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ツィゴイネル★ワイゼン  作者: 夜方
17/18

橘神結 5


 落ちてきた雫は額を伝ったあとで、ちゃぷんとお湯に波打つ音。

 たっぷりのお湯に口元まで浸かっているうち、不覚にも襲ってきた睡魔から慌てて覚醒する。

 ほんのりと頬を桜色にした神結は、銭湯ほどはある浴槽の縁に腰かけ直すと、ぼんやりと天井を見上げた。

 

 窓のない浴室には、円形状の天井一面を埋め尽くすように、色取りも鮮やかなステンドグラスが張られている。鐘つき堂を頂きにもつ、尖塔形の外観とは打って変わって丸みを帯びたつくり。尖った屋根部と塔との間に巨大な地球儀が嵌めこまれたかのようなイメージ。当然採光も無いはずの浴室では、廊下の蝋燭と同じくして、ステンドグラス自体が適度な明るさをもって輝いていた。


 リラックス効果抜群の浴室は、魔法防壁の術を用いた防音効果も完璧。案内してくれたキキは「ゆっくり入ってきなよ」と言ってくれていたが、さすがに長湯をしすぎた気がする。小さく深呼吸。しかし神結は、立ち上がろうとして思い留まる。

 縁に腰掛けたままで半分浸かった両足を交互に上下させる。水面に波紋が広がった。

 振り返ってみると、現実味も無いこの二日間がろくな思い出じゃないことだけは確か。それでも、もはや思い出せない二日以前の記憶とは違って、鮮明に思い出せた。


 ――それを経て、自分はどう変わったのだろう?


 少しの惑いを浮かべながら水面を覗き込む。

 波紋が止んだ時、そこにあったのはいつもの自分。中学生、ひどい時だと小学生に間違われる頼りない幼い顔。

 恐怖や怯えも見えないけれど、成長の跡も見えないことに気がついて、神結はひとり苦笑を浮かべた。


 脱衣所には、汚れたキャメル色の制服と伝線の目立つ黒のタイツはすでになく、タオルと共に黒の修道服風の衣装が置かれていた。

 選択肢なのかなんなのか、その隣にはパステルピンクがいかにも可愛らしい魔法少女風の衣装。そっちは目に入らなかったことにして。ここの制服らしい修道服風に袖を通し、鏡の前で一回り。なんだか敬虔な気持ちになれたような気がした。

 湿ってボリューム満天になった髪の毛を苦心して梳かし、青に緑に黄色、トリコロールのビーズ玉で出来た髪留めでふたつに結った。


 廊下に出るとキキが待っていた。

 声を掛けようとして、先刻と違うキキのさまに神結は戸惑う。今は神結も同じ修道服風の制服。その裾の部分をミニスカートっぽく捲り上げて、ピンで留め、キキは太ももを露にしていた。


 神結の視線に気がつくと、キキは慌ててピンを外す。

「今日は暑いからな」頬を染めたまま、よく分からない言い訳。ピンや缶バッジで崩されつつも、敬虔な修道服が出来上がる。

 神結の衣装へと視線を移したキキが頷いた。


「うん、ピッタリだゼ。今まで着てたのは縫の所に持ってったから、すぐに綺麗にしてくれるはずだゼ」


 優しい笑顔に、神結は心から「ありがとう」と応える。そして、決して短くならない蝋燭の火が灯る廊下を二人は歩き始めた。

 

