閑話 エリス 3
……これは、一体……何が起こっているの……?
アーリィ様の傷が、凄まじい勢いで……塞がっていく……!?
空に突如として現れた、蒼き鳥。
あれは間違いなく、ノインさんだったと思います。
伝説にある神獣が如きその圧倒的な力を振るい、巨躯の鬼を滅した蒼炎の鳥。
その後、身体を散らす様にして周囲に撒いた蒼き火の粉。その中に一つ、不自然に地表へと向かう存在を確認した瞬間でした。
目を見張り、息を呑んだと思ったその直後、悲愴な表情を浮かべて弾かれた様に走り出してしまったアーリィ様。私の制止を強引に振り切って火の粉の墜落地点へと一直線に駆けて行ってしまったことから、『運命の絆』により、あの火の粉にノインさんの反応を感じたのだと思います。
そして、アーリィ様が向かった先には確かにノインさんがいたのですが……。
上空から闇の槍に強襲され、私は右脚を、アーリィ様は胸部を貫かれ、さらにもう一本の闇槍により、ノインさんも胸部に闇色の穴を穿たれました。
ノインさんがアーリィ様を庇ったことは……明らかでした。
傷痕には闇が纏わり付き、光魔法の[治癒]やポーションでは治療の効果が無く。
このまま邪結晶の近くに居ては危険だと判断した私は、飛べなくなったノインさんを抱いたアーリィ様ごと抱え上げ、避難を開始しました。
一歩進む度に傷口へと剣を抉り込まれたかの様な激痛が暴れましたが、そんなことは関係ありませんでした。アーリィ様を護ることだけが私の使命。痛みなど、捻じ伏せた。
しかし、三人共から流れ続ける大量の血液。蒸せかえる血の匂い。もはや誰のものかも分からない程に混じり合い、赤に染まった私達。そして、私が引きずる様にして地を踏みしめる音の中で時折聞こえる、アーリィ様の喀血音。
否が応にも突き付けられる、その現実。私はそれを振り払うように歯を食い縛り、防壁の光へと向かい進むことしかできませんでした。
そうしながらも、何とか邪結晶と防壁の中間地点近くまで避難できた為、二人を地へと降ろし、私が旦那様方に助けを求めに行こうとした時でした。アーリィ様がノインさんを見て焦りの声を出したのです。
アーリィ様の言葉に反応してノインさんへと視線を向けると、なんとその体が少しずつ崩れていっていました。足の先から徐々に、灰のような粒子へと、まるで世界に溶けていくかの様に。
その光景を見て、否定の大声を上げ、その反動で大量の血液を吐いたアーリィ様。
その瞬間、私は全身から血の気が引き、途轍もない恐怖と戦慄と共に、記憶を激しく殴打されたかの様な錯覚に襲われました。
まるで……四年前のあの時と同じ光景だったから。
逝ってしまわれる直前に、必死な表情で、私にアーリィ様のことを頼むとおっしゃられた、その時の光景と……。
ディーナ様。
四年前、討伐隊の補佐として参加していた私達を守護者の攻撃から護ったことで致命傷を受け、斃れてしまわれたアーリィ様の優しき姉君。
私達を庇う為、捨て身で守護者へと攻撃を加えたその代償に……。
ディーナ様の訃報を聞き、泣き崩れてしまったアーリィ様。笑顔を失ってしまったアーリィ様。
あの時から、私はアーリィ様に一生を捧げると誓いました。ディーナ様に助けて頂いたこの命を、ディーナ様が最も大切に想っていたその妹君、アーリィ様の為に使うと。絶対に護ると。守り切ってみせると。
――にも拘わらず、この体たらく……!
