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ツィゴイネル★ワイゼン  作者: 夜方
8/18

ジャガーノート 0.9


 ――今となっては、たまに思い出す事もある。


 飯を食うことや寝るのと同じくらい、生活の一部と化していた事。

 誰かの肉体を破壊するという事。

 それを大衆の面前で、ライトを浴びながら執行するという事。

 つまりは公開処刑。そう。リングに上がるということを、だ。

 それを宿命づけられた男がリングから遠ざけられるなど、皮肉と呼ばずしてなんというのか。必然には違いないとしたって、だ。

 格闘技の三冠王者として、最強にして最凶の暴君と呼ばれた男。その世界で強すぎたがゆえにもはや敵と呼べる者もいなくなった男。


 それがこの俺、ジャガーノート様だ。


 連戦連勝を重ねて四十戦無敗。試合で負った傷など一つもない。顔に走る傷も暴漢にナイフで抉られた時のもの。言わば勲章だ。

 俺が強すぎるのは仕方ない事だった。だから相手が弱すぎてぶっ壊れてしまっても、それはそれで仕方のない事だった、はずだ。


 俺を諌められるとしたら、それは至高の存在くらいのもの。そう、強者に相応しい完璧な女くらいのものだろう。とはいっても、俺の強さに群がり、食い散らかしてきた馬鹿な女たちの事じゃない。つまりはリングインの前に俺が祈りを捧げる、戦乱と殺戮の女神、『カーリー』の事だ。時に祈りを捧げ、時に馬鹿な女たちの肉体を借りて犯してきた、カーリーの言葉ならば、信心深い俺も耳は貸すだろう。


 世間は強い男を求めている。それで問題ないはずだった。


 だが、強すぎる男はあまり金にならないらしい。

 そういう意味では、対戦者から敬遠され試合が組めなくなったのは、必然といわれれば必然の話なのだろう。

 だからきっと、そんな俺に八百長の話が転がり込んできだのもまた、必然だったのかもしれない。


 ジャパンマネーってヤツは甘い汁だ。それに一度くらい相手に花を持たせてやるのも、今後を考えれば悪い話じゃない――マネージャーはそう言っていた。

 今にしてみればアイツの方が必死だった気がする。ムエタイ選手崩れの元兄弟子は、俺以上に躍起だった。生活がかかっているからそりゃそうだろうが、興味もないってのに、六歳になる娘の写真を何かにつけて見せてきた。

 鍛え上げた体も錆びついて、ブヨブヨの肥満体型に薄い頭。もち米とバナナを葉で包み蒸した、カオトムマット臭い息をいつだって吐いていた。

 俺はアイツが醸し出す脱落者の惨めさが、不快でしょうがなかった。それでも今にして思えば、試合も組めず、俺から離れていった連中に比べればまだマシな方だ。


 アイツはよく言っていた――お前には俺と違って才能がある、枯らしちゃいけない、と。


 あの頃は、そんなことお前に言われる筋合いはないと思っちゃいたが、最近じゃアイツのカオトムマット臭い小言がふいに聞きたくなることもある。酒が入った時なんか、ごく稀に、だが。


 アイツの期待なんてどうという事もなかったが、それでも俺はその八百長試合を受けた。正直言えば、試合に出られれば俺はなんでもよかった。


 相手は次代のエースなんて呼ばれてた若い日本人だった。ソイツがもはや伝説とまで呼ばれていた俺を相手に善戦し、ダウンの一つも取る。筋書きはそんな感じだ。

 生活のかかるアイツの惨めさに同情した訳じゃないが、俺はなんならソイツに、記念すべき俺の生涯唯一になるだろう『一敗』をくれてやってもいいと思っていた。これから先も甘い汁を吸い続けるための足掛かりになるというなら、興行主どもに恩を売っておくのも悪くない。そう本気で思っていたからだ。

 俺からの申し出に、興行主とは名ばかりのキナ臭い連中も、マネージャーもバカみたいに浮かれていた。


 だが……。


 ソイツはてんで話にならなかった。

 ギアもローに入れっぱなしの俺のジャブ一発で、よろける程度の力量だった。

 俺はそれからギアもほとんどニュートラルで、ソイツのお遊戯に付きあってやった。

 開始一分、それでもよく我慢してやった方だと思う。俺の気が変わったのは、ソイツのあまりに無意味なバックハンドブロー、それを受けてやった瞬間だった。そこからはものの三秒で幼稚なお遊戯会に幕を閉じてやった。


