表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/35

第30話 厳冬大山救出劇 その3

「ジンの奴……大丈夫か?」


 必死に掘り進め、なんとか人一人が入れるほどの隙間を作り、俺たちは何とか鹿目を穴の中に引きずり込めた。

 鹿目は相変わらず意識を失くしたままだ。時折うめき声を発するが、意識が戻る様子はない。ザックの中にあった防寒具やツェルトをどうにか引っ張り出しかけてやる。だがそれも焼け石に水か……いや、多少の効果はあるはずだ。


 顔だけひょっこり穴の外に出してみる。轟々と鳴り響く暴風に氷粒が混じり俺の顔面を容赦なく叩き続ける。大半が毛に遮られるのは救いだな。

 外は……もう夕方だ。薄暗くなり始めた大山の中腹、このまま留まり続けるのは正直辛い。鹿目にとっても、そして俺にとっても。


 ――早く戻ってきてくれよぉ……ジン。


 情けなく縋ってしまった。だが、今はそれよりほかにないのだ。

 ジンは救助隊を探しに一匹で暴風の中に駆けだしてしまった。だけどジンはニホンオオカミ。見つかってしまえば大騒ぎで、大山に居られなくなるかもしれない。どっかの団体に保護されて、もう二度と会えなくなるかもしれないのだ。

 なのに、ジンは「兄貴の望みを叶えるのが、あっしの役目でさぁ!」と宣言し、俺の静止も聞かずに行ってしまった。それから、数時間は経っただろうか。未だにジンの姿はない。


 俺は穴の中に顔をひっこめ、かじかむ前脚と鼻先で穴の口をできる限り塞ぐ。これでよし。中の気温は、少なくとも外よりはマシなはずだ。

 今日はビバークってわけだな。


 俺は鹿目の体を温めるために覆いかぶさる。時折外の様子を窺いながら天気が回復する時を待つ。




***




 明け方。

 ようやく目を覚ました俺は、鹿目の身体の上から降りる。鹿目の口元に頬を当て、呼吸を確認。だいぶ弱々しいが、まだ生きている。まったく、大したもんだよ。普通なら、凍死してもおかしくないような環境下で、どうにか無事なんだ。雪洞を掘れて、その中に居ただけまだマシか。


 俺は入口辺りを掘り、外の様子を窺った。昨日と同じように吹雪いているが

それでもだいぶマシになっていた。いける……のだろうか


 鹿目の方に振り返る。相変わらず意識は朦朧として――そしてほとんど失ったまま。たまに僅かに目覚める時があるものの、うわ言のように呟くだけ。正直、このまま留まり続けるのは限界だろう。


 ――行くべきか? だけど……


 判断に迷う。このまま留まり救助を待つ手もあるが、鹿目は雪崩に巻き込まれたとなっている。現実は俺たちがこうして掘り出し、雪洞で匿っているのだが、それを救助隊員は知らないのだ。うまくジンが連れて来てくれればいいのだが……そのジンが救助隊を探しに出てからすでに半日は経過している。


「…………ぅ……」


 苦しげな声が、鹿目の口から漏れる。両足骨折を何の処置も出来ず放置。しかも雪山で――この極寒の環境下に放置しているのだ。足は、もう諦めなければならないだろう。実際に足の状態を確認したわけではないが、その状況は容易に想像できた。


 限界だ。鹿目を連れてどうにか山を下りる。

 それは何度だって考えた。だけど、実行には移せない。タヌキ一匹で人間一人を担ぎ下ろすなど無謀にもほどがある。担いだところで、少しの衝撃で背負った者を落してしまうかもしれない。人里にたどり着くまでにそれを何度か繰り返すのも想像がつく。そのタイムロスの分だけ、鹿目を外気にさらす時間も伸びるのだ。


 ――くそぉ……救助隊どころか、ジンの姿さえ見えねぇ


 外は相変わらず白一色だった。風に舞い散る白い粉のような雪。差し込む朝日を粉雪一つ一つが反射し、幻想的な雪山の夜明けを彩る。普段なら目を奪われるような美しい光景。なのに、今は憎らしくてたまらない。


「……あ、すごい……きれい」

 ――鹿目!?


