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第21話:生死感

「――ッ!?」


 一瞬、背中に感じた強烈な殺気だけで俺は前方に飛んだ。その背後を、風切り音と共に力強い何かが振るわれ、俺の背中を掠り、さっきまで俺が立っていた大地に突き立つ。


「なんだ!? いきなり――」

「――ウォォォオオオオオオオオッ!!!!」


 振り返った瞬間、夜闇に包まれた森の切れ間から猛々しい咆哮が轟く。たった一度の咆哮なのに、森の空気がピリピリと震え、その場の全てが一瞬で緊張した。


「オオーーーーーンッ!!!!」


 なにかは再度咆哮を上げた。おのれを振い立てるような威厳に満ちたそれは、どこか遠吠えにも聞こえ……遠吠え!?


 『最近山の中で遠吠え? が聞こえるから変わった動物が入り込んだかもって……』

 金太が教えてくれた情報に、確かそんなのがあったな。遠吠え……間違いない。今まさに、その声の主が俺の眼前に現れたのだ。


「ガルルルルゥ……」


 低く肩を落とし一歩一歩、俺の一挙手一投足を逃さないような鋭い目つきのそれが、森の夜闇から星々に照らされる場まで出てくる。

 一目見て、イヌと勘違いするような姿。だが、普通の犬よりも一回り大きいそれは、俺からすれば見上げるような大きさ。だが、無駄な肉付きはしていない。しなやかな筋肉が躍動し、俊敏な動きを可能とする。

 流線型ともいえる締まった顔立ち。突き出すような顔つきは俺たちタヌキに通じるものがあるが、その口元にのぞく鋭い牙は、敵対した獲物を容赦なく噛み砕くくらいの殺傷力を持ち合わせている。おそらく、妙さんと同じく猛獣に分類される野生動物だろう。


 だが、俺は判断しかねた。

 なぜなら、その動物に心当たりはあるが、そもそも現代日本にはいないはずだからだ。

 だって、日本のその生物は、もう百年くらい前に絶滅した筈だろ?




「……オオカミ?」


 呆然と、かすかに呟くことが出来た。


 オオカミ。

 イヌ科イヌ属に属する哺乳動物。雄と雌のペアを中心とした八頭くらいの群れを形成し、非常に広い範囲にナワバリを持つ。この群れは、群れの中で順位づけされ最上位の者に群れ全体が従う。現代のイヌはオオカミを家畜化したものとされ、イヌが主人に忠実なのも、オオカミが群長に従うことの名残だとか。

 食性は肉食。群での狩りを行いシカやイノシシ、小動物なんかを食べる。

 また、オオカミを象徴する行動が遠吠えで、群れの内外でのコミュニケーションに使用される。


 群行動を主とするオオカミの習性から、孤高の存在を“一匹狼”何て呼んだりもするな。

 あと、山神として信仰の対象にされることもあり、事実この俺の地元にほど近い大神山の山神として祀られているのは白狼――白いオオカミだ。


 俺は全身の毛を逆立て、目の前のオオカミに対して威嚇の体制をとる。これほど接近していたら逃げることなど不可能だろう。同じ山を生息圏とする動物なら、シカを狩るオオカミの方が運動能力は格段に上。タヌキの俺ではとても逃げ延びられる気がしない。

 しかも、さっきから唸ったり吠えたりで意思疎通が出来る気がしない。

 タヌキになってから知ったが、山の動物同士のコミュニケーションというのは存在した。主にタヌキ同士だったが、ツキノワグマの師匠との付き合いなんかもあるからな。

 だから、出来ないこともないと思うが、向こうにそのつもりがない。これでは意思疎通がどうとか言ってられない。


「ガルル………………は」


 だが、オオカミは予想に反して理解できる言葉を口にする。

 は?

 何かを言うつもりか?

