第26話:年越し
「えー本年も様々なことがありました。三月に新しい仲間を迎え、それから山の中に多くの変化があったと私は思っております。今では我々タヌキだけで行っていたこの集会も、新たな仲間を迎え……であって……だから……」
今日も長い話が続く。一年に一度の記念的な日でも、一切変わることなく、彼の話は長々と続けられた。
「相っ変わらずなげぇな。さっさと締めてくれよ……あーくそ、吠えたくて我慢ならねぇ」
「ジン。今日くらいは我慢して鈴之助の話を聞いてやろうってことになったんだから……我慢しないとダメだぁよ」
「ま、なげーのはオレも同感だ。おいジン。これ終わったらよぉ、一杯やろうぜ」
「アル中タヌキは黙ってろ。……クソ、兄貴が留守って時にこいつらはうるせぇなぁ……」
「……おい、アル中ってなんだよ。ぼっちのオオカミが」
「ハッ、一匹狼っつう、立派なお言葉を知らねぇのか?」
「なに言ってんだ? お前は金魚の糞よろしく悠治の糞だろ?」
「あ? やんのか?」
「おお?」
ジンが腰を落とし、瞳を夜闇にギラリと閃かせる。対する興六は全身の毛を逆立て威嚇ポーズ。ただ、山とは違った危険が蔓延する人の町中で暮らしてきた成果か、それは獰猛なオオカミのジンに負けず劣らず。
「オメェら……今日くらい静かに聞いてやるだよ。ほら、鈴之助がこっち睨んでるだよ」
「「クソマジメタヌキの話なんか知ったことかぁあ!!!!」」
「あ、こりゃダメだぁ」
犬歯を閃かせ乱闘を始めるタヌキとオオカミ。それを生暖かく見つめるのは、タヌキばかりである。
鈴之助の言う通りいくつかの別種の動物たちも参加するようになった大山タヌキ集会だが、今日は、タヌキ以外なのはジン一匹だった。理由は簡単、他の者たちはみな冬眠中なのだから。
「ヤマネのみんなも妙おばさんも寒いから嫌だって来ないし、にぃちゃんも出かけちゃったし……年越しってこんな感じなの?」
「あいつらは冬眠する時期だからなぁ、そらぁ出てこねぇ。だからこんなもんだぁよ。……いや、タヌキの集まりだからこれが普通の筈だぁ。でも悠治がオラたちと年越しを過ごさないってのはちょっと気にもなるな……そういや、悠治の奴はこんな日にどーこ行っちまったんだ?」
嘉六がなんとなしに尋ねると、金次は顔を地面に落とし、つまらなげに答えた。
「人間の年越しを見に行くんだって。ホント、にぃちゃんは何であんなことがあっても人間を憎まないんだろうなぁ……」
***
さわさわさわさわ。
俺の触り心地抜群の毛が撫でられる。気のせいなのか、普段より激しく撫でまわされている気がする。
「……これで……今年も撫で納めかぁ……」
ほっそりとした白い手が俺の背中の毛の奥まで侵入し、フニフニと肌を優しくマッサージ(?)。次いでもう片方の手が顎の下に伸び、軽くくすぐる様に刺激。背中に回されていた手が今度は頭をやさしくなでなで。次いで腹の下にさわさわ。
ずっと外に居たのだろうすっかり冷え切ったその手が俺の肌から体内へ冷気を染み込ませ、俺は縮こまる。
だが逃げられない。だって、そういう魔力か何かが働いているように感じるんだもの。
「いや、撫で納めってなんだよ」
「今日は大晦日ですから。タヌキの肌触りを味わえるのも、今年は今日で終わりですよ?」
「ははは……俺にはよく分からん」
安心しろ、穂田。鹿目のこれは俺にもさっぱり分からんから。
俺たちが屯しているのは白狼神社の裏側。表はすでに参拝客でいっぱいだ。まだ元旦の0時でもないのにさ。
白狼神社は、俺の故郷【狼町】にある唯一の神社。だから大晦日から元旦にかけての間は狼町の人々でごった返すのだ。
近くの大山町には白狼神社よりも知名度が高い【大神山神社】があるのでそちらに参拝する人もいる。大山町の奥宮、米子市の本社。どちらもだ。だが、今日はそう言った人々もこちらに来ているのだろう。例年の倍近い人が、除夜の鐘を待たずして集っている。
【紅白歌合戦】など知ったことか! とでも言わんばかりだ。
で、何で今年に限って人がたくさん来るかというと……。
