第0.5話 それはいつもの事ではなかった
「ははっ、タヌキになるってのも、面白いのかもな」
俺は頭に浮かんだ言葉をそのまま口にし、なんでもない風にポケットに手を突っ込んだ。そのまま帰路に就く。
「……待て」
空は呆れるような晴天。だというのに少し肌寒い。三月半ばのこの時期は、僅かに残った冬の残滓が身を引き締めてくれる。
「待てとゆーとろうが」
遠く、白狼神社に目を向ける。この時期だったら、確か梅の花が咲いていたな。ご神木のヤマザクラはまだだけど、明日登山が終わったら穂田と一緒に神社に行って鹿目と雑談に華でも咲かせようか。
「聞いておるのか? 悠治よ」
まぁ、ひとまずは明日の登山だ。山の麓であるここは流石に雪も融けたが明日の目的地である大山頂上は、融け固まったガチガチの斜面。アイゼンを着けていくとはいえ、油断すればあっという間に終わりだ。
「少しはこちらに耳を傾けたらどうじゃ!!!!」
「うるせーよ!! 感傷に浸るぐらいさせろや!!!!」
いい加減無視するのも限界で俺は背後に向かって怒鳴り返す。
――……?
が、怒鳴り返して俺は頭に疑問符を大量に浮かべた。なにせ、背後には誰もいなかったのだ。……枯れた大木のようなタヌキ以外には。
「ようやっと反応しおったか。まったく、これだから現代の人間という奴は……」
タヌキはぶつくさと文句を垂れる。それは、近所の頑固じーさんみたいな感じだ。
「ま、今時の人間などこの程度。じゃが他に有力者がおらんのは事実……」
「……あー、いかん。トレーニングに熱中し過ぎたか。幻聴だな」
「しかしこんなふざけた人間に頼ろうなどと……ワシも老いぼれたものよのぉ」
「今日の晩飯なんだろ。精の付く物で明日への活力が欲しい」
「まぁよい。して、悠治よ――」
「今日は飯食ってさっさと寝よう。うん、それに限るな」
「話を聞けと言っておろうが!!!!」
あ、我慢の限界が来たみたい。というか、幻聴じゃないの? これ?
俺は観念したかのように「はぁ」とため息を吐くと視線を落とす。
「で、タヌキのじーさまが何か用?」
「ほう、ワシが高齢だということを見抜いたか。さすがはワシが目を付けた人間」
「いや、あんたの語り口調で分かるし。それに自分で老いぼれたって言ってた」
「ふむ、洞察力も十分。これなら……」
「おい、人の話を聞けって」
なんか妙なタヌキを見つけたなぁ。
が、タヌキは俺の落ち込んだテンションを気にも留めない。
「まぁよい、悠治よ。ちょいとついてまいれ。話がある」
「…………へいへい」
俺は何となく諦めたような気持ちになって、そのタヌキについて行った。
***
地元にある小さな公園は、誰もいなかった。すでに時刻は午後六時半。遅くまで遊ぶ子供もおらず、また不良共も街へと繰り出してしまうのでこの時間の公園は寂しいものだった
「悠治よ。単刀直入に言おう。ワシはこの大神山の山神じゃ」
「ふーん。で?」
右から左に言葉を受け流す。いやにリアルな幻聴と幻覚。早く覚めないかなぁ。
「ほぅ、驚かないか。うむ、よし」
俺ってまだ厨二病持ってたんだ。神様が登場とか、厨二病のテンプレだよな。
「で、ワシはもう千年くらい神をやっておるのじゃが……流石に年でな。そろそろ代替わりをせねばならんのだ。若い神の種も山に根付いたのでな」
「ふむふむ、それで」
神様って、代替わりとかあるの? 俺、日本の神話とかあんまり知らないんだけど。今度鹿目に聞いてみよっと。
「じゃが新しい神は若い。若すぎる。なにせ生まれたのは今年開けてすぐ。ワシはそやつが育つまで保ってられるか保証がない。誰かに育ててもらいたいんじゃが、山のタヌキ――ワシの眷属たちも神の威光を忘れかけておる。人間ほどではないがな。これも時代の移り変わり、という奴か」
へぇ、この手の話題って人間からの信仰が薄れて~みたいなのが定番だけど、山の動物たちからも忘れられるんだ。結構深刻?
「そこでじゃ。新しい神を育てる役をお主にやってもらいたいんじゃが――」
「――うんやだ」
「そ、即答……じゃと!?」
なんか深刻そうになって来たけど、俺そんなのやる気ないし。ぶっちゃけ早く寝たい。つーか、いつまでこの幻聴&幻覚に付き合えばいいの?
「ま、待て待て! この国は神の力により成り立っておるのじゃぞ! 八百万の神への精神はどうした!? 日本人じゃろ!?」
「うーん、神様って……要するに縋る者の無い人間が作り出した空想だろ?」
古来人類は人知の及ばぬ天災などに神の怒りを感じた。神というのは、人の届かぬことを成し遂げるという人類の妄想から生まれた者だ。少なくとも、俺はそう思っている。
「む……否定は出来んな」
あれ? 反論がない。ってことは……当たってるのか?
