第6話 住処に人間がやってきた!
俺がタヌキになって、一ヶ月が経過した。
相変わらず俺はタヌキのままで、自由気ままに暮らしている。
夕方くらいに巣穴からひょっこり顔をだし、夜中は餌を求めて徘徊。たらふく食べたら情報掲示場――公衆便所――に顔をだし、各タヌキからの小さな情報を集める。後は巣の近くの川辺に行ったり、近くのタヌキと談笑したり。それが終わるころにはすでに朝日が顔を出す頃になっており、巣穴に帰って就寝だ。
人間からしてみれば、その程度で一日が終わるのか? と思うだろう。こうして一ヶ月もタヌキ生活をしていれば分かってきたのだが、やはり餌がなかなか見つからない。さっきは「たらふく」なんて言ったが、それは本当に運がいい時だけだ。実際は常に空腹に悩まされる日々である。
最初の一週間は、けっこう運がよかったのだ。
そんな俺の食生活の基本は主に木の実だ。秋に落ちた実が冬の寒さで凍え、結局、芽吹くに至らなかったそれを探し出して食べる。後は冬眠中の昆虫とかだな。
最近は魚を獲ることを覚え、毎日のように川へ出向いてはフィッシュハンティングの腕を磨いている。釣竿とか網とか、そう言う道具が使えれば一番いいんだけど、あいにくタヌキの身ではそれが出来ない。だから、川に飛び込んで素足で魚をゲットするんだ。直接噛みついたりも腕で魚を掬い上げたりもする。ネズミとかの小動物を狩ることが――精神的に――出来ない俺にとって魚は貴重なタンパク源だ。ミミズや虫もあるけど、あれは小さいから大した腹の足しにはならない。その点、川――渓流に住んででいる魚はそれなりの大きさで、一匹でも十分腹を満たすことが出来た。
ちなみにそのフィッシュハンティングだが、とある野生動物に出会ってからは、彼女に師事を仰いでる。その話は、またいつかってことで。
他にも、大山の山頂まで行ってみたり、山に生えているキノコの見分け方を教えてもらうため嘉六と丸一日中山の中を歩き回ったり。山岳部の時には入らなかった地形を知るために山のあちこちを巡ったり……とにかく山の生活、タヌキの生活に慣れるためにいろんなところに行っていたのさ。
もちろん勉強だけじゃない。最初のタヌキ集会以来、仲良くなった二匹――金次と伊吹と一緒に遊んだりもしたさ。
伊吹は今年で一歳の若タヌキ。金次は今年生まれたばかり。そして俺は……見た目からして伊吹と同年代のタヌキらしい。他のタヌキは年代がもう少し上か、それとも生まれたばかりのタヌキが多い。
金次は生まれたばかり――生後二ヶ月ほどで、本来ならまだ親について動くはずである。
が、金次は変わり種で、他の子タヌキがまだ巣穴を出ていないというのに、一人であちこちに行ってしまう。この間、金次の親のタヌキに会ったのだが「手間がかからなくて楽だ!」などと言っていた。だが、言葉端には親の自分たちを頼らず、山に住む他のタヌキと一緒になって行動することから少し心配もしていた。
伊吹は去年の秋ごろに親元から離れ、以来巣を作らずに遠くから――故郷の位置は教えてもらえてない――放浪しやって来たらしい。これまで寄り付いた森ではなんとなく居つくことが出来ず、俺がタヌキになったのと同時期に大山にやって来たそうだ。
二匹についての説明で分かる通り、俺も含めての三匹は大山の事を深く知っているわけでもない。
だからか、たった一ヶ月でもいろんな発見があったものだ。主にどんな食材がどんな場所にあるか、だが。それ以外にも、三匹で絶景ビューポイントにも行ってみた。タヌキ集会で聞いた通り、三月のこの時期でも山頂付近は真っ白な雪で覆われており、その雪が山頂の凍えるような風で凍りついて危険が大きい。だから、それなりに準備を整えた登山家でないとこの時期の山頂には来ないのである。もちろん俺たちにとっても危険なのだが。
人間の目を気にする必要もないため、山頂からの絶景やそのほかのビューポイントを大いに堪能できた。
そんな感じで、山のタヌキ生活――後半はタヌキらしくないとも思ったが――を満喫し始めた俺は、その日も巣穴で丸くなって寝ていた。
さっき穴の中から空を窺ったが、若干暗くなりかけていた。おそらく時刻は午後の4時頃か。
俺が活動を開始するのはだいたい6時ごろ。現在時刻なんてほとんどわからないのだが、体内時計とかそんなので俺はなんとなく決めていた。
――あと一時間くらい寝たい。
昨日は金次と一緒に川まで魚獲りに行ったのだが、俺も金次もすっかり熱中し、巣穴に戻ったのは朝と昼の中間あたり。
だからだろう。瞼は重く、俺の睡眠への欲求はピークに達していた。ごそごそと巣穴の中で蠢き、ちょうどいい体勢になると俺は意識を落す。
「………………ん。…………ちゃん」
誰だ?
