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第29話 厳冬大山救出劇 その2

登山救助についての知識はあまり深くないので、ほとんど想像です。

「救助に行けないって、どういうことですかっ!!!!」


 外からは轟々と荒れ狂う吹雪が轟音を立てる。

 そしてここ、大山の駐在所の中でも穂田が机に拳を叩きつけて怒鳴っていた。


「穂田、落ち着け」

「だけど先生っ!!」

「この荒れ空だ。今から1000m近くまで行き、遭難した鹿目を探すのは困難。二重遭難の可能性が極めて高い。お前だって分かるだろう」

「そうですけど……でもっ!」


 納得いかない。胸からせり上がる心情を叩きつけるように、穂田は背後の壁に拳を打ち付ける。


「向かう準備は整ってる。あとは、天候の回復次第だな」

「すまん。その時には私も同行する……」


 霊山と駐在所の職員がそう言葉を交わすのを、穂田は外の天気以上に荒れた心情で聞き流していた。

 今すぐにでも救助に向かいたかった。稜線の上からでは難かったが、ここまで下りればやりようもある。

 雪崩の様子は観測されており、どこまで流れたかの見当もついている。穂田たちの証言により、鹿目が元谷に滑落したことも判明している。地図上では、目と鼻の先なのだ。なのに、そこに行くことすらできない。


「クソッ!!」


 鬱屈した気持ちを一言に乗せて吐き出すが、それでも心は静まらない。

 普段の穂田を知っている者が今の彼を見たら、きっと目を疑うだろう。穂田龍星は、普段はここまで己の不満を口に出すような人間ではない。お茶らけて、少々お調子者なくらいが普段の穂田だ。部内でも、学内でも、それが共通認識だ。

 そんな穂田がここまで荒れるには、理由は一つしかない。


 ――でだよ、なんでだよ! なんで俺のダチばっかりこうなるんだッ!!


 約一年前、穂田にとって親友ともいえる少年が死んだ。唐突に、何の前触れもなく。その時も鬱屈した気分を味わっている。だが、それから一年以内にもう一度同じ思い味わうなど、誰が予想できるだろうか。


「先輩……」

「っと、若杉」


 声に気づいて振り向くと現在の山岳部唯一の一年生――若杉結月が俯きながらそこに居た。


「先輩……ごめんなさい。私が、私があそこで帽子を落さなかったら、もっと早く下りていれば、こんなことには……」


 若杉は今にも泣きそうで、瞳に涙をいっぱいに溜めていた。「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も謝罪の言葉を言い続ける。


「あ、……いや、若杉だけの所為じゃないから、俺にだって……パーティリーダーとしては――」

「――責任がどうこう言うのは後にしろ」

「先生」


 二人の会話に霊山が割り込んできた。その顔は、いつものように澄ましているが、これまで二人が見てきた中では最も真剣みを帯びていた。


「今は我々にできることをする。天気が回復するまでに、やっておくことがあるだろう」

「やっておくことって……?」


 そう若杉が聞くと、霊山は水の入ったポリ袋とカップ麺を指し出す。


「鹿目の救助に向かう前に、腹ごしらえはしておけ。空腹で、救助に必要な力が出ないだと、論外だからな」


 「きちんと用意してきた水で調理しろよ」そう付け加えたが。


「は……はい、分かりました!」


 二人がそのまま駐在所の奥へと消えていき、霊山は一つ息を吐いた。


「……教師になっても変わらんなぁ、お前は」


 さっきまで霊山と話していた駐在所の警察官が、こんな時だと言うのに昔を懐かしむように言った。


「うるさいぞ。……あいつらは、精神的に参っているからな。少し意識を背けてやっただけだ。状況が最悪というのに、そこから目を逸らさせるなど……教師としてはどうなんだろうな」

「いやいや、僕は最良の判断だったと思うけど」

「……鹿目は、春まで見つからない可能性があるな」

「まぁね。予報聞いても、天候の回復は明日だろうし。その間に雪に埋められたら、もう見つけるのも難しい。遺体回収すらできない、か」

「まったく、やはり私は……運の無い男だ」

「つくづくね。お前は周りにばかり不運を撒き散らすよ」

「……そこはフォローすべきじゃないのか?」

「最良のフォローだったと思うけど?」


 大山を覆う雲は、さらにその力を発揮し始める。




***




「うっひゃー! 吹雪が酷いわー! なぁあんちゃん。ウチラちゃんと帰れるんかぁ?」

「…………」


 笠を被った金次はとぼとぼと歩き続けた。吹雪の勢いを防げるよう、木々の乱立する森の中を進むのだが、風は金次を吹き飛ばさんばかりに吹き込む。その笠の中に居るヤマネたちも、隙間から吹き抜ける風に凍えるような思いだった。