 驚き振り返ると、両手で這うようにして穴から顔を出す鹿目がいた。その視線は、どこか虚ろで、像を捉えていないような。


「すごい……こんな景色……私、初めてです」


 虚ろな瞳で、鹿目は遠くを見るように空を見上げる。きらきらと輝く瞳は、幻想的に舞い散る粉雪を映しているのか……。


「ねぇ……初めてですよね……十九川君……」




 ――…………え?


 鹿目の視線は、相変わらず虚ろなまま。虚ろなままだけど……それが俺を捉えて離れない。夢でも見ているような……そんな口調だ。


「前に……十九川君と、一緒に……大山の山頂に行きましたよね。あの時も……とても天気が良くて……隠岐の島まで、見渡せて……」


 か、かの……め……お前……


「ねぇ……十九川君。……あなたが、見えるってことは……そう、いう……こ、と……ですよね。……そっかぁ…………私、ドジしちゃったのかなぁ……」


 ……ダメだ。


「十九川君……きっと、そちらの楽しいこと……たくさん、知って……るん、ですよね……」


 ……ダメだ。まだ、その時じゃない。つか、俺はそっちにはいない。


「私にも……教えて、くだ……さい。十九川、君が……教えて…………くれた。……登山、みたいに……ね?」


 だから……もうちょっと頑張れって。こんなの……俺は、もう……。


「最後に……十九川君が――悠治君が言っていた……冬の絶景を、見ることが出来て……ホント……よかっ………………」


 ……けんな。……ふざけるなよ。勝手に諦めて……勝手に終わるんじゃねぇッ!!




 僅かに開けていた雪洞の入り口にタックルをかまし、雪洞は大きく口を開いた。同時に、外からの外気が容赦なく吹き込み、俺の身体を一層震え上がらせる。だが、冬に備えて伸びきったタヌキの体毛が冷気を大幅にカットしてくれる。体毛に守られていない顔面は寒さで凍え、刺すように痛む。

 はっ、そんなの我慢すればいいだけだ!!


 ――まだだ、まだだぞ鹿目。まだ、生き延びる方法は残ってるッ!!


 さっきまで考えていた下山への打算とか、可能性とか、タヌキの身で出来ることとか、そういった予測的なことは全て消し飛んだ。

 俺は鹿目の身体の下に潜り込み、全身に力を籠めて立ち上がる。


 ――ッッッ!!!! くっそぉ、ジンの野郎ッ!! 肩口なんて噛みやがって!!


 分かってる。荒れ狂いそうな俺を押さえるためにやったってのは分かってる! だけど、こんな時に弊害が来るのかよ。……いや、もう構ってられない。この程度の痛みがなんだ。このくらい、どうってことないんだ!!


 俺は鹿目を無理やり担ぎ上げ、吹雪の中に足を踏みだす。

 昨日よりは弱まったといえど、相変わらず吹雪の勢いは強い。ここまで気にしてなかったが、いざ踏み出してみるとその冷気と粉雪が傷口に染み込んで激痛が走る。全身をかきむしるような痛み。だけど、こんなので足を止める訳にはいかねぇ!!


 鹿目の体重は……持った感じからして五十キロより少し下か? たぶん平均体重を下回ってるのだろう。だけど、その程度の重さでも今の身体には過分な重量だった。ザックを外すことが出来たのは、幸いだったな。


 ――ああくそっ!! 女子一人の体重で根を上げんなよ俺ッ!! 元は山岳部だろうがッ!!


