第18話:夏だ! 夜だ! お盆の時期だ……
夏だ!の第3回。
お盆です。霊が帰って来るのです。そして、山はたくさんの霊が居るんです。
「あれは……そう、去年のことだ。
僕は、いつもどーり食べれるものを探すのに精を出してたんだ。だけど、その時に聞こえたんだよ。突然『カエセ、カエセェ』って。いや、もうびっくりしたね。まるで地獄の底から獄卒たちが手招きしてるような……あるいは地獄の亡者が僕を呼び出そうとしているのか……とにかくおっそろしい声さ。
もう、すぐ逃げりゃあいいのにね。その時の僕は何を思ったのか興味を持っちゃってさ。確かめてやろうって思ったのさ。
それが間違いだったと気付くのはすぐだよ。確認しようと言った先がね、山頂から滑落してきた人間たちの死体がたくさんある場所だったんだ。
そりゃあすぐに帰ろうと思ったさ。僕らタヌキだって怖い物は怖いからね。だけど、振り返った時に足元で「リンッ」って音がしたんだ。みたら、それは鈴だった。ほら、人間たちってクマとかを近寄らせないために鈴をつけてるだろ? それだったよ。ただ、割と立派な鈴だったけどね。思わずそれを拾い上げた僕は馬鹿だったさ。それを拾った瞬間、真後ろから「カエセェ!!!!」……って声がして、反射的に振り向いたら――」
「――いやぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!!!」
夜の山の中、張り裂けんばかりの絶叫が響き渡り鼓膜を震わす。……ああ、耳が千切れるかと思った。
「おい伊吹、うるさいぞ。今いいところ」
「そうだよねぇちゃん。せっかくおもしろそうだったのに……」
「これで何度目なの? もうそろそろ嫌になってくるわ……」
「ホントホント。ねぇ?」
口々にタヌキたちが不平を口にすると、伊吹は途端に小さくなってしまった。
「だ、だってぇ……大吾さんの話があんまりにも怖かったから……」
「そうかぁ? 良くある話だろ? あそこにゃ人間どもの怨念が凝り固まってるし」
それを平然と口にする奴も口にする奴だ。
俺は誰にも気づかれないよう「ふぅ……」と、小さくため息を吐いてやり過ごす。
今日の日付は八月十四日。人間の感覚で言えば、お盆の真っ盛り――いや、終わりごろだろうか。そんな時期にいったい何をやっているのかと言われたら……まぁ察しはつくだろ?
【百物語】さ。
事の発端は七月の【大山タヌキ集会】だ。その日も鈴之助の長ったらしい話が終わり、それぞれに思い思いの話に華を咲かせていた時、俺が冗談交じりに口にしたのだ。
『人間たちは夏の日の夜に集まって怪談話をするんだ。【百物語】つってな』
最近のタヌキ集会では、情報交換が終わった後の雑談時に俺が人間の話をすることが増えていた。主にその話を聞いた金太が誇張を含めて言いふらしたせいなのだが。おかげで俺の立場は“人間に詳しいタヌキ”といった具合になっている。元が人間なのでまちがっちゃいないが。
それで、夏の風物詩としていくつか話題を上げたんだ。ただ、夏祭りは白狼神社で毎年やっているし、登山もこの時期は溢れんばかりの人間が大神山山頂を目指してくるから登山道はごった返し……と、タヌキにも分かりやすい夏の風物詩はあまり面白くない。
タヌキたちが食いついたのは、自分たちの知らない夏の人間の楽しみさ。挙げるなら海水浴とか旅行とか……そして、なぜか一番食いつきがよかったのが、怪談話だ。
試しにってことで俺がいくつか話してやったんだ。『番町皿屋敷のお菊の話』とか『のっぺらぼうの話』とか。あとは……学校の怪談も記憶にあるからやりやすかったな。『理科室の骨格標本』とか『音楽室のベートーベンの肖像画』とかな。たぶんメジャーな話ばかりだったろう。だけど、そう言った話を知らなかったタヌキたちはヒヤリとする話に大変興味を抱いてさ。
で、俺も調子に乗ったんだよ。そこで出したのが【百物語】のこと。やり方なんかも説明したら、思わぬムードが生まれてさ。あれよあれよという間に実行するムードが生まれちゃって、気付いたらほら、今の状態ってわけだ。
――くそぅ……話すんじゃなかった。
