プロローグ~政府転覆宣言~
その年の私立真美ケ丘高校の入学式は伝説となった。本来入学式というのは、講堂に全校生徒が所狭しと押し込められて、来賓の挨拶や校長の長話を淡々と聞かされる退屈極まりないイベントだ。期待と緊張が入り混じった新入生を除いて、多くの在校生が欠伸を噛み殺している中、事件は起こった。
真美ケ丘高校の入学式は、毎年、在校生を代表して生徒会長が歓迎の言葉をかけ、新入生を代表して入学試験主席が高校生活に対する抱負を述べて締めくくられている。最後の新入生代表挨拶だけは無味乾燥な式典の中で唯一注目を集めるプログラムであった。
というのも、真美ケ丘高校はその地域では一番の進学校であり、当然、新入学生は、それぞれの出身中学ではトップクラスの成績を誇っていた者ばかりだ。故に気になるのだ。どんな奴がこの中で一番頭がいいのかと……。
「新入生代表……海堂夕莉」
アナウンスとともに壇上に上がったのは、一人の女子生徒であった。背筋を延ばし、まるでモデルのような歩き方をしていた。制服を少しの綻びもなく完璧に着こなし、そして、人形のように整った要望は怜悧な笑みを浮かべていた。
生徒だけでなく、職員や果ては来賓のお偉さん方までもが思わず息を呑んだ。15歳の少女が発するにはあまりにも異常なオーラであった。幾多の修羅場を乗り越えた古強者だけが持つそんな風格の持ち主であった。
海堂夕莉は、そんな壇下の反応を気にも止めず、壇の中央に達すると、マイクを握って口を開いた。すでに、彼女一人は、この場の千人以上の人間を圧倒していた。だが、彼女が場を本当の意味で圧倒するのはこれからだ。
「新入生諸君。本来ならば、私も諸君らと同じ側に座り、友と汗を流して貴重な青春を過ごし、そしていつの日か美しき思い出として語る、そんな日々のことを想像し、始まる高校生活に胸を躍らせていただろう。
だが、私はこうしてここで立ち諸君らに向かって話す機会を与えていただけた。諸君!……我々は幸福だと思うか?大人たちは言う「子供はいいと。何も悩みがなくて」と。無論、これは大きな過ちである。私たちにも悩みがある。友人や恋人との関係、家族との関係、そして何よりも進路は大きな悩みである。
真美ケ丘高校は進学校だ。2年後の今頃、諸君は大学受験に追われているだろう。マークシート1つの塗り間違えが人生を左右するような過酷な試験だ。それが終わったら諸君は幸せになれるだろうか?答えは否だ。今や日本の大学生の半分が奨学金をもらって大学に通っている。生活費を稼ぐために複数のバイトを掛け持ちすることも珍しくない。
そして何よりもおかしいのは、大学を4年で修了しなくてはならないということだ。本来研究とは、先人が積み重ねてきた成果を受け継ぎ、自らのものとし、そして、研究史をほんのわずかでも未来のために進めることではなかっただろうか。にも関わらず、社会は4年間で終えろという。できないものは問題児というレッテルを貼られるのだ。
大学の後に待っているのは、何か?そう就職だ。これに関しては多くを語る必要もないだろう。ブラック企業に過労死、うつ病にパワハラ・セクハラ……。はっきり言おう。私たちの未来はお先真っ暗だ。希望なんてない。どうしようもない苦難の連続。はっきり言おう!この国は腐っている!」
式場の誰もが、目を点にする中、波原中人だけは、「やってしまったあ」という顔をしていた。別に自分が悪いわけではないが、無性に恥ずかしくなっていた。そして、壇上の夕莉に目を送る。「このぐらいでやめておけ。今ならまだ冗談で済む」と。
中人のアイコンタクトを受け取った夕莉は、刹那笑みを浮かべる。
「……この国は腐っている!いや、厳密に言うと国だけではないな。社会が学校が会社が社会保障が税制が……およそあらゆる制度とシステムがまさに腐りつつある。そして、その腐敗のツケを最も払わされるのは、誰だろうか?言うまでもない、我々だ。これからこの国を背負って立つ我々が、先代が築き上げてしまったこの膨大な負債と向き合うことを強いられているのだ!」
中人のメッセージは無駄だったか、あるいは別の意味を与えてしまったようだ。中人はため息とともに、ただ夕莉の暴走を見届けるしかなかった。
「諸君!……我々は座して不幸を受け入れるしかないのか。救いようのない結末を受け入れるしかないのか!私は、そんな未来はまっぴらごめんだ!私たちには幸福に生きる権利がある。私は戦う!この欺瞞まみれの国と社会に!私は変えてみせる!この国を!」
流石にこれ以上は静観できないと思ったのか、ガタイのいい体育教師が2人、壇上に上がる。マイクを取り上げ、力づくでも、この演説を終わらせるつもりのようだ。海堂夕莉は普通の女子高生だ。武術の訓練を受けていなければ、超能力が使えるわけでもない。
あっさりとマイクを奪われ、夕莉は壇上から引きずり下ろされそうになる。けれども、彼女は叫び続ける。その声は講堂中に響き渡る。
「私は諦めない!人間を不幸にするような制度とシステムは破壊して見せる。理不尽な格差のない世界を、民主主義の腐敗のない政治を、持てないものが虐げられない社会を、必ず実現してみせる!」
夕莉が壇上から下ろされた後、5秒ほど沈黙が続いた。そして、どこからともなく拍手が響き始めた。条件反射と日本人特有の周りに合わせる精神の成せる現象だろう。夕莉の演説を誰も本気にはしていないだろう。質の悪い冗談か電波か、そんな風に思われることだろう。
この場にいる波原中人以外の誰もがそう思った。
(勘弁してくれよ)
とりあえず鳴り続く拍手の中、中人はこれから始まるであろう苦難の日々を思い、疲労感を感じていた。中人と夕莉は幼馴染だ。それゆえに断言できることがあった。「海堂夕莉は絶対に有言実行である」と。