 俺は油断なく構え、オオカミの次の行動――その先のセリフを待つ。


「腹が……減って……もう、限……界……」


 ドサッ。

 オオカミは、そこまで言うと力尽きて倒れてしまった。




 ……って、ナニコレ。さっきまでの緊張感台無しなんだけど。


「…………」


 倒れ伏したオオカミはそれ以上動こうとしない。これは、うん。なんかほっといても後味悪いよな。このままコイツが死んだら、俺の巣の目の前にしばらく死体が放置されるわけだし。なにより……。


「……なぁおい。まだ動けるか? 川まで行けば、俺が魚獲ってやるけど」




***




「うまい! うまいうまいうまいっ!! こんっなにうまいもんを喰ったのはひっさしぶりだぜ!」

「ああそうかい。で?」

「もう一匹、頼んでもいいか?」

「へいへい」


 俺は再度水面に目を落とし、じっと魚を探す。程なくして見つけた魚が俺の手元まで迫るのを水音一つ立てずじっと待ち、水面を一薙ぎして魚を川辺に打ち上げる。


「うっひょーありがてぇ!」


 オオカミは歓喜で一吠えし、嬉しそうに魚にかぶりつく。


 バリバリボリボリ!

 静かな川辺に今日は魚を齧る音が響いた。オオカミはよほど腹が減っていたのか俺が獲った魚を骨まで喰らいつくし、その上でまだ魚を要求する。全く図々しい。最初は俺を食べようとしたくせに。

 今宵の魚獲りは、大漁だった。まったく、鬱屈した俺の気持ちとは裏腹に、な。




「ふぃー喰った喰った。いやー助かったぜ。オレもう一ヶ月飲まず食わずだったんで、こりゃ今宵が最期と覚悟決めてたんだ。ふぃーうまかった」


 オオカミは計二十匹の魚を食べ尽くし、大きく息を吐き出すと俗っぽい口調で礼を言う。


「……気にすんな。俺も、最近あまり食べてなかったし。……それに、余計な思考を振り掃うには動くのが一番だ」

「うん? なんかあったのか?」


 最後の方は独り言だ。

 だというに、オオカミの鋭い聴覚はそれを敏感に感じ取った。俺は「いや、別に」と曖昧に答える。オオカミもそれ以上の追及はしなかったため、ありがたかった。もう少し、あのことは俺の胸の中にしまっておきたい。


「そうか……あそうだ。あんた、この山のタヌキだろうし、聞きたいことが一つ……」


 オオカミは居住まいを正し、何気なく続きを口にする。


「実は、オレはあるタヌキに伝言を頼まれてこの山をうろついててな、悠治ってぇ名前のタヌキなんだが」

「? 悠治なら俺だが?」


 その瞬間、オオカミの目が驚愕で見開かれた。俺を探してって……何かあったか?


「……あ、あんたが――いやいや、あなたが……違う。あなた様が……」

「なんだよ。一々呼称変えんな」

「まさか、このタイミングでお会いできるとは……いやーオレ――違う、あっしは運がいい! あなた様が悠治様でしたかぁ」


 オオカミは感慨にふける様に目を閉じて空を仰ぐ。今日は魚が獲れる中で最も上流の辺りまで来ている為、まだ夜は明けていない。星明りが川に移り、幻想的な風景を見せている。

 って、オオカミの言葉遣いとか一人称とか変わってんだけど。


「で、伝言ってなんだ?」

「へい。少々言い辛いんですがね……伊吹ってぇタヌキの姐御から――」

 ――ッ! 伊吹……から!?


 俺はその名前を聞いた瞬間固まってしまう。

 オオカミはそんな俺に構わず話し始めた。それは、あの日の顛末についてだった。




***




 オオカミは飼われていた。ひっそりと、ある老人の下で。


 ニホンオオカミは絶滅している。そのオオカミは最後の生き残りだったのだ。老人は偶然山の中で発見したオオカミのことを公表せず、誰にも見つからないよう山奥の小屋で飼っていた。だが老人も年が年。死期を悟った老人は自分が死んでも安心できるよう、どこかの山奥にオオカミを放すことにした。

 オオカミも老人に懐いていたし、老人がなぜそうしようと思ったかも理解した。自分が最後のニホンオオカミであることは、承知済みだったのだ。


 そこで選ばれたのが大山だ。とかく大神山は狼信仰の残る白狼神社の存在がある。さらに大山は国立公園として鳥獣の保護についての意識が強い。ここなら誰にも邪魔されず最期を迎えられるだろうと、老人はそう考えたのだ。

 だが、それは失敗した。他ならぬ老人の最期が、大山山系に入る直前に来てしまったのである。それは心臓麻痺か、はたまた……。

 老人はトラックの運転中に亡くなり、そのトラックはオオカミを助手席に乗せ、そして偶然(・・)そこを通っていたタヌキたちを巻き込み、道路を外れて崖下へと落下していった。




