親愛度上げは欠かさない
「―――四時間目は体育か・・・。今日行かなかったら確実に欠るな」
三時間目終了のチャイムが鳴ると共に、一時間目から三時間目まで丸々授業をすっぽかして昼寝をしていた日高が目を覚ます。
ゆっくり立ち上がって軽く身体をほぐす。適度に身体が温まったところでコンクリートで身体を傷めないように拝借した、運動部が使っているトレーニング用のマットを綺麗に三つ折りに畳み、雨のかからない場所に隠して大きな伸びをした。
「今月の競技ってなんだっけ・・・」
バスケだった気がする。と小さな声で付け加える。前に体育の授業に参加したのは二週間前だったので、記憶が朧げらしい。
「あ、そーだ。今日で六月になったんだったな。じゃあ競技変わってるじゃん。外なのか中なのかわかんねーんだけど」
秀院学園の運動場と体育館は何故か離れた位置にあり、日高のいる二年生校舎は丁度それらの間ぐらいに建っている。私学だけあって敷地は広く、もうチャイムまで5分を切っている今からではどちらか一方に向かえばもう片方には絶対に間に合わなくなる。つまりどちらの場所で授業を行うか間違えた場合、遅刻になってしまうのである。
他の科目とは違い筆記テストがない体育では授業の評価が全て、既にギリギリまで授業をサボっている日高は遅刻でも赤点不可避となってしまう。普段完璧に参加する授業をスケジューリングしている日高としては珍しいミスである。
(まぁ日本に戻ってきたの昨日だからな・・・)
と、誰にと言うわけではないがとりあえず言い訳をしておく日高。
そう、今年の『オールジャンル、ゲーム世界一決定戦』の開催地はアメリカ。
特に時差のことを計算していなかった為、家に着く頃には睡魔に首根っこ掴まれ、自分の部屋に入った瞬間寝落ちしてしまったのだ。
何気に夏休み返上で補習の大ピンチ。
己を極限まで扱き上げ、鍛え抜き、更なる高みへ到達するのに長期休暇は、ゲーマーにとって必須なのだ。来年は三年生ということもあり表面的にでも受験勉強をしているフリをしないといけない為、休み全てをゲームに注ぎ込めるのはこの夏をもって他にない。日高としては絶対に死守しなければならない休みだった。
と、若干話のスケールが大きくなってしまったが、夏休みが補習で潰れるのは学生なら嫌で当然だ。
しかしそんな学生としてのピンチの場面を今まさに迎えている日高は、のんびりと体操服に着替えていた(中に着ていただけだけど)。普通なら間に合わないと分かっていても、もし場所を間違えた時を考えて一分一秒でも早くと焦ると思うのだが、日高はそのような様子など微塵も見せずに、脱いだ制服をトレーニング用マットと同じ場所に隠し、外履き用の運動靴を持って屋上をあとにした。
(現在の分速120m、チャイムが鳴るまであと3分28秒、でも体育の杉下先生はチャイムが鳴り終わるまで遅刻とみなさない人だから、チャイムが鳴っている時間―――約13秒プラス、ここから最短で約310m、靴を履き替える時間が10秒かかるとしても、約55秒の余裕がある―――)
「じゃあ分速89mで大丈夫か」
そう呟いてペースを少し落とす。
この結論に至るまで、僅か一秒であった―――。
チャイムが鳴り始めて10秒後、既に生徒達が集まる運動場に、日高は姿を現した。到着と共にチャイムの余韻が消える。
「こら日高!ギリギリなんだから急ぎなさい!」
体育の教師であり日高のクラスの副担任の杉下先生が怒鳴り声を上げる。今特に必要な情報ではないが、杉下先生は去年教員になったばかりの女の先生である。
若い女性の体育教師という高校男子なら誰もが好きそうなシチュエーションな上にボーイッシュな見た目の美人ということもあって、男子からの人気は高い。
再度付け加えるが、この情報が今後必要になることはない。
とにかく、ただでさえ時間ギリギリで目立っている上に杉下先生もかなり怒っている。ヘイトが日高に集まる中―――日高はゆっくり、だがまるで運動音痴な女子がそれでも必死で走っているかのようなフォームで、額に汗を滲ませながら杉下先生のもとへ駆け寄った。
「―――ごめんなさいっ!」
日高の口からは息を整えるよりも先に素直な謝罪の言葉が発せられた。
「え?ええ??」
