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第9話 雨の日の出会い

 あけましておめでとうございます。

 今年一発目は、少々暗い話かな。

 雨だ。酷い雨だ。


 四月が終わり、懐かしい山岳部の友人が帰った次の日は、酷い雨に見舞われた。

 あんなことがあった次の日なんだから少しは空気を読めよ。と、空に言いたいのだが、あいにく空模様はそれに応える気がしない。逆に、俺をあざ笑うかのようにさらに大粒の雨を降らせた。

 そんな日になぜ俺は外に出ているかというと、天気を読み違えたからに他ならない。昨日の夜は、空が晴れ渡り星々がくっきり見えるほどの素晴らしい夜空だった。だから、久しぶりの遠出日和だなと俺は考えたのだ。

 そこで、俺は山を下りて新しい食料探しに精を出していたのだが、その帰りにこの雨である。


 山の生活には観天望気が欠かせない。そもそも昔から「山は天気が変わりやすい」と言われるように、非常に目まぐるしい変化――と、そこまででもないが、確かに下界よりはすぐに天気が変わる。

 あ、この下界って言うのは登山した時に山の上から地上のことを指す言葉だ。なんとなく上から目線な気がしないでもないが、いまさら変えるのも出来ずそのまま使用している。


 話を戻そうか。

 俺はなんとか山の木々を傘代わりに大神山の麓まで戻ってきた。俺の巣はここからでもまだまだ距離があり過ぎる。天気も保つだろうと、かなり人里近くまで行ったのは失敗だった。この前の乾パンの味が心に沁みついていたのもデカい。


 ――金次や伊吹を誘わなくてよかったな。


 最近は……というよりも、俺は大抵、金次か伊吹と一緒に居ることが多い。

 タヌキは基本夫婦、さらには家族単位での活動が一般的だ。群を作るのではなく大家族での活動、といった感じ。

 金次は両親から――早すぎる――独り立ちをしておりすでに単独の巣を持っている。伊吹は放浪タヌキでそういったパートナーはいないらしい。そして、俺も新参者でパートナーなどはいない。

 結果、単独タヌキ同士で行動を共にするようになっていた。

 悪い気はしない。むしろ、まだまだタヌキ生活では学ぶことの多い俺にとって、そう言った一緒に居てくれる存在は非常に大きく、ありがたい。


 ちなみにタヌキの繁殖シーズンは二月から四月にかけてらしい。俺が山にやってきたのは三月だから……ちょうどその時期に来てしまった訳だ。だからか、視野を広げるとリア充タヌキはそこら中に居た。例の郁夫と常盤コンビは流石に異常だったが。あの二人は子どもすら作らず愛し合っているとか。

 それもう生物としておかしくない? とは俺の意見だ。


「うーん……しかしこれは戻れるのか? 俺は」


 天然の傘である木々の下から空を見上げると、真っ黒な雲が山全体を覆い尽くしていた。もっと遠くから見たら、おそらく大山の山頂も全く見えないのだろう。

 その黒雲から、山中の木々の葉を叩きつけるような土砂降り。木々の葉っぱからは水滴が絶え間なく落ちていく。これは、山の生物にとって恵みの雨とか言ってられない状況。下手すれば、川が決壊して濁流まで発展する可能性もある。

 ちなみにこの後で知ったのだが、この日はかなり大型の低気圧が山の近くまで接近していたらしい。異常気象なのか? いや、天気なんて年ごとに違うのだから、少しの変化で異常気象だとか騒ぐのは馬鹿馬鹿しい。