「――い、いててててて……うう、何とか助かったか」


 オオカミはトラックから投げ出されながらも、何とか生きていた。老人が死ぬ直前に窓を開けていたおかげで、落下しながらもそこからの脱出が叶ったのだ。さらに崖下にあった巨木がトラックの落下の衝撃を和らげ、さらにその下の腐葉土が、オオカミの着地を助けてくれたのだ。幸運に幸運が重なった末の生存だ。

 そして、その恩恵をかろうじて受けた者はもう一匹。


「――あん? ありゃあ……タヌキ、か? んでこんなとこでくたばりかけてんだ?」


 一匹のタヌキが倒れているのが目につき、オオカミは歩み寄る。背後のトラックが軋んだ音を立てて倒れる。すでにそこからは火の手が上がり、早く逃げねば山火事に巻き込まれかねない。

 だが、どうしてもオオカミは、倒れているタヌキが気になったのだ。


「………………うぅ」

「まだ生きてやがったか!? こりゃびっくり、オレと同じで悪運強えなぁ。おい、大丈夫か?」


 僅かに身じろぎしたタヌキに駆け寄り鼻先で揺する。が、その度にタヌキの顔が苦痛にゆがんだ。


「……こりゃあ、全身の骨が折れてんな。……オレじゃあ、助けられねぇぜ」


 目の前の瀕死のタヌキに、オオカミが出来ることはない。が、これも仕方ないとオオカミは思った。それが、自然に生きる者の定めだ。命が尽きるのは、いつも突然だ。それを左右することなど、出来る筈がない。


「あんたを引き摺って行くことも出来ねぇし……すまねぇな」

「……いい、わ。しかた……ない、もの……」


 タヌキは苦痛を堪えて、かろうじて言葉を口にする。


「それよりも……あなた。お願いが……ある……の」

「なんだ? オレにできることならなんでも。それが、仁義って奴だぁ」


 オオカミが老人から教わったことだ。仁義にハードボイルド。それを教えた老人はすでに死んでしまっただろう。死んだものにいつまでも関わっても仕方ない。それが、オオカミの思考だった。


「仁義……ねぇ……。じゃあ、お願い。あたしは……伊吹。……大山に住む、ゆう、じって……タヌキに、伝えて…………ありがとう……って」

「……分かりやした。伊吹さん。オレに任せときな」


「……あと……大好きって」


 ……オオカミはかすかな言葉を聞くために伏せていた体を起こし背後を振り返る。すでにトラックの周囲は火の手に包まれ、老人の遺体を引っ張り出すことなど不可能。

 しばらくの時を共に過ごした恩人を助けられぬことは不本意だが、もうどうしようもない。一刻も早くここを離れないと、己が山火事で死んでしまう。


「それと……もう一つ」


 だが、伊吹はもう一つ伝えようとしていた。時間がない。だが、ここで尽きる命の最期を看取ることが己のやるべきことだ。オオカミは一刻も早く離れようとする生存本能を押さえつけ、伊吹の言葉の続きを待った。


