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ツィゴイネル★ワイゼン  作者: 夜方
16/18

灰沢トラン 4

 

 トランの右手で音もなく燃焼しては消える〝二重人形ドッペルゲンガー〟。

 自身の魔力を籠めた媒体から、魔力の回帰が成される――。


 数刻前、白魅は『死を無かったことにするなど高位中の高位のワザ』と、そう言った。

 しかし実際はトラン自身、それほどのワザは持ちえていない。

 あれは、肉体が物体としての限界を超える以前から発動させた魔力の回帰を、回復と復元に費やしただけのこと。所詮は命の――細胞の上書きに過ぎない。

 もちろんそんなもの、半分素人みたいな白魅相手だから成功したわけで、魔導師相手には目くらましにもなるかどうか。それも相手が〝メメント・モリ〟の『苦痛シュメルツ』ともなれば尚更だ。ヤツならどこの誰であろうと、自分が死んだと納得するまで、何度でもとどめを刺すに違いない。


 苦痛シュメルツの気配を掴み、その元までやってきたトランだったが、そもそもこの展開までは望んじゃいなかった。

〝不夜城〟最高位の魔導師たるエイボンが神結の身柄を保護した時点で、黒薔薇の連中の算段は挫けた。それならば、連中に雇われたであろう苦痛シュメルツには釘を刺す程のつもりでこの会談に臨んだのだ。同窓会ほどのフランクさまでとはいかずとも、せいぜい短いやり取りを交わすだけの腹積もりだった。

 なのにヤツときたら、神結捕獲以上の情熱を持って、今この瞬間に殺意をばら撒いていやがる。それもたかが同胞たる〝メメント・モリ〟の『黒夢シュヴァルツ・トラゥム』、その〝宣告〟の正体を確かめたいという欲求、ただそれのみに衝き動かされて。


 災厄という名の加護をもって、〝不夜城〟の最深部より生み出された者たち。その言葉に想起される十三の名を与えられし者――〝メメント・モリ〟。


 ひとりは左の肩に、もうひとりは左の瞳に。冠するようにして髑髏が抱えた時計の文字盤、ローマ数字の〝十二〟と〝四〟を指し示す針。消すことも敵わぬ刺青タトゥーを、肉体の一部に刻まれた兄弟の邂逅。

 久方ぶりに会って早々、兄弟喧嘩なんて言葉で片付けられない生き死にの境に、やる瀬もないようにトランは左の肩に触れた。だとして、消せるはずもないことは十分に理解していた。兄弟の縁を。呪いの如き刺青タトゥーを。つまりは――、過去を。

メメント・モリ〟その固有術式、通称〝宣告エアクレーレン〟。確かに自身のソレは、苦痛シュメルツにも他の〝メメント・モリ〟の連中にも教えたことはない。だが、だからといッて、そんなことで『共食い』を始めやがるとは――。

 会話などそこそこに、自身の〝宣告〟を発動させたのは最初からその気だったからに他ならない。七年前の『あの日』まで共に過ごした男が寡黙だったのは覚えていたが、ここまでコミュニケーション能力が壊れているとは今仕方知ったばかり。齟齬という言葉では片付けられぬ現実に、恨み節のひとつも吐きたくなるが、そうも言ってはいられない。

 とりあえず〝詠唱破棄〟でガンガン魔力を消費した分の回帰は済んだ。幸い人形はあと三体残っている――まだ、戦える。


 息吹くようにして呼吸を整えた。そしてトランは、覚悟を決めた者のように凛とした佇まいで廃屋から踏み出した。


 だのに――。


「未だ自身の宣告を曝け出すつもりにはならないか、トラゥム。こちらの手札が気に入らず本気を出せないと言うのなら、それ相応のワザをもって一息に殺しにゆくとしようか。〝死蜂空間充填ハニカム・ブロック〟――」

 

