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1 邂逅

――時が欲しいか?


「ああ。欲しい」


――そのためにすべてを犠牲にしても?


「ああ、何を犠牲にしようと構わない」


――すべてを失ってもいいのか?


「構わない。だから……時間を返せ」


――では返そう。時間を。お前の時間を。その対価として私は――














「ちっ、これっぽっちか……」

 湊は奪ったばかりの財布を物色しながら悪態をついた。高級感を纏った革を細い指で撫でながら、それを掴んで投げ捨てる。

「どいつもこいつも外ヅラばっかりだ」

 うっと僅かに呻く男の声。無精ひげを生やした顔に無数につけられたあざ。落ちた財布とその強奪者を交互に睨みつけながら、痛みに顔をゆがめる。

「いいか。お前はクズだ」

 湊は染めたばかりの赤髪をかきあげながら、言葉を投げつけ始める。

「お前は俺に金を渡すことを渋った。だから俺は『殴られたいか』と訊いた。そこでお前は『いやだ』と言えばよかったんだ。

 ところがお前は何も言わずに黙りやがった。俺の警告を無視した。なんで言わなかったんだ? 『いやだ』の一言がなぜ言えない?

 世の中はそんな奴らばっかりだ。身の程知らずでプライドだけは無駄に高いクズばっかりだ。

だからお前はクズだ。わかるか? あ?」

男の腫れあがった頬がさらに踏みつけられる。アスファルトに食い込むように彼の顔が何度も歪むのを見ながら、また一言呟く。

「ホントに世の中クズしかいねぇ」

 男の意識はそこで飛んだ。




「で、今日の晩餐はそのクソ不味そうなオジサンなわけ?」

 果てしなく長方形の、机の端に腰かけた小柄な女は、肩越しに言葉を浴びせかける。

「ご不満ですかお嬢様。(わたくし)めが大変な苦労をして取ってきた生贄ですのに」

「このヒゲを連れてくるなんて、私ならものの何秒もかからないわ。それと、その話し方やめてくれない? イライラするから」

 ミリスは纏っていた赤黒いローブの紐のような部分を弄りながら言った。無駄に大きい胸――(と湊は思っている)のほとんどが見えるような纏い方をしているのだが、意外にもそれが脱げたりしているのを、湊は見たことがなかった。

「そうですか。お嬢様」

「だからやめろっていってるでしょ? 殺すわよ」

 おー怖ぇぇ、と湊は観音開きのドアを乱暴に閉めて転がした男を蹴りつける。「お前、お気に召さなかったとさ」

 その時にゃーというか細い声がして、部屋を見渡す。病的にクリーム色で囲まれた部屋の端に、食器棚の上で悠然と座る黒猫を見つける。えらく毛艶が整ったその猫は、金色の首輪を邪魔くさそうに掻きながら、またにゃーとあくびをするように鳴いた。

「ソフィン。そいつ食べていいからね」

 おい、今俺のほう指しただろミリス、と湊が喚くように言うと、彼女はきつい赤の唇を艶かしくなぞるように舐め、「気のせいじゃない?」とクスクス笑った。

「それより、そいつ結局どうするの? 私は本当に喰う気はないわよ」

 ミリスは肩までかかる金髪を指で弄びながら言う。

「言っただろ、()()だって」

「あら? 悪魔である私への供物ではなかったの?」

「お前がこのクソオヤジを気にいらないのは最初からわかっていたさ。だからってせっかく拾った資源だ。有効活用したいだろう?」

「――何に使うつもり?」

 ミリスは机からわずかに腰を上げて、湊に目を合わせる。細身の青年は、黒いジャケットの首元をじれったそうに直しながら、元々近寄りがたい雰囲気をさらに増幅させるように、凶悪な目つきで言い放つ。

「他の悪魔への生贄(えさ)だよ」




「『伊瀬卓郎。国家対策保安委員会代表取締役補佐員』いわゆる官僚様ってやつじゃね?」

「だから何よ」

 湊とミリスは深夜のマンション街を歩いていた。すでに人絶えた道には、規則的に並んだ外灯の光がはるか向こうまで続いていて、永遠に続くような真っすぐな道を照らし出している。風もなく、まとわりつくじっとりとした暑さにしきりに悪態をつきながら、湊は道端に唾を吐きかけた。

