第22話:ヤマネ三兄弟 現る!
十月も半ばだ。
秋も深まるこの時期、山の中は一気にその色を変える。夏の新緑から、紅葉の赤に。
ふっと頭上を見上げてみれば、赤や黄など色とりどりに紅葉した葉っぱが映える。そして地面には、紅葉と共に散っていった枯葉や、次世代のために木々が揺すり落とした木の実がいたるところに散見する。
最近の俺の食糧はもっぱらこの木の実である。タヌキとなってから食べるものは木の実の他に小さな虫や魚が多かったものの、最近はあちらこちらで見かける木の実を食すことが増えてきた。
それから……鹿の生肉とか。
少し前、俺の周囲で変化が起きた。別れと、出会いだ。
伊吹を亡くし、ふさぎ込んでいた俺の元に一匹の獣が現れたのだ。
ニホンオオカミただ一匹の生き残り、ジンだ。
伊吹のことを姐御と呼び、俺を兄貴と慕う仁義溢れるオオカミ。初対面ながら、俺の迷いを一気に晴らしてくれた感謝してもしきれないような奴だ。
ジンはオオカミだから食性は当然肉食。人間にばれないよう、週に一度くらいの感覚で山中の鹿を探し狩っている。そして――いらないと言ったのだが――必ず俺に分けてくるのだ。最初に牙を立てるのが俺でないと気が済まないとか。階級をつけるオオカミの縦社会の名残だろうか。
ともかく、俺はついに獣肉を食すことになった。贅沢をいえば火で炙ってから食べたいのだが、まぁ流石にタヌキの身でそれは出来ないよな。
そんな感じで、最近は食料探しに精を出している。なにせ、本能がそう命じるんだ。今は食いだめの時期だ、ってね。
あ、金次とも何度か会ってるぞ。伊吹がいなくなって少しぎくしゃくしてはいるが、少しずつ、以前と同じ感じに戻りつつある。まぁ……一つだけ……心苦しいと言うか、心配事があるんだがな。
「あ~今日も喰った喰った」
満腹感に満たされながら、俺は巣の近くまで帰ってくる。そろそろ朝を迎えるし、寝る時間だ。ジンは……まだ帰ってないか。あいつは鹿以外にも小鳥なんかも狩るから、今日はそっちを狙ってるんだろうか。
そう思考を巡らせながら、俺が巣穴に入ろうとした時だった。
「あ……帰って来た……」
そんな声が頭上から聞こえてきた。
「ほら、今日こそ挨拶するんやろ? 今せんでいつするっちゅーねん!」
「あのオオカミもいない……今日がチャンスでゴワス」
「で、でもぉ……わ、私なんかが突然……は、恥ずかしいよぉ……」
「そんなだからもうかれこれ数ヵ月もおんなし事の繰り返しなんや! ここは当たって砕けろ!! それでええやん!?」
「だ、だってぇ……どうせ私の事なんて……覚えてる訳、ないよぉ……」
「やってみなけりゃ、分からん……で、ゴワス」
……なんだ? 頭の上でギャーギャー騒がしいな。
俺の巣のすぐ横には立派な大木が生えている。大木は斜面の土にしっかり根をおろし、俺が巣の拡張を行う際にも何度かぶち当たったりする。だから根を避けるように巣の拡張を行うのだ。
その大木から声は聞こえてくるのだが、声の主の姿は全く見えない。
「でも……でもぉ……」
「ああもうじれったいわ!! ええか? ウチがあのタヌキに話しかけるけん、ヤンはその流れで入ってこい!」
「え、ぇぇえ!? 無理だよぉ……」
「無理なモンあるかい!! とにかく気張っていけや! ――おーいそこのタヌキのニーサン!」
あ、何かがこっちに話しかけてきた。まぁ姿は見えないんだが……。笠の下から目を凝らすが、明け方という時間もあってか、やはりその主は全く視界にとらえられない。
「こっちやこっち! ニーサンには見えてへんのか? よーく目を凝らすんや」
「そうしたって見えねぇよ! 見えるとこまで出てこい!」
「むー、ならしかたないわ。今下りるさかい、見つけても襲わんといてな」
襲うって……そんな襲われそうな奴なのかよ。……いったいなんだ?
「ほな、いくで」
「いやだよぉ。恥ずかしいよぉ」
「覚悟、決める……で、ゴワス」
やがて、大木の幹を小さな何かが元気よく駆け下りてきた。そして、ためらうことなく俺の前に立つ。
「いや~突然すんまへんな。どうや? ここまで近づけば、ウチの姿がよーく見えるやろ?」
俺の眼前に現れたのは小さな動物だ。一瞬ネズミかとも思った。だけど、よく見れば違う。
大きくクリクリとした真ん丸な目。七センチほどの身体。それより少し短い程度の尻尾。小さな耳。と、齧歯類らしき特徴は多いが、俺がこれまで見てきた動物のどれとも微妙に違う。
「初めまして。ウチはヤマネの“ネン”言います」
「ヤマネ!?」
ヤマネと言えば、日本でも限られた地域にしか生息しない国の天然記念物。ホントに、これがヤマネか……?