日高の予想を反する態度に驚きを隠せない杉下先生。それも無理はない。少なくとも杉下先生の記憶では日高が「ごめんなさい」と謝ったことなど一度もないのだから。
面食らって次の言葉が詰まる杉下先生に対して日高は続ける。
「実は来る途中に木の上に登って降りられなくなった子猫を見つけちゃって・・・でも遅れたら杉下先生や皆に迷惑かけちゃうって分かってたんですけど、どうしても僕見捨てられなくて・・・!」
涙を堪えるように事情を説明する日高、しかしその言葉と態度からは、真摯な謝罪の気持ちを汲み取ることができた―――が、
既にお察しのことだと思うが、日高は自分のことを『僕』とは言わないし、口調ももっとぶっきらぼうだし、そもそも子猫など見かけていない。
しかしあたかも本当に子猫を助けてきたかのように、体操服に汚れや葉っぱの欠片を付けてそれらしさを演出している。
だが既に学園で一番の問題児と名を馳せている日高がどれだけ証拠をぶら下げ、迫真の演技をしようともそれをまともに信じるクラスメートは誰一人いないだろう。教員ならなおのことだ―――杉下先生ただ一人を除いて。
そして日高は最後のひと押しに目を小型犬ばりにうるわせ、顔の前で祈るように指を交互に組んで、とびきり甘えた声で言った。
「次から気をつけますから―――許してくれますか?」
「ぐふっ!」
と、心の声が聞こえた気がした。というか言ってた。
完全に日高の術中に嵌った杉下先生は頬を赤らめせて視線を外す。
「こ、今回だけですからね!」
「は~いありがとうございま~す」
お咎めがなかったところでさっきの涙目が嘘のように(嘘だったんだけど)けろっと様子を一変させ、間延びした返事をして生徒達の列に入っていった。
茶番を見せられて皆は呆れ返っていたが、杉下先生の頬を赤らめた姿が可愛かったので日高にヘイトが向くことはなかった。
まるで何事もなかったように平然とクラスメートの中に混じる日高、そんな日高に一人の生徒がこそっと呟いてきた。
「お前はどこのドジっ子ヒロインなんだよ・・・男がやって良いキャラじゃなくね?」
この男子生徒は佐々野木太一―――この秀院学園の生徒で唯一、日高が最強のゲーマー『ユート』だと知る人物である。
といっても日高は別に自分がゲーマーだということを隠してるつもりはないが、ゲームでの実績をひけらかして自慢するタイプでない上に、それ以外の行動が目立ちすぎているせいでクラスの中ではゲーマーというより変人扱いされている。
ちなみに日高とは幼稚園からの古い仲である。
「杉下先生は男女関係なく甘えられるのが弱いんだよ。それに俺の普段の態度とのギャップ差で効果は倍以上だ。このイベントで杉下先生の親愛度80は上昇したな」
「さ、さすが夕人・・・先生相手にもギャルゲ脳かよ・・・」
呆れる佐々野木だったが驚いた様子は特に無い。むしろ『夕人らしい』と納得すらしていた。
そう、日高夕人にとっては現実世界も一種のゲームとして認識している。
わざわざ成績を赤点ギリギリにキープするのも、親愛度上げイベントに勤しむのも、「その方が楽しいから」という至極簡潔で単純な理由だ。彼にとってゲームは日常に溢れるものであり、攻略の対象化なのだ。
「でもお前、今月からソフトボールってよく分かったな?前の授業いなかったから知らねーはずだろ?」
ふと思った疑問をぶつける。確かに一週間前からオールジャンル、ゲーム世界一決定戦の為にアメリカにいた日高は前の授業に参加していない。事前に授業内容をクラスの誰かから聞いたのかもしれないが、それなら一番最初に佐々野木のところに連絡が行くはずだ。もちろん、佐々野木にはそんな連絡など来ていない。
佐々野木の質問に対して日高は少し苦笑いを浮かべながら答える。
「あ~・・・ま、ラッキーだったな」
「まぐれかよ!運のいいヤツだな・・・」
意外な返答に佐々野木も驚くが、同時に最強のゲーマーには運の強さも必要不可欠なのだろうと同時に納得もし、それ以上その話題には触れなかった。
しかし、そういう日高だったが、運動場へ向かったのは決して運任せではない。十分な可能性と確証があったからこその行動だったのだ。
