第7話 新人研修会
大神高等学校の山岳部は毎年四月の終わりに【新人戦】に参加している。これは鳥取県の高校の全てが参加する大会である。
しかし、大会と言ってもその実態は【交流会】や【訓練】といった意味合いが大きい。
というのも、四月の終わりであるこの時期は気温も上がり始め、山の雪はかなり融けている。それでも高地となればまだまだ雪が残っており、この時期の溶け残りの雪は雪上訓練を行うのにちょうどいいのだ。
本格的な雪の時期である十二月から二月にかけては積雪が多く、三月はまだまだ山の気温が低いため厳しい。麓並みの春がやっと山に届く四月の時期がちょうどいいのである。
それに、四月の終わりといえば新しく高校に入学した新入生が本格的に所属する部活を決める時期。新しく入部した山岳部員に、山の厳しさと山岳部としての心構えを教え込むには、この時期の雪上訓練はまさにベストタイミングでもあるのだ。
大神高等学校の面々も、当然その意を汲んでこの訓練に臨んでいた。
もちろん、部に入って最初の登山が厳しい雪山――かなり雪は溶けているが――ということで、尻込みして去っていく部員も毎年いる。だが、それを耐え抜ける新入部員たちは心身ともに大したものだと言えるのだ。
この新人戦は、今後の山岳部の活動に耐えられるか篩にかける場なのだ。
「んじゃ、まずは雪を均してテントを建てるぞー」
新入部員を率いている男子生徒の名は穂田龍星。去年度に一つ上の先輩がいなかったことから、二年生である彼が現在の部長として部を率いている。
新しく入った一年生たちは穂田の指示に従い、ピッケルや足でテントを建てる予定の場所を均していく。
テント設営では場所の選定がかなり重要だ。山の夜は何が起こるか分からない。突然の突風や、土砂降りにより地盤が脆くなる。雪上なら、スノーブリッジ――雪が固まって形成された天然の橋。下が激流となっていることもありうっかり踏み抜くとかなり危険――や雪崩の発生。その他諸々……。
それらに巻き込まれないように、周囲の状況をよく確認して場所を選ぶ必要がある。
テントの地盤固めも、朝起きたら陥没していた……などということにならぬようしっかり行う必要がある。さらに、急な天候変化にも対応できるようこれらを素早く。
今回はそういったことは最上級生の穂田に任される。新入生たちにとっては初めての山行であることが多く、当然だろう。
今年は男子四人、女子四人の部員が入ったため、穂田はその全員をまとめ、指示を出すことで心労が絶えなかった。
穂田の同級生にはもう一人、女子の部員がいる。校内では男女ともに人気の高い女子で、部員が一気に必要人数――登山の大会は一パーティ四人で行われる――入部してくれたのは、ひとえに彼女の人気ありきだった。
その女子――鹿目琴葉は、今日は来ていない。前日に風邪を拗らせたらしく休みだった。だから、女子部員の指導も穂田がほぼ一人で行っている。顧問の先生も当然指導に入るが、今は顧問会が行われており近くにいない。また、それが終われば先生自身のテントも張らねばならない。それまで、実質的指導役は穂田一人だ。
彼を補佐するはずだった、副部長になるはずだった男子は、もういない。
黙々と作業を続けながら、穂田はいなくなった親友を思い出す。
――悠治がいりゃぁ、もっと楽なんだけどな。
いなくなった者を思い出しても仕方ない。それが分かっているから、穂田は目の前の作業に従事する。
「先輩、このくらいでいいですか?」
「ん? あ、そうだな」
男子隊のテントの設営場所はきれいに均された。上から足で踏み固められ、五人が入るテントを乗せても問題ないだろう。
見れば、女子隊の方も均し作業は終わったようだった。
「よし、それじゃ先に女子隊の方のテントから建てようか。男子隊はやり方を見て、自分たちでやっていこうぜ」
また気が抜けてるな。そう感じた穂田は、あえて声を張り上げて、テント建ての作業を続けた。
穂田の指示に従いテントを建てる女子たちの動きは少し緩慢だった。
学校でも参考程度にとテント建てを行ってきた。だが、学校の硬い土の地面と雪の上ではテントのペグの使い方――どころかペグの種類すら違う。それにまだ経験も薄い。手順がたどたどしいのは当然。しかしそれを差し引いても、緩慢さが目に付く。
ここまでの行程では、別の高校の先生が先頭に立って隊を引っ張っていた。やたら歩行スピードが速いことで有名な先生だ。事実、穂田はその先生が訓練のためにわざと早くしていると語っていたのを盗み聞いていた。
無事幕営地に到着したことで、そこまでの疲れがどっと出たのだろうか。
しかし、この新人戦は二泊三日。今日はこの幕営地で休み、明日は軽荷を持って登り雪上訓練を昼を跨いで行う。このままでは、明日も耐えられるかどうかわからない。
――今日はしっかり飯を食わせて早めに就寝だな。気温がマイナスを下回るし、寝れるかどうかだけど……。
去年、一時間ほどしか寝れなかった経験を穂田は思い出し渋面を作る。
――ホント、悠治がいればもう少し楽できたのにな。
いや、とにかくやろう! 穂田は一人気合を入れなおし、テントがふきとばないよう竹で作ったペグを雪の中に埋めるのだった。