アーリィ様は胸部に闇色へと染まった穴を穿たれ、私はそれを治療することもできない。
ノインさんに頼むと言われていたのに、そのノインさんがアーリィ様を庇って重傷を負い、傷口から流れ出た二人の血液でその綺麗な銀を赤に染め、今にも死んでしまいそうになっている。
そして、そのノインさんを助けることもできない私。
余りにも、不甲斐ない……。
悔しくて、惨めで、心の底から情けなくて……無力感で涙を零したのは、四年振りです……。
アーリィ様とノインさんは自分のことなど二の次で、互いを見つめ合って名を呼び続けていました。私が何度制止しても、血を吐きながらでも、呼び掛けを止めることはありませんでした。
ノインさんはもう……言葉を、話せなくなっている様でした……。
そして、アーリィ様の呼吸音が止まる寸前に……ノインさんが世界から消えてしまった。
ノインさんを抱えていたアーリィ様の腕がパタリと音を立てるのと、アーリィ様が、目を閉じて動かなくなったのは同時。
絶望という言葉の意味を無理矢理にでも理解させられるその光景に、目の前の現実に、……私は、頭が……おかしく、なりそうでした……っ。
残ったのは、ノインさんの身体が分解されるようにしてできた、灰の様な粒子。
ノインさんは仰向けに横たわっているアーリィ様に抱えられていましたので、その灰はアーリィ様の体の上に積もる様にして残りました。しかし、直後に吹いた風によって全て飛ばされてしまったその粒子。
けれど、灰が飛ばされた後のアーリィ様の体の上には、ノインさんが大事にしていた髪飾りと、見たことがない一つの腕輪の様な物、そして、銀色と紅色に染まった一本の羽根が残されていたのです。
ノインさんの……遺品。
そして、私がそう認識した次の瞬間、異変が起こりました。
突如として、アーリィ様の傷が塞がり始めたのです。
傷痕に纏わり付いていたその闇黒が払われ、胸部に開いた穴は見る間に塞がっていき、大量の出血により蒼白となっていた顔色に、赤みが差し始めたのです。
――助かる。アーリィ様は……死なずに済むっ。
なぜかは分からない、けれどもそう理解できました。
もしかして……貴方なのですか? ノインさん……。
~~
「……っ」
あれからしばらくして、アーリィ様の口から微かな声が漏れました。
傷は完全に塞がっており、先程まで生死の境を彷徨っていたとは到底思えない状態にまで回復しています。
そして、アーリィ様がその両目を開いた瞬間、私の体は動いていました。
「アーリィ様っ、……良かった……っ」
思わず抱き締めてしまいましたが仕方ありません。
……温かい、生きている、鼓動が伝わってくる。
それを確かに感じられて、今度は、喜びの涙が溢れてきました。
「……エリ、ス……?」
呆然と、私の名を呼んだアーリィ様。
恐らく現状が理解できていないのでしょう、周囲を確認するようにゆっくりと視線を動かしています。
――チャリッ。カランッ。
アーリィ様が上体を傾けたことで、その体の上に乗っていたノインさんの遺品――髪飾りと腕輪が地面へと落下して二つの金属音を立て、それから一泊おいて、音もなく地面へと到達した一本の羽根。
それらの音に反応し、視線を向けたアーリィ様。
「――え? ……これ……は…………」
恐る恐る、手を伸ばしたアーリィ様。
しかし、その手が髪飾りへと触れる直前、何かに気付いたようにハッと息を呑みました。
「っ、――傷が!? ……ノイン、ノインは?!」
髪飾りと羽根がノインさんの物だと気付いたことで、先程までの記憶が呼び起されたのでしょう。自分の胸部を見て傷が塞がっている事に気付いた後、ならばノインさんは何処に居るのかと私に詰め寄ったアーリィ様。
その必死さと懇願に満ちた表情に……心が、締め付けられます……。
私は、その問いに……アーリィ様の望む答えを返す事は……
「…………」
「っ! ……エリスッ! ノインは何処?! あの子は何処ッ?! ……どこなのッ!!」
意識を失う直前の光景と、今の私の反応でアーリィ様自身も気付いてしまわれたのでしょう……。
それでも、頼むから無事だと言ってくれと言わんばかりに、悲痛な、悲愴な叫びを上げました。
……御免なさい、アーリィ……。
「……アーリィ様、ノインさんは……もう、死――」
「そんなことないっ! そんなはずないっ! そんなことあるわけないッ!! ノインは私の従魔なんだよ!? あの子が私を置いて――……そうだ、『運命の絆』!」
私の言葉の続きを、振り払う様な叫びで否定したアーリィ様。
そして、あの森で、ノインさんがアーリィ様を置いて飛び出した時のことを思いだしたのでしょう。『運命の絆』での感知を開始されたようです。
でもアーリィ様、それは……。
……その予想通り、ゆっくりと、その表情を愕然とさせていきました。
「……違う……違う……そんなわけない、そんなわけない……っ」
両目を剥き、頭を抱え、震える声で否定を口にしたアーリィ様。
……認められないのは分かります。でも……
「そうだっ、ステータスッ!」
何かを思い出したようにステータスを開かれたアーリィ様。
恐らくは、契約項目だと思います。でも、それも……
「……そん、な……。何で……何で…………無い、の……?」
やはり、契約は解除されているようです……。
