第25話:初雪の日
ちょっとシリアスな感じで送る今回です。
今日は寒いな。
俺は巣の中で身じろぎし、さらに身体を縮こませるがやっぱりいつも以上の寒さだった。
体を震わせて体温を確保する。が、やっぱり寒いのに変わりはない。
「……おい、大丈夫か?」
頭に乗せた笠に声をかける。俺の頭の上、傘の下には三匹のヤマネがいる。普通なら木の上に作った巣穴に居るのだが、今年の冬は俺の頭の上で過ごすとか言い出したのだ。おかげで俺は笠を脱ぐことが出来ない。
まぁ脱がなくても寝れるような体勢を見つけれたからいいけど。巣穴から出る時が結構大変だったりするんだよなぁ。
ヤマネは普通ならこの時期はすでに冬眠している。
ヤマネは気温が十四度以下になると活動を停止させ、じっと動かなくある。その間のエネルギーは、秋の間に食い溜めしたそれでどうにかする。
だから、今俺の頭の上に居るヤマネたちは生物として逸脱した行動なのだ。彼らの勝手と言えばそうなのだが、せっかく仲良くなった手前、気にならないなんてことはない。
「うーん……やっぱ寒いもんは寒いわ」
「やはり、巣穴に戻るべき……でゴワスか?」
「で、でもでも……悠治さんの頭の毛、暖かい」
結論、動く気は無し、と。
しかし、本当に寒い。昨日の夜はそうでもなかったんだが、今日になって急に冷え込んでいる。冷たい外気が俺の掘った巣穴に沿って最下層のこの場にまで吹き込んでくる。
外に変化があったかな?
俺はそう考えて外の様子を見ることにした。頭の上の連中を落さないよう、気をつけながら。
そうして俺は巣穴から顔をだし――感嘆のため息を漏らす。
「…………ワーオ」
目の前に広がるは――白。
辺り一面真っ白な世界。すべてが止まったような錯覚を覚える、白の世界。
まだ薄化粧程度に薄ら積もっただけだが、それでも大山にこの季節が来たのだ。
雪の季節。すべてを真っ白に覆い尽くす季節が、俺たちの大山にやってきたのだ。
「にぃちゃーん」
雪に覆われた斜面を駆け下りてくる一匹のタヌキ。金次だ。
「よぅ。今日も早いな」
「うん! 雪が積もってるのを見たら、なんか楽しくなっちゃってさ!」
雪ってのは面白いものだ。
冷たさと外気の寒さに身が凍ってしまうのだが、なぜかテンションが上がる。それは大人も子供も――イヌ科の動物も変わらない。
「にぃちゃん! ほらほら、ちょっと外に出てみようよ! きっとすっごく楽しいよ」
金次は俺を急かすように毛を引っ張る。うーん、金次に付き合ってやりたいのは山々だけど、頭上にいるヤマネたちが心配だ。それに……
「どうしたの? にぃちゃん?」
いつまでも出てこない俺を心配してか、金次が巣穴の中まで入ってきた。俺は笠を後ろの方に軽くずらし、ヤマネたちを見せる。
「こいつらがいるからさ、派手に走り回るってのは、ちょっとな。あと――」
「――えー……だったらさ、ちょっと山の中を歩き回ってみない? ほら、前はねぇちゃんと三匹でよく……――」
「――散歩か。だけど厳しいかもな。今日は天気が悪いし。それに、なぁ?」
金次が途中で言葉を切ったのは、苦い記憶が思い起こされたからに違いない。そのことをいつまでも引き摺るのは、きっとあいつだって喜ばないはずだ。俺は金次の言葉の続きを言い、ヤマネたちにも尋ねてみる。
「いや、ウチラは大丈夫や」
「無理は禁物……でゴワス」
「お外は寒いけど、悠治さんの毛の中なら大丈夫……です?」
何か心配なことを言うヤマネ三兄弟。やっぱ今日は控えた方がいいな。だけど、俺の頭の上で冬を越すつもりなら、少しくらい慣れてほしいものだ。もちろん、無理は禁物だが。