 苦痛シュメルツの両掌、四面の六角形の陣が分裂し、それが一気に十六面の陣へと増える。


「――モード・〝変身グレーゴル・ザムザ〟」


「……クソッたれ」


 ――すでに吐かれた恨み節。


 両の掌の前面にシールドのように展開した二つの魔法陣。

 苦痛シュメルツが告げると同時に陣から姿を現したのは、新たなるフォルム。

 全身を覆うのはギラギラと輝くメタリックな黒。先のスズメバチの四倍はあろうかという大きさに、針は先の五倍以上の太さで、それはもはや釘と呼べそうな代物。

 精密で凶悪なオートパイロットの釘打ち機。その羽音は、更に獰猛で小型ヘリのモーター音を思わせる。


「アフリカナイズドミツバチとアフガンデスストーカーの交雑種。術式による融合で創りだせしは、自信作だ。アナフィラキーショックなど期待するな、一刺しで絶命できるぞ。ついでに言わせてもらえれば、この期に及んで交雑に種が違うなぞというような下らぬ質問はご免だぞ。解っているはずだろう? それが魔法というモノだ。これが魔法というモノだ」

 

 空に放たれた狂気の産物。禍々しい毒針を、ただ獲物を死に至らしめる為だけの毒針を、ひくつかせながら空にノイズを撒き散らす蠍と蜂の交雑種。

 宙でその体を反らせ、丸まっていく。それは、これから投げるボールを固く握る様にも、弓道の弦がしなるさまにも似ていた。


「来い――〝苦悶する双子座の天使ヘッズ・オア・テイルス〟」

 

 ニュートラルエンジンを噴かすようなキメラの羽音に急かされて、トランは叫んだ。恨み、つらみ、ねたみ、そねみ。吐きたい言葉は山ほどあったが、内心で――結局また〝詠唱破棄〟かよ。泣き言混じりで自棄やけ気味に。

 トランの左右に黒い羽の七芒星が展開するや、反転するようにして円形を形成した。

 ルネサンス期の彫刻を彷彿とさせる、長髭の老人の顔が刻まれた二つの円盤。二つのマンホール形の円盤に刻まれた老人は、二人ともに猿ぐつわを嚙まされ、苦悶の表情を浮かべている。

 二つの円盤をトランが前面に掲げた時、ギアをトップに入れた蠍と蜂の交雑種キメラが弾丸となって飛んだ。


 張られる弾幕。


 弾くマンホールの盾。


 銅鑼のごとく叩き鳴らされる音に身を縮めるトラン。まるでトーチカの中。


「クソッたれ……」再びの恨み節。


 そして。


「……我が名において契約せしは混沌・成約と誓約に応じて我が元へ――這い寄れ」

 

 左耳に鈍く輝く多面体の――偏方二十四面体のピアスに触れた。


 トランの双眸に映る世界が、シャットダウンする――。






 シャットダウンした世界。


 それは、世界の端の端まで満ちたるは輝ける白色で、暗黒のその中心は実は純真なのではないかと納得してしまいそうになる程の無垢なる世界。


 いつまでも曙光が降り注いでいるような目も眩むそこでは、白い大地がうねり、思いついたようにしては形創られていった。

 だが、決してそれが何物かに成り得ることはなかった。  

 トランの初見で、白い大地は巨大な塔を幾つも形成したが、気に入らないとでもいうように完成間近にして塔は崩れ去ると、今度はピラミッドのような三角形を形成していく。とはいえ、やはりそのピラミッドも完成することはなかった。

 白い大地では直接大地から生えたような幾つもの建物。和漢洋折衷わかんようせっちゅう換骨奪胎かんこつだったい。意図も使途も不明な建物が次々と立ち並んでは、完成することなく無に帰されていく。


 ごった煮の世界、うねりのその中心で、一人の少女が佇んでいた。

 美空向日葵とそう年端も変わらないように見える姿。しかし、白しかない世界で、ストレートボブの黒髪と切れ長の黒い瞳のその少女は、肌の色までも黒い。褐色と表現できそうにもないその黒色は、角度によってその艶を変容していくタールにも似た漆黒。それは黒色だけで表現された油絵の肖像のようでもあった。


