1.恵む月に、生まれた子
窓をぬらし、しとしとと雨が降っていた。雨粒が窓をたたきノックしているように聞こえる。
一人、自室から外を眺めてため息をつく。
「今日は外で遊べないなぁ……」
外で遊ばなくても、本を読めばいいのだが。今日は外での催し物を楽しみにしていたから残念だった。
ベッドそばにある、紐を引っ張る。するとメイドが数分のちには食事を運んでくる。毎朝これが当たり前。
「おはようございます、姫さま」
「ねえ、今日はどうなるか知っているの?ねえ、ねえ」
「姫さまの誕生日パーティーは、問題なく行われますよ。ただ……」
メイドはベッドにミニテーブルを、朝食がこぼれないように気をつけながら置くと残念そうな表情をしたまま窓に顔を向ける。
暗い雨雲が窓一面に広がり、晴れ空は期待できそうにない。
「そうよね。分かってるけど、外でしたかったな」
前々から父には頼んでいた。誕生日のお祝いを外でしたいと。だから楽しみにしていたぶん朝から雨になり、がっかりだ。
残念な気持ちが心の内を満たしていると、ノックの音が響く。
「起きていらっしゃいますか、姫」
「起きてるよ、リチャード」
リチャードと呼ばれた青年は糊のきいた執事服と白い手袋で部屋に入ってくる。
食事をするために階下に繋がっているベルを鳴らしているのだから起きているのは分かっているはずなのに、真面目で細かい性格のリチャードは念をおして部屋にいつも来る。
「今日くらいは、誕生日だからお勉強しなくていいでしょ?」
執事のリチャードが、お決まり文句の『勉強』という単語を口にされる前に、こっちから言ってしまおう。そうすればもしかしたら希望が通るかも。
「そうですね……。今日は特別な日ですから、いいですよ」
「ほんと?やった!」
軽い気持ちでいったことが通り、勉強しなくていいと言われただけで舞い上がるような気持ちだ。
「今日は、城を探検などいかがでしょうか」
「探検かぁ……いいの?」
「王と王妃からもお許しを頂いております。城内ならば、姫さまの好きなところに行ってもよいとの事ですよ」
「え、じゃあお父様の書斎に、お母様のお部屋にも?」
「かまいませんよ」
「調理場でも、馬小屋にいっても?」
「もちろん。ただし、つまみ食いは駄目です」
「じゃあ、じゃあ塔の一番上まで連れて行ってもらうのも?」
そういうと執事は、塔の上まで続く螺旋階段を思い出したのか少し顔を曇らせる。
「そこまで一緒に行く名誉を、他の誰かに譲ってもいいなら」
私の隣にいるメイドを執事のリチャードはみると、
「ちょうど良い。メイド長には私から伝えておくので、姫さまに一日付き合いなさい」
私に朝食を運んできたメイドは突然の命令に、驚きつつもゲンナリしたのが分かった。メイドは肩をおとしながらも平静を保っている振りは、きゅっと結ばれた口元で分かる。
「わかりました」
メイドは、はぁ、と気の抜けそうな返事をして私に向き直る。
「姫さま。どこか行きたい場所はございますか?」
「図書室!」
「え……そこでいいのですか?」
「うん、いいよ」
私の中に、意地悪な思いつきとワクワク感がこみ上げるのをなるべく出さないようにニッコリと笑ってみせた。
メイドは、どこかホッとしたような、楽なお守りになりそうで嬉しそうな表情をしている。
「お食事が済んだら、食器を置いてからまたお部屋に向かいます。それまで待っていてくださいね」
「うん!」
バターのきいたクロワッサンに、スクランブルエッグをフォークで突き口に運ぶ。そしてミルクを飲み干しながらどうやってこの人の良さそうなメイドを撒いて一人で探検しようかと知恵を回していた。
ほぼ毎日といっていいほど訪れる、城のなかの図書室=蔵書室には、埃が小さな空気交換のための小窓から陽に照らされて光っていた。窓の大きさは空気を入れ換えるだけのためにあるだけで、そんなに大きくはない。以前、家庭教師に聞いたら、日光の光は本を傷めるらしい。だから最低限度の窓があるだけなのとか。
