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第11話 鹿目琴葉

 風呂あがり。


 ブラシが毛深い身体の奥まで入り、肌をマッサージしてくれる。俺はブラッシングが非常に気持ちいいことに気づいた。ブラシなんてどこから持ってきたのか知らないが、とりあえず俺は極上の気分に浸ることが出来た。


 なにが極上かって? 鹿目にブラッシングしてもらうの、むっさ気持ちいいんです!

 なんつーかさ! かゆい所に手が届く? ブラシが欲しい所に絶妙のタイミングで来るんだ。さすがは動物を撫で続けた女子。やることが頭一つ違う!


 なんだけど……風呂を上がってからさ、鹿目の様子が少し違うんだよな。ちょっぴり陰が落ちたっていうか……。

 風呂の最中は特に変わったところもなかったよ。あったと言っても……俺がちょっとのぼせたくらい? うん。人間じゃなくてよかったかもね。鼻血出かけたし。それ以外も特に変なことは……。


「タヌキ…………か」


 鹿目が俺のブラッシングをしながらポツリとつぶやく。独り言か? 思いついたように、暗くなった表情でポツリと。


「ねぇ……きみ、うちに住む?」


 住む? それは、俺を飼いイヌならぬ飼いタヌキにしようってことか?


「すみません、突然ですよね。私、今日はすっごく気持ちが穏やかだったんです。こんなの、あの日以来一度もなかった」


 あの日。それがいつを指すのか、俺には何となく分かった。鹿目のブラッシングする手は止まらない。開いた口も、止まりはしない。


「今まで、考えたこともなかった。親しい、一緒に居た人がいきなりいなくなってしまうなんて。……私は、この神社の巫女ですから……お父さんの手伝いで何度も、誰かのお葬式に行ったことがあります。でも、私の良く知る人のお葬式なんて、考えたこともなかった。いつも近くにいるものだって、そう思っていたの。だから、信じられなかった。あの日も…………っ」


 あの日の鹿目は確か、巫女として俺を送り出そうとしてくれた。舞を踊ってくれたな。うん、縁側からだったけど、俺も見ていた。だけど……


「…………私……わたしっ、失敗しちゃった。いつもみたいに、普段と変わりなく送り出してあげようと思ったのに、辛くて……悲しくて、できなかった」


 鹿目はあの日、舞の途中で泣き崩れてしまった。鹿目が俺と同じ山岳部だったのは周知のことだし、失敗を咎める者は誰もいなかった。自分も男泣きしているくせに、穂田が「もういいって、あいつも満足だろうさ」って、必死で慰めてた。

 俺の涙腺も、同時に崩壊してたよ。


 鹿目の手が止まる。風呂の湯に濡れ、ドライヤーで乾かされた俺の毛が、また濡れた。小さな、小さな滴がいくつも降り注ぐ。


「みんなは「いいよ」って言ってくれた。「もう十分だ」って、そう言ってくれた。だけど、ダメなの。私は、まだあの日のことを引き摺ってる。……今日くらいです。少しでも、あの日の事から離れられたのは…………」


 引き摺っている。

 鹿目は、俺が死んだあの日のことを、まだ引き摺り続けているんだ。

 俺は、俺は……もう、忘れてくれていいと思った。穂田と同じように、自分でケリをつけて、前に進んでほしいと。

 俺は、半月ほど前に親父やお袋、爺ちゃんや婆ちゃんの姿を見に行っていた。俺がいないことに哀しみを見せながらも、いつも通りの生活に戻っていた。


 空しさの反面、安心もした。大丈夫なんだなって、胸をなでおろせた。俺の死を受けても、みんな心の芯は太かったから。だけど、みんながみんな、そうじゃない。鹿目みたいに、いつまでも引き摺ってしまう奴もいるんだ。


「山岳部にも、新しい部員がたくさん入ってくれた。私は……もう先輩なんだから……みんなのために頑張らなきゃいけません。なのに……私は……」


 俺は、どうにか以前の鹿目に戻ってほしいと思った。穏やかで、ちょっとお茶目で、山岳部唯一の華だったあのころの鹿目に。一人不貞腐れてた俺を引き込んでくれた、誰にでも慈愛を持っていたあの頃の鹿目に……。

 でも、今の俺じゃあ何もできない。タヌキの俺じゃあ、慰めの言葉一つ発することが出来ない。

 出来ることなんて、せいぜい愛玩動物として心の内をぶつける対象になるだけ。それだけだ……。そんなことしか、できないのかよ。

 なら、せめて……。


「……?」


 鹿目の膝にポンと前足を置く。何度も、何度も。俺としては、慰めているつもりだった。

 言葉は、伝えられない。心情をぶつけられるだけなら、まだ力不足。

 なら、行動で示すしかなかった。まっすぐ鹿目の目を見つめ、ポンポンと膝を叩く。

 気づいて、くれるだろうか?