 一撃で顎は砕けた。


 レフェリーが止める頃には、俺はリングを飛び下りていた。

 一瞬、リングサイドのマネージャーの目を見た。群がってくる黒服の男たちのことなど視界になく、呆然と立ち尽くすアイツの色の無い目を。逃げろ、とは叫ばなかった。

 興行主どもの怒声を背に、俺はさっさとそこから逃げ出した。俺に後悔などあるはずもなかった。弱いヤツが悪いのだから。弱いヤツは死に、強いヤツが生き残る。それが社会のルール。弱い人間は殺されても文句も言えないのだ。


 と、ふいに頭の奥で言葉が浮かんだ。


『どうして人を殺しちゃいけないの――?』


 そう聞いてきたのは誰だったか? 俺は思い出し、後ろを振り返りそうになる。


 そうだ。そんな幼稚な質問をしてきたのは、紛れもなく子供だった。

 マネージャーの六歳になる娘。父親似の丸々とした顔に大真面目な表情を浮かべて尋ねる娘に、俺はバカバカしくて大笑いした。そもそもこの俺にそんなバカげた質問をするなんて。思いつつも俺はなんて返したか? 

 そうだ。今と同じ言葉を吐いてやったはずだ――人を殺しちゃいけないなんて道理はない。殺されちまうような弱いヤツが悪いのだから、と……。


 すると、頭のさらに奥の奥で言葉が響いた。


『そいつは一理あるかもしれないねぇ――』


 ハッとする俺。俺の意見に同意するような言葉は、まるで神のお告げのような。つまりは戦いの女神たるカーリーが、俺は正しいとでも言ってくれているような。

 しかし、その声はやけに甘ったるく、そして投げやりだった。

 

『なんで人を殺しちゃいけないか……そりゃ『簡単』だから、さ。人が殺し殺されることの簡単さに比べりゃ、人が生きていくことの方が希少価値があるってだけの話さね――』


 誰にともなく話す女の声は、次第に俺の頭の奥で消えていく。


 軽い眩暈をおぼえた。喉はひりつき、なんとも言えない倦怠感は全身へと広がっていく。

 俺は、それを振り払うように駆け続けた。


 そこからは興行主の息のかかった連中に追われる日々。何度か返り討ちにしてやったというのに、連中は呆れるくらいにしつこかった。

 返り討ちにするという作業は、まさしく飯を食う事や寝るのと同じくらい訳ない事だ。とはいえ、さすがにそのしつこさには俺も舌を巻いた。日本人はあくせく真面目に勤労に従事する。内臓を破裂させられても、首をへし折られても、同じ顔をした連中は、熱烈なファンよろしく俺のところへと押し寄せて来た。


 自殺志願者の相手にも、祖国に帰る事も出来ない毎日にも、苛立ちが募る頃。俺の目前には手ごろな隠れ場所みたいに、『穴』が開けていた。

 ぽっかりと開いたそれはホントにただの穴で、俺のヤキもいよいよ、なんて思えるくらいに馬鹿げた光景だった。

 俺はバカバカしさに、鼻歌まじりにその穴へと飛び込んだ。


 傾舞奇町の外れ――〝不夜城〟。


 それが十二年前の話だ。

 表の世界でのし上がった俺にすれば、舞台を追われたとして当時は大して悲観もしちゃいなかった。裏の世界にゃ裏の、俺向きの仕事がわんさとある。だから逃げ込んだ先、〝不夜城〟でも俺は腕っ節ひとつでのし上がれるはずだった。