閉鎖空間にちかい窓が少ないこの部屋は、かび臭い本独特の紙の匂いと、時期的な湿気のこもった空気が充満している。
「姫さま。本を選んでくれたら読みますからね」
「うん、ありがとう」
どの本にしようかなあと、ぐるぐると歩き回る私の後ろを片時も離れずにメイドは付いてきてくる。どうやら一瞬でも離れる気はないらしい。とても面倒だ。
「選んだら、机にいくよ」
「でも姫さまの背では取れない本もあるでしょう?それに6歳の姫さまでは難しい本もありますし」
「字の読み書きできるもん!だから何でも大丈夫だもん」
「ん~、そうですね~」
少し慈愛を含んだ目で、メイドは笑う。
そこには嫌な雰囲気もないことに、私は単純ながらも上機嫌になりつつ再び本を探し始めた。
「これ取って!」
本棚の上にある薄めの本。それを指さした。
メイドはきょろきょろと周りを見渡すと、近くにあった椅子を引き寄せ靴をぬぐ。椅子の上に登ると、さっと指定した本を取る。
「これでいいですか?」
「うん」
その棚は私のため専用で、お父様が集めてくれた本が並んでいる。綺麗な絵と、簡単で短くも長すぎることない絵本。それに私の大好きなおとぎ話の数々。特に大好きなのは王子様が来てくれるお話と、ユニコーン。嫌いなのは悪魔が出てくるもの。
「それは何のお話のだった?」
背が届かないほどの場所にある本は、もちろんタイトルも遠すぎて見れない。
「『勇者と姫の冒険』ですよ」
「いらない」
私は、すぐに返事をする。勇者が出てくるのは悪の王も出てくる話しが多い。つまり悪魔だ。そんな単語すらも聞きたくない。
「家の子供もみてるほど、売れてる本ですけどね」
メイドは自分の子供を思い出したのか、ふんわりと笑った。
「……じゃあ、聞く」
ぎゅっと、メイドの服にしがみつく。
ホントは“悪魔”が出てくる本は嫌いだけど。ホントは本を読んで貰わなくても、いいつもりだったけど。だけど……あんまりにも、メイドが見せたその笑い顔が私のイメージしているお母さんの顔だったから。
「いいですよ。さあ、いきましょう」
メイドに促されて、机に行く。
でも私は、こっちがいいとソファを指さす。
お父様の部屋にあるような偉そう(・・・・)な(・)ソファではなく、寝転んでくつろげるようなふわふわしている。備え付けられた狭いサイドテーブルには季節に合わせて、数枚の薄手のタオルケットと、寒い場合も考えられた薄い毛布の2種類があった。
メイドが座った隣に、私も腰をおろす。
「あのね……ひざまくらしたいんだけど、いい?」
「いいですよ」
私はすっかりメイドに心を許して、頭を膝にのせる。
「“むかしむかし、あるところに……”」
メイドの絵本を読む声を聞きながら、そこで考えていた事を思い出した。
(そうだ、本を読みにきたんじゃなかったんだ)
すぐに目を閉じる。
メイドの読み上げる声は、優しいお母さんそのもの。気を抜けば、本当に眠ってしまいそう。唇を噛んで眠気を我慢することも出来るだろうけど、寝ていないことがバレてしまっては意味が無い。
今日は誕生日だからと見逃してと言っても、きっと私を独りにしてはくれないだろう。
「“王子様であり、そして勇者であった彼は隣国の王女を探しに旅にでました”」
王子様なのに魔王のもとに行くなんて凄いななんて、話しの所々をかいつまんで聞きながら考えた。
「“一方、お姫様は魔王のもとで泣き暮らしていました。でもある日の出来事が全てをかえました”」
メイドは私が寝ているかどうかも気がついているのか、知らなくても本を読めばもういいと思っているのか進んでいく。
「“お姫様は、魔王のことが好きになったのです”」
それはない。そう思ったけれど、言わなかった。
「なんで好きになれるの悪魔を」
「あら、姫さま。寝てるかと思っていました」
「寝てると思ったのに読んでたの?」
「はい。だってとてもいい顔でしたから。この物語が気に入ったのかなって。眠りながら聞くと素敵な夢が見られそうな物語です」
「なんで、そのお姫様は魔王なんかに恋するわけ?怖いのに」
