第31話 厳冬大山救出劇 その4
「――嘉六、興六、鈴之助……それに大吾に辰巳さん。景千代に忠吉まで……」
雪原の向こうから駆けてくるのは、大山に住むタヌキたち一同。その数は十、二十……もっと、もっとたくさんだ。こんなにたくさんのタヌキたちが……なんでここに……?
「おいおい、ボロボロでねぇか!? しっかりするだよ悠治!」
「ふむ……すごいですねぇ。この人間、まだ生きております。今すぐ下山すれば助かるかもしれません」
「それなら早く運びましょう。いつまで保つか分からないわ」
「だな。スピード命ってワケだ。おうお前ら! こいつぁ白狼神社の娘っ子だ。毎年団子を失敬するのを見逃してもらってる恩、ここで一括で返すぞ!!」
「はいよ! 興六さん!」
タヌキたちはあっという間に鹿目――と俺――に群がり、その下の雪を掘って潜り込む。そして、数十匹のタヌキが鹿目を担ぎ上げた。
「それでは……みなさん! ここからは分業ですよ。この人間を担ぎ上げる役、人間を温める役、それから道を切り開くためにひたすら雪かきする役です。あ、私は全体指揮を執りますのでよろしく。あと、悠治さんは担ぎ役でいいですね? 報酬は悠治さんがたっぷりの魚を獲ってくれるそうなので頑張りましょう。さぁ、大山タヌキ至上初の人命救助、始めますよ!」
テキパキと鈴之助が指示を出し、タヌキたちは速やかにそれぞれの役目に移って行く。でも、どうして……。
「さぁて、大事な弟子の大切な人間のためだ。あたしも張り切ろうかねぇ」
そう言って興六が引きつれるタヌキたちを押しのけて雪かきを始めたのはツキノワグマの妙だ。
「し、師匠……なんであなたまで……」
妙はタヌキよりも太い腕と身体で雪を掻き分け、押しのけ、あっという間に道を作り出す。そして、一段落着いたのか、振り返って目を細めた。
「あたしはあの子に協力してあげただけさ。お礼なら、みんなを集めたあの子に言いな」
そう言って妙が示した先には、周りのタヌキよりも一回り小さいタヌキ。いや、最初の頃と比べたらだいぶ大きくなったタヌキ。
「金次……お前、何で……」
金次は俺の元まで来ると、ふいっと目を逸らす。
「僕は、人間は嫌いだよ。人間なんていなくなればいいんだ。だけどね――それ以上に、にぃちゃんまでいなくなるのが嫌なんだ。にぃちゃんがいなくなったら、僕は独りぼっちになっちゃうんだもん。だから、人間は嫌いだけど、にぃちゃんの“ついで”に助けてほしいってお願いしたんだよ」
金次……すまん。でも、ありがとう。
「いやでもびっくりしたわ。タヌキってあんなので情報交換するんやな」
「汚い情報……でゴワスか」
「悠治さんも、ああやって情報交換してましたもんね」
金次の被った笠から三匹の小柄な生物。ヤマネたち、お前らまで……。
「いやいやびっくりやで。あんちゃんがこれなら大丈夫ー言うから、なんやと思ったら……そこらにクソしまくりなんやもん。なのにそれを通りすがりのタヌキが見て、別のところでクソして……たった一夜でこれやもんなぁ」
ネンはすっかり感心したように――若干嫌味交じりに――俺に向けて言う。
「それとニーサン。自分の言った事、すっかり忘れとるようやな」
それって、伊吹にも言われたな。結局何だったのか分からないけど
「まったく……金次、これに言ってやるでゴワス」
「ガツンと! 悠治さんに言いつけてあげましょう!」
いや、なんだ?
僅かに身構えた俺に、金次はすこし不満げに、
「――「何かあったら一人じゃ何もできない」。にぃちゃんとジンだけで、あの人間を助けようなんてはじめっから無理なんだよ。僕たちが協力しないと」
――ッ!!!!
まさしく、ガツンと頭をハンマーで殴られたような気がする。俺は、まさにしてやられたような気がした。……あ、目頭が熱く……ここまでくるのは、今までで一番じゃないか?
「一人じゃ何もできない。チームプレイが大切なんでしょう? 悠治さん」
「困ったことがあればオラたちを頼れ。同じ山のタヌキでねぇか。前にそう言っただろ、悠治」
鈴之助が、嘉六が、口々に俺に語りかける。
それで、限界だ。俺の眼から暖かな滴が流れる。氷ついた毛が、涙で薄ら溶けた。
ああ、そうだな。俺一人じゃ、結局限度がある。ここには、こんなにもたくさんの気の良いタヌキが――仲間たちがいるんだ。俺は、また、それをすっぱり頭の外へ投げ飛ばしてたな。
ウォオオオーーーーーーンッッッ!!!!