俺の意識はすでにほとんど眠りの底だ。その意識のはるか遠くから呼びかけられた。例えるなら、十メートル水底に居る俺に水面から呼びかけられたような。
だが水底にある俺の意識は水面に向かおうとしない。そのまま水底に横たわる。
「…………ちゃん。…………いちゃん!」
僅かに声が届いた。少し浮上した意識で確認すると。どうやらそれは金次らしかった。俺と同じ時間に寝たはずなのに、どうしてこんなにも元気なんだこいつは。
僅かに浮上した俺の意識は――やはり予定調和のごとく水底へ潜って行った。もう少し寝たい。睡眠の欲求には敵わない。
が、なんとなく睡眠にすべてをゆだねきれない俺がいたのも事実。聴覚だけは活動を始め、金次の呼び声を捕らえようとする。
「……てよぉ、……いちゃん!」
――…………ねむ。
「起きてよぉ、にいちゃん! 大変なんだよ!」
大変? 大変なのは…………俺の睡眠への欲求。睡魔の力は偉大なり。
「ねぇ起きてよぉ、にぃちゃん!! ……だめだ、ぜんぜん起きてくれない」
うん。諦めてくれ、金次。俺は、一時間後くらいに起きるから。
「あら? あいつはまだ起きてないの?」
「あ、ねぇちゃん。そうなんだ、にいちゃんぜんぜん起きないんだよ」
おや? 声が増えたな。これは伊吹か。だが、何匹たりと俺の睡眠の邪魔は出来ない。諦めろ。
俺の意識は水底で寝そべったまま。
「ったく、しょーがないわね。金次君、ああすれば起きるわよ、絶対」
「え? どうやったらいいの?」
「うっふふーん、それはねぇ……」
伊吹が声を小さくして金次に囁いてるようだ。無論、もう俺は気にしない。
眠い。
「……ええ!? い、いいのかなぁ!? 僕がそんなことして……にぃちゃんに嫌われない?」
「だーいじょーぶ。そうなったら、あたしがこの寝坊助タヌキにタックルかましてやるんだから!」
「ほんと? にぃちゃん僕のこと嫌いにならないよね?」
「もっちろん!!」
嫌に自信たっぷりな伊吹の声。それに応えて嬉々として納得(?)した金次が俺に近づいてきた。
「にぃちゃん。怒らないでね」
耳元で金次の声が響き、始めて俺の中に「おや?」という疑問が生まれた。同時に危機感も。だが、その全てが遅かったと悟ったのは、全てが終わった後だ。
ガブリッ!!!!
「――ッッッ!!!! ギャーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」
巣穴が崩壊するほどの絶叫が、俺の口から飛び出た。
まぁ、実際にはタヌキの鳴き声らしく「キューー!!」だったのだろうが。
***
「み……みみ……みみがぁ……千切れるかと……お、お前は俺を耳無し青ダヌキにするつもりか!?」
「ごめんなさぁい……」
しゅん、と小さくなる金次。そういえば嫌われるかどうか気にしてたし、言い過ぎたのかなぁ――と思った矢先、横っ腹に凄まじい衝撃がぶち込まれ、俺の身体が巣穴に叩きつけられた。
「ッッ、ってぇ!! なにすんだ、いぶ――」
「アンタが起きないからでしょうがっ!! 寝坊助っ!!」
ガリッ!!
何の加減もない伊吹の全力の噛みつき攻撃。効果は抜群だ!