今日は初雪の日。いつものように見回りに出かけたいところだが、もう少し様子を見てからかな。吹雪かれたらこっちが遭難する。見回りに言った奴が捜索されるなんて、情けないにもほどがある。
「今日の見回りは見合わせるかな。こいつらの様子見てからにしたいし」
金次には申し訳ないが、俺は金次の誘いを断る方を選んだ
***
「なーーんだ、つまんないなぁ」
金次は一匹で大山を歩き回っていた。あれから、他のタヌキたちを誘いもしたのだが、結局金次に付き合ってくれるタヌキは居なかった。みな「今日は天気が……」の一言である。
「ねぇちゃんだったら……」
春に夏。あのころは三匹でいろんなところに繰り出していた。それは金次にとって、毎日の冒険に他ならなかったのだ。
だけど、それももうない。
あの日を境に、金次の周囲も大きく変化してしまった。金次は、その憤りをぶつける先を一つしか知らない。
「全部人間の所為だ。ねぇちゃんがいなくなったのも、にぃちゃんの“ノリ”が悪くなったのも……」
――人間なんて、嫌いだ。
ふと顔を上げると、大山の登山口近くに来てしまっていた。この辺りは嘗て大山への登山者――修行者――を迎えるための宿が多く、一種の宿場町の体を成している。現在は観光地の一つとなり「大山」「大山寺」「大神山神社」への通り道にもなっている。
金次からすれば、ただ人間の多い町並み、に等しいのだが。
「変なとこに来ちゃったな。あっちの谷に行こーっと」
大きな橋の脇を下り、金次は元谷と呼ばれる谷を上へと向かう。
この先は広い谷地形となっており、眼前には大山の北壁が悠然とそびえ立っている。大山の登山道と繋がっている道があるため、ここも、割と人間に出くわすことは多い。それでも、登山口周辺よりはずっとマシだった
元谷から望む大山は圧巻だ。山頂から伸びる稜線はごつごつとした黒い岩肌で覆われ、まるで道を阻む壁のような印象を覚える。今は雪が降った影響で薄ら白く染まっており、白と黒の色が良く映える。
――にぃちゃんがそんなこと言ってたけど、よく分かんないや。
少し眺めたのち、金次は元谷にある小屋を目指して歩き出した。
天候が少し悪くなり、僅かに吹雪始めたここに居続けるのは危なそうだった。人間に出くわす可能性もあるが、このまま谷に留まるのも危ない。
「吹雪始めたら早く穴の中とかに逃げ込め」
そう、悠治に言われている。
金次はその言葉に従い元谷の避難小屋を目指すのだが、小屋の扉が僅かに開かれ、そこから覗いたそれを見た瞬間に足を止めた。
「人間が、居るんだ」
身をかがめ、葉っぱを散らし尽くした木の下に潜む。人間は吹雪の様子を確認すると、扉を閉めた。すでに日は傾き始めている為、ここで一泊するつもりだろうか。登山口のある町までは歩いて三十分ほどだが無理は禁物。大山の頭上には黒雲が渦巻いており、吹雪の勢いがどんどん強くなりそうだった。
――僕も早く戻らないとなぁ……
散歩に出かける前、誘ったタヌキたちが今日はやめとけと言っていたのを思い出す。彼らは、なんとなく今日は外出できないことを悟っていたのだろう。
だったら教えてくれればいいのに。
金次は理不尽な憤りを思うのだが、考えてみれば自分ももう一歳になりかけのタヌキ。金次と同年代のタヌキは、すでに親元を離れて独自の巣を持つようになっている。金次はそれよりもかなり早くに独立しているのだが、周りの成長を感じさせる出来事だった。
「早く、帰らないとね」
金次は開けた谷から森の中へと向かう。森の中ならたくさんの木々に阻まれ、吹雪の勢いを弱めることが出来るのだ。