「でも、あと一時間もないんですね」
「ま、張り切って頑張れよ! 初の巫女神楽!」
「言わないでください。緊張で倒れそうです……」
そう! 今年は鹿目が初めて大舞台で巫女神楽を演じるのだ。
俺がタヌキ同士の交流――タヌキ内での年越し――をほったらかしてまで、人だかりでごった返す危険な町に出て来たのはこのためだ。
本当なら前みたいに縁の下に隠れてこっそり目に焼き付けておこうと思ってたさ。それで、人に気づかれないように神社の裏手に回ったんだ。だけど、まぁ……そこで話してた穂田と鹿目に見つかってな。こうやって撫でまわされているんだよ。
「……って鹿目? 何時まで撫でてる気だ?」
「神楽の準備をしないといけない時間ギリギリまでです♪ それに、タヌキは白狼神社で祀られている神様でもありますから」
むぎゅっ、と音がしそうなくらいに鹿目が俺を抱きしめる。
いや……うん。シチュエーション的には嬉しいけどさ、鹿目さん? 力の加減してくれない? ちょっ……と、苦しくなって……。
あ、それからギュッと抱かれてるからさ、鹿目のボディーラインがなんとなく分かる分かる。うん、何か予想してたけど、やっぱそこの発育は良くなかったんだ。前々から――混浴の時から――ちょっと気になってたんだよね~……俺、今ちょっと変態になってた?
「…………ごくっ」
つか穂田。お前はどこを見つめてるんだ。鹿目は気づいてないけど俺のタヌキ耳には聞こえたぞ。鹿目のうなじを覗き込んでお前は何を想像しているッ!!
ただ、なんだろうな。実際は鹿目と穂田がタヌキを交えて談笑してる微笑ましい(?)光景なんだけど、俺からすればすごく感嘆ものなんだ。考えて見たらさ、こうしてこの二人と一緒に話す――話してないけど――のはあの日以来なんだ。
――俺がタヌキになって以来の、三人での時間、か。
余計な人はいない。俺と鹿目と穂田の三人の時間。二人にとってはそう感じる訳ないんだけど、久しぶりなんだよな。こういうのって。
そういえば、これまではタヌキとして生きることに精いっぱいだったけど、一つ重大な疑問を残してたな。
俺って……どうしてタヌキになってしまったんだろうか?
まぁ、今は今で楽しいし、深く考えなくてもそのうち分かるよな。今は、せっかくの年越しの儀式だ。満喫させてもらおう。
「――おーい、琴葉ー!」
「あ! はーい、今戻りまーす!」
社務所の裏口から呼ばれ鹿目を呼ぶ声。おそらく「そろそろ準備をしろ」ということだろう。腕時計に目を落した穂田が「もう十一時半か」と呟く。
「それじゃ、行ってきます」
「おう、俺は――コイツと向こうの方で見てっから」
互いに一言交わし、穂田が俺を抱え上げる。どうやら、俺はこのまま穂田と一緒に鹿目の舞を見学することになりそうだ。
穂田は軽く手を上げ、片手で俺を持ち上げたまま歩き出す。俺はけっこう重い方だと思うが、それを片手で抱えられる辺り、穂田の腕力はかなりのものだ。
結構注目浴びるんだろうなぁ、と俺がのんきな思考に頭を傾け始めた時――
「きゃっ」
「鹿目!?」
鹿目が何かにつまずき、転びかける。穂田は俺をぱっと離し、さっと鹿目を支える。これも片手。
穂田……お前、反射神経もいいな。
穂田に支えられ、何とか転倒を避けられた鹿目の足から雪駄が外れている。
「雪駄の紐が切れたのか?」
「はい……あ、ありがとう穂田君。もう、大丈夫ですから……」
「おっと、わりぃ」
あ、離れた。穂田は全く気にしてなさそうな感じだけど……いや察しろよお前は。こういうドギマギのシーンでなに平然としてんだ。
「しっかし、紐が切れるって……年越す前にこれかよ。なんか、不吉だな」
「そ、そんなことないですよ。使い古してたから限界が来ただけです。それに、今年の内に切れてよかったかもしれないじゃないですか。来年に厄を持ちこまなくて済んだって」
「だといいんだけどなぁ、気ぃつけてな。頑張れよ」
「はい!」
そう、鹿目は気合を入れて社務所に戻って行く。のだが……
――……あれ?
