第 8羽 鳥、は初遭遇する
眼下の雲海をじっと観察してみる。
……うん、やっぱりおかしいな。
雲が流れる気配がしない、まったく動かないのだ。
俺がここでスキル検証を始めてから結構な時間が経過している。にもかかわらず雲海を形成したままである。何の変化もないのはおかしい。
それにこの雲海、見渡す限りずっと続いているのだが……その全てが流動していない。スキルや魔法が存在する異世界だ。ひょっとしたらこの状態の雲が正常なのかも知れないが、そうではないだろう。
何というかあの雲……見ていて気分が悪くなるのだ。自分とは相容れないモノだと、嫌悪感を感じるのだ。
雲海はまるで世界に蓋をしているように感じられる。
何かから守るための蓋なら良いのだが、恐らくそうではない。害意による蓋で空を覆い、世界を閉じ込めている。そういった感覚を抱いてしまう。
異常だ。普通ではないと、確信できる。
鳥に生まれ変わり大空を飛び回れると喜んでいたが……この雲が存在する空を飛び回ったところで、良い気はしないな。これでは夢が叶ったとは言えない、酷く気に食わない。
……調べる必要があるな。
雲の近くまで飛んで行く。
うん、雲なのだが……魔力を感じる。しかもイヤな感じのする魔力だ。
雲から感じた嫌悪感の正体はこの魔力だな。当然食べるなんて手段はあり得ない。
まぁ炎熱属性か神聖属性の魔力しか食べられないようだから食べようとしても無理なんだろうけどな。この雲が炎熱属性や神聖属性とはとてもじゃないが思えない。なんというか神聖属性の対極に位置する魔力だと感じる。
さて、調べるといってもどうするか。
いきなり雲に突っ込んでみてもいいんだが、何があるか分からないしな。
……【烈風】でも使ってみるか。
【烈風】:
魔力を込めて風を発生させることで、風の勢いを強化することが可能になる。
込めた魔力量に応じて、より強力になっていく。
これで雲を吹き飛ばせるかやってみよう。
俺は滞空するために羽ばたき続けている。当然風が起こっている訳なのでそれに魔力を込めてみる。
ビュオオォォ!
おぉ、風が強くなった。成程、こんな感覚なのか。
風を操ることはできず勢いを強くするだけのようだが、充分だ。
風に押されるようにして少し雲が動いている……が、出力が足りないな。
更に魔力を込めてみる。
ゴオオオォォォ!
おお、いいぞっ、どんどんと雲が押されていく!
……結構厚いな、なかなか雲の下が見えてこない。
このまましばらく風を叩き付ける。
……お、下の景色が薄っすらと見えてきた。
ラストスパートだ、更に魔力を込める。
……よしっ、成功だ! 雲に直径5m程の穴を開けることができたぞ。
しかし、早速雲の下を確認してみようと送風を停止して目を凝らした瞬間、
――なっ!?
開いた穴を雲が一瞬で塞いでしまった。
くそっ、普通の雲じゃないと分かっていたが厄介な性質を……っ。
もう一度穴を開けてみるが、送風を停止すると先程と同じように穴を塞いでしまう。
……ならば焼いてみるか。
【紅炎】を発動、巨大な炎玉を撃ち込む。
炎玉は雲を焼き、下まで突き抜けたが――……ダメか。穴は塞がれてしまう。
ならば【蒼炎】で雲に含まれる魔力を"対象に指定"する。
しかし結果は変わらなかった。
あの嫌な魔力が原因かと思ったのでそれを燃やしてやろうとしたのだが……。
【聖炎】を使うか。
切り札として使っていこうと考えていたのに、いきなり出番がやってきたな……。しかも相手は雲か。……まぁいい。
対象指定はしなくていいだろう。俺と同等の大きさの炎玉を撃ち込む。
当然の如く雲を貫通した銀の炎玉。炎玉の直径の数倍の大きさの穴が開いたのは流石だな。
――お、穴の再生が明らかに遅い。……といっても一瞬での再生が十秒単位での再生速度になっただけで再生自体は止められていないか。
【聖炎】の最大出力で辺り一帯の雲を吹き飛ばせばどうか? とも考えたが、再生自体を止められないなら魔力の無駄遣いだろう。雲海は見える限り続いているのだ、吹き飛ばすなら辺り一帯程度ではなく、それこそ視界に収まっている空を全て焼き払うぐらいのことをしなければただのイタチごっこになる可能性が高い、そして今の俺にそんな力は無い。聖炎は燃費が悪いからな……。
