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第33話 そして俺はタヌキになった

「思い出したか、悠治」

「……ああ、全部」


 一瞬の白昼夢のような時間だった。だが、たったそれだけだが、俺の中を様々なモノが駆け抜けた気がする。

 それはこの一年のタヌキとしての暮らし。多くの出会いを経験し、たった一つの忘れがたい別れを胸に刻みつけた。弟のような存在の金次と意見を別ち、だがどうにか元の鞘に戻った。

 そして、もう一つ。何も考えず安易にこの事態を受け入れていたあの日の俺。


 ――俺は……なにやってんだか。


 考えなかったわけではない。タヌキの生活が大変で、楽しくて、考える暇はなかったけど、折に触れて思考を巡らした日はいくつもあった。

 四月の終わり、穂田と会った日から少ししたゴールデンウィーク中の真夜中、滝を見つめながらぼぅっと考えていた。

 登山大会の日の夜、瞬くような星を眺めながらふっと脳裏をよぎった“それ”について思索を巡らせた。

 伊吹と別れてからの一ヶ月。後悔と懺悔に苛まれながら、苦悩の中で思った。

 決意を改め、大山の巡回などということに精を出してからも、ふと考えてしまった。

 年越しの日の夜。穂田と鹿目の談笑を聞きながら、何とも言えない気分で思った。


 『俺はなぜタヌキになってしまったのか?』と。


 ふたを開ければ、簡単な話だった。俺は何も考えることなく、ただ想像だと、ただ面白そうだからと、自分からタヌキになることを受け入れていたんだ。それが、それまで築き上げてきた関わり――些細な関係、されど大きな関係――を全て失うと、考えもせず。


 ――大バカヤロウか、俺は……。


 水面に映った俺の顔は、もうすっかり見慣れたタヌキのものだ。他のタヌキとほとんど見分けのつかない顔。唯一頭に被っている笠だけが、俺が悠治という名の“タヌキ”である証明。

 もう、自分がかつてどんな顔で過ごしていたかなんて覚えていない。身も心も、すっかりタヌキになってしまったな。


「それで、俺は合格したのか?」


 その全ては、もう取り返しのつかないものだ。俺の肉体が火葬されたあの日、あの日をもって人間の俺とはきっぱり別れを告げた――つもり――のだ。だから、俺は平静を装って朧に問いかける。

 朧は相変わらず表情の読めない顔で、


「ほっ、まぁ待て悠治よ。そう急かすな」


 なんとものんびりな口調で言った。


「……なぁ悠治よ。お主にすべてを任せる前に、一つ聞かせてほしい。お主……人間に戻りたいか?」

「は?」

「ここがお主の分岐じゃ。お主が神を育てるという役を放棄するならそれもまたよし。ワシが責任を持って、お主を人間に戻そう」


 人間に……戻れる!?

 心臓が早鐘を打つ。脳天に金槌を打ち付けられたような衝撃が走る。もうすっかり諦めていた。放棄していた。その道が、唐突に目の前に示されたのだ。動揺するなという方が無理だ。


「ワシだって神の端くれじゃ。それくらいは出来るぞ。さぁ、どうする?」


 人間に、戻れる。退屈だけど、楽しかったと思う時もあった日々。そこに戻れる?

 親父が、お袋が、祖父母が、親戚の子供たちが、高校の友達が、穂田が、鹿目が、みんなの顔が次々と脳裏を巡る。

 今、ここで、戻りたいと言えば、全てが戻って来るのか? すべてが……?


「どうする? 悠治よ」

「お、俺は……」


 人間に戻っていつもの日々に帰る? それとも、このままタヌキとして新たな神を育てるという役を続ける?


