ポップコーンはいかがですか?
腰が痛いです
それは、業務室へ向かう途中に現れた。
園内の案内掲示板によると入口の反対側に、従業員専用の業務室というものがあるらしく、そこに何かしら脱出への糸口があるのではないか、とメリーゴーラウンドの前を通りかかった時だった。
突然アトラクションの電飾が灯ったかと思うと、勝手に馬車が回転を始めた。陽気な音楽とともに回り続けるそれに、二人は息をひそめる。電気の通っていないはずのアトラクションが動くものか。
辺りを見周してみるが、そもそもアキを殺した相手は一度も姿を現したことは無い。現実的に考えれば、どこか死角から狙撃銃のようなもので撃たれたのではないだろうか。
「マサキ、隠れよう!」
メリーゴーラウンドに気を引かせて殺すつもりかもしれない。だとしたら棒立ちは危険すぎる。
「畜生! 一体何なんだよ! 何で急に動き出す?」
「分からない……気を引こうとしてるのかも」
「は? 幽霊がか? 遊んでくれーってか?」
マサキは馬鹿馬鹿しいといった様子で言う。
「違うよ。あれは囮で、どこからか俺らを狙ってるのかもってこと」
マサキは恐怖で混乱してしまっている。もはや思考がまともじゃない。
「おい、待て、あいつ誰だ」
物陰から覗くマサキが、声を一瞬裏返らせて言った。
「誰ってどれ……」
僕は心臓が止まる程の衝撃を受けた。さっきまではいなかったはずだ。メリーゴーラウンドの馬車の中に赤鼻のアイツがいた。あの、醜悪で醜い道化師が……。
「ピ、ピエロだ……」
「どうなってる…? これ、結構やばい状況じゃないか? アイツ手になんか持ってるぞ」
止まりかけの馬車に乗る道化師の手には、錆び付いた何かが握られていた。
「斧だ!! 逃げるぞ!」
僕は親友を引っ張って走り出した。
「逃げるってどこに!? ここからは出られないんだぞ!」
「とにかく身を隠さないとまずい!」
「アハハハ! アハハハ! アハハハ! アハハハ!」
後ろから不気味な笑い声がする。恐る恐る後ろを振り返ってみると、赤鼻の白塗り男が斧を振り回して追いかけて来ていた。
「やっべ! 結構速い!」
「どこに逃げるよ!」
「分からねー! けど逃げなきゃ殺されるぞ!」
「だよなぁ!!」
二人は兎にも角にもと、右へ曲がり左へ曲がり、広大な敷地を駆け抜けた。息も絶え絶えだが、止まるわけにはいかない。止まることは死を意味する。
「アハハハ!」
こちらのことはお構いなしに、ピエロは全速力で追尾してくる。息が切れる様子はさらさらなく、気味の悪い笑い声は相変わらずだ。伸ばしっぱなしになり鬱蒼とした草木をかき分けると、眼前に鏡のオブジェと共に大きな建物が視界に飛び込んだ。
「あった! あれだ! あそこに入ろう!」
幸いなことに後ろにまだピエロは来ていない、今ならバレずに隠れられるはずだ。
二人は死に物狂いでミラーハウスに駆け込んだ。
「何だよここ。気味が悪い……」
マサキは鏡に映る自分を訝し気に見つめた。
「ミラーハウスだ。全面鏡張りの迷路みたいなもんだ」
「何でそんなとこに入ったんだよ! 出口わかんねーだろ!」
「一番近いのがここだったんだ! 仕方ないだろ! それにピエロは撒いた! あと声のボリューム落とせよ!」
「お前もな」
恐怖と興奮でいつものような二人ではない。僕はそう感じていた。そしてそれ以外にも何か、この部屋からは不吉なものを感じる。何か異質なものを。
後ろを警戒しつつ、迷路を歩き回っていると、再びあの不吉な笑い声が聞こえてきた。
「チクショウ! 来やがった」
「まずいぞ、ここは行き止まりだ……早く出口を探さないと」
「アハハハハハハハ!!」
背筋を糸を引いたみたいな感覚が僕を襲う。かなり近くで声がした。
「くそ、どこか隠れる場所は…」
「おい、マサキ、あれは?」
目と鼻の先に、古びたキャビネット棚が三つ鎮座していた。
「ナイス! 入ろう!」
「アーハハハァ!」
二人が棚に隠れるのと同時に、ピエロが姿を現した。
心臓が早鐘を打つ。奴に聞こえてしまうのでは、と僕は胸を手で押さえた。次の瞬間。
木を粉砕するような乾いた音が部屋に響いた。二つ隣の棚をピエロが斧で叩き割った音の様だった。
更に続けて同じ音。さっきよりも近い。
心臓の鼓動が速すぎて、頭が脈を打っているような感覚に陥る。
次は僕らの隠れてる棚だ……。
扉の隙間から、ピエロの赤鼻が見て取れる。ああ、神様……!