雪原を切り裂いて、猛々しい遠吠えが響き渡った。これはジンの遠吠え。そして、今ここで聞こえるってことは!!
「おや? どうやら人間たちの救助隊とやらが見つかったようですね。あとは、ジンさんがうまくこちらに連れて来てくれるでしょう」
鈴之助がそれを察し、その場のタヌキたちに聞こえるように声を届ける。
「よっしゃー! ウチラはこの人間の上で音頭を取るわ」
「ヤマネ三兄弟、一世一代の晴れ舞台……で、ゴワスな!」
「が、頑張りますよぉ。悠治さんたちのために!」
ヤマネたちが鹿目の上に登り、四本の脚の一本を虚空に向け、そして叫ぶ。
「「「目指すは、麓の人間の里!」」」
「はい、にぃちゃん」
金次が器用に笠を外し、咥えて俺に指し出す。
「これは、にぃちゃんのトレードマークだもん。僕じゃなくて、にぃちゃんが被らなきゃ」
「ああ……ありがとよ」
笠を雪の上に置き、ゴムを脚で押えて引っ張る。開いた隙間に頭を通し、これでオッケイ!
鹿目を担ぐタヌキたち。その先頭には、一匹分の隙間。
そこに俺も入ろうとし、ふと、俺は一つ思い出して隊列から抜け、背後を見る。
そこに、伊吹がいた。伊吹は、名残惜しげに俺の姿を瞳に捉え、涙があふれ出す。
もう、これで二度と会うことはないだろう。伊吹は死者で、俺は生者。本来なら、こうして会うことすら奇跡に近い。
伊吹は視線を落とし、涙を俺に見せようとしない。そして、そのまま少しずつ消えていく。
「――伊吹!」
俺は我慢できずに叫んだ。集まったみんなが驚いて俺が叫んだ方向を見る。次いで、訝しげな視線が俺に向けられたが、そんなことはどうでもいい。
「あの時は言えなかった。伊吹! ありがとよ! お前の御蔭で、俺はここに居るんだ!だから…………ありがとう! お前の来世に、幸せを」
金次から聞いた。死んだものは天に昇り、新たな命として生まれ変わり、再び帰って来ると。ただの空想だろう、おとぎ話の何かだろう。だけど、今だけは、それを信じたい。
伊吹も顔を上げ、涙を流しながら叫び返す。
「悠治! あたしは、アンタに会えてよかった! 誰かに伝えてもらうんじゃない、自分で伝えたい! あたしは、アンタが大好き!」
「伊吹……」
「でも、あたしが生まれ変わるなんて何時か分からないでしょう? アンタは、別のパートナーを探しなさい! アンタが幸になれるなら……あたしは何もいらない! アンタが幸せになれる相手なら……誰だってかまわないから! だから……最後まで幸せに生きて!」
俺はタヌキたちの元に戻る。俺が何を見ていたのか、誰に向かって叫んでいたのか、みんな分かりきっているようだった。両隣りについているリア充コンビ――郁夫と常盤――の幸せそうな表情が、俺の苦笑を誘ってくれる。
さて、それじゃあ時間もないし……行きますか!
「みんな、頼むぞ!」
そして、タヌキによる大行進が始まった。
***
元谷を登る一団。山岳救助隊だ。その中に交じる三人。大神高等学校山岳部の面々の表情は一様に暗かった。
無理言って救助に同行したが、すでに遭難から一昼夜が経過した。滑落し、さらに雪崩に巻き込まれた鹿目の安否は絶望的である。
「はぁはぁはぁ……」
「若杉、無理するなよ。お前は――」
「――大丈夫です。私の所為だから……」
若杉は、本当なら駐在所で待機だった。さらに言えば、それは穂田も同じである。山岳経験が二年と一年の二人は、まだ連れて行くべきではないとされた。若杉に至っては、体力的にも足手まといにしかならない。それでも連れてきたのは、霊山の意志だった。
危険は承知の上。その責任はすべて顧問である自分だ。その上で、二人を連れて行くべきだと言い切った。
人の死は、それを直に確認して、その上で乗り越えていくものだ。それが霊山の考えであった。霊山は人生の中で多くの別れを経験した。実際、知り合いが雪山に消えていくと言うのも何度も。そして、それを胸に刻みつけて越えてきたのだ。
――残酷な話だが、これで二人に何かを与えられたら。……ありえないことだろうが、もしも鹿目が生き延びていたら……。
霊山も、鹿目が生き延びていることを望んでいる。自分が受け持っているからとかではなく、ただ単純に、山の中での人の死など、もう見たくなかったのだ。
「……あれは?」
先頭を行く駐在所の警官が訝しげな声で先を示す。
そこに、一匹の獣がいた。勢いを失くした粉雪の中で佇む純白の獣。特徴からして、一回り大きなイヌのようだ。
「山犬か? だが、大山に山犬なんて、精々野良くらいしか――」
そう疑問を口にした時だった。
ウォオオオーーーーーーンッッッ!!!!