 そして……俺は……








「……~~~~っ、はぁ~~~~」


 大きく息を吸い、そして吐き出す。ああ、まだ若干寒さの残る三月の夜の空気が肺に、そして全身に染み渡った。うん、だいぶ頭が冷えたな。


「なぁ、俺を人間に戻すって――無理、なんだろ?」

「…………」


 朧は答えない。ただ、毛に隠れた両目がカッと鋭い眼光を発し、俺に突き刺さっているのが分かった。俺は、そのまま言葉を続ける。


「あの日、あんたは俺の魂を死んだタヌキの身に移すと言ったな。つまり、俺という魂を“魂の無い抜け殻”に移すことで、俺はこのタヌキの身体を自由に扱えたわけだ」


 魂を移すとか、そもそも魂というものが存在するという前提が無ければ成り立たない。だが、それは朧が言ったことだ。自らの言葉を覆したりはしないだろう。


「俺を人間に戻すって? だったらさ、俺が戻るべき肉体(カラダ)はどこにあるんだ? あいにく、俺の本来の肉体(カラダ)ならすっかり燃やし尽くされて、バラバラの骨しか残ってないぜ? そんなとこに戻って、本当に人間に戻ったと言えるか?」

「…………ほぅ」

「仮に別の肉体があったとして、それがどこの誰かも分からない。それに、結局はそれも死んだ人間だろう? 今の世でも、死んだ人間が現れたら化け物扱いされてロクな目に遭わないだろうな。そんなんだったら、俺は御免だね」

「……なるほど。良く気づいたのぉ。して、本心は?」


 こいつ、やっぱ分かってるか。んじゃ、言葉を飾る必要もないな。


「あの日、軽々しくもあんたの要望を受け入れた時点で俺に戻る道は無くなった。その時点でこの今はほとんど決まったようなものだ」


 “神隠し”という言葉がある。理由はなんにせよ、死体はあるにせよ、俺が遭ったのは間違いなくそれだ。神に魅入られ、神によって人界から切り離された。神の力が絶対的というなら、逆らいようがない。開き直って、この道をゆくしかない。

 ま、あわよくば抜け道を見つけ出すけどな。俺は全てを投げ出すような男じゃない。こうして神に会った瞬間から、こいつを出しぬいてやろうという気がふつふつと湧いてきた。


 でも、それも建前。俺の本心は、至極単純。




「……最初にタヌキになってもいいかなって言ったのは俺だ。男に二言は無い」




 そう宣言した瞬間、朧の毛が逆立つ。隠されていた朧の両目が視認できた。それは、まさに山神と呼ぶにふさわしい力強い眼光。老いてなお、全てを圧倒するような眼光。


「悠治よ。お主に神の種。“金次”のことは任せた!」


 そして、朧は名前の通り霞となって消えて行った。

 川面に光が差し込む。冷たい川にキラキラと反射する光がまぶしい。思わず目を瞑り、ゆっくり開く。朝日だ。

 今日もいい天気だ。朝日に彩られた川辺で、俺はふとそう思った。

 その途端、腹の虫が鳴り出す。


 キュルルルルゥ……。キュルルルルゥ……。キュル、キュルゥキュルルゥ。キュッキュッキュルゥ。


 おっと、こりゃまた演奏会が出来るな! いやいや、そうじゃなくて……俺、結局何も食ってない?


「……さーて、魚獲りますかぁ」


 夜中に何度も入った川に再び入水。冷たさで身を引き締めさせ、俺は魚獲りに赴く。




 跳ねあげた魚は、眩しい朝日に煌めいていた。







***







「にーぃーちゃーん!」


 ガリッ!!


「だぁーーーー!!!! いってぇぇええ!!!!」

「もう一発!」


 ゴスッ!!


「ぎゃーー!!!! カンベンしろ! お前は伊吹か!?」

「だってぇ、にぃちゃんが全然起きないんだもん。早く早く、今日も見回り行くんでしょ?」

「……ああ、そうだな」


 くそぅ、最近金次の乱暴さが目に余る。次期山神としてこれでいいのかと思う反面、金次にはまだまだ子供っぽさを残しててほしい。そんな神様もありではないか。

 ちなみに、俺は今日この時間に金次が来ることがなんとなく分かっていた。気配というかなんというか……予想なんだけどな、朧が話してなかった、神様の力の一端じゃないかって俺は思う。ほら、前に月見団子を食べただろ。あれは山の神様の力の恩恵に授かるって意味があるらしいけど、それなら納得いくんだ。あの日、雪に埋まった鹿目を一発で見つけ出した直感とか、その後の伊吹の幻影とか、さ。


