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小説とか創作とか

文章と音について

作者:神崎 創
 以下、私が小説というものを書き始めて以来ずっと、執筆の際に必ず気にしていることです。
 人それぞれの感じ方に委ねられる事柄ですから、これが正しいとか鉄則とか、そう述べるつもりは毛頭ありません。間違ってはいないだろうな、と個人的には思っていますけれども。


 人は小説ないし文章を読むとき、音読であれ黙読であれ、目で文章を追って脳内でその文章を反芻して意味を汲み取り理解に努めていく、という作業を続けているといえましょう。絶対とはいえませんけれども、多くの場合がそうでないかなという気がします。
 一読してみて「読みやすい」「読みにくい」、あるいは自分に「合う」「合わない」と感じることがあるのではないでしょうか。
 なぜ読んだ文章と自分の感覚との一致または不一致を感じるのか。
 これには色々な理由が存在します。
 私は言語学も心理学も、はたまた脳医学にもまったく不縁ですから、学術的な観点からその理由を申し上げることはできません。
 ただ、一介の素人物書きとして自分なりに考え、執筆にあたってはその解消(=読みにくさをできるだけ排する)に努めてきたつもりではあります。それを述べるのがこの稿の目的です。
 私個人の、読んだ文章に対して読みやすさ、読みにくさを判断するための基準というものは

 ア) 一文ごとの長短とそのバランス
 イ) 文章を構成している言葉、単語の音(響き)

 おおまかにいえば、上記二点に集約されます。
 ほかにも原稿ルールに則るとか難しい単語や用語を濫用しない、といったことも挙げられますが、その点を深追いするとこの稿の主旨からやや逸れてしまうのでここでは割愛します。
 さて「読む」という行為について。
 音読にせよ黙読にせよ、読むということは「目で文章を追って脳内で反芻していること」だと先述しました。サウンドノベルみたいなものもあるかも知れませんが、音で聞くのと目で追うのとは別のことだと考えますので、それはおいておきましょう。
 読み手各自の習慣や習性によって意識、無意識という相違はあるにせよ、目で取り込んだ文章は脳内で「読み上げられ」ている、と思います。
 読むという行為に付随してくるのが「音」あるいは「響き」です。
 この音、響きが個人の感覚(感性)とマッチしてくるか否か、これが読みやすさ、読みにくさの分岐点たりうる重要なファクターだと考えるのですね。
 例えば

 太郎は封筒を開けた。
 太郎はその封筒の中から手紙を取り出した。
 太郎は手紙を読んだ。
 太郎は手紙を読み終えてから思った。
 花子も色々と大変だったろう。本当に、大変だったろう。

 こんな文章があったとします。
 読みやすい、読みにくいという感じ方は人それぞれだと思います。
 上記例文、まず「太郎は」で始まる文頭が四文にわたって連発していますね。最後の一文こそ「花子も」という出だしですが、そのあとで「大変だったろう」というふうに「たろう」が連続している。わずか五文の中に「たろう」が六回繰り返されています。
 そして「封筒」「手紙」という言葉も頻出しているうえ、お気付きの方もいるでしょうが、過去形で結ばれている文章(~た。~だ。)が続いています。
 あくまでも個人的な意見ですが、これは非常に「読みにくい」と感じます。
 なぜなら、連続した短文の中で同じ単語が繰り返されることによって、ある種のくどさをおぼえるのです。
 反復法、という技法がありますが、これは意図的に同じ表現を繰り返すことによって読み手により印象付けるという効果を期待するものです。上記例文は反復法とは呼べぬものですが、しかし同じ音の言葉が連続するために、読んでいても円滑さ、流暢さを感じられないのですね。
 同一の音が連続すると、強調されるにも似た効果によって、読み手に一種のストレスを与えかねない、ということがいえそうです。ストレスを感じる、つまり「読みにくい」ということになりはしないでしょうか。
 人は結局、文章を脳内で「音」に変換します。
 それゆえに、文章が奏でる「音」に注意を払いながら、小説を書くのです。
 具体的には、連続する文章中に同じ単語を含ませないように注意しつつ、執筆しています。
 以前、とある作者様とその点について論じたことがありますが

「結局は、作者の語彙が豊富でなければならないということですよね」

 と、その方は仰っていました。
 間違ってはいませんし、語彙が豊富であるに越したことはないでしょう。 
 ですが、語彙が豊富でなければならない、という見解は行き過ぎなように思います。
 小説における最近の議論でよく取り沙汰されていますが「語彙の多さ=良作の条件」ではない、と私個人は考えます。言葉数が多くても、それを適切に活用できなければ作品のクオリティには反映されないのです。
 語彙の議論はさておき、同じ音(言葉)を繰り返さないようにするテクニックというのは、そう難しいことではありません。

