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第14話:町行くタヌキ

 朝だ。

 ちょうど巣穴の中に朝日が差し込み、俺の意識を覚醒させた。俺は鬱陶しい朝日に起こされ、身体を震わせて立ち上がった。

 さて、今日も朝日と共に巣穴から顔をだし元気に出勤しますか。


「あ、悠治……」


 巣穴の外には伊吹が待っていた。俺は「よう」と軽く挨拶を返すのだが、そこで「おや?」と疑問を抱いた。

 いつもなら伊吹から憎まれ口の一つでも飛んでくるのだが、今日はなぜかそれがない。

 伊吹らしくもないな。と、よく見ればいつものように俺に引っ付いてくるはずの金太もいない。うーん、可愛い弟タヌキに寝起き気分をすっきり改善させてもらうのが俺の流儀なんだが……居ないのか。ザンネン。


「――よぉ、起きて来たな悠治」


 金次の可愛らしいお子様ボイスの代わりに、その野太い声が俺の背後から掛けられた。思わず反射的に振り返ると、そこに居たのは一匹のみすぼらしいタヌキ。

 山の動物が小奇麗な姿で居られるはずはない。

 雨が降った日の後なら泥とぬかるみを踏み越え、晴れた日でも山頂から雪崩れた岩が砕け、その砂埃を被ることもある。植物に身を擦らせながら暮らすため、その汁や蒸発散されたほんの僅かな水滴で毛が乱れても当たり前。肉食動物なら、獲物の血で顔全体を血濡れにすることも良くある。

 だが、目の前のタヌキからは、それらで汚れる以上の汚らしさ、そしてボロボロな身を感じ取れた。やつれたわけでもない。

 これを人間に例えるなら……うーん、田舎に暮らしていた俺の率直な意見だが、いわゆる都会デビュー? 一旗揚げに都会に行って、その空気にすっかり毒されたみたいな。そんな感じ。


「オレは興六(こうろく)。嘉六から聞いたぜ。お前ら二匹が、山の新入りだってな」


 興六はニヤリと悪意のありそうな笑みを浮かべる。危なげなタヌキだと俺の直感がひしひしと告げている。


「コイツ、嘉六さんのお兄さんらしいわよ」

「嘉六の?」


 嘉六はこの山に住むタヌキの一匹で、俺が初めてタヌキ集会に出た際、おっかなびっくりながら関わりを作ってくれたタヌキだ。あの時嘉六と話せていなかったら、そして嘉六に俺の客観的な現状を教えられていなかったら……今ここにはどんな俺がいたのだろうか。


「それで興六さん。いったい何の用です? こんな朝早く」


 俺が朝っぱらから起きだし、あげく夜行性とは真逆の生活リズムを送っていることはすっかり有名だった。タヌキは基本夜行性だからな。俺と一緒に昼の活動を行うのは伊吹と金太くらい。全く初対面のタヌキが態々朝も早くに俺の元を訪ねてくるは少々意外だった。


「嘉六から聞いたんだが本当なんだな。お前ら真昼間に動くのかよ」

「あー、なんかこっちも慣れましてね。まぁその日その日の気分ってことで――」


 適当に弁解を口にするが、興六が「別にどーでもいい」と切り捨てる。せめて最後まで喋らせろよ。


「ちっと、お前らを連れていきたい場所があってだな。オレはこんな山奥まで遥々遠征してやったんだ。感謝しろよ」

「頼んでないんですけど」


 うん。全くその通り。嫌味言のために態々来たのなら早く帰ってくれ。が、初対面には失礼なので俺は口にしない。けど、伊吹の言葉に同情するように頷いておく。


「んじゃ、とっとと行くぞ。ほら、ついてきな」

 ――いや、(タヌキ)の話を聞けよと。




***




 結局その日。俺と伊吹は興六に半ば連れ出される形で大神山の麓まで降りて来た。興六のスピードがゆっくりなので、すでに日はだいぶ傾いている。


「興六さん。そろそろ教えてくださいよ。いったいどこまで行くんです?」


 俺がいい加減答えろと言うニュアンスで問いかけると、興六は遠くを見るような目つきで「ああ、そろそろいいか」と口の中で言った。


「あそこだ」


 顎をしゃくって興六が示すのは。春の西日に照らされた人造的な風景。人間たちの町。嘗ての俺が住んでいた、狼町。ん? 狼町に行くのか?