「あぁぁぁぁぁーーあちぃぃぃぃー」

 湊は肩に背負った男の煙草臭さにうんざりした顔をする。

「ちょっと私の話聞いてる?」

 艶っぽい髪をなでるように一梳きして、ミリスは眉を上げた。

「官僚様ならなんのわけ?」

「バカ」

「は?」

「バカだろお前」

「バカとは何よ。殺すわよ」

「時々わかんなくなるんだけど、お前ホントに俺を生き返らしてくれたわけ?」

「なら今すぐ契約を打ち切る? すぐ死ぬわよ、アナタ」

 そこまで薄笑いを浮かべていたミリスの表情が変わる。それはわずかな違いだったが、何も相手にしないような表情だった。

「いや、わかった。やめとく」

「いい子ね」

 うるせーと湊は歩きながらまた唾を吐きかける。そしてしばらく黙った後、「穢れてんだよ、奴ら」と気だるそうに呟いた。

「穢れてる?」

「ああ。官僚ってことは、それなりに世渡りしてきたってことだろ。なら、嫌でも()()()とはいかないはずだ。だからこいつは」

 湊はずるずる引きずっていた男をちらと見る。

「多少なりとも穢れてんだろ」

「なるほど。それであいつらを釣ろうってわけね。穢れた血が好物のあいつらに」

 ミリスはこつこつとハイヒールの音を立てながら、湊が背負っている死にかけの男を眺めていた。

「で、どいつが標的なの?」

「そりゃあ一番趣味の悪いアレン君に決まってるさ」

 あの子ね、と言いながらミリスは自分よりも小柄な少年の姿を思い浮かべる。百歳はゆうに超えている童顔の男は、穢れた血――穢れた時間を何より好む異常者だった。ミリスにとっては。

コロン、と軽い音がしたので後ろを見ると、ひげ男の靴が片方脱げているのが見えた。どうやら石か何かに引っかけて脱げてしまったらしい。しかし湊は少し離れたところにある革靴を一瞥すると、かまわず先に進み始めた。かりかりと男の足先に小石が当たる小さな音が聞こえる。

「しかしお前変わってんな」

「何よ」不機嫌な声。

「だって悪魔は普通、穢れた時間が好きなんだろ? 人間が醜く、汚い時間を重ねれば重ねるほど、それが血の一滴一滴、肉体の一片一片に刻まれて、それを喰うことでお前らは操ることのできる時間を増やしてゆく――

 穢れれば穢れるほど付加価値が付くって、お前言ってたよな」

「そう。確かに穢れが深いほど、私たちが操るヒトの時間は増えるわ。だからあんたの言うとおり、そいつは悪魔の生贄(えさ)としちゃあ極上の味でしょうね」

 ミリスは興味がなさそうに冷めた調子で言う。

「だからわかんねー。お前がどうして穢れより純清(じゅんせい)を好むのか。操る時間も少なくなるし、何よりそんなヤツをいちいち見つけて来る俺の身も考えろよな」

 ミリスはフンと鼻を鳴らす。

「仕方ないでしょう。好みの問題よ。それに、あなたはそうして当然なの。そういう契約でしょう」

「『時間を返す代わりに見返りの時間を渡せ』皮肉だな。時間の代わりが時間だなんてさ。バカみてー」

「差し出した代償は、同じものでしか返せないのよ。だからあんたは私に時間――人間を捧げ続ける義務がある。また死にたくなければ、ね」

「――とんだ悪魔と契約しちまったな」

「失礼な、私は悪魔というよりは()よ」

 暗がりを淡々と歩いていく二人。ずるずるとエサを撒くように引きずられる男の黒い靴下は、いつの間にか別の黒で滲んでいたが、二人に気づく様子はない。周囲の木がわずかに騒ぎ始め、まっすぐで変わりのない一本道に交差点が見え始めても、その調子は変わらなかった。

「ところでそんな引きずって本当にあいつは来るの?」

 ミリスがそれを言ったのは、それから何度か曲がり道をやり過ごした後だった。

 湊のつけた腕時計の針はすでに深夜二時を回り、木々のざわめきが周囲の静けさにあいまって、やけに大きく聞こえる。

湊は切れ長の目を細め、邪悪な笑みを浮かべて言った。

「来るさ。あいつらのねぐらはここらへんだし、それに――」

 その時、コツ、と地面を踏む音がした。

「こんな旨いモンを奴らが見逃すかよ」

 湊の目が獲物を捉えた。


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