日高夕人が最強のゲーマーとして生涯無敗記録を刻み続けることができるのは類い稀なるゲームセンスだけのおかげではない―――日高の、『ユート』の真の意味での強さの理由は、常軌を逸した遠さと正確さを誇る『先を読む力』なのである。
あらゆるゲームにおいて、プレイヤーの技術ではどうにもできない、『運の要素』が必ず存在する。
例えばある有名な落ち物パズルゲームでは、次に落ちてくるブロックを表示してくれるが、その数は大抵一つか二つ―――つまりそれより先のブロックは何が来るのか分からないのである。それゆえに4マス棒状のブロックで一気に四段消せるようにブロックを積んでいても長い棒を待つあまりに積み上がってしまい、結果来る前にゲームオーバーになってしまう・・・なんて悲しい結末になった人は数知れないだろう。
4マス棒状ブロックが来るか来ないか、といったことに関しては、素人だろうとゲームの達人だろうとどうこうできる問題ではない。だからこの手のゲームのプロ達は、もちろん最高得点の四段消しを狙いはするが決して無理には積み上げない。どんな運ゲーでも確率の高い方を取っていく―――プロゲーマーは決してギャンブラーではない、アスリートなのだ。
しかし、最強のゲーマーである日高は違う。
彼は『絶対に負けないギャンブラー』なのである。
それを可能にしているのは、先程も話にあった『先を読む力』である。
先を読む力―――相手や周りなどから得られる情報を読み取ったり感じたりする、どちらかと言えば第六感的な、直感に重きを置いた能力だ。だが日高の持つそれは意味合いが全く異なる。
ゲーム内でランダムだと思われているものは、全て『乱数』と呼ばれる膨大な規則性のあるパターンによって処理されている。つまり厳密に言えばゲームにおいて『運の要素』は存在しないのだ―――が、あくまでそれは理論上での話。パターンがあると言えどその数は開発者達の努力のおかげで限りなく膨大だ。人の身であればまるで星の数ほどあるように感じ、それはまさしく『運の要素』だと思えるだろう。
だが、日高はその『乱数』ですら読んでしまう―――『先を読む力』によって。
それは彼が持つ『先を読む力』は直感的なものではなくて、超人的な超速暗算能力によって成り立っているからである。
もちろん、対人戦においては読心術などの観察能力も必要になるのでその能力も持ち合わせている日高は、ゲームをプレイしながらでもその中の情報から乱数のパターン、規則性を割り出し対応、順応し使いこなすことができるのだ。
ゲームにおいて最強と言っても過言ではないこの能力は現実でも十分過ぎる効果を発揮する。故に今回日高は遅刻からの夏休み補習を免れたわけだが、現実はゲームと違って乱数は存在しない。日高が佐々野木の質問に顔を引きつらせたのは、自分の予想ではソフトボールではなくサッカーだと思っていたからで、結果的には問題なかったとしても予想が外れたのが悔しかったのである。
そういう点では佐々野木の言う「運」も、日高は持ち合わせているのだろう。
さて、こっそりトイレでサボっていたところから帰ってきた日高に、一人の生徒がバットを持って駆け寄ってきた。
「いたいた日高!今満塁のチャンスなんだ、代打で出てくれよ!」
「えー・・・まぁ、3点でいいなら別にいいけど」
面倒臭そうにしながらもバットを受け取り打席に立つ日高。日高が出てきたということで相手のピッチャーも野球部に代わってプレイ再開。本気モードになった相手に対して日高は三球連続で見送ってボールカウント1‐2。しかし4球目の外のストレートを流し打ちした打球は見事に外野の頭を超え、走者一掃のツーベースヒットとなって宣言通り3点決めた。
「お前・・・、体力テストじゃ平均ちょい上ぐらいなのに、なんでスポーツ万能なんだよ・・・」
自分の打席の前に逆転されて唖然とする佐々野木の問いかけに対して日高は、
「俺は『ゲーム』じゃ誰にも負けないんだよ」
と絶対的な自信をもって、静かに笑って答えるのであった―――。
暗殺長でございます
不定期とは言いつつちょっと投稿が空いてしまいました。その分前二つよりは長めになっています
といっても話的にはまだまだプロローグ中のプロローグなのでまだまだです
せめて今年中にはゲーム編に入れると良いですね・・・(遠い目