私はノインさんが完全に消えてしまう瞬間を目撃していました。しかし、あの時には既にアーリィ様の意識は無かったはずです。つまり、ノインさんが消えた事実をその目にしていません。
だから信じられない、信じたくなんてないのでしょう……。
「私は……ノインのご主人で、ノインは私の従魔で……契約して、二人、ずっと一緒にって……。だからここには……契約の印が、あるはずなのに……。私と、あの子の繋がりが……あるはず、なのに。…………何、で……何で、何でっ、何でッ、……――なんでえッッ!」
頭を抱え、涙を零しながら発したそれは、……慟哭にも似た叫びでした。
余りにも……余りにも悲惨で、痛ましいその様子に、……私も、涙が止まりません。掛ける言葉が、見つかりません……。
「アーリィ、様……」
「なんで私だけっ! ……――うっ……グスッ……だって、だって……うぐっ、……嫌だ……いやだよぉ……こんなの、違う……っ、……ひぐっ、……うぅ……ノインっ……」
現実の理不尽さへの怒りから、悲しみへと感情が移ったのでしょう。落ちていた羽根を拾い、抱き締める様にして蹲ってしまいました。
そんなアーリィ様の傍には、髪飾りと腕輪らしきものが寂しげに。
ノインさんの物です、いつまでも地に落としておく訳にはいきません。
そう思った私が、それを拾おうと屈み込んだ時でした。
急激に目の前が白く染まり、全身の力が抜け、倒れ込んでしまいました。
「っ! エリスッ!?」
どうやら、血を流し過ぎたようです。闇槍に貫かれ、闇に染まった右脚の傷口からの出血は、未だ一向に止まる気配がありません。[治癒]も効果がないので、このままでは出血多量で危ない、ですね……。
「そんな!? エリスまで……まって、いやだっ!」
私の容態を見て、もう危ないと理解したのでしょう。
倒れた私を覗き込む様にしていたので、零れた涙が私の頬へと掛かりました。
「いやだ、いやだ……まって、やめてッ! ……なんでっ……もう、いやだよぉ……!」
私はアーリィの頬に手を伸ばそうと……したのですが、思う様に動きませんね。
それでも、僅かですが、なんとか動かすことに成功すると、指先に何かが触れました。
……ああ、先程拾おうとしていた髪飾りでしたか。
私はそのまま何となく、髪飾りを握りました。と、次の瞬間――
「――え? ……かい、ふく……してる……?」
涙が滴る両目を見張り、そう呟いたアーリィ様。
何を? と思ったのですが……何か変です。先程よりも意識が鮮明になり、身体に力が戻ってきました。
……何が起きているのですか?
そうしている間にもどんどんと体調が良くなっていき、遂には脚の傷が塞がってしまいました。傷口周辺の闇も綺麗に払われており、もう痛みを感じません。
これではまるで……先程のアーリィ様と、同じ……。
「エリ、ス……? え、……大丈夫、なの……?」
ふと右手を見ると、先程握り込んだ髪飾り。
……この髪飾りを手に取った瞬間から、回復が始まった?
アーリィ様の時も確か、灰が飛ばされて、その中にあったノインさんの遺品がアーリィ様の体へと触れた瞬間から、回復が始まった気がします。
もしかして……この髪飾りが?
そう考えているうちに、容態が完全に回復してしまいました。
上体を起こし、自分の体を確認してみます。
……生命力も魔力も満ち溢れた感覚です、先程まで死に掛けていたとは思えません。それどころか……いえ、今はアーリィ様へと無事を伝えなければ。
「アーリィ様、ご心配をお掛けしました。どうやら、もう大丈夫のようです」
「え……さっきまで、傷が、……治った……? 何で……?」
平然とした私の言葉に、呆気にとられた表情のアーリィ様。
私は右の手の平にあるノインさんの髪飾りをアーリィ様に示しました。
「恐らくですが、この髪飾りだと思います」
「……ノインの、髪飾り……」
「はい。この髪飾りを手にした瞬間から痛みが引き、体が楽になり、傷が回復し始めたのです。先程、アーリィ様が瀕死に陥った時も、この髪飾りに体が触れた瞬間から傷が塞がり始めたように思います」
仮にそうだとして、この効果がノインさんに発揮されなかった理由は分かりません。
ですが恐らく、この推測は間違ってはいないと思います。
私の言葉を聞き、髪飾りを呆然と見つめ続けているアーリィ様。
「……ノインの髪飾りが、私を……エリスを……助けてくれた……?」
「はい」
「ノインが、助けて……くれた? ……ノイン、が…………――うっ……うぅ……」
アーリィ様……。
「ノインは……今日が…………誕生日、だったん、だよ? ……うぐっ……今日、1歳になったばかりっ、なのに……何で…………ぐすっ、……プレゼントッ……するって、約束した……のにっ……!」
そう、でしたね……。
まだ、1歳だったんですよね……ノインさん……。
「いやだ……いやだよノイン…………うっ、……うぅ…………」
ノインさん、私達のご主人様が悲しんでいます……。
私と一緒にご主人様を支えるって誓ったじゃないですか。だったら……今、慰めなきゃダメじゃないですか……。
私の、同志なんでしょう……。
「うっ……く、……ッ……」
響いた嗚咽は、アーリィ様のものか……私のものか……。
これで第2章は終了となります。
申し訳ありませんが、ストックが無くなりましたので今後の更新は不定期となりそうです。
ご了承くださいませ。




