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第17話:夏だ! 山頂だ! 星を望む夜に

夏だ!の第二回です。

 山頂に着いた時にはすっかり夜だった。時間は……おそらく十一時くらいか。

 流石に時間が時間。山は夜がとても早く、朝がとても早い。具体的に言えば夜の八時から九時くらいに就寝。朝の四時から五時に起床だ。すべての人がこのサイクルを送っているわけではない。が、山頂に泊まるなら日の出を拝みたいと思うのが大衆の考え……かな? あくまで俺の登山感覚だけど。

 だから夜遅くに起きている人間は滅多にいない――と思っていたのだ。興六も。


「……今日は喧しい奴が居るのか。こりゃ、今夜はありつけねぇかもな……いや、あれならいけるか?」

「どうしたの? 興六おじさん?」

「あれを見ろ」


 興六が示す先にあるのはいくつもの空き缶。ひとまとめにされてはあるが、袋にも入れられていなければ風で吹き飛んでしまう可能性もある。今日はマナーのなっていない奴が多いな。


「あれって……人間が飲むものが入ってるんだよね」

「おうよ。しかもオレの見立てだと……ありゃ酒だな」

「鮭?」


 興六の見立ては当たっている。漂ってくる匂いや空き缶のラベルで判別できる。

 まぁ酒じゃなくてビールなんだが、興六にもまだ違いは分かってないらしい。

 俺? 俺は……お神酒でしか飲んだことないし…………いや、親父の猟師仲間の酒癖の悪さで無理やり飲まされてた。俺、よく死ななかったなぁ。


「酒ってのはよ、飲むと気分がちょ~っと気持ち良くなる魔法の水さ」

「魔法の水!? すっごいや!! ねぇねぇ僕も――」

「金次君に何とんでもない事教え込もうとしてんのよ!! ダメタヌキが!!」


 酒を魔法の水と称する興六に伊吹の怒りのタックルが炸裂。止める気はない。伊吹がやらなかったら、俺が興六の頭を大地に叩きつけてたからな。


「ねぇ、にぃちゃんは魔法の水を飲んだことあるの? 僕も飲んでみたいなぁ」

「ダメ。金次には早すぎる。つか、タヌキが飲むもんじゃないぞ、あれは」


 自分も飲める年齢じゃないことは棚にあげておく。ほら、俺は無理やり飲まされてたわけだしさ。


「あら? まるで飲んだ経験があるような口ぶりね。そう言えばあんた、前に興六が飲んでた時も中身が何か、一発で分かってたみたいだけど」

「え……? あ、ああ、前に山に来た人間が飲んでたのを見たことがあるからさ、な?」


 なんだか最近伊吹の勘が鋭いな。俺の言い訳が苦しいのもそうかもだけど……伊吹はまだ疑り深い目で俺を睨んでるし、早めに話題を変えるべきだな。


「ま、まぁせっかく山頂に来たんだしよ。人間に見つからない程度に、俺たちも自由行動にしようや。な?」




***




 ……と言って伊吹から離れたわけだが、ぶっちゃけ特にすることがある訳でもない。金次は……興六が伸びてるから、初めて間近で見る人間を観察してるかな。人間には気をつけろと散々言っておいたし、金次は好奇心の塊みたいな奴だけど、あまりに危険なことには手を出さない。ヤマ勘みたいなのが働いてるのか、あるいは本能か。


 俺は久しぶりに訪れた山頂を歩き回ることにした。思い返してみれば、山岳部時代に何度もここには来ているがこんな真夜中に来るのは初めてだ。

 八月の頭とは言え流石は山頂。澄んだ低温の夜風が吹き抜け、体を覆う毛が無かったら凍え死にしていたかもしれない。夏になっていくらか毛が抜けたものの、必要な量が残るあたり自然に適応できているんだなとタヌキの身体に感心できる。


 さて、山頂はだいぶ冷え込み、さっきまで酒盛りに興じていた人間も姿を消しているおそらく山頂小屋に引っ込んだのか。

 大山の山頂はかなり広い。大きな山頂小屋に整備された木道。山頂の標高を示す石碑の周りも木道で覆われ、日中は山頂まで上がってきた人々が絶景を楽しみつつ一時の休息を過ごす場として機能する。


 ――ん? あれは?