 しばらく歩を進めると「あっ」とキキが小さく跳ねた。

 どうしたの、と顔を覗きこんだ神結と目を合わせたキキが、


「ヒゲがピリってなった」


 色白でつるつるの肌。キキちゃんの顔のどこに『ヒゲ』があるっていうんだろう――むしろそっちをいぶかしんでいると、


「カミユちゃん、こっちきてみなよ」


 小さく駆けたあとで、廊下に等間隔に並んだ窓へとキキが手招きした。

 窓へと近付くと、神結は灰の降り落ちる薄闇を眺める。


 その時――、星ひとつ見えない暗天の空に、いくつもの光が駆け抜けるのを見た。


 枝分かれして、一瞬のうちに空に走った金色の光。それはまるで、この夜の学校を起点としているかのようだった。

 漆黒の空に金色の光が走るさまは、雷雲を思わせる。

 ビルの天井に過ぎないはずの虚無は、星ひとつ見えない漆黒のキャンバス。そこに初めて変化が生じるのを神結は見た。

 間もなくして、発生元すら分からず降り積もる白い灰。それに金色の光は飛び火した。

 空を覆いつくすほどに駆け抜けた金色の光は、今やその空から消え失せていたけれど、姿を失いながらも空に留まり、帯電するように白い灰を変色させていく。

 落ちてくる白は金色へと変わり、宙を瞬かせている。

 それは星ひとつ無い空の、星降る夜。

 本来なら、ひとつの部屋のプラネタリウムにしか過ぎないはずの、満天の星空。


 やがて空が漆黒の夜に再び呑み込まれるその瞬間まで、神結とキキは見とれていた。

 間もなくして訪れた、漆黒に佇むぼんやりとした蝋燭の明かり。それは自分の現実と小ささを突きつけられるような気がして。それでも、蝋燭の明かりの頼りなさから神結が目を逸らすことはなかった。

 一瞬の出来事ではあったけど、同じ時間を共有したキキと見つめあって顔を綻ばせる。

 魔法というものが日常茶飯事のこの世界では、他愛のないことなのかもしれない。それでも神結は、夜の学校の仲間たちとも、この世界とも距離を縮められたような気がしていた。


 蝋燭の明かりに導かれるように、先刻の礼拝場と思しき間へと歩き始める。その道すがら、神結は尋ねた。


「ここは一体どういうところなんですか?」

 

 悩む素振りもなくキキは答える。


「夜の学校はネ、身寄りのないおれたちにエイボン先生が勉強を教えてくれるところだゼ、しかも寮付き。で、普通の学校と同じように勉強するんだけど、普通とちょっと違うのは、それにプラス魔導の勉強もするってとこ。今日はトランとコロもいるから生徒の数は九人。だけど今出てるヤツもいるから全員じゃないんだけどネ」


 あまりに平然と話すキキだったが、神結は『身寄りのない』という言葉にハッとした。それについて深く尋ねるべきかどうか、言葉を詰まらせた神結が礼拝場へと辿りついた時、百乃目瞬が声を掛けてきた。


「おー神結ちゃん、ここの制服も似合ってるやん。ところで隣に置いといた魔法少女……」


「だろぉ。でもまぁ、あんたの好みなんて聞いてないけどネ」


 身内の恥部を遮るべく吐き捨てたキキの言葉など何処吹く風、瞬は前に、前に出る。その後ろで大きな身体のトミーが控えめに立っていた。


 記憶消失以来のダメな人だ――、思いつつも名前のくだりから早一時間、正式名称で呼ばれたことも含めての愛想笑いを返した神結。


「でぇ、なんの話しとってん?」


 尋ねる瞬に、


「べっつにぃ、ここのこととか、おれたちのこととか」答えるキキ。


 すると瞬はさめざめと溜息をついた。


「俺たちのことかぁ……なぁ神結ちゃん、俺たち結構ひどい人生送っとってなぁ」


 トミーとキキの顔を見やって、瞬が継いだ。


「最終的に、俺は角膜目当ての臓器売買の業者に長いコト捕まっとったんよ。トミーとキキも似たようなもんで。トミーは中東のテロ組織、キキは闇専門のペットショップに売られかけとってんよなぁ」