俺はしきりに瞬きする。なんだろう、鹿目の後姿に、何か黒い煙のような何かが纏わりついているのだ。
これって、さっきの雪駄の紐と関係しているのかな? ……あー気になる! ちょっと様子見に――
「んじゃ行くかタヌ公。鹿目の晴れ舞台なんだから、見逃すんじゃねーぞ」
あ! コラ待て穂田! ちょ! 気になる! すっげー気になるからもうちょっと待てって!
「お前まさか鹿目の着替えを覗こうってのか!? 変態なタヌキもいたもんだなぁ」
――お前に言われたくねぇー!!!!
***
ゴーン、ゴーン、ゴーン……
除夜の鐘が、遠くから聞こえてくる。
ゴーン、ゴーン、ゴーン……
鐘の音は止まない。そして、今はそれすら静かな音楽の一つになっていた。
龍笛《りゅうてき》、太鼓、和琴、鈴、などなど。
俺にはどの楽器が、どんな音を奏でているのかなんて分からない。鹿目みたいな本職じゃないし、音楽関係はさっぱり興味なしだ。
――でも、さすがだよな。
昔ながらの日本文化を感じられる、趣深い音。圧倒されるような圧巻さじゃない。ただ穏やかに、静かに心に染み入るような音の旋律。
そして、その音の中で静かに舞う一人の少女。
俺は以前――と言っても数ヶ月も昔の話だが――彼女の舞を眼前で瞳に焼き付けた。それも二度。今日は、彼女の舞を見るのが三度目だ。
一度目、俺を送り出すため鹿目は初めて舞を踊った。俺の葬式の日だ。その時は、哀しみか途中で泣き崩れてしまっていた。
二度目は俺が一人……いや、一匹で見ることになった四月の終わりの日。外は土砂降り、一歩踏み出すたびに床が軋むような音を立てる。だが、そこは自然の音が調和し素晴らしい舞台だった。
そして三度目。
「…………鹿目」
穂田は柄にもなく熱い視線を舞殿に注ぐ。一心に、わき目も振らず、瞬きすらせず、一瞬たりとも見逃さないという気迫でいっぱいだった。
鹿目はゆったりと、扇子を手に舞う。
すっ、すっ、と複雑に身体が動き、ゆらりと腕が伸び、縮む。
鹿目は厳かな音楽に合わせるように……いや、音が鹿目に合わせるように宙を舞った。
それは、ただのエンターテインメントじゃなくて、俺には儀式にも見え……いや、これは儀式だ。
いつだったか鹿目は言っていた。巫女神楽とは一種の降霊の儀式だったと。嘗ては神を憑依させ、神託を下す儀式だったと。そして、神に奉納する儀式でもあると。
鹿目の舞は、以前よりも洗練されていた。いや、俺なんかの評価はおこがましい。
でも分かる。以前よりも、ずっとうまい。いや、技術云々じゃなくて、どこか凄みがあるんだ。こう……なんていうか……うまく説明は出来ないけどさ。
その時、俺の思考にひとつの単語が過った。
神を降ろす儀式……神?
なんか……ひっかかるな。
俺は神様なんて信じちゃいないし、せいぜいそういう文化なんだってことくらいしか思わない。だけど……なーんだろ。神様、神様……うーん?
いいや。分からないことにいつまでも頭ひねらせてたって仕方ない。それよりも、今は鹿目の巫女神楽だ。
とにかく、何かすげぇ。
すごい。すごい……けど、
――あれ……なんだ?