話ってのは一気に大きくなるものでよ。その話題が鈴之助に届いたが末路。それぞれで怖い話を一つ考えてきてそれを用いて【百物語・タヌキバージョン】をやろうってことになっちまった。都合よく――ホントご都合よく――山のタヌキは百匹くらいらしいから、この夏の一大イベントだってことになっちまった。
俺も最初は乗り気だったさ。ちゃちな子供だまし的な百物語で終わるだろうと。
でもな、山のタヌキたちって案外恐怖体験をしているもんなんだよ。そりゃあ山って毎年滑落事故が発生するような危険な場所だし、人間の亡骸が発見されることだってあるんだ。現に俺も数回見たことがある。滑落して、結局発見されることなく分解される――その途中――人間の亡骸を。エベレストとかだと冷凍保存されるけど、それなんかよりもずっと低い大山なら、普通に腐って分解されるんだ。あの光景は……考えただけでも気持ち悪い。某国民的RPGのゲームに出てくる死体モンスターが可愛く見えるような。
……話が逸れたな。
とにかく、タヌキたちの話はえらく現実味を帯びていて、マジで背筋が凍るものだった。
伊吹が話の度に悲鳴を上げるのも無理はない。ちなみにその伊吹は「もう無理、喉が枯れる……」とか嘆きながらも、怪談話のシメにはとびっきりの絶叫を披露していた。恐怖で気絶も出来ないようで。
俺も「怖いなら帰ったがいいぞ」と宥めるのだが、そのたびに俺の表情を窺い「まだまだ、この程度でビビったりしないわよ!」と、やけに強がる。たぶん、俺に負けたくないとか思ってんだろうけどさ、はっきり言おう。俺の表情は余裕綽々――に見えてビキビキに引き攣ってんだよ。
いい加減帰りたいんだ。俺だって怖くて仕方ねぇよ! が、提案者――つーか発案者だからか帰る事すら許されない。ってか進行役がなぜか俺だし。
「……えーと今ので五十個目だな。じゃあ、次の話行こうか。次は……興六か?」
「おうよ! わざわざ人間の町から出向いて来たオレの話、身も凍るような怪談を披露してやらぁ!」
「いよっ! 待ってました!」
「人間の町で仕入れたとびっきりの怪談、期待してるぞ興六!!」
「ふっ、任せときな!!」
自信満々な興六が九十九匹のタヌキの円の中心に立ち、声を潜めて怪談を始める。
その話を右か左に受け流し、俺は「早く終わんねぇかなぁ……」と、心中で嘆くのだった。
俺の両サイドにはいつもの二匹、伊吹と金次がいる。金太は両目を期待に輝かせて聞き入り、逆に伊吹は俺の身体に全身でしがみ付いて小刻みに震えている。
まったく正反対な二匹の態度に少々疲れを感じながら、俺は辟易した気分で【百物語】の進行を行った。
「ベストタイミングなんて……来るわけないわよぉ……」
伊吹の悲痛な呟きが、怪談の暗がりに溶ける。
***
「えっとこれで……九十五個か。次は……嘉六だな」
「おうさ。オラの話だな」
嘉六は朗らかに進み出て、話を始めた。
「あれは……そうだ、半年くらい前だな。
オラが巣穴に戻ろうと谷を横切っていた時だよ。一匹の見慣れないタヌキを見たのは」
お? さっきまで山で事故死した人間の話が多かっただけにタヌキがメインに据えられるのは珍しい気がする。
「そのタヌキの巣穴は、今までそんなとこにあったのか!? ってぇ驚くような場所にあってな。まぁそいつが新しく作ったんだろうけどよ。で、オラは「また新入りか?」と思ってそいつの様子を確認しようとしたんだ。そしたらよ、そいつの様子がおかしいことに気づいたんだ。なんだか目は血走ってるし妙に変な感じだ。したらそいつはある一点を見つけて走り込んだんだ。そこにはキノコがたくさん生えていてな。オラも「ああ、腹が減ってたのか」って納得したんだ。
……だけどよ、直ぐに気付いたんだ。そいつはまるで何かに取りつかれたように、わき目も振らずキノコを貪っていたことを。そのキノコが、猛毒キノコだったことを」
……なんか、どっかで聞いたことがあるような気が……。
「急いで止めようかと思ったんだけどな、オラは出来なかっただ。まるで金縛りにあっちまったように身体が動かないだ。必死だっただよ。そのタヌキがキノコを貪り喰らう様は、まるで興六に聞いた【ハイエナ】っつー動物が死体を喰らい尽くす様のような凄みを感じたんだ。
