第22羽 鳥、の体がバイブレーション
「――ですので報酬は……ひゃ、1926000マタ。依頼達成回数はプラス……は、85回分となります。今回でランクⅠでの依頼達成回数が50回を越えましたので、解放者ランクがⅡにランクアップとなります。……お、おめでとうございます」
俺とは初対面の受付嬢さんが頬を引き攣らせている。
一箱でもあれだったのに、今回は二箱分の報酬だからな。その反応も分からなくはない。凄い事なんだろう。だが……
「……どうも」
受付嬢さんの祝辞に応えた俺の声は、どんよりと沈んでいる。今の俺の目は……死んでいるんじゃないだろうか。
「……え? そ、それだけですか?」
「……何か?」
「……い、いえ……。で、では、ギルドの預金制度を利用なさいますか?」
彼女は俺が「ええっ、192万!?」とか「俺もうランクⅡに上がったの!?」などと反応するんじゃないかと想定していたのだろうが、今の俺にそんなテンションを求められても困るのだ。なぜならば……重傷を負っているのでね。精神に。
あの狂撃によって負った心の傷は、【超回復】さんですら未だその効果及ばず。
まったく……何が「ちょっ、いきなり!? トリーノってば大胆過ぎっ!」「浄化係の私もビックリの真っ向勝負です!」だよ……。真向にもほどがあるだろ。大胆ってレベルじゃねーよ。眼球を部屋に飾りたいだなんて狂気を聞いてどうしてその程度の感想で済むのか理解不明だっつーの。
心の有り様に影響を受けたのか、全身に疲労感が蔓延していて非常に気怠い。その為考えるのも面倒になっている俺は、報酬を全部預ける旨を受付嬢さんに伝えてから、のそりのそりと足を引きずるようにしてギルドの正面扉へと向かう。
「まだ昼にもなっていないのに…………疲れた」
あの後、猟奇的発言をしたトリーノさんが首から上を真紅に染めながら俯き、黙ってしまったので、俺は「ハハハ、それは光栄です」などと棒読みしてから諸々の手続きを迅速に済ませ、保管庫から退出……いや、逃走したのだ。俺が浄化した二箱の魔石の数は事前に数えていたらしく、依頼達成の証明書を貰うだけで済んだのは幸いだった。あの場に長時間留まれるほど俺のスピリットは強靭ではないんでね。
しかしまさかトリーノさんがあの時の[魔装・蒼天]を目にしていたとはな。しかもその影響で蒼色が好きになったっぽいし。俺が浄化している時に目元付近に感じていたトリーノさんからの視線は、俺の蒼い瞳を凝視していたものだったんだろう。
……俺の目を見ながら、眼球を抉りたいとでも考えていたのだろうか? ……そういえば、最初に会った時も俺の目を見て数秒ほど惚けていたな。もしかしたらあの時から既に…………おっと、体がバイブレーション。
「はぁ……聖炎どころか、蒼炎も気軽に使えなくなったな……。もしも、トリーノさんの目の前で使おうものなら…………嗚呼、止めとこう、鬱になりそうだ……」
フードを深く被り、ブツブツと呟きながらのろのろと歩いている今の俺は、間違いなく近寄りたくない奴ランキングに名を連ねているだろう。
そのせいか、まともな服装をしているにも関わらず、昨日と同様に皆が道を開けてくれる。
すまないなお前達。トリーノさんの好みを探ろうとしただけでこうまで疲労するとは思ってなかったんだよ……。
しかしあれだ、お詫びの品については大丈夫だな。俺の精神力と引き換えになったが、トリーノさんは神鳥様グッズと蒼色が好みだと判明した。
なので、何か品物を購入してから蒼炎で蒼く染めてしまえばいい。それを贈れば喜んでくれるだろう。
聖炎の銀光についても興奮していたが、銀色は駄目だ。今度は俺の髪の毛を毟りたいとか言われたらストレスで死ぬ。心と頭皮が。もしも毟りを実行されたら毛根は二重の意味で逝く。