 石碑の近くに二人の人影があった。まだ若い男女。満天の星空をバックに男性が何かを口にし、それを聞いた女性の瞳が潤んだのがなんとなくわかる。


 ――へぇ、山頂で告白ですか。ロマンチックなことする奴がまだいるんだな。


 俺は、若干冷めた感じの感想を抱きつつ、穏やかな気持ちで新たな夫婦となるだろう二人を見守る。

 女性の方が感極まって抱き着き、男性はそれを暖かく受け止める。

 こんなフィクションみたいな光景が現実にあるんだな。いや、フィクションみたいだから、現実にしたくなったか。


 そんな光景を見ていると、俺は俺自身のことを思考にあげる。

 気づいたらタヌキになってしまった俺。結局、並の青春を送ることなく、それは叶わぬものになってしまった、か。

 別に憧れてる訳じゃない。むしろ、そんな浮ついた話は面倒なだけだと思っていた。あのまま高校を卒業し大学に進学するなり就職するなりして、そのまま大人になって行ったとしても、一人身の方がずっと気楽だと思う。今も、そう思っているさ。

 だけど、ああいう光景を見せられると、つい考えるんだよな。俺も、そういう経験をする時があるんだろうか、と。

 だとしたら……


 ――いや、どうでもいいことだったな。


 そう言う経験はどうせもう来ない。今は、タヌキの生活を謳歌しよう。

 考えを改め、俺がその二人から目を離すと別の二匹(・・)が視界に映り込んできた。


 ――……あっちの二人は微笑ましいのに、何でこの二匹はうざったいんだろうか。


「――おや? あなたは……悠治さんじゃないですか」


 俺が見つけた二匹の片割れ――リア充タヌキの郁夫がこちらに気づき近寄ってきた。案の定、もう片方の常盤も一緒である。


「珍しいですね。悠治さんがここに来られるなんて」

「まぁ、ちょいとね。郁夫さんと常盤さんは――」

「――常盤と星を見に来たんですよ。山頂からの星空は格別ですから。ま、常盤の方がもっときれいですが」

「郁夫さんったら……ぽっ」


 ――…………イラッ


「ところで悠治さんは……今日はご一緒じゃないんですか?」


 一緒? ああ、金太や伊吹の事か。俺は大抵あいつらと一緒だからな。

 郁夫の質問の意味を理解し、適当に返しておくことにする。


「二匹とも来てるぞ。今は別行動だよ」


 俺がそう答えると、郁夫と常盤は揃って「おや?」と不思議気な表情を浮かべた。俺、なんか変なこと言ったか?


「一緒ではないのですか? こんな見事な星々が堪能できる夜なのに」


 郁夫はいったい何が言いたいんだろうか。星が堪能できる夜だから、一緒じゃないから、それがなんだというんだ?


「お前は何が言いたいんだ?」

「えっと、私たちの思い過ごしだったかもしれないんですが……」


 ためらいがちに口を開く常盤。何がそんなに言いにくいのかと思ったが、告げられた言葉で俺の思考は止まることになる。




「せっかくきれいな夜空が拝めるときなんですから、伊吹さんと一緒に過ごせばいいのに」




「…………は?」

「違ったのですか。僕らの思い過ごしだったのですか……」

「いつも一緒に居ますので、私たちと同じような気がして……そうですか。では、お気になさらず」


 「行きましょうか郁夫さん」「そうですね、常盤さん」

 二匹は俺の前から立ち去って行く。が、俺は二匹に別れを口にすることも出来ずその場に呆然と立ち尽くしていた。


 あいつらは、何を言ってるんだ? 要約すると「俺と伊吹が恋仲じゃないのか?」ってことか?