 と、そんなことを言っている場合ではない。風雨はいよいよ激しくなり、地面は流れ落ちる雨粒で酷くぬかるんできた。せっかくのさわり心地抜群な毛も台無しだ。


「参ったな……不本意だが、どっか近くで雨宿りするか?」


 さっさと巣に帰ってしまえばいいのだが、この雨とぬかるみの中で巣まで戻るのは厳しい。山の斜面も滑りやすくなっており、万が一にも滑落すればなす術がない。

 しかし、人家でやり過ごすのも危険がある。もしも見つかってしまい、運悪く心無い人間に鉢合わせると叩き出されかねない。泥棒タヌキと勘違いされたらそれこそおしまいだ。

 だが、正直この雨の中、巣まで戻れる自信がない。


 ――雨宿りか。


 結局、人家で雨宿りすることに決め、俺は小走りで木の下から駆け出す。

 悩んだ末のことだが、心当たりがないわけではない。この近くなら、大きな神社が一つある。そこの軒下ならば、やり過ごすのも容易いと思う。それに神社なら殺生について厳しいだろうし、命の安全は保障されるのではないか? とも思った。




***




 長い石畳を走り抜け、脇の水路に溜まった雨水でのどを潤しながら走る。確かこの石畳は、自然石で作られたものでかなり古いのだとか。距離もかなりあり、当時の作業に思いを馳せると、ご苦労なことだなと思う。

 他人行儀? だって他人だし過去の人だし。今の俺にとっては“長ったらしくていつ終わるかも分からない無限街道”といったところだ。

 石の上だからか足が滑る。だがそれも研磨された石材じゃないだけマシだ。自然石だから、ところどころに爪を引っ掛ける窪みがあって助かる。ひたすら走り続けてようやく見えてきたのは大きな鳥居。この石畳に入る前も見たので本日二つ目の鳥居だ。

 俺は鳥居を潜り抜け、同じく自然石で作られた階段を駆け上がり、やっとのことでたどり着く。


 ――久しぶりだな、ここは。


 タヌキになってから……人間だった時でさえ数えるほどしか来たことがない神社。来たことがある時だって、せいぜい初詣程度だ。それだけだが、俺には思い入れの深い神社だったりする。

 急ぎ足で境内に駆け込んだ所為か、かなり息が切れている。ぜぇぜぇと、呼吸は荒く乱れた。だが、まだ安心できない。俺は素早く辺りを見渡し、誰もいないことを確認してから軒下に駆け込んだ。




 風が轟々と鳴り響く。時たま軒下にまで吹き込んできて、俺の身体を心から震え上がらせる。


 ――これは……かなり危なそうだな。


 俺は軒下のさらに奥まったところまで避難する。ここなら、少しは落ち着けそうだ。

 ふと見ると、同じように風を恐れて逃れてきたネズミたちが恐々と俺の方を見ていた。瞳に炎をともし、低い唸り声で威嚇する。

 そんなことされなくても、俺はネズミを喰おうとは思わない。が、ネズミたちにはそれが分からないのだろうな。俺は、興味無さげにそっぽを向いて丸くなった。

 時刻は、おそらくまだ昼を回ったところ。俺の(おも)だった活動時間までは時間がある。もうしばらく、ここで落ち着かせてもらおう。


 神社の中には誰もいないのだろうか。床板が軋む音も、誰かが歩いている気配も、何もなかった。ただ、吹き込んでくる風で煽られた砂埃が舞って、俺の顔に降りかかるのが鬱陶しい。俺は、それを逃れるように少しずつ位置を変えながら丸くなって寝続けることを選んだ。