 一歩、また一歩。踏み出すたびにザクザクと足が沈む。

 雪を掻き分けるようにして進むのは、けっこうしんどい。積もった雪は俺の顔くらいまであるから、雪の中を潜航するような感覚だった。どこまで歩いても、眼前にあるのは雪だけ。場所を確認しようと顔を上げても、ホワイトアウト寸前の元谷の視界は最悪だ。

 でも、もうこれしかない。救助隊を待つ余裕なんて残ってないし、もう俺が担いで下山させるしか、鹿目を助ける方法はない!!




***




 だが、冬でも活動できる野生動物と言えど、それは活動を最小限に(とど)めた上でのことだ。普段やるはずのない重労働を無理に行えば、限界は早々にやってくる。


 ――はぁはぁはぁ……お、俺も、意識が、薄くなってきたな……。


 鹿目を背負い、吹き荒れる吹雪の中に進みだしてどれくらい経ったのだろう。時間間隔は、すでにない。

 瞼が重い、肩が痛い、全身にかかる重量に押しつぶされそうだ。昨日から何も食べずに活動を続け、ただでさえ凍えるような寒さだと言うのに、突貫で掘った雪洞で一夜を過ごす。その無理に無理を重ねたようなスケジュールは、確実に俺の体力を奪っていた。

 もう、一歩踏み出すのにもかなりの時間を有する。

 腹は減ったし、肩から流れた血が体力を奪う。普段から笠を被っていた所為か、頭の上を吹き抜ける風が異様に寒く感じる。

 だけど、俺は諦めない。まだ歩みを進め、止めない。




 ――まだだ、まだ歩ける。あともう少し、もう少しで吹雪も治まる。そうすれば……救助隊もやってくる。だから……それまでの出来るだけ歩かないと……。


 背負った鹿目の様子を確認する余裕はない。

 もしかしたら、今俺が背負っているのはただの死体なのか? 一瞬、そんな思考が過り、直ぐに思考から叩き出す。


 今は、そんなことを考えてられない。雪洞で待つのを諦めて……鹿目を背負って……下山することを選んだんだ。だったら……早く……人里に、着けるよう……歩き、続け……ない……と…………。







 ――…………あれ?


 そこで、気付いた。

 俺は、ほとんど歩みを進めてなどいなかった。雪洞から飛び出して、ほんの百歩ほど歩いた地点。雪洞の口が、まだ薄ら確認できる辺りで、俺は雪面に突っ伏していたのだ。


 ――おいおい……なにやってんだよ、俺は。まだまだ……歩けんだろうが……。


 心の中で己に言い聞かせるように念じ、踏み出す。

 だけど、脚はピクリとも動かなかった。脳から信号は送られ、動かそうと努力は出来る。だけど、身体の方が、ちっとも信号を受け付けてくれない。まるで、すでにこの身体は俺の物ではないかのようだ。

 そして、その事実がやんわりと俺の胸に染み込んでいくのと同時に、俺の脳裏にも最悪のそれが上書きされていく。


 ――……もう、限界……なのか…………?


 冷たい雪は――だけど、ちっとも冷たさなんて感じない。ふわふわの、綿のような質感だった。

 轟々と拭き続ける風も――やさしい、春のそよ風のように穏やかに感じた。


 ――ははは……いろいろやろうとはしたけどさ……これで終わり……か……。


 結局、なんだったんだ。この一年は。

 突然タヌキになって……人間の俺は火葬されて……何とかタヌキとして生きようとしたら、せっかくの友達が死んで……それが悔しくて、繰り返さないようにしたのに……ここで、死ぬ……か。


 ――ああ、もうなんでもいいか。いいさ、終わりで。


 俺の思考に、そんな後ろ向きな言葉が掲示され、あっさり受け入れてしまった。だけど俺は、それすらしょうがないと諦め……目を閉じる。














『――ふざけないで』


 ……え?


『アンタの……アンタの決意は、その程度なの? ふざけるんじゃないわよ。あたしを……命這ってまでアンタを助けたあたしを……幻滅させるんじゃないッ!!!!』


 な……なんだよ、今の……幻聴……なのか?