しかもだ! そのタヌキの後ろには虚ろな目をした半透明なタヌキが一匹。据わった感じでオラの方を眺めてただ。そして、ゆっくりと、にやりと笑みを浮かべただ。その半透明なタヌキはゆっくり口を開くだ。その声は、不思議とオラの耳に届いた。
……「次は、お前だぞ」って」
「いやぁぁぁぁああああああ!!!!」
伊吹、本日九十五回目の絶叫。
いただきました。
「そのタヌキは数日前に同じキノコを喰って三日三晩身悶えた末に死んだオラも良く知るタヌキだ。もし生きてたら、悠治と伊吹と一緒に新入りとして迎えるはずだったやつだぁ……アイツの怨念が、そのタヌキをに襲いかかったんだろうなぁ」
これで、嘉六の話は終わりだ。
うん、今回も背筋が凍る様だった。
全く恐ろしい。
伊吹なんか俺の身体に顔をうずめてガタガタブルブルさ。
……ところでよぉ。
「あ、ありがとうございます。嘉六さん。ところでひとつお伺いしたいのですが?」
「あ? んだよ悠治、そんな改まって。オラたちの仲だ。もっと親しくやろうや」
「あ~うん。そうだけどさ、どうしても確かめたいんだ」
「ほう。オラにはよく分からんが、なんだ? 話してみろ?」
嘉六は俺が何を聞きたいのか分かった上で、あえておどけているんだろう。だが、この時の俺には、それに突っ込む余裕がなかった。
「じゃあ聞くが、さっきの話さ、実話?」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………実話?」
「実は……実話なんだ。なんてな!」
嘉六がおどけた表情を見せ、それと同時にタヌキたちは大笑いを始める。が、もちろん俺にそんな余裕はない。
……洒落、いらねーよ!
「嘉六、正直に答えてくれ。実話なのか? それは本当にあった話なのか?」
「……本当だったら、どうするだ?」
俺は、必死の形相で顔を擦り付ける伊吹と、無邪気な笑みをたたえる金太。その両方だけに聞こえるような音量で告げる。
「なぁ金次に伊吹。今日、一緒に寝よう?」
***
「――そして、その日から夜な夜な嘆くような遠吠えが……」
「――いやぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!!!」
はい、いただきました。本日百一回目の伊吹さんの絶叫。……あれ? 百物語だから百一回目の絶叫じゃおかしくないかって? ……もう、どーでもいいわ。
「それで悠治さん。無事百回目の話が終わったわけですが、これでどうなるんですか?」
鈴之助に尋ねられ、俺は「あ……」と口の中で洩らす。
百物語は話が一つ終わるたびにローソクの火を一本ずつ消し、最後には百本全部を消して完全な闇になるはずだった。そして、その闇の中で新たなる怪異現象が起こるのでは? というのが百物語。
しかし、そもそも物語の最初から辺りは完全な闇。そして、ローソクなどあるわけがない。ただ怖い話を百回しただけである。
前提条件は端から無視しているので、こうなってもしょうがない。
「これで何らかの現象が起こるはずだけど……まぁ起こらないに越したことはないし、これでお開きですかね」
「なぁんだ、案外大したことはなかったな」
「でもいろんな話が聞けて面白かったな。来年もやろうぜ」
「おう、そりゃあいい。またネタを探さないとな……」
「ははははは」
ふぅ、これで百物語は無事終了だ。俺は……嘉六の話が頭に残ってるからか、気分がイマイチ、伊吹たちと早く寝ちまいたいな。
「伊吹、金次。帰るか」
「終わった? もう終わった? ホントに?」
すがるような伊吹に案外かわいいとこあるなと思いつつ、怪談を堪能した満足げな金太を引き連れて俺は帰りかけ……。
「あら? もう終わっちまったのかい?」
遅れて来たタヌキだろうか。その場になかった声が割って入ってきた。すでに話は終わり、タヌキたちも安心しきっている。だから、何の警戒もなくそちらに皆の視線が向き――
「「「「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!!!!」」」」
そこに居たのは、全身が赤く血塗られた巨体。タヌキよりも一回り二回りは大きい身体。体のあちこちが赤く染まり、しかしところどころから白骨が覗く異形のナニカ。