「あなた、ガリガリだからね。……あたしが……死んだら、あたしを…………食べなさい」

「なっ……何言ってんだ!? あんた、自分を喰えって……なこというやつぁ初めてだぞ!?」

「どうせ……もう、助か……らない。なら……せめて……あなたの、血肉となって…………」


 「悠治と共に居たい……」


 かすかな、消え入るような声だった。だが、それはオオカミの胸に深く、強く染み込んでいく。

 オオカミは伊吹の身体の下に潜り込み、背中に持ち上げる。すでに力尽き、動くことも話すこともなくなったタヌキ。それをオオカミは背負いあげた。


「任せてくだせぇ、伊吹の姐御。オレぁ――あっしは、必ずやそのお言葉をお届けして見せまさぁ!!」




「ウォオーーーーーーーーーーンッ!!!!」


 鎮魂の遠吠えが、どこまでもどこまでも響き渡る。オオカミは伊吹の身体を背負い、四肢を奮い立たせ走り出した。火炎に包まれる山の一角をから全速力で駆けだす。

 迫る火の手は地獄の業火だ。死した生命を捉えようと、逃がすまいとする業火。オオカミは一迅の風の様に駆け、業火から逃げ延びる。

 その姿は、大神山に語られる神の使いのオオカミそのものだったかもしれない。




***




「……そっか、伊吹が」

「伊吹の姐御は、最後まで兄貴のことを思ってやした。あっしが言えることは、ここまででさぁ」


 そっか。伊吹……お前は……。


「兄貴。兄貴が姐御を亡くしてふさぎ込んでいたのは、なんとなしにあっしも聞いてやした。山のいろんな奴が噂してやしたから」


 へぇ……いろんな奴が、俺のことを見ていたってか……。


「命ってのは、いつかは消えるもんでさぁ。今この瞬間でも、明日でも、一年後でも……どこかで消えるもんです。あっしは、命ってのはいつ終わっても同じもんだと思いやすよ。生きた長さなんて関係ありやせん。命が存在していることは、必ず誰かに影響を与える。兄貴が姐御の死を深く悲しんだなら、それだけ強く影響されたという事」


 影響……か。そういや、そうだったな。俺も、人間の中だと死んだ奴扱いだ。親父やお袋、それに穂田に鹿目。皆深く影響を受けていた。みんなも、今の俺とおんなじ気持ちだったんだろうな。誰かを失うのは、こんなにも辛い。悲しい。


「死んだ奴にあっしたち生者ができることなんてありやせん。それを受けとめて、日常に戻ることが、あっしたちにできることでさぁ」


 そうだ。いつまでも沈んでたって仕方ない。こうやって、これからも、いくつもの別れを経験して生きていく。だけど、


「……あの時さ。伊吹を助けられなかったことを、俺は後悔してるんだ。あの時ああしていれば、こうしていれば……伊吹は死なずに済んだんじゃないかって」

「そんなのは考えても仕方ありやせん。でも、今度同じことが起きないよう努めるくらいならできやすよ。兄貴はもう、そんな経験は御免でやしょう? だから兄貴」


 ……初対面のオオカミにここまで元気づけられるとは思わなかったよ。ありがとさん、名も知らねぇオオカミよ。

 うん。こいつの言う通りかもな。俺は、もう二度と、こんな思いは御免だ。だから、せめて俺の眼の届く範囲では、誰にもこんな最期は迎えさせない。最期まで、笑って生きさせてやれるよう、俺はこれからもこの大山山系で暮らす。


 ……伊吹。俺、いつもの日常に戻れそうだよ。だから――


「もう一匹! あっしの命を助けると思ってもう一匹! 魚を恵んでくれやせんか!? 兄貴!」


 ……台無しだよ。このやろう……ははは。


「――しゃーねぇな。待ってろよ! ってか、俺の分も残せよな」

「ありがたいでやす! 兄貴!」


 ホント、しょーがねぇオオカミだなぁ。兄貴兄貴って……まぁ、いいか。このオオカミは……。


「――あ、そういやさ、お前の名前は?」

「名前なんて大層なもん、あっしにはありやせんよ。ジジイもつけてくれやせんでしたし……ここは、兄貴におねげぇしやす」


 オオカミはニヤリとふてぶてしく――だけど心底嬉しそうに――笑って見せた。

 俺は水面に目線を落としながらぼーっと考えてみる。そうだな……さっきの話の中で、伊吹を抱えて風の様に駆け抜けてた光景が目に浮かんだし……


「ジン。一迅の風とか、牙が鋭いから刃とかとかけて『ジン』でいいか?」


 もう一つの意味から、漢字で書くなら『仁』だな。仁義を重んじるオオカミってイメージも強いし、だから『仁』。


「了解でさぁ!! あっしの名はこれよりジンでさぁ! よろしくおねげぇしやす、兄貴!!」


 俺の前足の元に一匹な魚が躍り込む。俺はそれを天高く救い上げた。

 空を駆けるように持ち上がった魚に呼応するように、山に朝日が差し込む。ああ、俺の中の暗雲も、ようやく晴れて来たみたいだな。









 でも、願うなら……できることなら、もう一度。きちんと礼と……俺の決意を伝えたいな。


 いぶき……。


次回、ジンに続いて新キャラの登場です。けっこう騒がしい奴らが……お楽しみに。

あ、また一話完結的なのに戻ります。

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