「この魔王は悪くないのですよ」
「悪くないのは、どうして。お姫様を連れ去っているのに?」
うーん、と困り気味の顔をしてメイドはなんて言おうか迷っているようだ。
「たしかにお姫様を連れ去ったのは悪いことですね。お姫様は突然のことでびっくりしたかもしれません」
でも、と続けた。
「方法は間違っていたけれど、誰にだって片思いもあるし。仲良くなりたい気持ちを上手く出せない人もいますから」
「その物語はどうなるの?」
「言っていいんですか」
「お、お願い」
「ふふっ。最後、お姫様は魔王を選びます。彼の気持ちを知って、優しさに触れて。造形だけが全てでないと分かるのです」
「勇者さまは魔王を信じたの……?」
「二人の仲むつまじい姿を見ても、最初は信じませんでしたが。お姫様の目をみた勇者は気がつきます。姫は心からの気持ちを口にだしていると」
「それで……」
「それで王子は故郷に帰り、皆に言うのです。魔王だと思っていたものは、彼女と愛の誓いをしていた普通の男だったと。それを言い出せなくて姫は駆け落ちし、二人は納得して暮らしているとね」
「そうなんだ……。ねえ、どうしてお姫様は、魔王のことを好きになったの?自分をさらった人を好きになるのはなかなか出来ないと思うけど」
「そうですね、普通は。でも心から相手に接していれば、いつかは届きます」
よく分からなかった。いつものお話とは結末が変わっているな、くらい。
「さあ、次はどれにしますか」
「うん……。どうしようかな」
ここだけで過ごすのはもったいない。今日はせっかくの自由の日。だから行けるところに回りたい。
「塔にいくか、お母様のお部屋か、あとはお父様の書斎かな」
「姫さまが望むところに付いていきますよ。今日はお誕生日ですからお好きなように」
それだけいうとメイドは、本を返してきますねと立ち上がる。一番上の棚に本を戻そうと再び椅子の上に乗っていた。
(今なら)
そう、いまなら抜け出せる。チャンスだ。広い城を探すのにも手間掛かるしさっき言った以外の場所に行けば見つからないかも。
「ごめんね」
小さな声で謝って、駆けだした。
「姫さま!?」
あわてたメイドの声を聞きながら、とにかく走った。
廊下で集まって、こそこそ話をしているメイドの横をすり抜ける。
「姫?お一人ですか?」
「うん、今から塔に行くの」
「誰か一緒に……」
あわててメイドに、その場の嘘をいう。
「ちゃんとリチャードが、塔にメイドを待たせてるって言ってたから大丈夫!」
「執事長が?」
「でもねぇ……」
「そんなの誰か聞いた?」
この場にいる三人のメイドは疑ってるようだ。このまま長引けばすぐに追いつかれるだろう。
「朝食を運んできたメイドさんが一緒って聞いたよ?」
「ああ、リリアンヌね」
「そういえばメイド長が、リリアンヌのこと今日は手が空いてないって言ってたわ」
「気をつけてね、姫さま」
「うん、ありがと。あ、それとさっきメイド長がこっちに来てたよ」
私の言葉をきいて、メイド達はさっとバラバラに散らばり、一人は室内の掃除があったわといい手近な部屋に入り、一人は食器の後片付けだから食堂に行かないとと言い、最後の一人はそそくさと何も言わずにどこかに行った。
赤い廊下の絨毯を踏み込むと、塔とは反対側に曲がる。
運良く廊下には誰も居なくなったし、私の足取りは掴みにくくなった。そのことに満足して一直線に庭への道へ行く。
図書室で過ごしている間に雨はあがり、今は地面が雲の隙間からのぞく太陽の光で時々キラリと光ってた。
庭へ出ると、垣根があり私の背丈を優に超えるものだから目隠しになるのだ。
綺麗に手入れが欠かさずされた濃厚な花の香りに埋もれながら、外への道へ走る。
「きゃっ」
「大丈夫?」
曲がり角でぶつかったのは、綺麗な人。赤い髪と、黒い瞳。その横には、私とあんまり変わらない赤毛の女の子も一緒だ。
「ごめんなさい」
私の頭のなかは、もう冒険はここで終わりかもしれないと告げていた。城内ならまだしも、さすがに供も付けずに独り庭遊びは無理かもしれない。