願い虚しく、ピエロが斧を振りかざす。
と、ミラーハウスの外で、金属の転がるような音が響いた。ピエロは顔を歪ませると、「アハハハ!」と笑いだして外に走り出した。
魂が抜ける、とはまさに僕らの今の状態だ。二人は崩れ落ちるようにキャビネットから這い出ると、鏡を背に座り込んだ。
「死ぬかと思った……」マサキがぐったりした表情でこちらを見る。
「まじ、ちょっと漏れた」僕は股間に少しばかり湿り気を感じていた。
ちょっと休もう。と、ふたりはしばし気を休めることにした。
それから十分がたった頃だろうか。
「ショウタ、こっち来てみろよ」
「ん?」
マサキに呼ばれた先にあった物は、
「人骨……か?」
「まさかな。ただの飾りだろ?」
「だよな……」
二人はそう言いながらも内心では分かっていた。本物だろう、と。ミラーハウスに骨の飾りなんか置きはしない。ただあえて口にしないのは、これ以上恐怖を煽ってもどうしようもないからだ。これは肝試しじゃない。
「あれ、それは?」
僕は、骨の傍らの床に不自然な取っ手が付いているのに気付いた。
「床下収納とか?」
マサキが言いながら取っ手を引き上げた。
「どうなってんだ……」
蓋を引き上げると、そこには深い穴が続いていた。上り下りできるように梯子も付いている。時折冷たい風が通り抜けてくる。
「従業員用の地下通路ってことか?」
いや、わざわざ地下を通って移動する必要があるだろうか? それもアトラクション内を?
「どこに繋がってるのか気にならないか?」
「は?! 行こうってのか? このキモチワルイ穴を?」
マサキは僕の提案には反対の様だ。
「もしかすれば、外に出られるかもしれないだろ? 殺人鬼達が用意したって可能性は低い」
「ビビりなのは俺の方ってわけか」
マサキは肩をすくめた。
梯子を下りると、そこは大人の一人が通れるぐらいの大きさしかない通路になっていた。暗くて先が見えにくい。だが、空気の通りはいいので、もしかすれば本当に外と繋がっている可能性はある。二人は恐る恐る先を進んだ。通路内の空気はひんやりとしていて、とても八月とは思えなかった。
暗闇に目が慣れてきたころ、行き止まりと共に梯子が現れた。マサキを確認する。額に滲む汗が、暑さからではないことが分かる。表情は堅い。
僕は無心で梯子を上り始めた。頼む、頼むから外に出してくれ。全ては悪い冗談だったと、そう言ってくれ。
梯子を上がりきってから、その僕の無謀な願いは儚くも消えた。どころか、一ミリの希望を持ったことですら悔いた。
眼前に広がるのは、骨、骨、骨。ただ、骨の山。
「っわあ!」
マサキは上がりきってから尻餅をついてしまった。
「噂は本当だったんだ。子供がいなくなるって……」
見たところ、どの骨もとても大人のものとは言い難い。どれも小学生かそれ以下のサイズだ。素人目にも分かる。
そして不自然な椅子が部屋のド真ん中に一つ。それも地面に固定されていて、手すり部分には手錠のようなものがぶら下がっていた。
拷問部屋だ。ここは、ドリームキャッスルの真下なんだ。外なんかじゃない。どころか、園内の中心地なんだ……。
「人の噂ってのも、信じてみるもんだよな」マサキは皮肉を含めた笑みを浮かべた。
「どれもこれも、噂通りのことが起きてる……。殺人鬼なんて生ぬるいものじゃないかもしれない」
度々子供が行方不明になる、独りでに回るメリーゴーラウンド、ドリームキャッスルの拷問部屋、どれも噂通りだということだ。ただの噂じゃなかったとすれば、一体誰が流したのだろうか? 殺人鬼が用意周到に噂を広めたとでもいうのだろうか。奴らが流していたとしても、十年前から流れていた噂なのに、何故一度もニュースになったり逮捕者が出ない? たまたま運が悪く、僕らが罠にハマったのか?
だが、なんだろうか。さきほどから感じるこの変な違和感は……。
「ショウタ、悪いな」
「え?」
振り返る瞬間、こちらを睨みつけるマサキがその拳を振り下ろしたところで、僕の視界はブラックアウトした。