表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

徐君の病気

作者: shichuan

5年前くらいにミクシイで書いた文章を少しだけ手直ししたもの。

人の命は羽毛よりも軽いのか?


徐君は江西省出身の26歳。

父親を肺ガンで亡くした。

継母は病に臥しがちで、

おさない妹の養育費を徐君が負担している。

去年、付き合っていた彼女との間に子どもができ、

彼女が身重のまま、簡素な式を挙げ、

上司にあたる私も出席した。


複雑な家庭の事情については、

父が危篤となり、

会社を数週間離れる必要がでたとき

徐君の口より説明を受けた。

しばしば些細なことで他の社員と衝突し、

トラブルを起こす背景を知った。

同時に、

入社早々、私のところへやってきて、

「ぼくは会社にとって必要な人間ですか?」

と、逼迫した瞳でにじり寄ってきた彼の、

生への真摯な態度の意味が、

分かった気がした。


その彼が、肝臓を患った。

身体に違和感を覚え検査した結果、腫瘍があり、

即刻手術が必要で、

手術代は100万円。

この国の医療は、先払いが絶対だ。先にお金を支払わなければ、執刀もされない、投薬もない。

彼には頼るべき親族も友もなく、

そして、彼自身のための手術代も持ち合わせていなかった。


会社に電話があった、手術代を借りられないか、と。

私にとって相棒でもあり、上司でもある魏に相談した。

会社は、どこまでできるのか?

ここで手を差しのばさなければ、手術を受けられず

そのまま死んでしまうのか?

この場合、私は見殺した、殺人者となるのだろうか?

自分の妄想にうんざりとしながらも、妄想にとらえられ、離れなかった。

「彼は借りると言っているが、返ってこない可能性も高い。手術は成功するとは限らず、成功したとして、その後どれほどの闘病生活が待っていて、そもそも会社に戻ってくるのかすらわからない」

徐君の現状を冷徹な言葉で語りながらも、

相棒の魏は、私とは比べものにならないほどに

打ちひしがれていた。


魏もまた生まれたばかりの子どもがおり、

今年から会社の経営を任され、

のしかかるプレッシャーに体調を崩していた。

結果次第では入院しなければならない、それをおそれて、

検査すらしようとしない。

その日、魏は荒れた。

普段は控えている油気の多い食事をあえて口にし、

それを私が指摘すると、

「ふん、こんな辛い世界で生きているくらいなら、死んだ方がましだ」

うなされるように、

「天命だ、天命だ」

と繰り返した。

中国人の天命は重い。

芝居がかった言葉のようで、リアルな絶望の響きがある。

人間が、抗えるだけ抗った後に残される冷酷な結果なのだ。


急遽、社内で募金活動が行われた。

徐君といつもぶつかっていた社員が、財布の中の現金すべてを乱暴に抜き出し、寄付するというヒューマニズムあふれる出来事があった。

募金の金額リストをみると、給与額と比例していないところも興味深い。

金額の奥にある真実はわからないのだけれど。

社員の募金、

魏と私、二人の権限で動かせるぎりぎりのお金、

会社負担の住宅費積立金を強引に解約し、

用立てた。


夜、魏と二人で徐君の社員寮の部屋を訪ねた。

彼は病院の同室同病の患者が明日に手術を控えており、耐えられずに社員寮に戻ってきていた。

魏はお金を押しつけるように徐君に渡し、

「これは気持ちだ。おまえの身体は、おまえ一人のものではない。そこにいる奥さん、うまれたばかりの子ども、母、妹、みんなのものだ。もちろん、会社もおまえを必要としている。だから、はやく治して帰ってこい。まだ運がいい。早期発見だったわけだし、肝臓は比較的はやく快復する臓器だ。大丈夫。何かあったら全力でサポートする」

「あ、ああ、すみません。なんと言っていいか……」

「何も言わなくていいんだ」

正直、私には、そのときの徐君の気持ちを、彼の表情から何も読みとれなかった。

しかし、

魏が、眼を赤くして“上司”を演じる姿に、いたたまれない気持ちになった。

私は何も語らず、ただ徐君に微笑んだ。


帰りの車の中で、病院に行って検査をするよう促す私に、魏は笑いながら言った。

「もともとおれは社長になんてなりたくなかったんだ。おまえが、やらないと日本に帰るっていうから、仕方なくやってるんだ。責任が重いだけで、なんのいいこともない。これでおれが死んだら、おまえのせいだ」

魏のいつもと変わらない、はぐらかすための冗談を聞きながら、「徐君を殺し、今度は魏さんを殺す。これでは猟奇殺人者だな」、などと意味もなく思った。


寝る前、最近知り合ったクリスチャンの女の子にショートメールを送った。

なんの説明もせず、ただ、

「ねえ、人の命は羽毛より軽いと思う?」

しばらくして、返信があった。

「なんて答えていいかわからない。昨日、祖父が亡くなりました。眠るように、天使のような安らかな表情でした。ただ、わたしたちよりも一足先に主のもとに行っただけ、しばらくしたら、また会えます」

彼女の悲しみの深さを測りきれず、

ありきたりなお悔やみの言葉を返した。

心の中で、

安閑とした天国に暮らす人間よりも、この世界に苦しむ魏のほうが私は好きだな、

などとつぶやきながら。


これが昨日の出来事。

まだ手術の行われておらず、

また、金額が足りているのかもわからない。

昨日からずっと、

人の命は羽毛よりも軽いのか?

という言葉が、心の中で、意味を持たずにこだましている。

モデルとなった現実世界の徐君は手術成功し、再発もなく、今は独立してどこかで働いています。会社で貸した金を返してくれたかどうか、返してもらった記憶がないんだよなあ。。。。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