……この辺にしておこう、本気で鬱になりそうだ。
さて、そろそろ気を取り直して贈り物を買いに行…………けないですね。手持ちのお金が無いので。
あー、引き出すのを忘れていたな。それにまだ訊いておきたいこともあったんだった。ちょっとボケっとし過ぎだぞ俺。
うーむ……受付から離れてしまったせいでもう一度並ばないといけなくなってしまったな。……面倒くさ。
と思った瞬間にタイミング良くジネットさんの受付が開いた。今なら誰も並んでいない。
あそこは質問も受け付けているはずだからちょうどいいか。ギルドと関係無い事だけどあの人の性格なら大丈夫だろ。
両腕をダランとさせ、亡者のようなのっそりとした歩みで自分のカウンターに向かって来る気持ち悪い奴。彼女の目にはそう映っているのだろう。俺に気付いたジネットさんの表情筋が一瞬だけピクついたのが見えたぞ。だが、俺がカウンターに到着する頃には覚悟を決めたのか、ジネットさんは愛想笑いにも似た営業スマイルを浮かべ、口を開いた。
「こんにちは、解放者ギルドへようこそ。本日はどのような――……クウヤさん?」
俺が少しフードを上げた事によって、一瞬で営業スマイルを忘れたジネットさんが紫色のお目々を軽く見張っている。
ふむふむ、一般人と化した俺に驚いているようだ。昨日、報酬を貰った時はあまりの金額に「は?」と俺が驚かされてしまったが、今回は逆の形になったな。何だかサプライズ返しが成功したみたいで気持ちイイ。――などと悦に浸っていると、あの時のジネットさんの腹立たしいドヤ顔が頭に思い浮かんできた。
……よし、昨日のお返しをしてやろう。
「どうも、本日はこのようなクウヤさんです」
本日はどのようなクウヤさん? と聞かれたんだからこう答える他あるまい。ドヤ顔でな。
すると、ジネットさんはその顔にあざとい愛想笑いを張り付け、
「イラッ……。昨日と比べて随分とアレですね、恐ろしく地味に退化しましたね。それに今の変態的な歩法、実に変態です」
などと応戦してきた。
どうやら俺のドヤ顔が大層お気に召さなかったらしい。昨日の貴女のドヤ顔を真似たつもりなんですけどね。
しかしまあ、変質者から一般人へと転職した俺に向かって退化と言い放つとは……。いいだろう、受けて立つ。
あざとい愛想笑いに対抗すべく、俺はジークの胡散臭い微笑で顔面を武装する。
「イラッ、って口に出す人を初めて見ました。いやはや、ジネットさんは相変わらずアレですね。それと貴女は間違っていますよ。これは退化ではなく進化と言うべきです」
「アレって何でしょうか、良く分かりません。というかその疲れた顔……寝不足ですか? それともやっぱり退化したんですか? 退化したんですか? そこの部分大事ですよ」
「アレってのは言動とか性格とかが普通じゃないアレな人って意味です。要するに貴女を象徴する単語の事ですね。それとこの顔は寝不足でも退化でもなく精神不足なだけです。つまり、俺の進化は疑いようの無い事実。そう確信しています。靴も履いてますし」
「つまりの前後が繋がっていませんね。クウヤさんの思考回路に異常が発生しているようです。それはつまり、退化したという事の証明。つまり、クウヤさんこそがアレな人ですね」
「前後が繋がってないうんぬんの言い回しはギッサンと同じですね。それはつまり、ジネットさんは禿頭筋肉さんと同じ思考回路であるという事の証明。つまり、正しくアレな人ですね」
「「……ふふふ…………」」
互いに微笑みながらお見合いをしている俺達。
ふむ………………俺は一体何をしているんだろうか?