「……ありがとう。変わったタヌキですね、きみ。……あ、そうだ」


 鹿目は何かを思いつき、すっと立ち上がる。同時に零れた滴が、畳に染み込んでいく。


「あの、私の自己満足なんだけど……あの時できなかった私の舞、きみに見て貰えますか?」


 ――……俺が?


 驚き、思わず口を開く。だけど、やっぱり鹿目には「キューン?」としか届かない。


「十九川君のあだ名“タヌキ”なんです。だから、きみを十九川君に見立てて、ね? お願い」


 鹿目は小首を傾げながらはにかむような仕草をし、俺の反応を見るまでもなく舞を始めた。


 ゆっくり、緩やかな動き。あの日のように巫女服を着ている訳でも、道具がある訳でもない。だが、音楽だけはあった。外に降り注ぐ大雨だ。鹿目が舞っているこの間だけは、不思議と、雨音が、緩やかなメロディーを奏でているような気がした。

 石畳を叩く音。土を叩く音。屋根瓦や、木の壁を叩く音。微妙に違うそれらすべてが合わさって、一つのメロディーになった。美しくも物悲しい。儚いけど、俺自身の魂を揺するような、感情の籠った舞。それを引き立てる音の数々。


 この舞を見ると、鹿目の哀しみが痛いほど伝わってくる。

 そして、俺は思い出した。あの日集まったたくさんの人は皆、俺の死を悲しんでくれていたこと。現場にいたからこそ感じた、参列者たちの素の感情。


 そうだ、そうだよ。


 俺は、自分が死んでから、タヌキとして生きることに精いっぱいで、あの日のことをすっかり頭の片隅に追いやっていた。それを今、思い出した。

 ぼっちで、いつも一人で……。でも、鹿目と会って、俺を取り巻く環境は大きく変わったこと。あの日、たくさんの人に見送られることが出来たのも、鹿目の御蔭だ。そして今、その鹿目によって、あの日から続いた陰鬱の日々に、一旦の終止符が打たれようとしている。最後まであの日を引き摺っていた、鹿目によって。




 俺の聴覚が外からの音程の変化を捉えた。それは、相変わらず飽きることなく降り注ぐ雨が、その勢いを少しだけ弱めたから。

 きっと、明日はいい天気だな。雨上がりの晴れ渡るような。心の蜘蛛を吹き飛ばすような虹も顔を出すに違いない。


 鹿目の舞は続く。なんとなくだが、いつまでも続いてほしい気がした。




 舞は続く。

 いつまでも、いつまでも。

 ゆっくりと、その場に居る者の心を洗う様に。


 舞が終わったのは、日を跨いだ頃だ。そして、舞の終わりを待っていたかのように、外から聞こえる雨音も止んでいた。




***




 その日の朝は早かった。

 舞が終わった後、すぐ寝てしまった鹿目も、すでに起きている。巫女服に身を包んで、朝の日課である境内の掃除をするのだ。

 そして、俺も一緒に外に出て来た。


「昨日はありがとう。また、いつでも来ていいですからね」


 空は、予想通り晴れ渡っていた。気持ちのいい朝日に迎えられるその日。俺はむっくりとした毛を揺すって鳥居のとこまで行き、振り返る。鹿目がいつもの穏やかな笑顔で、俺に手を振っていた。

 俺は軽く小首を傾け、小走りにその場を後にする。


 たぶん、俺が人里に下りることは滅多にない。今後は、より一層。今度、鹿目や穂田に会うのはいつになるだろうか。まぁ、いつでもいいか。


 石階段を駆け下りた俺の眼の前に居たのは、金次と伊吹。

 俺の姿を見つけた金次は、はしゃいで駆け寄ってくる。伊吹は、相変わらずぶっきらぼうにそっぽを向いていたが、やがてひとつ溜息を吐いた。怒り肩で、俺に向かってくる。



 こんな人の町近くに朝早くから……ご苦労なこった。でも、うれしいな。

 俺はのんきな思考のまま二匹に近づく。


 俺のタヌキ生活は、本当の意味で、ここから始まるのだろうな。

 そんな妄想が、ふと、頭を過った。










 鹿目とのかかわりを経て、俺は自分の存在の大きさを知ることが出来た。だけど、俺はまだもう一つ、理解していないことがあった。

 それは、誰かを失う悲しさだ。

 死んだ本人の俺でなく、それを受け止めなければならない鹿目と穂田の立場を、俺はまだ理解できていなかった。

 それがこの先どんな結果をもたらすか、この時の俺は、全く知らない。


 ここで一区切りです。

 次回からは一話完結なお話が続きます。

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