「ここで何をしてたんですか?」
赤髪の女性は、優しそうな笑みで言った。首を傾げると、一つにまとめられた赤髪が揺れる。
「えっと……かくれんぼ?」
「かくれんぼですね。ここなら最適だ」
「うん、そうなの。だから私がここに居たこといわないで」
意外とすんなり言い訳が通ったみたいで、ほっとする。
「私もしたい」
「だめだよ」
「なんで!私も!!」
私とそんなに変わらない女の子は、お姉さんにお願いしていた。
「父さんがまってる」
「……うん」
しょんぼりとした女の子に『一緒にする?』とは言えず黙っていると、その子は私の顔を見て、
「ねえ、今度は私と遊んでくれる?」
「うん、もちろん!」
私は目を輝かして答えた。私を避ける人は多くても、一緒に遊ぼうと言ってくれる同年代の子がいなかったから。
「今度ね、約束ね?」
私は、おずおずと確認のために聞く。
「うん。約束!」
「さあ、行くよ」
「はーい」
二人は、そのまま城へと入っていく。嬉しい気分のまま、二人とは反対方向へいった。
裏口の閂を外すと、外に向かって押す。
「やったぁ……」
初めて城の外に出られた。
水たまりに、わざと足をいれる。
バシャンと音がして、泥とともに跳ね上がった。そのまま靴と室内着のドレスを汚す。
城のなかにいたときは、綺麗な場所しかなかったのでこうして水の上に飛び乗るのは楽しい。
ぬかるんだ道と、雨を吸ってグチョグチョの雑草を交互に踏んで進む。
「わーい」
誰もいない、そして自由に走り回れる。その開放感に城から離れていく。
途中、色とりどりの花が咲いてて一本摘んだ。
さすがに森への道は暗くジメジメしてるし怖いから行けないので、城が見える位置にある丘で花を摘んでから帰ろうとしゃがんむ。
白ばかりの花を摘んで、花冠を作ろうと集める。
フッと影が差した。見上げると背の高い男性。
「……だれ?」
私を見下ろすそのひとは、黒髪黒眼だった。
(こんな色、見たことない)
金髪、赤毛はあるが、黒髪は初めてみた。しかも肌の色は白というより病弱的な青白さで少し怖さを感じる。
私の質問に答えずに、彼は地面に落ちている何かを拾うと私の手に戻す。
(あ、花……)
意識が、突然現れた人に集中してしまい手の中の花を落とした事にも気がつけなかった。それを男の人は拾ってくれたらしい。
「おじさん、ありがとう」
「おじさん、か」
私と同じ目線になったその人は、笑う。そこでその人がだいぶ若いお兄さんだと気がついた。
「お兄さんだね」
「君から見たら、おじさんにもなるのかな」
笑った顔を崩さずに、私の顔をまじまじと見ている。
「おもった通りだ」
何かに勝手に納得して、お兄さんは頷く。
「な、なんで顔を見るの?」
私の顔には、アザがある。よくある反応は、私の事を丸っきり見ないか、まじまじと見てくるのどちらかが多かったから理由はなんとなく想像できた。
それでも気持ちが良いものではない。
むっとした表情をかえすと「失敬」と、いいながらも私の頬に触れた。
「え……」
見知らぬ人に、顔を触られると嫌だと思う。だけど触られることを極端にされない私にとってはこの人の手をのけようと思う前に、思考が停止した。
「気持ち悪くないの?怖くは?私のアザのこと、」
「知ってるよ」
愛おしそうに、アザを撫でる。
「俺にとってみれば、それは印」
「しるし?」
「これが美に見えないのがおかしい」
目の前の人は、私の目線まで屈む。
手入れをかかさず咲き誇った美しい薔薇を愛でるように、アザを上から下に愛撫する。
私は気持ちの悪さよりも、このアザを気味悪がらないこの人に興味が湧いた。
「きっと美しくなるだろう」
彼は透き通るような声で呟く。
「そのときに迎えにこよう。君の持つシロツメクサに誓って」
急に、ぐらりと視界が揺れた。
黒髪の男性は、私を優しく抱えて横たわらせてくれる。
質問が出来なかったなと、どこか冷静に思う。怖さより聞きたかった。
“誓う”とは、なにに対して?と――――