 は、ははは。ははははは。何言ってんだかあいつら。自分たちがリア充だからって他人()を巻き込むなよな。まったく、勝手な想像だろうが、ホント……。


 でも、ふと考えてしまう。ついさっき、似たようなことを考えていたせいかな。

 俺はタヌキになった。もう恋愛なんて浮ついた青春、一生来ないと思ってた。だけど、それこそ何考えてんだかってやつだな。

 タヌキだって恋愛をすれば子供を作る。というか、この世に生きる雌雄のある生物は例外なく子作りのために“そうゆうこと”をするんだ。だから、この状態だって、恋愛が出来ない訳がない。

 それだけだったら、ちょっと考えたらすぐ分かって……でも、結局そんなことについて深く考えることもなかったんだろうな。

 だけど、常盤はもう一つ、俺の心に種を植え付けた。


 ――伊吹……か。


 山に入って、俺と同じように他所からやって来たタヌキ。俺と同じく、金太に懐かれて、その線で親しくなった伊吹。この約半年間のことが思い浮かぶ。

 初めて会った時の伊吹は、少し警戒しつつも親しみやすく俺と話した。

 人間が巣の近くに来たときの伊吹は、身に滲みていた人間の恐怖を大げさに話した。

 白狼神社から出て来た俺を見つけた伊吹は、安堵の表情のままタックルをかました。

 町に出向いた時の伊吹は、初めての人間の町中に怯えながらも目を輝かせていた。


 気が強い、だけど苦手なものはとことん苦手で、強弱がはっきりしたタヌキ。乱暴なところもあるけど、ホントはきちんと俺や金太や――みんなを気遣える優しいタヌキ。


 そんな伊吹のことを、俺は……どう思っている?

 近所のタヌキ?

 親しくなじみ深いタヌキ?

 いつも一緒の、友達みたいなタヌキ?

 それとも、これから先も一緒に過ごす……?


 なんだ? この気持ち? わっかんねぇな。分からねぇ。俺は伊吹のことを、今までどういう風に見ていたんだろう。これから、どういう風に見ていけばいいんだろう。




 自問するが、答えは出ない。

 澄んだ夜風が吹きすさぶ山頂からは、満天の星空が拝める。最高の夜空だ。

 だけど、半面、俺の心中は、言いようのないもやもやが渦巻くばかりだった。


 答えは、出ない。




















「せっかくきれいな夜空が拝めるときなんですから、伊吹さんと一緒に過ごせばいいのに」


 常盤の言葉は、悠治にだけ混乱を与えたのではない。もう一匹のタヌキにも同様に――それ以上の混乱をもたらしていた。


 伊吹だ。


 ――な……ななな……何言ってんのよあの二匹は!!


 伊吹は気を失った興六を人間が通らないだろう茂みに引き摺り、金太が辺りを物珍しげに見廻っているのを確認した後、悠治の元に向かっていた。

 特に理由はなかった。ただ、なんとなく悠治の元の方が楽しい気分で居られるからだ。

 その理由も分かってはいない。ただ、なんとなく。

 そこで聞こえてきたのが、常盤の問いだった。悠治も動揺を隠せなかったが、伊吹はそれ以上だ。

 足元を確認することもなく辺りをうろうろと歩き回り、ともすればあさっての方向に駆けだす。今にも山頂から転がり落ちそうなほどの狼狽だ。それでも崖に向かわないのは、野生動物の危険察知能力ゆえか。