 ……現実世界にゃ在るはずもねえ〝魔導〟なんてものさえなけりゃ。


 ビビっちまったのなんてどれくらいぶりか、いや、生まれて初めての経験だった。

 俺の自信なんて一瞬で消し飛んじまうほどの破壊力。規格外、そして想定外。実際、尻尾を巻いた。


 そして俺は不夜城でのし上がる事を諦め、攫い屋として生きてきた。それは『造型師ピグマリオン』あたりと組んで知育玩具を作り出す最低な仕事。


 クソッたれな稼業に身をやつす日々は、へし折れたプライドに塩を塗る毎日。それでも俺は怠る事なく肉体を鍛え、技術の研磨を重ねた。魔導師相手のリベンジに向けて。 

 かつて以上に完成された肉体と、十二年もありゃ〝魔導〟の対策くらい準備済みだった。


 いつの間にか、俺の目の前には小柄な男が立っていた――。


 細い身体に張り付いた黒色のシャツとパンツ。左の耳には、ショートヘアーの漆黒よりも鈍い色をした多面石のピアス。

 愁いを帯びた長い睫毛、世の女性以上に女性的なその顔の、射るような双眸に浮かぶのは。引き込まれそうになる程の深紅。


 花キューピッド――という言葉が響く。俺はソイツらを知っていた。


 一応は花を届けるのが仕事とうたっちゃいるが、ここは〝不夜城〟だ。ただの花屋の訳もないだろう。運び屋か何かと見てまず間違いはないはずだ。不服だとして、攫い屋稼業にやつす身としちゃ、同業者と思わしき輩のチェックも怠っちゃいない。


『……お前、今ケツモチいないんだッてェ? それじゃあ俺も安心でテメーをボコれるなァ』


 意外なほど近くで聞こえたのは、ハスキーな声だった。


『ケツモチ』という単語に、俺はハッとする。攫い屋稼業の顧客は引く手あまた。だが大口の、というなら、俺の専属は〝キスアンドクライ〟で権勢を誇った『黒薔薇』の一族になる。

 連中がどうして、その勢力を解体してまで〝プライベート・アヴァロン〟に拘ったのかは解らないが、俺との関係は今も続いている。確かにケツモチとしての後ろ盾はなくなったとして、金回りは変わらず良い連中だ。黒薔薇からの仕事が最優先事項である事に変わりはない。

 こんな事さっさと終えて、連中が『花嫁ブライド』と呼ぶガキの誘拐にさっさと取り掛からなければならないだろう。

 俺が攫って、その後は『兄弟』がうまいこと黒薔薇の連中好みに仕上げる。それもこれもいつも通り、つまりはビジネスってヤツだ。俺の商品に手を出したコイツらを嬲るのはあくまで趣味の範疇。なにかとストレスの多い社会ではそれも大事に違いないが、ビジネスはもっと大事だ。どうやら俺も勤労勤勉な日本人に似てきたのかもしれない。


 趣味を手早く済ませるべく、俺は目前の小男を見据え、構えた。試合と同じ、相手を破壊しつくす、最強格闘家たるジャガーノート様特有のムエタイスタイル。

 小柄な男の右手に、双眸と同じ深紅の光が収縮していく。相手が魔導師であったという事実にも、それが放たれるのを視界に留めても、俺は決して揺るぎなどしない。準備は万端、仕上げを御覧じろ。勤労勤勉な日本人ふうに言うならば、そんな感じだ。


 そして。


「吹っ飛べ‼」


 深紅の光弾、それが自身の肉体に命中するや叫んだ。俺の着ていたスーツはズタズタになったが、焦りなど欠片もない。

 胸板に描かれた図形が露になる。

 

 それは二重螺旋を連想させる紋様――魔法陣。その効果――

 