森の中から現れたずんぐりむっくりな巨体に、この日一番の絶叫があがった。
気絶してしまった約百匹のタヌキ。その内に一匹が、むくりと身じろぎする。
俺だ、悠治だ。
「……まさか、ここまで効果があるとは。夜に慣れてても、いきなり現れたら恐怖を感じるんだな」
俺は一人呟くと、のしのしと歩き寄ってくる巨体に向き直る。
「いやー助かりましたよ師匠。やっぱこういうのはオチがないとね」
「まったく、あたしをドッキリの仕掛けにしようなんて、あんたも考えたねぇ」
嘉六の怪談の所為で直前まで忘れてたおり、俺も一瞬気絶したのは、内緒だ。
「聞いてみたら、大神山にツキノワグマがいるのを知ってるのは俺たちくらいみたいだし、ならドッキリには最適ですよ。妙さんも張り切ってますし」
「ああ、これかい。あんたの笠みたく、人間の髑髏とかでコーディネートしたんだが、なかなかイケるだろう?」
「いや、まったく。……俺も気を失うかと思った。つか忘れてた」
冗談抜きで、妙さんに頼んでいたのを忘れていた。まさかタヌキの怪談がここまで発展するとはなぁ。
「しかし、こりゃあいいね。来年もやらせてもらうよ」
「もちろん、こちらこそお願いします」
俺がニヤリと笑みを浮かべると、妙さんも口が張り裂けんばかりに邪悪な笑みを浮かべる。
「「大成功!!!!」」
髑髏を被ったクマと、笠を被ったタヌキの嘲笑が真夜中の山中に響き渡った。
***
翌日、俺は一人川辺にやってきた。今日は川魚を食べに来たのだ。
伊吹と金次はまだ巣の中で寝ているから、今日は俺一人さ。澄んだ川の冷たさと、せせらぎの音が耳に木霊し、昨日の恐怖を洗い流してくれた。
「ん? あ、師匠」
と、山からのっそりと下ってくる巨体――ツキノワグマの妙の姿が目につき、俺は呼びかけた。妙は俺の姿を見ると「あちゃあ……」と言いたげな顔で坂を下りて来た。
「ああ悠治かい。昨日は悪かったね」
「悪かった?」
なんだろう、あの後妙さんと別れ、みんなを起こした後、俺は伊吹たちと一夜を過ごした。やっぱり怖いモンは怖いんだよ。妙さんの前では虚勢を張ってたが、別れたら急に怖くなってきたんだ。
その後は特に変なことはなかったはずだが。と、俺がのんきに思考できたのはそこまでだった。
「悪いねぇ。子どもたちがなかなか寝付かなくてさぁ。あたしもついウトウトしちゃって……気づいたらもう朝。あんたの計画台無しだったんじゃないかい?」
……寝過ごした? いや、だって……俺、昨日師匠と“計画通り”ドッキリには成功して……。
「アタシもタヌキたちとの顔合わせは楽しみだったんだけど……まぁしょうがないよねぇ。また今度、いい機会を作ってちょうだいよ」
妙は「それじゃ、今日も始めようかい」と、いつもの訓練を始める。が、俺はそれについて行くことが出来ない。
「師匠? あの、昨日の計画……一緒にやりましたよね? 成功しましたよね?」
「??? なに言ってんだい。あたしは昨日の夜はずっと寝ちまってたよ。そっちに出向いてなんかいないさ」
出向いて、ない。でも、俺は昨日師匠と会ったはず。……会って、ない? んじゃあ、あれはいったい……?
『百物語を最後まで行うと、その瞬間本物の怪異が起こる』
それが、【百物語】だったはず。
ん? まてよ、昨日、百物語の筈なのに話は百一あったよな!? 集まったタヌキは確かに百匹。それ以外のタヌキの進入は、俺はもちろん誰も感知してない。
ってぇことは……あの日の晩、二つの怪異が発生したと!?
俺は、ナニカを感じてゆっくりと振り返った。何もいないはずの森、しかしそこに確かにいた。
全身血濡れで、あちこちから白骨が覗く巨体の生物。ニタリと、口元が裂けるほどの凶悪な笑みを浮かべてそこに居る。
その口は、確かにある言葉を紡ぐ。
『来年も、よろしく頼むよ』
「――ああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
昨日の晩から数えて一番絶叫した回数が多いのは伊吹だが、最も巨大な恐怖を張り付けた絶叫をほとばしらせたのは、俺だった。
森の中にいた狂気の巨体は「すっ」と姿を消した。音もなく、まるで、最初からそこにはいなかったように、忽然と。
それ以来、俺はその巨体を見たことがない。