「ねぇちゃん!? ど、どうしたの慌てて?」

「べ、べべべべべべ別に? ななななななんでもないわよ?」

「えええ!? ぜったいおかしいって! ねぇちゃんなんかおかしいよ!?」


 すっかり声も裏返ってしまったそれでは、さすがの金次も誤魔化すことはできない。


「だ、だかりゃ、にゃんでもないってゃ……」

「ねぇちゃん落ち着いて。そうだ! にぃちゃんが深呼吸すれば落ち着くって教えてくれたんだ! ほら、すぅ~はぁ~って! ねぇちゃんもやってみてよ」


 伊吹は金次に倣って深呼吸。澄んだ山頂の空気が肺の奥まで染み渡り、沸騰して蒸発していた頭が徐々に落ち着いてくる。


「ふぅ~~~……ありがと、何とか落ち着いたわ」

「よかったぁ。で、どうしたのねぇちゃ――」

「――なんでもないわ!!!!」


 間髪入れずに宣言。何も聞くなと言う意思を確固に示すその言葉に、金次も黙るしかなかった。

 が、そこは金次。すぐに興味の湧いた別の話題を切り出す。


「そうだねぇちゃん! さっき興六おじさんに聞いてね、ねぇちゃんに聞きたかったんだ」

「そう。なにかしら?」

「えっとねぇ……」


 伊吹は少々安堵していた。さっきのことがまだ頭に残っていた以上、全く違う話題に思考を回したかったのだ。もっとも、


「にぃちゃんとねぇちゃんって“付き合ってる”っていうの?」

「がっ――――!?」


 それは、冷めてきた脳を再度沸騰させる金次の変化球だったが。


「き、金次君! いったい何でそんなことを……」

「興六おじさんがねぇ、「悠治と伊吹は将来子供を作る。こりゃ絶対だ! オレには分かる! 金太も、付き合う二匹を邪魔しないようにな」っていうから」


 おそらく、金次はまだそういうこと(・・・・・・)を理解してないのだろう。だからその話題をズバッとストレートに聞くのだ。

 が、これには伊吹も大いに動転するしかない。なにせついさっきまでそのことで動揺していたのだから。


 ……だが、不思議とさっきほどとはいかなかった。

 澄んだ山頂と同じ、どこか落ち着いた気持ちが伊吹の中にあった。


「“付き合う”ってさ、お互いのことが好きだからって興六おじさんは言ってたけど……そうなの? でも、そうだとしたらさ、僕もにぃちゃんとねぇちゃんは好きだし……僕も“付き合う”ってことなのかな?」


 無邪気な子タヌキだからこそできる、無遠慮な問。だから、伊吹も幼い子供に恋愛の基礎を教える暖かな気持ちで居られるのだろう。


「……そうね。……金太君が言う「好き」って気持ちと、付き合う上での「好き」は、また別物なのよ」

「ふーん。じゃあさ、ねぇちゃんはにぃちゃんをそっちの好きって気持ちでいるの?」

「えっと、それは……」


 どうなのだろう。伊吹はしばし沈黙する。


 冷静に考えてみれば、最初からそうだったのかもしれない。

 ちょっとおどけた感じのタヌキ。

 やたら人間に興味を示すタヌキ。

 ジョークと称して変なことを言い出すタヌキ。

 魚の獲り方にこだわったりと、子供っぽいとこのあるタヌキ。

 でも、病気にかかりかけて自分にさりげない優しさを見せてくれるタヌキ。


 全部が悠治の魅力で、伊吹の心に刻まれていた。

 最初は気にかかるだけだった。そして、徐々に魅かれていったのだろう。伊吹は、そんなタヌキに。

 ただ一つ、伊吹が怪しんでいるところがある。だがそれが、伊吹の“トラウマ”を少しずつ癒しているのも確か。


「もしねぇちゃんがその好きでいるならさ、きちんと言ってあげた方がいいと思うよ。にぃちゃん、どんかんってのだと思うからね」


 「ふふ~ん」とにこやかに告げる金次は、きっと“どんかん”の意味を分かってないのだろう。興六の入れ知恵に違いない。

 だけど伊吹は、その一言に背を押された気がした。気持ちがそちらを向いたのなら、もうやることは一つだ。


「そうね。……今度、ベストタイミングが来たら、伝えるわ。あいつにね」


 気持ちが定まった瞬間、伊吹は心が一気に晴れたことを感じた。そう、満天の星空を見せつける、この日の夜空の様に。


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