 轟々と、激しい暴風が猛威を振るう。過ぎ去るのは、まだ先の事か。




***




 プルプルプル……。


 なんだろう。少し、寒くなって来たな。頭もなんだかぼんやりする。震えが止まらない。


 いかんな。どうやら、風邪をひいてしまったらしい。

 野生の動物にとって病気にかかるのは致命的だ。人間なら病院に行くなり、薬局に頼るなりできる。だが野生の動物にそういったものがあるはずない。

 しかも俺は一人身。頼れる相手も……居るには居るが、今この場にはいない。そんな状況で風邪をひくとは……自己管理がなってない証拠だ。……くそぅ。


 山のタヌキたちから病気にかかった時の対処法はいくつか聞いていた。山に生えている野草には風邪に効くものがあるとか。それがあれば、多少は役に立つ。だが、


「……無理…………か」


 外は、相変わらず酷い暴風雨。一眠りする前よりも酷くなっている感じがする。こんな状況で外に出るなど自殺行為だ。


「……クシュンッ!」


 ああ、くしゃみまで……しかも無意識に何度も出ていたようだ。俺を警戒するネズミたちが、俺のくしゃみ一回ごとにびくりと反応する。

 そんな警戒しなくたって、大丈夫さ。俺は、お前たちを喰ったりしない。

 いや違うな。そんなことをネズミたちは気にしてるんじゃない? いや、天敵のタヌキなんだから警戒して当たり前? うん? なんか変だけど……なにが?


 このままじっとしてると頭がおかしくなりそうだな。

 といってもすでにそんなことを考えても居られない。頭の中はぼんやりと薄闇がかかっており、もはや自分の現状すら確かめられない。







 そういや、前にもこんなことがあったな。


 そう、俺がタヌキでなく人間だった頃の思い出。そこまで体が弱いわけでもないが、俺は割と病気にかかりやすかった。

 つっても、自分で馬鹿やらかしただけなんだがな。


 幼いころ、小学校の低学年くらいはしょっちゅうだ。雪や雨、簡単な天気の変化に一喜一憂し遊びまわったのはいい思い出。雪の日は朝から晩まで雪と戯れ、案の定風邪を引いたのは毎年恒例の事だ。

 中学に上がっても同じだ。傘を忘れた日には、共働きの親を考えて――親父は猟師の仕事がない日は農協に勤めている――、荷物を全て学校のロッカーに放って家まで走って帰った。そして風邪を引いた。

 高校では、文化祭の準備とかで夜遅くまで残って、無理が祟って体調を抉らせ、肝心の文化祭は参加できなかった苦い記憶が。そして俺は、高校での文化祭に一度も参加できずにタヌキになっている。あっはは、なんだソレ。


 なんだろうな。熱に浮かされるといろんなことが思い起こされる。その全てが楽しかったころの記憶。無駄にだらだらと過ごしていた今までが、とても眩しく思えてきた。そして、後悔もせり上がる。


 この間、穂田と会った。穂田は俺が居なくなったことで多少落ち込んでいたが、自分でそれを振り切り――タヌキ=俺に会ったことが関係するのかもしれないが――、新入部員を連れてしっかり部長をやっていた。

 おそらく、今日も新入部員を連れてトレーニングに励んでいるのだろうか。それとも、今日は先日の登山の片づけに追われているか。

 本来なら、俺もその場にいたはずだ。三年の先輩が引退した後、次期部長は穂田に決まった。俺よりも体力があったし、新しく入るだろう新入生を引っ張るにはあいつがちょうどいいからだ。そして俺が副部長として穂田を補佐する。完成されていたはずの次期体制。

 なのに俺は……。


 ――タヌキに、なっちまった。


 でも、よかった。穂田は、俺の補佐が無くても、十分役割を果たしていた。部長として、新しい山岳部の体制を作ってくれていた。


 俺は、いなくても、問題ない……俺は、要らなかったのか?


 いかんいかん。熱のせいで余計な考えが芽生えているのだろうか。そんな訳ない。現に、俺の葬式にはたくさんの人が来てくれて……待てよ。

 人が死ねば、必ず誰かが見送りに来てくれる。よほど真っ当な人生からかけ離れた悪人でもない限り。いや、今の日本なら、どんな極悪人だろうと見送ってくれる奴はいるだろ。死刑囚に対する死刑執行人とか。そのために呼ばれるお寺の人とか。


 そう、人が亡くなれば悲しんで見送るのは当然の事。だったら、俺のとこにたくさんの人が来てくれたのも、ただの義務的な事項(・・・・・・・・・)何じゃないのか?