「ギャーーーーッ!!!! な、なんでお前まで俺の耳を!! しかも金次よりも酷ぇ!!」
「自分の胸に聞きなさいっ!」
……なんで寝坊しただけでここまで暴力振るわれなきゃならんのだ。が、これ以上の抗議は伊吹が怖いので言えなかった。
俺は前足を起用に使って両耳を押さえつつ、こうなった原因について聞くことにする。
「で、なんで乱暴な起こされ方になるんだ」
小さくなっていた金次も、怒り肩でそっぽを向いていた伊吹も、その一言で「はっ」となって向き直った。
「そうそう、一大事なんだよにぃちゃん。化け物がたくさん来たんだ」
「は? 化け物ぉ???」
金次が大慌てで口にした言葉に、俺は思わずすっとんきょうな声を上げてしまう。
「化け物じゃないわよ」
「化け物だよ! 後ろ足で立ち上がって、たっっっくさんの物を持ってきてるんだ。きっと僕たちをじゅーりんしようとする化け物に違いないよ!!!!」
「だから化け物じゃ……」
「化け物だって!!!! ねぇちゃん知らないの? じいちゃんが教えてくれたんだよ! 二足歩行の化け物のお話。たった一夜で山一つ崩すって!! 鉄みたいに硬い身体!! 一瞬で辺りをやけのはらにする化け物へーきの話!!」
どんな化け物だ、それ。
金次の説明からは、巨大な二足歩行兵器的な何かが想像できた。が、んなもん現実に居る訳ない。
金次はすっかり泡を食ったような慌てぶりで話にならないので、伊吹に真相を聞くことにするか。
「で、伊吹。結局なんなの?」
「ええ、さっきあたしも金次君に聞いて見に行ってきたんだけど……」
伊吹は一度言葉を切り、そこから一息で告げた。
「人間たちが来たのよ。こんな山奥にね」
***
跳ね起きてすぐ、俺は巣穴を飛び出した。金次と伊吹が慌てて俺を追いかけ続く。
「で、その人間ってのはどこだ?」
俺が聞くと、伊吹が目を丸くする。そんなに驚かせることだろうか?
「どこって……あんた、人間を見に行くの!?」
「あ? そのつもりだけど、なんか悪いのか?」
至極真っ当に俺が疑問を口にすると、伊吹はギラリと瞳を光らせながら俺を睨む。
「悪いに決まってるじゃない! あんたは人間の事、なーんにも知らないのね!」
いや、俺は元人間だから良く知ってるんだけど……。伊吹の剣幕が怖かったので、思わず頷いてしまった。
「もう、よく今まで生きてこれたわね。いい、これはあたしが実際に体験した人間の恐ろしい所なんだけど……」
伊吹は俺の横に居る金太にも聞かせるように見据え、話し始めた。
「あれは……そうね、あたしが父さんと母さんの所を飛び出してすぐのことだから……今から五ヶ月くらい前。秋の中ほどの話よ。
あたしがあちこちを旅し始めてすぐ、あたしは人間が張った罠にかかったの。食べ物に釣られて檻に閉じ込められたわ。そして人間に出会った。背中にたっくさんの荷物を担いでいたわね。たぶんそれなりに年のいったオスの人間。三人組よ。そいつはね、あたしを見つけるや否や檻から出してさっと背中から押えたの。突然のことで、あたしも逃げることは出来なかったわ。人間ってけっこう大きいでしょ。それが二人がかりであたしを捕まえてきたの。もう逃げることなんてできないわ。で、もう一人の人間は背中の荷物から変な輪っかを取り出したの。なんだろうって、あたしは思ったんだけど、考える暇なんてない。それがサッとあたしに首に巻かれたの。抑えられてるから逃げることもできない。首筋で「カチッ」って音がして、あたしの首にそれが巻かれたの。
不思議だったのはこの先、人間はあたしの首にそれをつけたら離してくれたわ。あたしは一目散に逃げた。もう、その場所に居続けるのが怖くて仕方なかったからね。
それで、その場はとりあえず治まったんだけど、あたしの首にはその輪っかが巻かれたまま」
見ると、今まで気にしていなかったが、伊吹の深い毛に埋もれるようにして黒い輪っかが巻かれていた。