「ほんっと最悪!」思い出したように、キキがげんなりといった表情を浮かべた。


 ついさっきまでは根掘り葉掘り聞くのもどうかと迷っていた神結だったが、せっかくなのでという口実の元、好奇心のままに話の続きを尋ねる。


「それで、どうやって助かったんですか?」


 瞬は奥歯に物が詰まったような顔をした後で、答えた。


「たまたまな、花キューピッドの仕事でトランとコロが通りかかってな……」


 それを聞いて、神結の顔は明るくなる。


 ――困ってる人を見捨てられないなんて、トランさんもココロさんもやっぱり良い人なんだ。


 そんな神結の心の声を知ってか知らずか、瞬はしみじみと続けた。


「あいつが助けるゆうてくれへんかったら、今頃俺どうなっとったかわからんわぁ。ほんとココロは良いヤツやで……ヘタレやけど」


 場にいる皆が一様に頷き、一様に口にした。


「……ヘ、ヘタレだけど」


「……ヘタレだけどネ」


「……ヘタレなんですよねー」


「……ヘタレなのね」「なのね」


 見れば、いつの間にか小伊万里と双子の時行と時逆も輪に加わっている。


 皆がしみじみと「ヘタレ」と口にした後で、ふいに反論の声が聞こえた。


「コロくんはヘタレじゃないもん」


 少女のように線の細い少年。いつの間にかやってきた縫が、精一杯怒りの表情を作っていた。


「ゴ、ゴメンね、縫くん。縫くんはコロくんのこと尊敬してるんだもんね」


 取り繕うようにトミーが嗜める。

 そんなやり取りをしり目に、


「魔法少女ダメやってん」


「すごい妹のヤツになれるのにね」「のにね」


 瞬と時行、時逆姉妹。共犯者達のひそひそ話。

 そんな彼らに、神結は当然といえば当然の疑問を口にする。


「あの、それでトランさんは?」


 新たな魔法少女(すごい妹のヤツ)育成の作戦会議に花を咲かせていた瞬の口元が引き攣る。


「あいつは……最悪や。業者ぶちのめしたあと、別の業者に俺んコト売りつけて自分の儲けにしようとしてん」


「……ボ、ボクも」


「……おれも」


「……あたしもー」


「……私たちも」「たちも」


 再び五人が声を揃えた後で、


「……ぼくも」


 これには縫も同意見だったらしい。

 微笑ましい話を聞いていたはずの神結の笑みは、強張ったままで固まった。

 瞬は忠告するよう真顔で話す。


「ええか神結ちゃん、あんなもん闇金より性質タチ悪いからな。ぜったいあんなんに貸しなんか作ったらあかんで」


 神結の笑顔が強張る。


「ですよねー」


 しかし内心で、


 ――もう手遅れなんですけどぉ……。


 途方に暮れた。



    ☆★☆



 千枝者原キキに、落葉ヶ淵小伊万里。百乃目瞬に、巨漢のトミー。双子の時行と時逆、それに少女のシルエットをした少年の縫。夜の学校の生徒たちに見守られて、神結は礼拝場に立つ。


 愛されキャラのヘタレ忍者と憎まれキャラのヤサグレ王子が礼拝場へとやって来たのは、間もなくしてのことだった。

 二人は共に黒い修道服を仕立て直したような、細身のシルエットの、夜の学校規定の制服へと着替えていた。

 その姿に、神結の瞳は自然と緩む。

 揃いの衣装に身を包んだ同学年の男子二人――。ぐっと距離感が縮まるのを感じる神結の前で、トランがタバコ(風)に火を点ける。

 先刻、昏倒したトランの落とした吸殻を片付けるココロに尋ねた時、それの種明かしは済んでいた。


 これはね、リラックス効果もあるらしいんだけど、それ以上にさ、自分たちの気配や匂いを掻き消す効果があるんだって。人知れず勤めを果たす、花キューピッドの仕事上、ね――。


 それを聞いて、花キューピッドの『仕事上』の意味は分からなくとも、嗅覚が優れていると評された褐色執事を相手に『手は打ッてある』と語ったトランの真意を、神結は理解した。


 トランとココロの間を抜けて、擦り切れた赤と黒を纏ったエイボンが姿を現す。もちろん記憶消去の術式を解く為であったが、先と同じ姿のエイボンに、儀式的な要素はひとつもない。

 エイボンは真っ直ぐ神結の元まで歩いたが、ふと思い出したようにトランへと振り返った。


「ところでトラン、お前はどこまで解っておる?」


 紫煙を吐き出すと、トランはゆっくりと口を開いた。


「自身とそれに関連する記憶の消去、それが所詮は術式の一部にしか過ぎねェッて事をか?」


 戸惑う神結を尻目に、エイボンは小さく頷く。促されてトランが続けた。


「超自然的な事象を認識出来るか、出来ないか。カミュは確実に後者だッた。長い間、傾舞奇町に近い百人町で暮らしながら、逢魔ヶ通りの存在を知らなかッた事がそれを証明してる。そして認識出来ないという事は、言い換えるなら超自然的な事象と関わらないッて事でもある。つまりは一種のシールド。だが、部屋に閃光が走ッたッていう術式の発動以降、それは剥がれ落ちた。社会との繋がりともいえる記憶の消去は、その状態に至る為の手段に過ぎねェよ」