「あらら、こらあかんわ。すっかり無口やん。ウチラもやけど」


 ネンは左右の二匹に目を向ける。ヤンもマンも身体を縮こませ、金次の頭の毛にしがみ付いたまま一言も発さない。発する元気も残っていない。


「あかんわ。このままじゃ巣に着く前に凍死してまうわ」


 ネンは意を決して金次の頭から抜け出て、背中から周囲を見渡す。吹き抜ける風が小手先の身体を吹き飛ばしかけ、毛にしがみ付いて難を逃れる。舞い散る雪が視界を塞ぐが、それでもかろうじて見える景色に目を凝らす。


「あ!? あんちゃん。あそこに横穴が空いとるわ!! 一旦避難しよ? ウチラもあんちゃんも耐えられえへんわ」


 金次はその声に反応し、ゆっくり視線をネンが示す方に向ける。そして、ゆっくりとした歩みでなんとか穴に身を横たえた。


「はふぅー……やっぱ、穴の中のがナンボかマシやな。助かったわぁ」

「こ、凍え死ぬ……でゴワス」

「もう、ここで吹雪が過ぎ去るのを待ちましょう。あ、もう春までここで冬眠するのもアリです」


 ヤマネたちはそれぞれ居心地のよさそうな隙間を探し、さっとそこに駆け込んだ。幸い、穴は入り組んでおり、風が直接吹き込んでくるようなことはなかった。




「ネン?」

「うん? なんやあんちゃん」


 金次は外を見ながらぼんやりと話し始める。


「僕……僕の方が、おかしいのかなぁ」

「っていうと?」

「にぃちゃんは僕よりもいろんなことを知ってる。だから、にぃちゃんの方が正しかったのかなぁって。あの時、人間を助けようとしたにぃちゃんの方が……」

「あんちゃん……いや金次。そら違う。断じて違う」


 ネンは寝床に衣装としていた隙間から飛び出し、金次の前に立つ。


「ニーサンはな、知っとる奴を亡くしたくないだけや。あの人間も、よぅ知っとる人間やから死に物狂いで助けようとしとる。ウチラがニーサンの傍に居れるのもそのおかげや。ウチラヤマネはネズミの仲間。ネズミは、あんたらタヌキに喰われる定めでもある。現にウチの知り合いかて何匹も食べられとる。ウチラは、“たまたま”ニーサンと知り合ったから、仲がよぅなったから一緒に暮らせとるんや。ニーサンかて、見ず知らずの虫なんか当たり前のように食べるやろ」

「で、でも虫って僕たちの食べ物で……」

「そんなん、ウチラやってあんたらの食べ物やんか。ニーサンは知り合った連中を失いたくないゆうたんやろ?」


 金次はおぼろげに思い出す。満月の日、悠治が言っていたこと。


『伊吹の死を、あいつと同じことをもう二度と繰り返したくないんだ』


「ねぇちゃんと同じことを繰り返したくないって……」

「それや。あんちゃんのゆう“ねぇちゃん”ってのはニーサンにとって大切な知り合い。それを失いたくないゆうんがニーサンの想い。――意地や。我侭や」


 ビシッ!

 と、前足の片方を持ち上げ何かを指差す仕草をするネン。


「ニーサンのそれはニーサンがやりたい思うてること。それが正しいか間違いかなんて、関係あらへんわ」

「にいちゃんのやりたいこと……」

「金次さん。あの、そのぉ……あなたはそれを受けて、好きにしていいんですよ。今みたいに、人間を助けるのが嫌だからこうして離れても、邪魔したっていいと思います。それが金次さんの我侭ですから。悠治さんが我侭でやるなら、金次さんが我侭で返したって」

「度が過ぎた我侭は、流石にダメでゴワス。でも、時には我侭を通すことも必要と思うでゴワスよ」


 いつの間にか、ヤンとマンも震える身体で歩み寄り、金次に言葉を投げかける。




 ゴォォ……。


「まだまだ風が強いわぁ。こら、ニーサンも助かるかどうか……」

「え!? にぃちゃんが?」


 心配そうなネンの言葉に視線を外に向けると、確かに先ほどまでよりも吹雪が強まっていた。これがピークなのか、それともさらに強くなるか、それは分からないが、このままでは悠治の命すら危うい。


