18「薬莢2」
「ルカス様、ご足労いただきありがとうございます」
分厚い壁と扉に囲まれ窓もない。
完全な密室で頭頂部まで禿げ上がった男バリナース・レ・エドリアズは大仰に膝をつく。
「毎度言っておろう。儂は今、ただの隠居ぞ?」
ルカスはあきれたようにいう。
「隠居?御冗談を。いつまでも私にとってルカス様こそ至上の主君。過ぎたる態度などございません」
バリナースは齢48にしてこの公爵領の領都グルンドの代官である。そしてルカス直属の影である。さらには魔導公爵家に代々仕える諜報部隊『影』その先代当主であった。過去形である。ルカス引退に伴い、彼も当主を次代に引き渡していた。
同時にバリナースは『自らが死ぬ、その時まで仕える』と決めた主人に付き従うべく行動を起こす。
ルカスは当初【バリナースは王都に残り後進の指導役】という建前で引き続き息子を盛り立ててもらう腹積もりだった。あてがわれたのは公爵の要職だ。それでもバリナースは激しい一線からは退く。だからバリナースにも余裕も生まれる。故にルカスはこれまでの滅私奉公への感謝として、バリナースには遅まきながらも家族を持ち、裕福な家庭で幸せになって欲しいとも考えていた。
だが、彼バリナースはそのような抜け殻のような人生はまっぴらごめんだった。
魔導公爵家現当主もバリナースに理解を示していた。
バリナースはルカスについて領都グルンドに向かった。
魔導公爵家現当主はそんな彼の為に公爵領代官の席を用意した。
魔導公爵家現当主は知っている。
バリナースは20年前の事件をいまだ後悔していることを。
バリナースが本来仕えるべきは20年前に亡くなった姉であることを。
魔導公爵家現当主はいまだ後悔している。
姉の友人である異界人の本性を、底知れぬ悪意を見抜けなったことを……。
その当時魔導公爵家現当主は10前半。
笑顔の裏に隠された悪意に気付けないのは当然である。
……だがその結果が彼ら一家を未だに苛んでいる。
「バリナース。そういえば最近良い女子いると聞いておるぞ」
ルカスはいつもの席に座ると、いつもの好々爺然とした表情でこの真面目な男を見る。
「ご冗談を、私は終生あなたの影。私は命尽きるまでお供をさせていただきます。そのために不要なものは持たぬ所存」
「まったくおぬしは……」
なぜこうなったか。ルカスは深い息を吐き出す。
「ルカス様、本日お越しいただいた用件でございますが、こちらを…」
ルカスに黒い布で包まれた『薬莢』が渡される。
中身を確認振ると『ふむ』と短く発する。
「昨日北の魔王様より我らが領地との境に『黄』が出現したようです。魔王領南端都市にて出没。捕獲しようとしたところ一般市民を人質に逃走。一般市民は魔王領南部の森にて発見されております。逃走先は我が領の……」
「北の森か……少々範囲が広いのう……、よし防衛案山子部隊の利用を許可しよう」
防衛案山子部隊とはルカスが領都に移ってから追加で組織された10000体の遠距離攻撃装備搭載型の案山子部隊である。
「ありがとうございます。魔王様からは、可能な限り生きて引き渡してほしい、との事です」
「………食われたのか」
「はっ、背の光が赤だったそうです。発見現場ではその一般市民の首を飾り、食卓の花としていたようです」
いつもの事だがルカスは惨状に眉をひそめる。
「魔王殿も怒り心頭といったところか………」
「はっ、使者殿もたいそうお怒りでした」
「はっはっは、やはり魔族はやさしい種族よのう」
低く響くその声はいつの間にか殺意が籠っていた。
「だが、戦で相対した時は修羅に代わる。恐ろしき奴らじゃ。そんな彼らの願い、叶えなければな………」
「はっ」
久しぶりの異世界人が……こともあろうにルカスの近くに現れた。
そして何気なくルカスが声に出してしまう。
「中にタイチのようなやつがいなければよいがな…」
かつて自分たちの信頼を得た異世界人。
かつてルカスの娘に薬を盛り、ルカスの娘の眼前で彼女の子供を解体し食らった異世界人。
彼ら一家とそれに連なる者達にとって百度殺しても生ぬるい男の名前。
ルカスの手によって魂すら消去された男の名前。
「ご安心ください。どのような異世界人であろうと……生まれてきたことを後悔させてやります」
ルカスは軽くうなずくと、念のためにと釘を刺す。
「生きていればよい、生きていれば。手足の1本でも残っていれば魔王殿も理解してくれるであろう」
こうして北の森捜索隊が開始された。
……彼らは見落としていた。
異世界人は領都グルンド北の森に出現し『車両』にて南下していたことを。
徒歩の移動速度で異世界人への対策を練ってしまった。
『車両』ごと異世界人が来るのは初めての事態だった。
だから気付かなかった。
彼らがルカスたちの予測に反し『西の森』に潜伏場所を変更していることを。
そのことに彼らが気付くのは3日後の事だった……。