ああ、なんて無駄な時間なんだ。こちらから折れよう。
「……あの、すいません、ちょっと訊きたい事がありまして」
俺が苦笑しながらそう言うと、ジネットさんは肩に掛かっていた自身の黄色い髪を手の甲でサッと払う。そして、愛想笑いから例の腹立たしいドヤ顔へと換装した。
「――ふっ、私の勝ちですね、なんと他愛無い。はい、何でしょうか?」
「ムカッ……。ちょっとギルドと関係ない事なんですけど大丈夫ですか?」
「ムカッ、って言う人を初めて見ました。今はクウヤさんしか並んでいませんし、いいですよ」
よし、許可が出たな。
なので、早速尋ねてみる。
「町の東側にある大きめの建物が何なのか教えて貰えませんか? 川の付近に建っていて、大勢の子供達が住んでいる所です」
強風によりシーツを流されてしまったあの施設っぽい場所の事だ。弱銀性シーツの故郷である。
まあ予想は付いているんだが、一応訊いておこうと思ってね。
――という軽い気持ちでの質問だったのだが、ジネットさんの表情が一気に曇ってしまった。
「……あの場所はですね…………孤児院です……」
……あそこには靴を履いていない子達も何人か居た。そういった子供達の少し貧しそうな身成からそうなんじゃないかと思っていたんだが……やはりそうだったか。
そして、そんな子供達に同情しているのだろう。俺と冗談を掛け合っていたジネットさんの声から明るさが失われており、少し伏せたその表情は、さっきまでの軽快な笑顔とはかけ離れている。
孤児院の話をするだけで、そこまで辛そうな表情にはなるとは思ってなかったよ……。
優しい心を持っている人なんだな……。
「……すみません、少し気になっただけで、そんな顔をさせるつもりは無かったんです。……ジネットさんは優しいですね」
軽く頭を下げたあと、俺はジネットさんの目を見つめながら、さっきと同じ胡散臭い表情で微笑みかける。
彼女には曇った顔は似合わない。できれば先程の笑顔に戻って欲しい。そう思ったからだ。
「……も、もうっ。急に何言ってるんですか。…………まったく」
最後の呟きと共に視線を斜めに外したジネットさんが、ふわふわの髪に何度も手櫛を入れている。その照れた表情は頬の赤みが三割増しであり、随分と可愛らしい。見様によれば、髪で自分の頬を隠そうとしているようにも見える。
……うん、笑顔にはならなかったけど、曇った顔を脱してくれて良かった。
そう思いながら、せっせと髪をすく彼女のキレイな手を目で追っていると、俺へと視線を戻したジネットさんが、
「……それで、訊きたい事というのはそれだけなんですか?」
と言いつつ、その表情を少しむくれさせた。
……照れ隠し、だな。
「はい、訊きたい事は以上です。ギルドとは関係無い事に答えてくれてありがとうございました。最後にお金の引き出しをお願いします」
今の俺の手持ちはゼロなんでね。さっきの受付で引き出しておくのを忘れていたんだよ。
「……そういう事ですか、分かりました。金額はどうします?」
おや? 何やらジネットさんが納得した様子を見せたんだが…………あー、そうか。孤児院の事を聞いた後にお金を引き出す、ってなると目的を推測するのは簡単だわな。ただ、今回の場合はシーツを弁償するって形だから、ジネットさんが思っているのとはちょっと違うと思うけどね。
さて、シーツ代と……今後の宿の宿泊費と……トリーノさんへのお詫びの品の購入資金だから……200000マタほど引き出せば大丈夫だろう。
その旨を告げて、俺はお金を受け取る。と、そんな俺を見つめていたジネットさんが、柔らかく微笑んだ。
「クウヤさんは……優しいですね」
一瞬、先程の仕返しのつもりか? とも思ったんだが、今の声にはそういった揶揄いの色を感じなかった。
やはり俺が孤児院に寄付でもすると受け取られたみたいだが、「飛ばされたシーツを拾ったのに返さなかった罪悪感があるので、新しいシーツをプレゼントするだけですよ」という真意を伝える訳にもいかない。まあ、別に誤解されたままでも良いだろう。
とはいえ……その生暖い視線とこのむず痒い空気は耐えがたいな。
「いえいえ、ジネットさんの優しさには敵いません。俺の報酬金額をわざわざ大声で周囲の人達にバラすくらいなんですから」
軽口の掛け合いに戻して空気を変えよう。という意図の発言だったのだが、しかし、ジネットさんはその紫色の瞳を驚きに見開き、
「――えッ!? …………あ、あの……あれは……その……」
などと、何やらバツが悪そうにしている。
あれ? さっきみたいに応戦してくると予想していたんだけど…………あー、これは失敗したな。皮肉が効き過ぎてしまったみたいだ。昨日の態度や先程のやり取りからこのくらいは大丈夫だろうと思ったんだが……。いや、そもそも、冗談でも人の失敗をあげつらう形になるのは駄目だろう、俺よ。
ジネットさんは何だか話しやすいので、友達気分になってしまっていたな。
「……すいません、ジネットさんの失敗を責めている訳ではないんです。ちょっとキツく言い過ぎてしまいましたね」