 

 エイボンの見つめる前で、トランはきっぱりと言った。


「見えるようになったんじゃねェ。元々見えてたのに、曇りガラスをはめられてたのさ。この術式の真の目的は、出生時からこの女が持ちえていた超自然的な現実への回帰。それはすなわち――〝リセット〟のための術式だッたッて事だ」


 満足そうに聞き入った後、エイボンは最後の質問を口にした。


「ならば、術者の正体も解っておるな?」


 気まずそうに、タバコ(風)に口をつけながら、彷徨った視線はココロに留まる。


「犯人は黒薔薇の連中じゃないの?」反応するようにココロが訊いた。


「魔法における解答ッてのはその必然性。言ったはずだろ、コロ。カミュの記憶消去の術式で言うなら、重要なのは、『誰が』じゃなくて『何のために』かッて事だッてな。この術式は、カミュに脅威が、黒薔薇の連中が接近しつつあッたからこそ発動したのさ」


 トランは告げた。その答えにココロが戸惑う。


「じゃあ術式は、むしろカミーユちゃんを守る為のものだったってこと? ……ならそんな強力な術式を作動させなきゃならないほど、カミーユちゃんには何かがあるってこと? だったら黒薔薇の連中がこれで引き下がるとは……」


 目の色を変えたココロの口を封じるように、トランが右手を差し出す。そこにはいつものスマホが握られていた。


「カミュはエイボンに、〝不夜城〟最高の大魔導師に保護されたんだ。何者であろうが、おいそれとは手出し出来ねェさ。それ以前に、連中の動向に目を付けてたヤツもいたみたいだしな」


 スマホの液晶部に表示されていたのはメールの文章。神結とココロが覗き込む。

 そこに記されていたのは――


『やっほぅひまりん、お久しぶりさま。ひまりんの小さいおしりやおっぱいちゃんは育っちゃってるのかなぁ。おねぃさん好みに育っちゃってるのかなぁ、はぁはぁ……』


 ごくりと唾を鳴らした神結が、引き攣らせたままでその顔を上げた。


「こ、この変態文章がなんなんですか?」


 それを見て、トランは面倒くさそうにスマホを放った。慌ててココロが受け止める。


「スクロールさせろ、スクロール。お嬢――、向日葵には、カミュを白魅たちから助けた後も、黒薔薇について探ってもらってた。コイツは向日葵が飼ってる情報屋、その中の一人から送られてきたメールのコピペだ」


『ホントはこぅゆぅのって守秘義務違反なんだろけどぉ、ひまりんだったらまぁいぃか☆

 なにやら悪巧みを進行中のクロバラちゃんたちでしたが、それは悪津商会のシャッチョさんこと、ゆえにぃの知るところとなりました(ってゆぅか、それを報せたのはゲスやろぅのシロミ一派に潜入してたおねぃさんなのですが。うふふふー)。そんな訳でクロバラちゃんたち、組合の目もあるしこれからはおとなしぃくしなきゃいけないみたいだお♪ また何かあったらよろしくね、ひまりん。おねぃさんはいつでも準備おぅけぃだからねっ、はぁはぁ。

 貴女の街の『赤毛の天使(アニー・ホール)』より――。』


 トランが継ぐ。


「そんなわけだから一安心ッてこッた、女。まずこの夜の学校に攻め入ろうなんてヤツァいねェ。仮にあッても、そりゃ挑発にザコ(・ ・)送りこむッて程度のモンだから心配いらねェな」

 

 なぜだか殺気を感じてココロが振り返った先で、キキが睨んでいた。

 キキの視線から、逸らした瞳でココロが尋ねる。


「じゃあ結局のところ、術者は誰なのさ?」


 一転して、今までの饒舌が成りを潜めるトラン。少しの沈黙の後で口を開いた。


「同じ自己演算オートマチックの術式でも〝魔法の金〟のような物質に施すのとは訳が違う。人ッてのはその成長と共に繋がりも関係性も変えてくモンだからな。その度に上書きの為の術式、つまりは一定の周期ごとに術式の更新が施されてきたはずだ。それが出来たのは長い時間を共に過ごせた者だけ……」