「これよ。何度も外そうとしたんだけどね、ダメなの。ぜんっぜん外れないの。他の地のタヌキに手伝ってもらったんだけどそれでもダメ。最近は無くなったんだけど、以前はこの輪っかから変な音がするのよ。「ピッ」ってね。だけどそれ以外には何にもなし。不気味で仕方ないわよ、こんなの。それに……いつ爆発するか」
「爆発?」
俺は首をかしげるが金次は驚いて跳ね、それから目を真ん丸にした。
「ば、バクハツするの!? それ!!」
「今のところは何ともないけどね。でも、人間の街に住んでる犬に聞いたら言ってたのよ。変なことをしたら爆発するって。ああもう、あたしは一生こんなのつけて過ごさなきゃならないのよ!! ねぇ、分かったでしょ!! 人間はこんな危なっかしい物体をタヌキに付ける頭のネジの千切れ飛んだ生物だって!!!!」
伊吹がほとんど顔面をぶつけるような勢いで俺を覗き込む。
対して俺は、
「あ~~~~うん、そうだな」
なんとも間の抜けた生返事を返すしかなかった。
俺が知ってる知識からすれば、おそらくその“首輪”は、タヌキの行動範囲を把握するためのセンサーか何かが内蔵された物だろう。目的は、たぶんタヌキの生態調査。動物学者か誰かの研究の一環だろうな。
――んーなことが怖いのかよ。タヌキって分かんねぇ……。
「ちょっと、なにその気の抜けた返事。あ、まさかあんた! あたしの作り話とか思ってんじゃないでしょうね!!」
「いや、思ってないさ。ただ、うん。それだけかぁ……って」
「それだけって……」
「だってそうだろ。結局それが爆発するなんて確証はないし、それに変な音だって鳴らないなら、もう輪っかに音を鳴らす力も残ってないんじゃないのか? だったら気にする必要ないって」
「あ~ん~た~ねぇ!! ちっとも聞いてないのね! あたしが体験した人間の恐怖が全く分かってないじゃない!! もう!!」
元人間だから俺には害がないと分かるが、何も知らないタヌキからすれば恐ろしいことこの上ない……ってことか?
俺は鼻息荒く詰め寄る伊吹をどうにかなだめようとして――
「あ!? にぃちゃん、ねぇちゃん!! 来たよ!! あれだよね、人間って!!」
「来たっ!?」
伊吹が「ぱっ」と俺から視線を外して振り返る。
その視線の先、長い斜面を慎重にくだってくる一団が目に映った。
服の色は赤とか青とか黄緑とか黄色とか……どれもカラフルで良く目立つ。背中にはたくさんの荷物を詰め込んだザック背負い、手には鋭い刃のピッケルが握られている。
それは集団だった。十、二十、いや五十人くらいの人間たち。斜面に列をなして下って来ていた。
「やっばい。あいつらここに来るつもりね。金太君、見つからないうちに逃げるわよ」
「う、うん」
金次は伊吹の気迫に押されてか、若干引き攣った表情で頷く。
「あんたもよ! あんたの巣はここだけど、人間たちがどっかに行くまでは離れてた方がいいわよ」
伊吹がそう俺に言いつけるように言った。が、俺はそれに返すことも出来ず、ただじっと人間たちの一団、その一点に視線を送っていた。
「……ちょっと? 聞いてる?」
伊吹は人間たちがこの谷間に来ると予想した。伊吹は最近大山に流れて来たタヌキで、人間たちがここに来ることを知らない。
だが、その予想は当たりだ。なぜ俺が断言できるかといえば、俺はあの人間の集団がここに来ることを知っているからだ。
――間違い、ない。そうか、もう、あの時期だったんだ。
人間の集団の中の一点。そこには俺がよく知る顔が混じっていた。その後ろには知らない顔が幾つかあるが、おそらく新しく入ったメンバーだろう。その事実が、俺に月日がたったことを感じさせる。
俺が居なくなっても、変わらず新たな部員を迎えた【山岳部】の皆。
「ちょっと!!」
「っ!? なんだよ伊吹。耳元で……」
「いいから! ほら、さっさとここを離れるわよ!」
伊吹は有無を言わさぬ表情で俺に言い詰め、先に行った金太を追いかけて斜面を駆け登る。
俺は、後ろ髪引かれる想いを抱えて、伊吹たちの後を追った。