 巣穴から顔をのぞかせると、澄んだ夜風が俺の身体を撫でる。今日も、気持ちのいい夜だ。


「おっ? ニーサン、今日もお出かけやな? ご一緒させてもらうで」

「ゆ、悠治さんの、頭の上!!」

「見回り、でゴワスな」


 いつものように巣穴の入り口に立っていると、喧しさ全開のヤマネたちが俺の頭の上、笠の下に潜り込んでくる。


「どうもッス、兄貴。あっしも狩りに行ってきやすんで、お気をつけて」

「おう。お前も無茶すんなよ、ジン」

「とーぜんでさぁ!」


 ウォオオオーーーーーーンッッッ!!!!


 ジンはもはや恒例となった遠吠えを張り上げ、そして谷間に消えていく。

 ただなぁ、ジン。最近麓でもっぱらの噂なんだ。大山にオオカミが居るって。こないだの時は雪に(まみ)れたおかげで【ジン=白狼=山神】に見せかけられたが、こう何度も遠吠えされてたら嫌でも疑われる。現に、研究職っぽい人間たちを山で見かけるんだ。かなりの頻度でな。適当に隠れてやり過ごしてはいるが、そのうちホントに見つかったら目も当てられない。


「昨日は矢筈ヶ山の方で見かけたから、そっちには近づかないようにな」


 聞こえてないだろうなと思いつつ、ジンへの注意を口にする。すると「りょーかいでさぁ!」と、返ってきた。オオカミの耳は優秀だな。


「んじゃ、行くか」

「うん」


 そして、俺と金次も巣穴を後にし、いつもの食料探しに精を出しつつ山の様子を見て回った。


 興六が町へ帰って行くとこを見かけ、珍しく嘉六が寝坊して巣穴であおむけになっていびきをかいてて、鈴之助が今度のタヌキ集会の連絡をするためにあちこちで用を足している姿を見かけた。

 いつもの川辺辺りまで行くと、妙師匠が子どもたちと魚を獲っている姿があった。


 普段とまるで変わらない。いつもの大山の風景である。

 俺はさらにあちこちを歩き回り、山に住むタヌキたちの様子を細かく観察する。もちろん、金次といろいろ話しながらな。

 俺は金次を育てる役を任ぜられた。正直何をしたらいいのかなんて、自分でもよく分かってない。だから、金次とはとにかくいろんなことを話すようにしている。まだまだ生きた年数の短い俺だが、金次に伝えられる人生経験ならたくさんあるはずだ。それに、人間の俺をこの役に選ぶってことは、今の人間の感性を教えてやれってことだろうしさ。

 こうして、俺の新しい生――タヌキとしての生命は、今日も大山で生き続ける。







 これが、俺がタヌキになって初めての一年だ。まったく、随分と濃い一年だった。それまでの人生が色あせてしまいそうなほどに。あ、もちろんそれまでの人生をないがしろにしてる訳じゃないぞ。どっちも大事だ。むしろそれまでの人生があるからこそ、今のタヌキの俺があるんだからな。


 さて、まぁこの先も俺はタヌキとして生きていくわけだが、とりあえずこの辺で区切っておこうか。

 俺の――タヌキの人界から外れた一生は、まだまだ波乱万丈に続くんだからな。


お付き合いありがとうございました。

『そして俺はタヌキになった』ひとまず完結です。第一章が、ですが。


はい、この話、まだまだ続ける予定です。

この話で完結でもよかったのですが、もう少し話は続けたいので、この先もお楽しみいただければと。

ですが、この先はまだ余り書けていないんです。なので、もう少し――かなり先になりそうですが――お待ちいただければと。


では、また次のタヌキライフでお会いしましょう。


ちなみに、次章の前にバックストーリーを計画しています。

具体的には「伊吹」「ジン」「金次」が大山にたどり着くまで、です。


それでは!

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