「そうや。んで、こっちがウチのアニキの――」
「マン……で、ゴワス」
な、なんか安直な名前だな……そういえば、さっきから聞こえる会話からはもう一匹いるのだろうけど……。
「ん? あいつまだ上に居るんか。マン、ちょっとあいつ引きずりおろしてくれへん?」
「……分かった」
マンはあっという間に木の上まで駆け上がる。すると、何か小さな物が落下してきた。
「ぁぁぁぁぁああああああああ!!!?」
「ッ!? おいおい!?」
引きずりおろす、じゃなくて突き落としたってか!? そりゃいくらなんでも危ないだろ!!
俺は落下してくるそれを眼で追い、落下地点に駆け込む。そして、背中にポサッと小さく軽いヤマネが着地した。同時にもう一匹。あ、これはマンだとして……俺を着地点にしたのか。まぁいいけどさ。
「いや、さすがさすがや。ニーサン、ナイスキャッチやんな」
「うるせぇよ。あーもう危ないだろが」
脳裏でトラックに巻き込まれて崖から落下していく伊吹が重なったから、ここまで素早く動けたんだろうな。うん。
「今、アンタの背中に落ちて来たんがヤン。ウチらヤマネ三兄弟の長女や」
「え? その子が長女なの?」
彼らのやり取りから――兄弟というのも初めて知ったが――ネンが最年長なのかと思っていた。
「あー!! すみませんすみません! 私なんかが長女でごめんなさいっ!! あああ恥ずかしい……」
実際はこの超が付くような恥ずかしがり屋のヤン?が長女らしい。
というか、ネンが一番下か……ん? 長女のヤン、長男のマン、次男or次女――性別がこいつだけ分からん――のネン……なにこの安直ネーミング。
「ウチらわな、ヤマネ三兄弟ってグループで活動してますの。ほら、人間たちは芸能活動なんてのがあるやろ? あれみたいな感じでな」
ああ、なんとなく分かった。要するにネンの要望でグループを結成したんだろうな。なんとなく、そんな想像がつくよ。
「それで、そのヤマネ三兄弟が俺に何用で?」
いい加減寝たいんだけど。そんな意志を言葉端に漂わせつつ聞くが、ネンは全く動じた様子がなかった。
「いやーそこですよニーサン。実はね、引っ込み思案なヤンがちょいとあんたに言いたいことがあるゆうて。もうかれこれ数ヵ月はチャンスをうかがってたんや」
「数ヵ月……は? まさかお前らずっとここに居たと!?」
「灯台下暗し、でゴワス」
「まさかタヌキの巣の近くに住んでるヤマネなんて聞いたこともないやろ? いやーここに住んでからは外敵に脅える必要もなく悠々自適やホンマ」
確かに、この巣穴に入ってから今日まで半年と少し。ずっとここに住んでいたが、まさかすぐそばの大木の上にこんな騒がしいヤマネが住んでいたなんて今日の今日まで全く気付かなかった。
「いやーここを見つけられたんは、ニーサンとヤンの御蔭でな」
「俺の? 俺ってお前らになんかしたか?」
「詳しくはヤンに……ってあら? ヤン? どないしたんや?」
ヤンは俺の背中に張り付いたまま微動だにしなかった。
俺の毛は秋に入ってまた伸び始め、以前のさわり心地抜群さを取り戻しつつある。だけど、それでも打ち所が悪ければ危うい可能性だって外せない。例えば……川のすぐ下の背骨に直撃したとか? そう思って体を揺する。
「…………ふ、ふわぁぁぁぁ……とっても……気持ち、いい……私、今、悠治さんの毛に埋もれて……あ、あははぁ……」
「……大丈夫、そうやな」
「で、ゴワス」
「いや、俺はなんか妙な気分なんだけど。つか、気持ち悪いんだけど」
自分の毛を褒められた(?)のはいいんだが……ヤンが張り付いているのは俺の背中と言うよりも首筋近く。生々しい息遣いとさわさわと揺れ動くヤンの身体。ヤマネだけど、その声音と耳元という位置から色々とアレな想像をしてしまう。ヤンの声が可愛らしい女の子のロリっ子ボイスだから、余計に……。
***
「ごめんなさいごめんなさい!! ほんっと~にごめんなさ~い!!!!」
朝日差し込む山の谷間に、小さなヤマネの謝罪が響き渡る。ヤンの理性が戻ってくるまでそれなりの時を有したからな。仕方ない。それに、随分前の鹿目ほどではなかったし、まだよかった……のかな。
「うん、もういいからさ、そろそろ話してくれ」
「は、はい……ごめんなさい」
「謝罪はもういいって」
「――! ごめんなさいっ!!」
あー、話が続かねぇや。
何とかならない? と、ネンに視線を送るものの、ネンは底意地の悪さを見せるような笑みを浮かべていた。口裂け女顔負けの不気味な顔だよ。
「えっと……私、以前悠治さんに食べられそうになって……」
うん? 俺がヤンを食べようとした?