 もう一度、俺の人生を思い返してみる。思い出すのは、さっきまでの楽しかった日々で無理やり上塗りしてきた、陰鬱なこと。俺は小学生の頃から人見知りが激しく、あまり人付き合いはよくなかった。だから一人遊びも多かったな。それでも小学生の頃は惰性で何とかやってこれた。だが、中学に上がってからそれは一変した。

 思春期の精神(こころ)が発揮されるこの頃、グループ活動が最も積極的になる時期だ。その前兆は、小学校高学年あたりから見えていたが、中学生になってからそれがふんだんに発揮される。

 集団に馴染まず、ほとんど一人でいることが多かった俺は、言ってしまえば“ぼっち組”だ。そして、そういう奴は総じて弄られやすい。手を貸してくれる人もおらずで、虐めにあったりパシリ扱いにされたりと、散々な目に遭わされる時期でもある。

 俺は、そんな中では少し変わっていただろう。立場的には、ぼっちで弄りやすいのだが、俺は“そういう奴等”にはかなり反抗的だった。一対多数の喧嘩もよくやった。猟師の親父に鍛えられたのが幸いだったな。一方的にボコボコにされる前に、相手の数を減らせたよ。

 だけど、それで得られたモノなんてなにもない。一人でいることが多いから、友達もいない。その辛さを痛感したのは、中学二年のある時だった。


 その日も俺は喧嘩を売られて、それを買ってボロボロになっていた。喧嘩には勝ったが、どこか空しさを覚えて、とぼとぼとあぜ道を歩いていた。

 普通に街中の道も通ったのだが、すれ違う人全員が腫物を見るような眼で俺を見てくるので、そこに居たくなかったのだ。まぁ、顔にあざを作ってところどころから血を流してる俺の姿なんて、腫物以外の何物でもないさ。

 田舎だから見知った顔に「何があった?」とも聞かれるが、「何でもない」と無理がある言い訳をしてその場から逃げた。そうしてあぜ道を歩いていたんだ。

 その時だった。とても澄んだその声がするりと耳に入ってきたのは。


『どうしたの? その傷』


 声の主は、俺と同級生の女子。俺は今まで全く気にしてこなかったが、どうやら小学校の頃から一緒だったらしい。あんまりにもボロボロだったからつい声をかけたのだとか。適当にはぐらかそうとしたのだが、このタイミングで雨が降った所為でその女子の家に雨宿りさせてもらうことになった。

 小走りに鳥居を潜り抜け、長ったらしい石畳を駆けて、石階段を駆け上がって縁側に腰掛け……。

 そう言えば、あの日も風邪を引いた。で、親父たちが迎えに来るまでその女子の家で世話になって……。







 ――……? 寝てた……か。


 目を開き、寝起きにくしゃみを一発。頭を持ち上げると床板に激突した。何時までこうしていたのだろうか。外は、いつの間にか暗くなっている。だが、風雨は相変わらず。


 ――移動、しないとな。


 俺はゆっくりと身体を持ち上げた。

 そうだ。今は俺しかいない。生きるなら、どうにか薬草を探し出さないと。

 この風雨の中、外に出るのは自殺行為だ。だが、このまま風雨が過ぎ去るのを待っているとして、その間に俺が力尽きないとも限らない。動けるうちに、出来ることをしないと。

 のっそりと、酷く緩慢な動作で軒下から外に出る。横殴りの風が俺を襲い、一瞬で吹き飛ばされそうになるが、どうにか踏ん張れた。


 ――よし、なんとかなるかな。


 俺が、フラフラな身体に力を籠めて歩き出す。その時だった。


「――タヌキ!?」


 驚きの声が、背後から聞こえた。どこかで聞いたような気がする。柔らかく、優しい、ふんわりとして、澄んだ声音。どこまでも透き通った、懐かしい少女の声。


 思わず――ゆっくりとだったが――振り返り、その姿を視界に収める。

 そこには、記憶の中では最も新しい巫女装束ではなく、見慣れた制服姿でもない。私服姿の少女が居て……。


 俺の意識は、ゆっくりとブラックアウトするのだった。


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