「なっっっ……じょ、ジョーダンじゃないわ!!」


 案の定というかやっぱりというか、伊吹が口火を切る。いつもの展開だな。


「なんで態々人間の町なんかに!? あたしは行かない。絶対に行かないわよ」

「あんだよ、ここまで来て引き返すのか? 根性ねぇな「そんなもんいらないわよ!」……ふーん」

「まったく……どうしてこうも人間のことを知らないタヌキばっかりなのよこの山は!! あんた(ゆうじ)といいあんた(こうろく)といい!! ああもう、居つく山を間違ったのかしら!?」


 いつものごとく過激に、過敏に人間を毛嫌いする伊吹。そろそろ、俺もそんな様子には辟易していた所だ。とりなす気もなく放置しつつ、俺はポツリと「狼町ねぇ」と呟いた。


「おいおいオレだけで決めつけんじゃねぇよ。やりようによっちゃあ、人間の町ってのは結構面白いぜ?」

「なわけないでしょ!! 人間はキチガイ集団だって、あたしは身を持って体験した!」

「体験したつってもなぁ……そりゃおめぇ、結局人間の一部を見てそう判断したんだろ? 全部を見たわけじゃない」


 興六は薄汚れた毛を揺らして伊吹を諭すような口ぶりで続けた。


「このご時世だ。どこに行ったって人間との接触は避けられねぇ。恐れて逃げ回るよりも、あいつらを観察してうまく立ち回った方がよほど安全だと思わねぇか?」

「そ、それは……」


 興六から飛び出した予想外の意見に伊吹はたじろぐ。

 そして、俺もその意見には賛成だった。伊吹は人間に対して過剰なほどの警戒と、悟った気でいるような偏見を持っている。それは、あんまりよくないんじゃないかと俺も思ったのだ。

 俺も、一度伊吹を町中に連れて行った方がいいと思う。


「なぁ伊吹。せっかくここまで来たんだ。少し様子を見るくらいなら大丈夫だろうさ。お前くらい警戒しとけば何かあってもすぐ逃げれるって、な」

「でも……!!」


 伊吹の抵抗はだいぶ弱まっている。あともう一押しだ。


「興六の言うことももっともだ。社会勉強だと割り切って、ちょっくら行ってみようぜ」

「おう、そうだそうだ! それに、人間の町にはうめぇモンがたくさんあるからな。魅力的だろ?」

 ――余計な口挟むんじゃねぇよ興六!

「な、実は俺も一度人間の町を見て見たかったんだ。ここは俺に付き合えって」


 完全な嘘だが、興六の言葉によって伊吹の目には警戒の色が戻り始めていた。さっさと説得は終わらせないと夜明けまでこじれそうだ。


「人間って昼型だしさ、夜中ならあんまり人はいない。少なくとも人間と鉢合わせすることはない筈だし、なんとかなるって。それに、伊吹はあんなに人間が危ないって言ってるけど、その体験が今を作ってるだろ。なら、体験の重要さはよく知ってるじゃないか。ここは俺たちの体験ってことで」


 半分は嘘だ。夜は人間と鉢合わせすることが少ない反面、気付かれないまま事故に遭う危険が大きい。だけど、今はどうにか伊吹を連れだすきっかけになればいいんだ。俺は頭に浮かんだ言葉をそのまま言い募る。

 その成果があったか、伊吹は小さくコクリと頷いて言った。


「もしもの時は、あんたの所為だからね」




***




 俺達は深夜になってから狼町に進入した。興六は迷うことなく路地から路地へと進んで行く。それを警戒心全開の伊吹が追いかけ、さらに後ろから俺がきょろきょろ辺りを見渡しながら歩く。


 ――ホント、視点が変わるだけで世の中は変わるもんだな。


 いつも使っていた通学路や、買い物に行く際に使う道。そのどれもが、今では全くの別物のような気分だ。だけど、何にも変わってないんだろうな。


「おーい。早く来いよ。こっちだこっち」


 興六の呼び声が思ったよりも遠くから聞こえ、慌てて俺は走った。もちろん、道路を横断するときは左右をよく確認して。野生動物の交通事故の話も何度か聞いたことがある。今の俺は、その被害動物と同じ立場なのだから、よく用心して歩かねばならない。