「なぁあんちゃん。あんちゃんは、どうしたいんや? ニーサンは友達を亡くしたくないゆうてガンバっとる。ウチラも、それには共感やし、できるなら手伝いたい。でも、あんちゃんは人間を助けるなんて嫌やろ? あんちゃんはどうする? 自分の我侭を貫いて傍観するか、それをへし曲げてニーサンを手伝うか」

「ぼ、僕は……」


 人間を助けるなんて、嫌だ。ねぇちゃんを奪った人間なんて、絶滅してしまえばいい。滅んでしまえばいい。そうも思っている。だけど、今こうして悠治が死ぬかもしれないと聞くと、ある別の想いが急速に膨れ上がってきた。

 それは奇しくも先ほど聞いた悠治の意志と同じ。急速に膨れ上がるそれは、金次の中の人間に対する憎しみすら押しつぶし、やがて心の全体に行き渡った。


 ――生死に対する倫理観……だっけ? ジンさんの言ってた。やっぱり、僕にもよく分かんないや。ホントに、難しい話だよね。でも!


「決まったようやな。ウチラは、あんちゃんとその笠がないと移動もままならんからあんちゃんについて行くで」

「お願いします、金次さん」

「決めたなら行動。素早くする、でゴワス」


 金次は大きく頷き立ち上がる。その背後に、この穴の主たちが迫っていることにも気づかぬまま。




***




「はぁはぁはぁ……くっそぉ……鼻がちっとも効きやしねぇ!」


 目に映るのは白、白、白。白しか見えない。しかも吹雪の勢いも強く、その音もかなり酷い。怒鳴る勢いで言ったその声が、己の耳にすら届かなかった。

 ホワイトアウト。

 視界が猛吹雪によって白一色に埋め尽くされ、自分の居場所すらつかめなくなる状態を指す言葉だ。雪山や、豪雪地帯でも使われる最も危険な吹雪の状態。ジンの周囲は、まさにそれだった。


「クソッタレがぁ!! んなとこで……こんなとこでぶっ倒れて堪るかちくしょうがッ!!」


 耳に届く音は吹きすさぶ吹雪。目に映るは舞い踊り停滞することの無い雪。灰色の毛は、舞い散る粉雪が纏わりつきすっかり白く染まっている。

 空も、大地も、そして己すらも白。まさに白一色の谷を、ジンは必死の思いで下り続けた。普段なら一時間もいらないだろう距離。元谷は大山登山口のほど近くまで続いており、人間たちの集落があるのもその辺り。以前ジンが悠治に教えてもらった大山登山道周辺の地理だ。

 すなわち、ただ谷に沿って下りればいいだけだった。それだけで、目的の人間がいる場所まで進むことが出来る。出来る……のに、今はその方向すら判別がつかない。


「……グッ……やべぇ、感覚が、なくな、って……きや、がった……」


 倒れそうになる己を、ジンは必死に踏ん張る。吹雪の勢いは強く、気を抜けばあっという間に吹き飛ばされそうだ。しかし、ジンにも、もはやその力が残っていない。


「く……くそぉ……無茶、やらかし、たか……」


 生物は皆死ぬ。いつ死んでも、変わりない。

 それは、ジンが自分で口にした言葉だ。同時に、ある者からの受け売りでもあった。

 ジンはニホンオオカミ最後の生き残り。その者は、それが分かってて……いや、例えジンが最期の一匹でなくとも同じことを言っただろう。その者の信念のような言葉でもあったからだ。そして、それには続きがある。


 いつ死んでも変わりはない。だけど、生きている間に成したことは、必ず何かに影響を与える。それこそが、生き続ける本当の意味だ、と。


『……くたばりぞこないが。まだ生きてやがった』


 遠い、どこか遠くからその言葉が響く。ジンの胸に。


「……まだだ……まだだジジイ! おれぁ……オレは、まだ! くたばっちゃいねぇ! テメェのとこに逝くのはまだ百年早えんだよッ!!」




 ウォオオオーーーーーーンッッッ!!!!


 吹雪の轟音が――轟音を引き裂くような猛々しい遠吠えがジンの喉から発せられる。一瞬、時が止まったように雪の勢いが弱まり、だがすぐに吹雪はジンを襲う。


「ハッ! まだまだ、オレは悠治の兄貴の弟分、ジンだ! 兄貴の望みを果たすまで、くたばる気はねぇぜッ!!」


 さらに一声、気合を入れんがための咆哮を上げ、ジンは吹雪の中に駆けだす。その姿は、狼町に語られる伝説の……。




 ジンが咆哮を上げ再び駆け出そうとしていた頃、時刻はすでに深夜――日を跨ぐ時刻だった。


 吹雪は、少しずつ、治まり始めていた。


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