俺は申し訳なさいっぱいの表情で、しかし雰囲気が重くなり過ぎないように頭を浅く下げて謝罪する。
「……へ?」
だが、俺が謝罪した事が意外だったのか、ポカンとしているジネットさん。そしてその間の抜けた表情を数秒ほど晒した後、何かに気付いたように「……ぁ」と小さく呟いた。かと思えば、その顔を徐々にむくれさせながら、
「……そ、そうですよまったくっ。女性にはもう少し言葉を選んでくださいっ。やっぱり退化してるじゃないですかもうっ。…………ビックリさせないでくださいよまったく」
などと言いつつ、プイッと顔を背けてしまった。
だが、本気で怒っている訳ではないのだろう。厳しい口調では無かったからな。
どうやら許してくれたみたいだ。とはいえ、この微妙な空気も何か落ち着かない。
なので、言われた通り女性には言葉を選ぶ事にする。
「ではそうしますね。さっきのポカンとした抜けた顔や、そのむくれてぶーたれた表情もとても可愛らしいんですけど、俺はジネットさんの明る過ぎる笑顔が一番好きですよ。あと俺は退化してません」
「――なッ!?」
俺が賛辞の中にさりげなく、そして先程のようにキツくならないぐらいの毒を混ぜるテクニックを披露すると、横を向いていた顔をバッと勢いよく戻したジネットさんが再び両目を見開いた。そして口をパクパクさせている。と――
「――そっ、そそそそういうのは反則ですっ! 禁止ですっ! 犯罪ですッ!」
真っ赤なお顔で俺を睨み付けながら、ビシッ! ビシッ! と指を突き付けて来る。
ふむ……何やら照れているっぽい。どうやら口撃部分には気付いてくれなかったようだ。そうすると俺は彼女をただ褒めただけになってしまうのだが……なるほど、彼女は褒められる事に慣れていないようだな。弱点発見である。
そして……目立っているな。
「声が大きいです。注目を集めていますよ」
わざとらしいニヤケ顔をした俺の発言にハッとしたジネットさんが、サササッと周囲に視線を巡らせる。そしてそれが事実だと認識したからか、瞬時に営業スマイルを張り付け、
「……誰のせいですかっ」
と、小声で俺を非難してきた。
そんなの決まってる。
「声がデカい貴女のせいです」
「不意打ちしてくるクウヤさんのせいです」
「ふぅ、自分の非を認めないとは……。これほど悲しい事はありませんね……」
「やれやれ、自身の誤りを人のせいにするとは……。これほど愚劣な事はありませんね……」
「…………」
「…………」
お互いに微笑を湛え、引きはしない。
……よし、何とか元のノリに戻す事ができたな。
「それではこの辺で失礼しますね。ギッサンと同じ思考回路の人」
「またのご利用をお待ちしております。進化と退化を履き違えている人」
そう軽口を交わし、俺が受付から離れようとした時だった。
ギルドの入り口方面を見たジネットさんが突如として真剣な表情になり、
「――クウヤさん。フード取っちゃダメですよ」
などと囁いてきた。
俺は怪訝に思いつつも、首肯する事で返答する。彼女の声から冗談の色合いを感じなかったからだ。
なので、さり気無くフードを深く被り直した俺は、そっと振り返り、ジネットさんの視線の先に居た人物を確認する。
……燕尾服っぽいものを着用している50代ぐらいのオッサンだな。執事とかじゃないだろうか。となると……貴族などの権力者に関係した人物だと推測できるな。
フードを取るなよってのは「権力者に見つかると面倒に巻き込まれますよ」という忠告なんだろう。俺の頭は目立つらしいからな。さんきゅージネットさん。
――っと、あの人はどうやらここの受付に用があるみたいだな。俺の方へと向かって来ている。
さて、面倒は御免なのでさっさと退散しますか。
俺はジネットさんに軽く会釈してから、執事っぽいオッサンと入れ違うようにして受付を離れた。
ギルドを出た俺は、当初の予定通りシーツを一枚だけ買おうと思っていたのだが、ふと、孤児院の事を教えてくれた時のジネットさんの曇った表情が頭に浮かんできてしまった。
なので、そこそこ丈夫そうなシーツを五枚ほど購入してから、『服ならここだよ』への今日の分の顔見せついでに『靴ならここだよ』に寄り、子供用の靴を数足ほど購入した。ムスターさんは「今のところ問題ありません」とのこと。
その後、孤児院へと赴いた俺は、そこの院長さんだという壮年男性に「子供達に」と言って靴とシーツを贈呈した。
最初、子供達はフードを目深に被った怪しい人物を警戒の眼差しで遠巻きに眺めていたのだが、贈呈品を目にするや否や態度が急変。めっちゃ喜び出した。
その様子を微笑まし気に見ていると、院長さんが感謝を伝えると共に俺の名前を尋ねてきたんだが、一度は言ってみたいと思っていたセリフ、「名乗るほどの者ではありません」を置き土産に孤児院を後にした。その時の俺は多分ハードボイルドっぽくて格好良かったはず。
さて、あとはトリーノさんへの詫びの品だな。