 真夜中だが、町には街灯が灯り山の中とは大違いだ。

 高くそびえる木々の葉によって月光や星の光さえも遮られた森は完全な闇夜。だが、街中はコンクリートの道を人口の光が無機質に照らし出している。こうしてタヌキになって見てみると、普段の環境からかむしろ明るすぎるくらいに感じた。

 俺達は、時には街灯の下を小走りに走り抜け、外壁に上っては狭い一本道を駆け抜け、夜の町を歩き続けた。


「なぁ興六。いったいどこまで行くんだ? うまいもんがどうとか言ってたけど……」

「慌てんなよ……ああ、着いた着いた。ここだ」


 興六が顔を上げて足を止めた場所。そこにはすでに明かりも消えた一軒のお店があった。

 【ますだ食堂】

 名前の通り、増田さんの経営する料理屋だ。

 その特徴は、メニューの一つ一つが非常にボリュームたっぷりであること。定食なら茶碗以上どんぶり以下な器にたっぷりのご飯と同様な量の味噌汁。さらに付け合せの漬物に、おかずもボリュームがしっかりしている。それでいて日替わり定食の値段はワンコイン――五百円――とリーズナブル。部活帰りの高校生や仕事終わりのおじさんたちから絶大な支持を得ている。

 実際、俺も穂田と一緒に食べに来たことが何度となくある。田舎の定食屋といった雰囲気が大きく出ており、居心地も悪くない一軒だ。


 興六は店の裏手に回ると鼻をひくつかせて様子を窺った。安全確認のつもりだろうか。俺と伊吹は少し離れたところでその様子を窺う。

 やがて興六は安全を確信したのか、目の前にある大きなバケツに前足をかけ、後ろ足で立ち上がってバケツを倒し、中から素早く黒いビニール袋を取り出した。そして、近くに転がっていた缶に気づくと目を見開いてそれを転がしながら戻ってくる。


「こいつだよ。人間どもは食べられねぇってす~ぐ捨てちまうからな。余りもんはオレ達タヌキが頂くって寸法だ」


 興六は袋をの口を咥えて店を離れると、少し離れた所にある空き地の茂みに入ってビニール袋を食い破る。


「――うっ……」


 ぶわっ、と広がった臭いに俺は思わず顔をしかめてそっぽを向いた。中には、おそらく余ってしまっただろうお惣菜が入っていた。揚げ物だったり漬物だったり、野菜の切れ端だったり……サラダに使った物の余りだろうか。いろんなものがまとめて詰め込まれていたため、鼻を突く臭いは強烈だ。


「んだよ、そんな顔すんな。確かに臭いはアレな時が多いけどよ、今日はまだマシだぜ?酷い時は喰えたもんじゃねぇからな」

「じゃあなんでそんなのを食べにくるのよ。こんな危険まで冒して……」


 道中、一台の車が通り過ぎるのを見送ったのだが、それを見た伊吹が大いに怯え「もう帰ろう」と言い出したのだ。俺も、これ以上無理強いしてもなぁと思ったのだが、結局興六に押し切られて、ここまでついて来たのだ。


「ほら、お前らも食ってみろって。うまいぞぉ!」

「……あ~~、じゃあ、一口」

「ちょ!? あんた本気!?」


 興六は俺に持たせた缶を器用に開け、茂みに隠してあった器に中身を出す。そして、ペチャペチャと飲み始めた。缶の柄を見ればすぐわかる。これ、ビールだよ。

 このまま酔っぱらいに付き合うのは俺もカンベンしたい。適当に合わせて、酔ったところで帰ればいいだろう。

 余り物詰め込んだだけ、しかも黒ビニールに入れられていたそれを食べるのは抵抗がある。が、どんな形であれ久しぶりに人間が食べる物を食すのだ。おそらく今日作られたものだし、まだマシなほうだろう。


「ほら食えって、毒キノコよりはナンボかマシだろうさ」


 一瞬、ピクリと俺の神経が弾かれたが、結局そのまま食べることにした。




***




「まったく! とんだ時間の浪費よ! ホントに!!」

「まぁまぁ、体験は何よりの経験ってことでさ」

「こんな経験に何の意味があるって言うのよ!」


 すっかり憤慨した様子の伊吹を宥めながら、俺たちは帰路に就いた。

 余り物の味だが、まぁ悪くなかった。結局伊吹も少し――ほんの一齧りして――それで俺達は帰ることになったのだ。興六は町の中にいくつか隠れ家を持っており、それらを転々としながら暮らしているのだ。一風変わった、だけど、今の人間中心の世の中を考えると、そうやって順応するのも一つの道なのだろう。「人間に見つからず、人知れず暮らすのがコツ」と興六も言っていた。それは確かだろうな。