「じゃが、そんな神々の努力があってこの国は成り立っているのじゃ。本当じゃぞ? ……確かに今は、ワシら神への意識も薄れに薄れておる。ワシらと同類の妖怪どもも同じようにな」
「あ、妖怪なんてのもいるんだ」
「むろんじゃ。近場なら……境港は妖怪で栄えておるじゃろう? それに、少し離れておるが大妖怪が“しぇあはうす”なるものをやっておる噂も聞いた。人間相手にな」
へぇ~、と俺は感心しっぱなしだ。ただの幻聴と思っていたが、なかなかどうしてそそられる話ではないか。俺は荒れていた中学時代には、そう言った話題を求めてふらふらと――授業をさぼって――あちこちに出かけていた。
「む、話が逸れたな。とにかく、このままワシが神の役を終え、神のいない山となったら大神山は廃れてしまう。こうして神が消えゆくのも自然な流れかもしれんが、それは少なからず世に影響を及ぼす。些細なことじゃ。ワシは小さな山の一神様じゃからな。大山山脈の山など、ワシがいなくとも大己貴命がどうにでもするかもしれんが……あまり迷惑をかけれんでな。それに大神山神社はあの方の本拠ではないのじゃし……」
大己貴命。それは、かの出雲大社で祀られている大国主神の別名である。まぁ、それ以上の詳しいことは知らないけど。
「あんたは……そんなにすげぇ神じゃないってことか?」
「どうしてそうなる! ワシは山神であり豊穣の神の端くれじゃ! ここら一体の栄枯盛衰をつかさどっておるんじゃぞ! ぬしら人間にも大きく影響するんじゃ!」
……といってもなぁ、身なりは老いぼれでよぼよぼのタヌキだし。って、これ幻覚と幻聴なんだろ? 俺は何をまじめに聞き入ってるんだ?
いや、幻覚と幻聴ならとことんまで付き合うのも一興……ってか面白い。うん、いいかな。こうなりゃ俺の厨二が尽きるまで乗っかってみるか。
「――よし、分かった。俺にどこまでできるか分からないけど、やってみよう」
「ム!? 本当か!? ウソではないな!? ウソついたら針一千万本飲ますからな!」
単位がおっそろしい。流石は神様、そして俺の想像力。
「たださぁ、その神の種? ってどんな奴なんだよ。お前と同じならタヌキなんだろうけど……俺人間だぞ? 警戒して育てるどころじゃないんじゃ」
いや、神ならそんなこともないか?
だが、俺の予想通りいくとは限らない。
「確かに今は子供の――純真無垢な子タヌキでしかない。人間の存在すら知らぬほどにな。それに今の人間の愚かさと豊かさ、多くを仕込んでもらいたい。そこでじゃ」
山神は公園の隅に移動する。俺もそれに倣ってついて行くと、そこには一匹のタヌキがいた。見た目からして若い。だが、憔悴しきって――いや、すでに命を散らしているのだろう。閉じられた目にも、肉体にも、力はない。
「このタヌキにお主の魂を宿す。お主は今後、タヌキとして生きていくのじゃ」
「へぇ……定番みたいな感じだな。で、俺は化ダヌキみたく変化が出来たりとか?」
「何故そんなとこに飛躍する。……まぁ、修業を積めば出来んこともなかろう」
「マジで!? すっげぇ面白そうじゃん!!」
この世のありとあらゆるものに化けられる。それは、想像するだけで世界が変わる。俺の気分はさらなるハイテンションに向かっていた。
「ただ……このままお主に一任するわけではない。これから一年は、テスト期間として過ごしてもらうぞ」
「テスト期間?」
「そうじゃ。お主はなぜ自分がタヌキになったのかを知らず、ありのままの自分でタヌキとして暮らしてもらう。神の種ともそのころに出会うじゃろう。そのままのお主が神の種と接し、順当に育てられると判断できれば、ワシは新たな神の育成をお主に一任する。……よいな?」
なるほど、何もわからぬままタヌキ生活を始めるのか。一種のサバイバル。ってか、こんな展開もどっかのゲームであったな。ま、とにかく俺はタヌキとして暮らし、その神を何気なく育てていけばいいんだな。
……俺の想像にしては良くできた話だ。
「オッケー。まぁ何とかやってみるよ」
「ほぅ、軽い奴よのぉ。死なれても困る。お主の巣穴は、一タヌキとしてワシが暮らしていた場所を使うがよかろう。今度、お主が大山に入った時にそれとなく誘導してやる」
「うんうん。サンキュー」
「加えて言うがこれは試験じゃ。山での生活一つ一つが試験の対象じゃぞ。当然、生き抜くための努力も含まれる」
「分かってるって。そんじゃよろしく」
「では、明日の朝。目が覚めたらこの会話とその後の記憶はすべて失った状態になる。そして、おぬしはタヌキに魂を移しておるのじゃ。……後悔はないな?」
再確認のためか、山神はしつこく念を押す。少しうざったく感じた俺は、最後の一押しとなる“余計なひと言”を口にする
「早くしろよ。タヌキ生活ってのも、悪くないかもしれないし」
「…………ほっ、その前に……頭のそれは外したがよかろうて」
「あっ……気づいてんなら早く言えよ!」
俺は雷速で頭の上のネコミミバンドをひったくる。
「ほっほっほ、ではの」
そう、ポツリと別れを告げると、山神のタヌキは公園の茂みに消えた。俺は、とりあえず死したタヌキに手を合わせ、帰路に就く。すっかり暗くなってしまった道を、街灯の明かりが無機質に照らしていた。
……やたら眩しく感じたけどな。
これが、ただの想像だと思い込んで、深刻な提案を安易に引き受けた、悠治という男の真実だ。
この翌日、山神の言った通り俺はこの時の会話の全てを忘れていた。
そして、俺はタヌキとなった。