だから、急いで――
「お? 坊主、こんなとこで、なーにやってんだ? 凍え死にしてぇのか」
野太い賊のような声音。その金次が思わず振り返った先には、大山北壁と同じように黒い身体に白い雪を纏った姿が。
「ジン、さん……?」
「オイ坊主、こっち来な。こんな天気に一人で出歩きは自殺行為だぞ」
***
ジンは雪に覆われた斜面の一角を掘り返す。そこにはぽっかりと穴が開いており、ジンと金次が入り込むにはちょうど良い大きさだった。ジンは金次を一瞥すると「フン」と鼻を鳴らし、穴の中に入って行く。金次も、慌てて後を追った。
「……ハッ、急に吹雪やがって……兄貴が出かけねぇのはこういうことかい」
ジンは咥えていたネズミを落とし、その肉を食べる。
「ねぇ、にぃちゃんが出かけないって?」
「あ? 兄貴に飯食いいかねぇかって誘ったんだがよぉ、断られちまってな」
――僕と同じだ。
最近の悠治はこのオオカミと一緒に居ることが多い。だから、今日もそうなのかなと思ったが、実際は違った。金次は、少し驚きを覚えた。
「ねぇ、ジンさん」
「あ? なんだ?」
「えと……なんか雰囲気違うね」
ホントは違うことを聞きたかった。だけど、咄嗟に言葉にできず、金次は全く別なことを口にしてしまう。
「雰囲気ぃ?」
「あ、うん。にぃちゃんといる時はぜんぜん。えっと……興六おじさんみたいな……斜に構えてる、みたいな?
「ほおぅ……クッ、だーっはっはっはっはっは!!!!」
ジンは突如として笑い出す。金次はおかしなことを聞いてしまったのかと疑問を持つが、ジンは構わず大笑いを続けた。
「はっはっはー!! あー久々に笑ったぜ。斜に構えてるか。なるほど、坊主でも見るとこは見てんだな。で、どっからオレの雰囲気が違うと思った?」
「え? だ、だってジンさんがにぃちゃんと話してる時とすっごく……」
「そりゃ、兄貴の前で失礼な態度はとれねぇからな。で、なんだ? 坊主にも兄貴と同じような感じのがいいか? 悪いが、それはできねぇぜ」
「う、ううん。別にいいよ」
ジンは再びひとしきり笑うと、穴から顔を出し一声吠えた。実に愉快気に、そんな様子を見ていると、改めて聞いてみようと言う思いが広がる。
先ほどの遠吠えが聞こえたのか、遠く元谷避難小屋から人間が顔を出している。
「ジンさんはさ、人間の事、どう思ってるの?」
ジンが“ニホンオオカミ”という種の最期の生き残りであることは金次も聞いていた。それがどういう意味なのかは金次にも分かっていない。
ただ、悠治に聞いた時に返ってきた答えが、どこか自分と似た思いを抱いているんじゃないか? とそう思っている。
『ニホンオオカミは、人間が狩り過ぎたせいで絶滅に追いやられた動物だ』
人間に狩られる――すなわち殺されている。ジンは仲間の多くを人間の所為で失い、そしてたった一匹になった。
人間の所為で大切な者を失った。金次と――そして悠治とも――共通する点がある。
なら、自分と同じ思いを抱いているんじゃないか? 金次はそう考えたのだ。
「ほぉ、人間の事か……別に、どうとも思わねぇな」
「え?」
だが、ジンの答えは金次の予想とは真逆だった。
あの日以来、人間を見ると心に怒りが湧き上がってくる金次とは逆に。
「まぁ、関わったら面倒くせぇ連中だってぇこたぁ知ってらぁ。なんせオレはニホンオオカミ最後の一匹。保護されるにしろ研究対象にされるにしろ、ロクなことがねぇ」
保護? 研究対象? その言葉の意味は、金次には分からなかった。だが、なにか嫌なことなんだろうな、というのは理解できた。