 俺はそんなことを考えながら、ぼんやりと道路の端を歩いていた。昇り始めた太陽が、俺達の背中を照らし出す。


「ああもう朝になっちゃったわ。帰って魚でも食べましょうよ。あんた、もうほとんどマスターしたんでしょ」


 熱心にトレーニングしたかいがあってか、俺の魚獲りの腕前はだいぶ上達していた。魚が見つかるかにもよるが、一時間もあれば伊吹と俺の分を獲るにはおつりを出せるくらいだ。


「ま、俺達には町中暮らしは合わないってことが分かっただけよかっただろ? ……俺も久しぶりに顔を見れたし」


 俺は、帰りがけに伊吹に無理言って嘗ての自宅に寄った。庭で親父が伸びをしている姿を見たことで、今回の町へ出向いたことには満足できていた。そしてもう一つ。


「町中暮らしが合わないなんて分かり切ったことよ。まったく……。それとあんた。それ、似合わないわよ」

「おいおいそりゃないって!! 結構気に入ってんだぞこれ!」


 俺は頭の上に乗せた物を鼻で示す。頭に乗っけたものは笠だ。【笠地蔵】なんかでおなじみの昔ながらの笠。日本の時代劇なんかでも、旅をしている人が頭に乗っけているあれだ。

 俺は自宅に寄った際、縁側の脇に笠が放置されていたのに気付いて失敬してきた。昔はこれがお気に入りだったんだ。いつからか放置してしまった物だけど、偶然見つけられたから貰ってきた。俺の特徴みたいな感じになっていいと思う。


「人間かぶれのタヌキみたいでなんかビミョー」

「ひでぇなオイ……!?」


 と、俺の耳に重厚な音が届く。ブロロ……という、重く、大きく、力強い重厚なエンジン音。

 振り返ると、一台の車がかすかに見えた。朝日に照らしだされて見え辛いが、確かにこちら目がけて進んでいる。俺は道路脇に居るからいいけど、伊吹は? すっかり話に夢中で背後から迫るそれに気づいてない。


「伊吹っ、後ろっ!!」

「なに――」


 伊吹は背後を見て、固まった。視界に、――おそらくまだ距離はあった――轟音を立て猛スピードで迫る一代のトラックが写る。一瞬のことに、伊吹の身体は恐怖で固まったのか。

 俺は伊吹の首根っこを咥えて引っ張る! 俺のどこにこんな力があったのか――“火事場の馬鹿力”とやらだとしたら感謝だ。

 とにかく、それで一気に伊吹の身体を引きずりこんだ。


 ブロロロロロッ!!!!


 轟音と共に、目の前を大型トラックが横切って行く。半ば放心状態で、それを眺めていた。俺の傍には伊吹が、どこにも怪我はない。間一髪、助かったようだ。




「……ありがと」


 伊吹は、視線を逸らして、ぶっきらぼうにポツリと言った。俺も「ああ」としか答えられない。

 一瞬だ。本当に一瞬。唐突に来たこの事態。その中で、俺は安堵していることが分かった。

 “安堵”ということは、つまり俺は恐怖も感じていた。あの一瞬で? いったい何に? 事故に遭いかけたからか? ……分からない。一気にいろんなことが起きて、頭が混乱している。


「さっさと帰ろうか。道の真ん中は危ないから。端っこで、な」

「ええ、それがいいわ」


 どちらともなく、とぼとぼと歩き出す。さっきまでの威勢は、かけらほどもなかった。


「……ありがと」

「ん?」

「さっきは助かったわ。一つ、借りね。いつか返すわ。とりあえず、ありがとう」

「……ああ、気にすんなよ」


 なんとなく気まずくなって、伊吹と顔を会わせられない。被った笠は、伊吹との視線を逸らすのにちょうどよかった……。


「ほら! さっさと帰りましょ! もうこんな危ないとこには二度と来ないんだから!!」

「あ……ははは、そうだな」


 だが、伊吹はすぐにいつもの明るい表情に戻って俺を覗き込んだ。いつもの笑顔がそこにあって、俺はもう一度安堵できた。


 大山へ続く道路を太陽が照らしだす。やっぱり、少し眩しすぎると俺は思った。


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