ちょっと待て! 俺はあの日以来ネズミやリスなんかの小動物は絶対に食べないと誓ったぞ! だから魚獲りを練習したり、ミミズや木の実ばかりを喰って……あ、あの時。
「悠治さん、私を見逃してくれましたよね。だから……私……ダメっ! もう恥ずかしいよぉ……これ以上はだめぇっ!」
「ヤン。よく頑張った、でゴワス」
「うぅ……ありがとう、マン」
「勇気を振り絞ってここに来た理由を伝えたヤン。そこにどれほどの葛藤があったのだろう。きっと、俺には想像もつかない辛い日々があったに違いない。何度も伝えようとし、その都度羞恥心から離すことが出来ず……だが、今日、遂に果たすことが出来た。ヤンの小さな体から溢れる勇気に、乾杯」
「……」
「――ニーサン。ここは、拍手するとこちゃいます?」
「いや、なんでだよ。つか、ナレーションすんなよ!」
「何を言いますか!? ここでやらねば芸人魂の名折れや!!」
「あーもういいや。それで」
正直、もうめんどくさい。早く寝たい。
「さて、ニーサン。ヤンに次のステップを踏ませてほしいんやけど」
「は? 今度はいったい何を――」
「にーさんの被ってる笠。その下に、ウチらを潜り込ませてください」
――…………は?
「ネ、ネネネネネネン!? いきなり何を――」
「ヤン。せっかく悠治にーさんと交流できたんや。これからやで? ここで一気にアタックせんでどないすんのや? ウチらは寿命も短いんやぞ!? もうあと一年か二年ほどなんやぞ!」
「で、でもぉ……」
「ネン。悠治の了解は取るべき、でゴワス」
「おっとそうやった。で、ニーサン。ええよな?」
ネンが俺の鼻にしがみ付いて眼球を覗きこませる。というか睨みつける。「いいえとは言わんよな?」と押し付け気味に。これは……「うん」と頷かざるを得ない。ま、断る理由もほとんどないんだが。
俺が静かに頷くと、ネンは満足げに飛び降りる。たぶん、「いいえ」って言ったら鼻を噛まれてたよな?
「そんじゃあ行きますか。ヤン、ニーサンの頭の上も大層気持ちええと思うよ?」
「悠治さんの、頭の上……」
まるで誘導する様な言葉でヤンの意識を操るネン。マンは相変わらず寡黙だが、すでに俺の背中に飛び乗っていた。
そして、ネンも背中に乗り、いよいよヤンが……と言ったところで
「――ありゃ? 兄貴まだ起きてらしたんで? てっきりもう寝ちまったものと……」
ジンが帰ってきた。足元には一匹で仕留めたのだろう小鳥たちの亡骸が。狩りの帰りだから口元は血で汚れ猟奇的。
そんなジンに、三対の視線が突き刺さる。もちろん、俺の身体にしがみ付く三匹のヤマネのことだ。
「て……てっしゅう~~~~っ!!!!」
ネンが一際大きな声で叫ぶと、三匹のヤマネは一目散に大木を駆け上り――そりゃあ大急ぎで駆け上る。ヤンは一回転げ落ちそうになったくらい――あっという間にその小さな姿は見えなくなった。
そして、それを呆然と眺める二対の瞳。
「……何だったんですかい? 兄貴?」
「……さぁな。あ、俺は腹いっぱいだから今日はいいよ。さっさと寝たいし」
俺は大きく肩で息を吐き、慣れた手つきで笠を外すとそれを咥えて巣穴の奥に戻ることにした。が、そこで一つ思い浮かんで足を止める。
「そうだ、ジン」
「へい、なんですかい? 兄貴」
「できればさ、ネズミとかリスとか……小動物は食べないようにな。もちろん、さっきのヤマネたちも」
どうやら、またタヌキ以外の仲間との出会いに当たったらしい。
ヤマネたちの名前がなかなかにテキトーだと思う。だけど、けっこう似合ってると思うんですよ。