その動物が、猛々しく遠吠えを上げたのは。
「遠吠え!? まさか……オオカミ!?」
「オオカミ!? って……白い、オオカミ……白狼?」
その言葉は、穂田の口から出た。なにせ穂田は白狼のことをよく知っているのだ。今助けようとしている者が、白狼を祀る神社の娘だから。
白狼は、ゆっくりと谷の奥に歩み、振り返ってまた吠えた。
「なんだ? あのオオカミは」
「……ついて来いって、そう言ってるみたいですね」
我知らず、穂田は駆けだす。それを追って体力が限界に近かったはずの若杉が。遅れて霊山たちと駐在員が続いた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
穂田は必死に走った。視界の先に居るオオカミは誘うように穂田を待ち、そして追いつきかけるとまた駆けた。
いつしか、穂田と若杉は他のメンバーをほったらかしてひたすらオオカミを追いかけていた。
そして、それが十分くらい続いただろうか
「…………どこ行った?」
「さ、さぁ……」
オオカミの姿は、忽然と消えていた。
辺りは、粉雪が朝日を反射する幻想的な雪原。
ザク! ザク! ザク!
「!? なんだぁ!?」
前方の雪が凄まじい勢いで掻き分けられていく。どうやら何かが接近しているようだ。先ほどのオオカミかとも思ったが、それも違う。穂田は疲労困憊の若杉を守れるよう前に立ち、じっと待つ。
そして、厚く積もった雪が払われ、
「えっ!? クマ――」
とっさに叫びかけた若杉の口をふさぐ。目の前に現れたのはクマだ。冬眠のこの時期に野生のクマ。
――穴持たずか!
冬眠になっても栄養状態から冬眠しないクマは稀に現れ、それは“穴持たず”と呼ばれていた。クマは山人にとっては危険な動物と認知されている。クマと遭遇して命を落とした登山者の話はいくつも存在する。
警戒を強め、目線を逸らさないようにしながら一歩一歩下がる。クマと遭遇した時の対処法だ。
だが、そのクマはスッと道を開けた。後ろからは何十匹ものタヌキが現れ、これまた避けていく。
「え? な、なに?」
「タヌキ……?」
あっけにとられる二人。その前に、さらにタヌキが現れた。
一人の人間を背負ったタヌキの集団。その先頭には、笠を被った一匹のタヌキ。そして、背負われた人間は――
「鹿目先輩っ!」
「鹿目っ!」
二人は慌てて駆け寄る。それより一歩早く、タヌキたちはさっと蜘蛛の子を散らすように去り、遠巻きに二人を見つける。先ほどのクマも、そして遠くにはあの白いオオカミもいた。
「鹿目……!? まだ、生きてる!?」
「ほ、本当ですか!?」
脈を診た穂田の言葉に、若杉は思わず顔を歪め――
「いや、まだ油断ならない。一刻も早く下山しないと」
穂田はそのまま鹿目の四肢の状態を確認する。両脚の骨が折れているが、大怪我はそこだけ。低体温症とかの様子は、ひとまず担ぎ下ろしてからの確認になる。
「若杉は下に合図を出してくれ」
「は、はい!」
言われて若杉は追いかけてくる霊山たちを呼ぶ。
ひとまずの状態確認を終えた穂田は、一つ息を吐いていた。
「……あ」
すると、まるで無事の確認が終わるのを待っていたかのようにタヌキたちが散って行った。クマも、オオカミも、タヌキたちも、一斉に山に帰って行く。
残ったのは、あの笠を被ったタヌキだった。
そのタヌキは鹿目に近づき、穂田を見上げ、何かを訴えるように見つめた。
「…………」
「…………」
穂田とタヌキは見つめ合う。だが、今回は長くは続かない。タヌキは「キュン」と一鳴きすると、穂田たちに背を向け山に帰って行く。
「あ、待てよタヌキ……っ!?」
その時、声をかけた瞬間だ。
穂田は、なぜそんなことを考えてしまったのかと、自分で自分が分からなかった。だが、一度脳裏をよぎったそれは、もう覆しようがない。意を決して、覚悟を決めて、そして、言葉を叫んだ――
「待てよ、悠治ッ!!」
――その名前を。
タヌキはビクリと飛び跳ねるほど反応し、振り返る。
「なぁ、お前タヌキだろ? 悠治だろ? そうだろ!?」
タヌキは、しばし沈黙のまま穂田を見つめていた。今度はさっきよりも長く、葛藤するかのようにタヌキはじっと穂田に視線をぶつけ……そして、鳴いた。
「――キュンッ!!」
それを最後に、タヌキは去った。広大な大山の山の中へ。
肯定するかのような鳴き声を残して。
雪原は、晴れ渡る空からの日差しが降り注ぎ、キラキラと輝いていた。
冬山編、終了です。
次回よりエピローグっぽい部分です。