 やがて深紅の双眸は神結へと向けられた。



「……術者は――カミュの母親(・ ・)だ」



「嘘……」神結は小さく呟いた。

 だが、それが神結の精一杯だった。混乱、悲しみ、怒り、そして失望。見開かれた瞳には何も映らず、唇からは何の言葉も搾り出せない。信じていた世界にも、家族にさえも、裏切られたという真実は、絶望へと姿を変え、心を侵していく。

 今やもう名前も思い出せない母親。ならばいっそ記憶なんて失ったままで良いのではないか――自暴自棄な感情だけが残った神結へと、エイボンは話しかける。


「ユウヒのした事はおまえを苦しめるためのものではないぞ、神結」


 穏やかな声の発した『ユウヒ』という言葉。それが何を意味するのか今はもう分からない。だが、それはとても暖かい響きだった。

 導かれるようにして神結が見上げた先で、エイボンはにっこりと微笑んだ。


「ユウヒの身に何があったのか、それはまだ私にも解らぬ。だがな、おまえの存在を社会から、何者かから隠すため、そして科学的現実というメッキを剥がすために、記憶消去の術式が発動されたからこそ、神結、おまえは今ここにいるのだ。何かあったら来るようおまえの母親に伝えておいた、私のところにな」


「エイボン先生、カミーユちゃんのお母さんのこと知ってるの?」


 驚きの声を上げるココロへと、エイボンが頷く。


「しかし、母親の真実を知るには神結、おまえはまだ幼すぎる。今はまだ母がおまえをどう思っていたのか、それを知るだけで十分なはずだ」


 ふわりと浮いたエイボンは、そっと神結の額に右手をかざした。


 それだけの所作――。


 たったそれだけの所作で、いとも簡単に術式は解けた。

 溢れ出す記憶は、バラバラになったジグソーパズルが一瞬にして組みあがっていくように構築されていく。


 見慣れた風景。


 昨日まで普通に通っていた学校。


 そして、友だち。


 橙ちゃん。


 真実ちゃん。

 

 やがて風景は古く、淡い色のものへと変わっていく。


 その間際。

 おぼろなヴィジョンと、現実が重なって映る。

 セピアの靄越しに見えたのは、並び立つ二つの人影。

 灰沢トランと藤林ココロ。


 声が聞こえた。


「お前のお人好しのせいでまた無駄働きだッたッてのに。コロよォ、いッたい何がそんなに楽しいッてんだよ?」


「だってさ、トラちゃん。新しい友だちが出来たんだよ。新しい同級生が、さ。楽しくない訳ないじゃんか」


 苦笑いと満面の笑み。なんのかんの言いつつも、彼らはそこで見守っていてくれる。

 

 ――そういえばまだ、ありがとうも言っていなかったな。

 

 神結が感謝の声を上げようとしたその時、二人の姿は視界から消え失せ、辺りがセピア一色へと変わった。


 春の日の桜の下。

 

 夏の日の動物園。

 

 秋の日の公園。

 

 冬の日の暖かな食卓。

 

 幼い時も、少し大人びてみた時も、そこにはいつも、かけがいのない人がいた。

 記憶の中で神結が振り返った先、そこに立つ影は徐々に、だがはっきりとその輪郭を形成していく。

 神結と同じ金髪と碧眼のその女性は、少しだけ高い目線で神結を見つめていた。

 その瞳に一瞬かげりが差す。

 小さく動いた唇から言葉が発せられることはなかったが、神結には確かに「ごめんね」と聞こえた。

 その後すぐに、精一杯の笑顔を浮かべた彼女が再び唇を動かす。

 やはり、その唇から言葉が発せられることはない。

 だが、神結には確かに聞こえた。


 あなたを愛してる――。


 神結の頬を涙が伝う。


「お母さん、お母さん」


 自身の身体をきつく抱き寄せると、神結は何度も何度も繰り返した。



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