***
――なんか、いつになくだらしねぇな。穂田の奴……。
俺は斜面の上に登って人間たちの様子を――特に穂田の様子を眺めていた。
唐突に俺が居なくなって、山岳部の部員は穂田と鹿目の二人だけになっていた。来年度からどうなるかと心配であったが、どうやら八人もの部員が入部したようで一安心だ。
一安心……なのだが……。
――なんつーか、覇気っていうのかな? どーも穂田らしくねぇ。
穂田はいつも喧しい奴だった。俺のことを常に“タヌキ”と呼び捨て、くだらないことを声高にしゃべっていた奴だ。そして、クラス中からの制裁を喰らうがいつものながれ。
クラス――田舎高校だからか一学年一クラス――の馬鹿四天王の筆頭とまで呼ばれる奴だ。
ちなみに穂田が俺のことをタヌキと呼んでいつも一緒に居るためか、周囲から穂田は“キツネ”と呼ばれていた。体格がしっかりとして、背も高い穂田がキツネには到底見えないのだが。
その理由は俺と穂田がコンビに見えること。昔話でタヌキとキツネは人を化かす共通点があるから、だそうだ。某タヌキとキツネのカップ麺もかけられているのだろう。
眼下ではようやく二つのテントの設営が終わり、夕食の準備に入っている。時刻は午後五時を回ったところで、山での夕食を今から始めるのは少し遅い。おそらく、新しく参加した新入生のペースが遅く行程が乱れたとか、そんなところだろう。
もっとも、新入生のペースだけが問題とはとても思えないのだが。
だが、夕食準備は非常にてきぱきと行動されており、その遅れは十分取り戻せるのではないだろうか。夕食のメニューによるけど。
「あ!! なんだろう、すっごくいい匂いがするよ!? ねぇ、にぃちゃん!!」
「そっか、金次君は人間たちのご飯を食べたことないのね。結構おいしいのよ……いやいや! 危ないわよ! 危険に見合わない!」
「え!? おいしいんだね!! いいなぁ~、僕も食べたいなぁ……」
「ダメよ! さっきも言ったけど人間たちは危ないんだから。あそこの連中だって、いつあたしたちに牙をむくか……」
俺の隣で金次と伊吹がそんな会話をしていたが、俺の耳にはほとんど入ってこなかった。
俺は穂田の様子にすっかり気を奪われている。
やっぱり、女子隊と男子隊の動きが緩慢に感じたのは、一重に穂田が発している空気だろうな。
穂田は今の山岳部の部長。部長は、多少強引なくらいでもいいと俺は思っている。部員全員を引っ張り、部員の気持ちを纏め上げ、目標に向かわせる隊長。
なのに、その穂田が“なにか”を引き摺って落ち込んでいる。このままでは、せっかく集まった部員もあっという間に離れてしまいそうだった。
原因は……俺、だろうな。今日は姿を見ないが、鹿目も同じような感じだろうか。この状態は……かなりヤバいな。どうにかしたいけど……。
「ねぇにぃちゃん! にぃちゃんも食べてみたいって思わない?」
「……え? あ、ああ……そうだな」
何を話していたのか分からず、俺は曖昧に返事を返す。
「なによ、あんた人間たちが来てから変よ」
「は? 誰が?」
「あんたよ、あんた! 何か気になる事でもあったの?」
「えと……いや。別にそうじゃなくて……人間見たのって、初めてだから……」
人間だった時の知り合いを見たから、なんて口が裂けても言えない。伊吹はかなり人間を毛嫌いしているから、それがきっかけで嫌われるんじゃないかと思ったからだ。小心者だな、俺は。
伊吹は俺の答えに何とも言えぬような表情を浮かべ、一つ頷いた。
「ま、いいわ。それよりそろそろ行きましょうよ。見てたらあたしもご飯食べたくなったし」
「あ! 僕も僕も!! どうしよっかな~、今日も麓に降りて魚獲りに行く? ねぇ、にぃちゃん!」
「あ、俺は……もう少し見ていたいかな。ここで」
「え? そうなの? お腹空かないの?」
「う~ん、その辺のキノコでも探すよ。俺は」
「あんた、いい加減キノコに懲りなさいよ。また毒キノコを食べちゃったんでしょ。悪運強く生き残ったけど」
伊吹の言う通り、俺はまた毒キノコに中った。最初のやつに比べたらずっと軽い方だが、半日は寝込んだ。そして吐いた。
「それにあんた、寝床はどうすんの? 人間たちはあんたの巣穴の近くで泊まるつもりだし、危ないわよ」
「別に、人間が近くにいるからってさして変わることないだろ。俺はいつも通り寝るさ」
俺は当然のように返す。すると、伊吹は「う~~~っ!」と唸りを上げ、
「ああもう! だったら勝手にすればいいわ!! あたしの忠告を無視して後悔しても知らないんだから! 金次君、行きましょ」
「え、でもにぃちゃんが……」
「いいの! 一度痛い目見た方が薬になるわ!」
伊吹は金次を押しながらその場を去っていく。
その間際、
「後悔したらあたしのとこに来なさい。人間たちが去るまで、間借りさせてあげるわ」
そう、小声で言った。
俺は「はいよ」と適当に返す。その間、俺の視線と意識はずっと穂田に向けられていた。
伊吹は大きくため息を吐くと、今度こそ金次と一緒に去って行った。
――あれ? 何気に伊吹の奴が爆弾発言していたよーな? ……ま、いーか。