『だらしなわね。アンタ、もう同じことを繰り返したくないんでしょ。二度と、あたしと同じように死んでいくのを見たくないって、そう言ったじゃないの。だったら、最後の最後までそれを貫き通しなさいよッ!!』


 朦朧と、今にも消え入りそうだった意識が一瞬で覚醒した。瞼を押し上げ、どこにそんな力が残っていたのかと驚くような素早さで俺は立ち上がる。もちろん、鹿目を背負ったまま。




 そして、見えた。吹雪の中に……粉雪がある地点で滞留し、そこに一匹の生物の姿が浮かび上がる。


「……い、いぶ……き?」

『そんな情けない声出すんじゃないわ。アンタがそんな姿、あたしは見たくない。そんな弱々しい姿、あたしの惚れた悠治じゃない!』


 サク、サク、

 雪を踏みしめる涼やかな音が、伊吹の足元から聞こえた。いや、幻聴だ。伊吹は、ここに居る筈がない。でも……。


『諦めないで。その子を助けることは、悠治にとって避けては通れない関門。その子をこのまま死なせたら、アンタは一生後悔する。絶対』


 伊吹は、さっきとは違う優しい口調で俺に言う。


「……だけど、俺はもうほとんど歩ける気がしない」

『アンタねぇ……もう二度とあたしみたいに死んでいくのは見たくない。そう決意したんでしょ』

「そ、そうだが……だけど……俺はもう――」

『だったら!! 最後まで死ぬ気でやりなさい!! もう死にそうだとか、限界だとか、そんな情けない事言う暇があるんなら歩く!! 例えそれでアンタが力尽きたとしても、後悔するような諦め方はするんじゃないッ!! どうせ死ぬんなら、最後の最後まで限界に挑めッ!!』


 後悔するような、諦め方……それは、今……なのか?


 は、ははは……確かにな。これじゃあホント、納得のいかねぇ終わりだよ。

 もしすぐそこにジンが戻ってきてたら?

 もしすぐそこまで救助隊が来ていたら?


 もし、ここで俺が諦めなかったら、鹿目は助かるのだとしたら?




 後悔してもしきれねぇ。それこそ、来世まで後悔を引き摺りそうなくらい。


『……どうやら、やる気は戻ったようね。それでこそ、あたしの惚れたタヌキ――いえ、人間――ううん、……悠治だわ』


 伊吹は、さっきよりもずっと柔らかい笑みを浮かべて俺に微笑んでくれた。ああ、この顔、いつ以来何だろうなぁ……と、それどころじゃない


「気合で何とかなる! ……でも、どうしても時間がかかる。その間に、きっと鹿目は死んじまう。俺一匹じゃ、どうしようもない。俺が頑張ったって――」

『なに、やる気が戻ったってのにまだ心配事? タヌキだけで海に行くなんて無謀やる癖に案外心配症なの?』

「そ、それは……変なこと言うなよ」

『あっはは。でもね悠治。アンタは自分で言った事、全部忘れてるじゃない』

「言ったこと……?」

『ふふふ、アンタがやる気を戻せれば十分よ。……アンタがこの一年近く、タヌキとして過ごしてきたその成果、今こそ発揮する時じゃないの?』

「は?」


 発揮するって……いったい何を?

 そんな俺の心境を悟ってか、伊吹は背後を示した。雪原には相変わらず粉雪が降り積もる。だが昨日よりも、そして俺が雪洞から飛び出す時よりも、だいぶ勢いは落ち着いている。そして、その分視界も確保されていた。


 雪原の遥か遠く。何かが、こちらに向かって走って来るのが見えた。最初は救助隊かと思ったが――違う。それよりももっと小さい。そう……俺と同じくらい。




「居たぞぉ、悠治だぁ!! みんなぁ、急ぐだよぉ!!!!」

「「「「おおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」」」」


 山の――大山に住む、タヌキたちだった。







 吹雪は、すでに治まっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