 ・固有名詞、名詞の場合、その後の文章では代名詞や指示語に置き換える。
  (太郎なら彼、物ならこれ、それ、など)
 ・連続する文章において動作の主体が同じであれば、後続する文章の主語を省略する。
  例)花子はすっと身構えた。
    次の瞬間、大地を蹴って駆け出した。
    ※次の瞬間、花子は大地を蹴って駆け出した。
     と読み比べてみると、わかりやすいかもしれません。

 二点目について補足しますと、文章の組み立て方にもよりますが、主語のみならず重複する言葉をあえて省略できる場合はあるかと思います。
 このように、文章中から余分な「音(=言葉)」を取り除いていくことで、文章の響きを改善できると私は考えています。


 ただし「音」にまつわる要素として、もう一つ重要なものがあります。
 私は「調子」といいますが、古風な表現をとれば「節」というのでしょうか。現代では「テンポ」と表現したほうがわかりやすいかもしれません。ですがこの「テンポ」という言葉、物書きさん達の間では「展開の緩急」を指して使われることがあります。ここでは「調子」とほぼ同義で用いさせていただきます。
 これは一定に保たれたほうがいいのか、あるいはある程度長短を散らしたほうが望ましいのか。
 読み手によって異なる、ということがいえそうですが、私個人としては後者をとるものであります。したがって、文章の長短を適度に織り交ぜたりします。

 アイネは両刃剣のほうが断然いい、むしろ片刃剣などは無用の長物でしかないと言い張るのだが、ティールは必ずしもそうとは言い切れまい、と思う。両刃剣は左右どちらに振り抜いても敵を斬れるし、場合によっては片側が刃こぼれしたらもう片方を使えばいいわけで、その点使い勝手もよければ長持ちもするという利点はある。しかし、だからといって片刃剣が劣るということにはならず、刀身の片側が厚いために却って強度があり、使い手が誤って自分を傷つけてしまうという危険も少ない。要は、使う者の好みと技量の問題ではないかという気がするのだ。

 こんなファンタジーっぽい文章があったとしましょう。
 四文からなっていますが、一文一文がやや長いという印象を受けないでしょうか?
 一文が長い、ということは、読み手を息切れさせてしまいかねません。息切れというのは、一息で読み切ることが出来ない、つまり反芻という行為を余計に要求することになります。それでは「読みにくい」と思わせることにつながってしまいます。
 そこで、文章を区切ったり改行を交えたりして、調子を変えてみましょう。

 アイネは両刃剣のほうが断然いい、むしろ片刃剣などは無用の長物でしかない、と言い張る。
 それも一理あるのだが、必ずしもそうとは言い切れまい、とティールは思う。
 確かに、両刃剣は左右どちらに振り抜いても敵を斬れるし、場合によっては片側が刃こぼれしたらもう片方を使えばいい。つまり、使い勝手もよければ長持ちもするという利点はある。
 しかし。
 だからといって片刃剣が劣るということにはならない。刀身の片側が厚いために却って強度があり、使い手が誤って自分を傷つけてしまうという危険も少ない。
 要は、使う者の好みと技量の問題ではないかという気がするのだ。

 文章を分割したために八文になっています。倍ですね。
 内容は同じなのですが、読み比べてみると調子が違って伝わってこないでしょうか。
 前者と後者、どちらが好ましいかはあくまでも読み手の判断ですが、読みやすさを考慮している、という点では私は後者を支持します。改行を効果的に用いることによってコンテンツの整理をはかることもできますし、一息で把握しきれる文章量は極力短めにするに越したことはないと考えます。
 長さの異なる文章を取り混ぜるのは、読むテンポを単調にさせないための工夫です。短文ばかり連続させると素っ気ない印象を与えますし、逆に長文を続けると読み手に負担を強いてしまいます。どちらにせよ、読みやすいとはいえないでしょう。
 例外はあります。
 展開の早いシーン、特に戦ったりするような場面ではあえて短切な文章を連続させます。そのほうが、スピード感が出るからです。冗漫に文章を長くしてしまうと、せっかくのシーンが間延びしたようになってしまいがちです。


 歌や曲に好き嫌いがあるように、文章の好き嫌いを決定づける要因は内容のほかに「音(響き)」そして音がもたらす「調子(テンポ)」が深くかかわっていると思うのです。
 もちろん、先述した反復法のように、あえて繰り返すことで読み手にいっそう印象付けるという技法も必要でしょう。また、いたずらに短切にせず、一文で述べてしまったほうがいい場合があることも事実です。ですから、これがいい、ということは一概にはいえません。
 ただ、さる高名な研究者が「どんなに長くても一文五十字、一段落二百字が限度」と述べていますが、これは言い換えれば長すぎは適切ではない、という意味に解せましょう。
 響きの美しい文章は、読み手をひきつけるものです。
 その点から、私はこれからも「音」に気を付けつつ小説を書いていきたいと思っています。

 お目通しくださりありがとうございました。

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