情報が足りないな。今の俺一人でどうにかするのは難しそうだ。
となると……雲の下へと情報を集めに行くべきか。
この世界に生物が俺だけということもないだろう、何らかの知的生命体が存在する可能性はあると思う。
話、というか意思の疎通が可能な生物と接触して情報を得ることを目的として行動する、の方針でいこうか。正直ずっと一人で過ごすのは寂しくなってきたところだったんだ。親鳥が戻って来る気配は微塵も無いしな。
ぼっちからの脱出と情報収集、そしてその過程で空を飛び回る、の一石三鳥作戦だ。
一先ずこの山の周辺を見て回ってみようか。食糧等は遠出しなければ問題無い、此処へ戻ってくれば食べ放題だからな。
そうと決まれば早速出発するか? 【天空】があれば疲労して戻って来れなくなる心配はなさそうだしな。
よし、いっちょ行ってみるか。
この雲に素で飛び込むのは憚られるので、【蒼炎】で自分を球形に包み込む。
できれば聖炎で包み込みたいのだが、魔力消費が半端じゃないため、帰りのことを考えると蒼炎が最も適していると考えた。
さて、出発――これじゃ前が見えねぇわ。
まさかこんな罠があったとは……。どうにかして視界を確保できないか?
と思った途端、急に蒼炎の向こうが見えるようになった。
蒼炎が消えたわけじゃない、『向こう側が見えるように』イメージしたわけでもない。これは……【真眼】の視覚妨害無効の効果か。
ふむ、これは考え方次第で面白い使い方ができそうだな。
……これなら雲の下も見えるんじゃないか?
雲が邪魔だと念じてみる……ダメか。
見えないということはこの雲が、
『このスキルよりも上位ランクのスキルによる妨害は無効化できない。』
に該当するということなのか? もしそうだとすればやはり素で突っ込むのは止めておいた方が無難だな。まあ関係ないかも知れないが。
うーむ、考えれば考える程疑問が増えていくな。深刻な情報不足だ。
これ以上は考えても始まらないな、さっさと出発しよう。
蒼炎を纏い、眼下の雲に向かって突貫する。
蒼炎が周囲の雲を焼失させながら雲の中を一直線に進み――
――よし、抜けた。
蒼炎を解除して、雲の下の光景を確認しようと周囲を見回した。
…………何だ……これは……?
暗く……黒い。
真っ先に受けた印象がそれだった。
頭上の雲海のせいだろう、真昼間にも係わらず陽光が殆ど届いていない。
漆黒に染まっている。昼だと言われて信じる者はいないだろう。俺は【真眼】の効果で暗い所でも目が見えているらしいが、【真眼】が無ければ何も見えないだろう暗さだ。
そして、山の上部が黒く染まっている。あの黒いモノは…………雪……なの、か?
暗いから雪が黒く見えているのではない、雪と思われるモノ自体の色が明らかに黒い。
周辺で山はこれ一つだ。ということは必然的にあの山は俺の部屋がある山だ。俺が降りてきた位置的に疑いようがない。
雲の上に突き出ている山肌は普通だったのだから、この黒い雪はあの雲が原因だと考えるべきだろう。
これは……こんな環境で、こんな世界で……生物が生きていけるのか?
仮に生きていけるとしても満足に暮らしていけるとは到底思えない。
どう考えても異常だ。これでは知的生命体を探すのは――
――そうだ、確か持っているスキルに【生命感知】と【魔力感知】があった。このスキルで生命体を探せるかもしれない。早速使ってみよう。
……ん? これは、スキルが反応しているのか?
方角は……俺の後方――
――ドシュッッ!
「ピイイイッ!」(ぐあああぁッ!)
がああッ!! くそッ! 腹が、痛ってぇッ! なんだっ、なにが起こった!?
――後ろかッ! 後ろから、攻撃されたんだっ!
経験したことのない激痛が俺の行動を阻害してくるが、なんとか背後を振り返ることに成功する。そしてその先に、そいつは居た。
とてつもなく巨大な……漆黒の蛇。
俺がこの世界で初めて出会った存在は――俺の敵だった。