クックック、とジンはなぜかおかしげに笑う。
「どうして? ジンさんも人間の所為で仲間を亡くして、辛いんじゃないの?」
「おいおい、ガキの癖に随分生意気言うじゃねぇか」
ジンはニヤリと口端を持ち上げ、牙をギラリと光らせる。
「こいつぁ、兄貴にも話したがな。生物ってなぁいつかは死ぬもんさ。今この世を己の天下みてぇに謳ってる人間どもも、奴等から隠れるように暮らすオレたちも、いつかは全滅する。死ぬなんて当たり前の事だ。オレの仲間が絶滅したのも、まぁいつかは来ることだった。人間が関わろうと関わらなかろうと。んなことで一喜一憂してたら疲れ果てちまうさ」
何時かは死ぬ。それが当たり前。それは、伊吹を亡くしたその日に金次が“じぃちゃん”から聞いた内容とよく似ていた。
「死んだらお星さまになって、また帰ってくる。みたいな?」
「ほぅ? おとぎ話か何かか? まいいか。いつかは帰って来るかもしれねぇし、帰って来ねぇかもしれねぇ。んなもん、神のみぞ知るって奴さ」
「神?」
「大神山に居るんだろ? 白狼様とやらが」
「うーん、分かんないや」
大神山には山神の白狼がいる。そんな話を前に聞いたことがあった。だけど、それは金次が聞いた話とは微妙に異なっていた。山神と謳われる、白狼は……。
「さて、なんでいきなりそんなことを聞く。オメェが人間嫌いだからか?」
「え?」
「兄貴から少しゃぁ聞いてるさ。伊吹の姐御が人間の所為で死に、坊主は人間が憎らしいんだろ?」
「憎い?」
「あ、まさか坊主……知らねぇってか? こいつぁ驚いたな」
ジンはあっけにとられたように、ポカンと口を開いている。対して、金次はジンの言葉を反芻していた。
憎い。人間に対する、憎しみ。怒り。自分が人間に対して不快に思うようになったのは、そう言う気持ちの所為なのかな、と。
「にぃちゃんは、僕と同じなのかな? 僕と同じように、人間を“憎んでる”のかな?」
「フッ、兄貴はそんなこと微塵も考えてないと思うぜ。なんせ兄貴は……ああいやいや、お優しいからなぁ。人間にだって慈悲を与える神々しいお方さ」
「どうして? にぃちゃんも、僕と一緒でねぇちゃんを亡くしてるんだよ? なのに、どうして僕と思うことが違うの?」
ジンは、率直に訪ねてくる金次に対し、しばし黙考する。だが、やがて諭すように、静かに語る。
「坊主……坊主にはまだ早えかもしれねぇな。もう少し生きて、それから考えてみな。ただ、坊主が伊吹の姐御を亡くして悲しいってぇ気持ちは、兄貴も同じだ。受け止め方が……その悲しさを乗り越えるための心の在り方が、違うだけだ」
「……んー……何かよく分かんないよ?」
「そうかい。分からねぇのも無理はねぇわな。生死に関する倫理観ってぇのは、それぞれだ」
ジンは顔を上げ、僅かに吹雪の静まってきた外を見据える。そこには、天気の回復を見込んで下ろうとする人間の姿があった。
「無茶しやがる人間がいたもんだな。ま、後はあの人間の根性しだいってか……それに、全く無茶するお方だ」
「え? ……あ! にぃちゃん!?」
一面銀世界の元谷。そこに笠を被った珍妙なタヌキが見えた。小さな穴が見えているはずもないのに、真っ直ぐ金次たちの元へ向かってくる。
「あれが、兄貴の乗り切り方さ。誰かにぶつけるんじゃなく、自分に試練を作り、それを乗り越える。坊主も、見習うんだな」
そう言うとジンは駆け出し、悠治の元へ向かった。
金次は、飛び出せなかった。そこからじっと二匹を見つめる。
「にぃちゃん、ねぇちゃん。僕は……」
どうしたらいいんだろう。




