのプロジェクトは終了した。と、同時に会社に辞表を提出した。思いっきり、佳樹のことだけを思う日々を送りたかったのだ。「情けないな」そんな声が聞こえてくるけど、良いの。私にとっての佳樹は、人生において、そんな半端な人間じゃなかったのよ。


「佳樹、少しだけ、羽を休めても良いわよね。」




 佳樹が話してくれた、彼の思い出をたどってみたいと思った。だけど、佳樹の家族は、私のことは知らないはずだ。ずうずうしく、押しかけて行くわけには行かない。けど、旅館に宿泊したら、女将をやっているお母さんに、お会いすることはできる。もしかしたら、言葉を交わせるかもしれない。そして、彼が育った街を見てみたいと思って、ここまでやって来た。


 連日、街をうろうろと歩き、よく遊んだと言う、公園へ行って、通っていた小学校へ行った。中学校へも行って、彼がやっていた野球部の練習を当てもなく見たりした。

 それが、この一年の疲れが出たのか、宿泊して5日目に熱が出た。女将さんが、カレイの煮つけとお粥を部屋に届けてくれた。その優しさも、最後に佳樹が食べたいと言っていたことも、心にしみてきて、泣いてしまった。

『あかね、この一年、頑張ったね。俺の代わりに、カレイの煮つけを食べてくれ。』

そんな声が聞こえてきた。泣きながら、ひと箸、ひと箸、大事に口に運んだ。佳樹と一緒に会話しているように、幸せな時間だった。そして、とても美味しかった。




 佳樹のお母さんは、とても、素敵な女性だった。凛とした女性だ。佳樹の死も乗り越えて、生きていた。自分がなかなか乗り越えられずにいることが恥ずかしくなるような、強さだった。直接、佳樹の話はしていないのに、

『あなたも、しっかりしなさい。』

と、言われているような気がした。





 5日後、女将は、桜吹雪の中、あかねを見送った。

「藤井様、また、ぜひ、いらしてください。秋の紅葉も見事ですよ。冬は冬で、おいしいお魚があります。まあ、一年中、良いところと言うことなんですけどね。」

「女将さん、美味しいカレイの煮つけ、ごちそうさまでした。元気出ました。また、ぜひ、伺います。」

深々とお辞儀をして、あかねは背を向けて歩きだした。


 女将は、何時までも、何時までも、あかねの姿が見えなくなるまで見送った。本当だったら、佳樹の嫁になっていただろうあかねと、手を取って泣きたかった。でも黙って見送った。彼女には、すべて忘れて、新しい人生を歩んでもらいたかったから。


「これで良かったんだよね。お前だって、そう思うだろ。」


「佳樹、お前のことは、私と父さん、二人が覚えているから。思っていくから。」


「あかねさんには、幸せになってもらおうね。」


最後まで、お読みいただきまして ありがとうございました。

よろしければ、「サクラ色の別れ」の朗読をお聞きいただけませんか?

涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第9回 サクラ色の別れ と検索してください。

声優 岡部涼音が朗読しています。

よろしくお願いします。


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