集まった人々はみな、鹿目の神楽に目を奪われている。だが、その中でただ一人――ただ一匹、俺だけは目を奪われる先が違った。
俺は鹿目――その背後に伸びていた。さっき別れた時に感じた黒い何か。それは、今も鹿目に纏わりついている。
ゴーン、ゴーン、ゴーン……。
除夜の鐘が鳴る。鐘の音にそれはどこか怯え、だけど離れようとしない。
なんだ? ありゃいったいなんだ?
すると、ピタリと音が止んだ。
すべてが停止する。
途端、集まった観衆が拍手喝采を上げた。
その、喧しいとさえ感じる拍手で、俺はやっと「終わったんだ」と実感できた。気づけば、穂田も俺のことを離して拍手を送っている。
俺は、その隙を突いてさっと喧騒の中を逃れた。人の足という足が柱の様に乱立する中を駆け抜ける。当然何人かが気づいて視線を落とすが、その時には俺はとっくに神社の軒下だった。
「……たしか、こっちに来たよな」
神楽が終わった瞬間、鹿目の頭上に何かが現れたのを俺は見た。そして、それがこの軒下に入って行ったのも。
俺は、直感だけを頼りに軒下を奥へ奥へと入って行く。……あれ? ここの軒下、けっこう広いな。つーか、こんな広かったっけ?
「――ほっ、よぅ気が付いた。さすがじゃのぉ」
「ッッッ!? 誰だ!!」
素早く辺りを見渡す。自慢じゃないが、タヌキは夜行性生物だ。夜目は効く。だけど、何も見当たらない。何の気配もない。だけど、声だけは聞こえた。
「うむうむ。儂の見込み通りであったのぉ。いや、見込み以上になるか? 今後に、更なる期待が持てそうじゃ」
クソッ、いったいどっから聞こえてくんだよこの声は! 嗅覚も使って探るが、相手の居場所は全くつかめない。胡散臭さ全開の老獪さが垣間見える声音だ。
「もう少しで一年か。期待しておるぞ、悠治よ」
「てめっ……何で俺を? しかも一年って……!?」
俺は勘だけを頼りに走り出す。複雑な建物の足をするすると抜け、一心不乱に走り――裏手側に飛び出した。
「――きゃっ……あ、なんだきみか」
神楽を終え、一段落ついた鹿目がそこに居た。雪駄はすでに新しいのに換えたらしく、千切れた紐は見当たらない。
「ふふ……きみを見たら少し落ち着きました」
鹿目は表情を柔らかくし、屈みこんで俺を抱きかかえる。柔らかな鹿目の頬が、俺の顔とこすりあった。ちょ、今真剣なこと考えてたんで、そういうスキンシップはやめてくれ。
「ありがとう。さっきも穂田君と見ていてくれて。ホント、きみって大神山の神様の遣いなのかな?」
神様の、遣い? そう言えば、神楽に入る前にも言ってたな。白狼神社で祀られている神がタヌキだとか……。
「か、の、め!!!! おっつかっれさん!! ……って、タヌ公ここに居たのか。急にいなくなったから探したぞ」
「……もう、脅かさないでくださいよ!」
唐突に現れた穂田に脅かされ、俺を抱えていた鹿目の腕が離れる。そのままうまく着地出来たらよかったんだけど、さっきの考え事と穂田の無駄に高いテンションに驚いて受け身もとれず背中を打ち付ける。
「大丈夫ですか!?」
「お? 悪いなタヌ公」
背中を打ち付けた俺を、今度は穂田が抱えて元に戻させる。うん、何とか立てるし、どうにか戻れそうだ。
「あ、そうだ鹿目。俺ずーっと気になってたんだけどさ。大神山の山神は白狼、じゃなかったっけ? さっきタヌキを祀ってるだかって……」
「あ、それですか。実は、伝承には一つ白狼神社の関係者にだけ伝わるもう一つの伝承があって……」
「伝説の白狼は、当時この山に居た変化タヌキが威厳を示すために見せた仮の姿だったという逸話があるんです」
次回より、最終局面に移行します。