 小柄な男は、その深紅の双眸を瞠った。


 ――反射。


 弾かれた魔法を相殺すべく、男が新たな光を掌に灯した瞬間、俺は既に地を蹴っていた。

 一瞬、ただの一瞬で良かった。魔法さえ使えなければ魔導師などただの人間以下だ。

 相手の襟首を掴み、首相撲からの怒涛の膝蹴り。かつてその世界で最凶と呼ばれた男、ジャガーノートの必殺コンボ。


「喰らえッ! 喰らえッ! 喰らえッ!」


 くの字に折れ曲がった小柄な体躯、大人と子供ほどの体格差にも躊躇せず、鋭角に膝を放った。


「フリークス好みまで肥大させてッ!」


 突き刺す。


「ゲテモノ呑みのブラックホールにまで拡張ひろげてッ!」


 細い首を圧殺できるほどの握力で、万力の如く締め付け、膝を突き刺す。


「壊れた蛇口みてーにしてッ!」 


 殺人機械のように単調に、だが一瞬たりとも止まる事なく精密に、膝を突き刺す。


「脳みそ焼き切れるまでッ!」


 突き刺しては恍惚にして、ただひたすらに、膝を突き刺し続ける。


「狂わせてヤルッ‼ 狂えッ‼ 狂エ‼ クルえ‼ くるエ‼ くル……ク……」


 解放――。


 一瞬のうちに達すると俺の視界は開け白んだ。


 フラッシュバック。


 まどろみに浸ろうとした俺に、だがしかし着地点はない。


 気づけば、俺の腕の中にあの男はいなかった。愛おしさすら感じさせてくれたというのに。きつくきつく抱きしめ、ご無沙汰の膝先を何度も発射させてくれたというのに。


 まるで高く高く昇りつめ過ぎて、宇宙まで達してしまったかのような浮遊感。

 重力はない。それどころか四肢に力も入らない。


 視界にはなにも映らない。

 宇宙の先に、しかし星の煌めきひとつない。


 闇だけ。

 あるのはただ闇だけ。


 その中で、か細い喘ぎ声だけが聞こえていた。

 急に不安に襲われる。

 しかし助けを呼ぼうにも、唇は動かない。

 塞がれているのではないとやがて気付いた。

 俺の唇はさっきから開いている。

 か細い喘ぎ声。それが、無意識に自分が発しているものだと気付いた時、俺は発狂しそうになる。

だが、やはり悲鳴すら上げられなかった。

 自身の肉体。鍛え上げられた俺の体は、この瞬間になんの役にも立たなかった。

 自分が立っているのか、寝ているのかさえも分からない。


『――どうだい、蜜飴』


 ふいに闇の中で声が聞こえた。それはカーリーと同じ声をしていた。


 その時にしてようやく、自身の感覚のうち聴覚だけが無事だと気がついた。しかし、それすらなんの慰めにもならない。

 俺を無視して会話は続いていく。


『ダメっスね。新しい情報は特にないっスよ』


『でもまあ、黒薔薇が花嫁探ししてるってのは間違いないんだろぉ?』


『ったって、そいつの顔も分かんねえんスよ』


『まあそんだけでも、なんかしらやりようもあんだろさ』


『っかし、シャッチョも悪っスよね。なんなら玩木屋のじいさんに玩具の坊や渡しちゃっても良かったんじゃねっスか?』


『莫迦だねぇアンタ、大叔父がくれといったのはあくまで情報( ・ ・)だよ、事実( ・ ・)じゃあない。アタシは確かに言ったはずさ、ウチには情報だろうがなん( ・ ・)だろうが( ・ ・ ・ ・)取り揃えて( ・ ・ ・ ・ ・)ある( ・ ・)って、ね。そりゃ大叔父が悪いのさ。玩具本人を寄越せと言われた覚えはないんだからねぇ、アタシは』


『だったらだったでどうすんスか、あのクサレジャンキー。あっこまでぶっ壊れてんじゃ、売り物にはなんねっスよ』


『今さら修理ってもねぇ』


『だったらやっぱり玩木屋のじいさんに……』


『だから莫迦だねぇアンタ、そんなことすりゃカジノの地下で伸びてたコイツラかっ攫ったのがアタシらだってバれちまうだろぉが……とはいえ『兄弟』んとこにも持ち込めないしねぇ』


『最初っから言われたところで渡すつもりなかったんじゃねっスか、シャッチョ。でもそれじゃあやっぱり。廃棄するっきゃないっスね、こっちの出涸らしと一緒に』


『廃棄にゃ金が掛かかるからねぇ……で、やっぱりもう何も出ないのかい?』


『んー、さんざん嘗め尽くしたっスからね』


 なんとなく聞こえていた声もやがて小さくなっていく。

 そうして、外界からの最後の音を残して、漆黒の世界は閉じられた。


『こいつのノーミソ( ・ ・ ・ ・)からは( ・ ・ ・)もうなんの味もしねえっスよ――』



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