 白だけの世界で、トランの姿を認めると、少女は笑みを浮かべた。


「アイセイハロー♪ カミサマだよ」


 瞬間、タールの黒が剥がれた。

 人間的な質感を持ったより自然な黒、褐色と呼んでも差し支えの無いものへと変容したのも束の間、みるみる薄れた肌色は透き通るような白色となった。

 タールの名残のように地面に滲む底なしの闇から、タタンとステップでも踏むように躍り出る。

追いすがるように底なし沼から這い出た黒は、少女に纏わりつくと黒色のワンピースへと姿を変えてその身を包む。

 そして少女は、あざといまでに完成された上目遣いでトランを見上げた。

 透き通った肌にぱっちりとした両の瞼が潤む。しかしその瞳は異質そのもの。まるで漆黒の闇に浮かぶ二つの銀月。黒目と白目の色彩を逆にしたような少女の瞳は、人のものとは全く作りの違う代物。

 可憐さでコーティングして見せた少女細工、その微笑。それはまるで、人外の者が来客用の営業スマイルを、人間相手に取り繕って見せるような。


 ワンピースの裾をひるがえして少女が腰を下ろすと、白の大地が肘掛椅子を形成する。

 足を組んだ少女の腰掛けた肘掛椅子が粘土細工のようにぐにゃりと歪んでは、今度はソファへと形を変えた。ゆったりと背をもたれる少女の隣で、ソファは二人がけ、三人がけ、と変形を続けていく。


「あぁトラントラントラン★ ようやく力を得る気になったのかしらん?」


 穏やかな声。物腰も、微笑も、少女特有の可憐さを覗かせていても、常に邪悪さが付き纏う。


「コイツはあくまで、契約分だ」


 さもなく告げるトラン。その先で、邪悪さを滲ませながらの嘲笑。


「誓約と制約による契約、ねぇ。……世界を我が物に出来るだけの力が得られるってゆうのにぃ。それは望まず、必要な時に必要な分だけの、誓約による制約。バカバカしいことこの上ないなぁ。ガラスの靴より簡単レシピ、他の九百九十九と同じく我が〝顕現けんげん〟となることを受け入れるなら、我が力、そのすべてが譲渡されるってゆうのにさぁ●」


 美しいトレモロ。心まで奪われそうなほどの声音。


 だが。


「そんな甘い話に乗せられるほどバカじゃねェよ。使わせてもらうのはあくまで契約分だ」


 トランは切って捨てた。そして自嘲するように継ぐ。


「譲渡なんざ、最初ッからしてもらうつもりはねェよ。こッちはな、『最悪』相手にモノ借りるってだけでも……」

 

 しかし、饒舌に動いていたはずの唇が止まった。息を呑む。逸らしたい衝動を不可抗力で抑え込まれた視線が、釘付けにされる。


「我がぁ、なぁに?」


 少女の双眸、漆黒に浮かぶ丸々とした銀の月。微動だに出来ないトランの意識は、その瞳に囚われる。


 銀色の月に染みが差していく。ひとつ、ふたつ……。


 染みの闇に、光が差す。銀色の月がひとつ、ふたつ、みっつ……。


「『最悪』、とぉ言ったのぉ?」


 それは新たな瞳となって、連鎖的に増えていく。少女の瞳の中に、数限りない瞳。数多の視線はトランを凝視する。


 左右の瞳の中の瞳、そのひとつと視線が重なった瞬間、トランの意識は真二つにされた。

半分ずつの意識は、左右の瞳に浮かぶ銀月の中へと呑みこまれる。


「『最悪』、なんて言葉で片付けるなんてぇ、冒涜以外の何者でもないんじゃなぁい?」


 銀月の中に、新たな染みが生まれる。それはひとつ、またひとつと増え……。


 連鎖的に増えた瞳、そのひとつと視線が重なったとき、真二つにされたトランの意識がさらに真二つにされる。

 分割される意識は、囚われ、失うことも出来ずに、囚われ、細切れにされて、囚われていく。


「最悪の中の最悪にして最悪よりも最悪。そんな我を讃えるならばぁ、もっともっと最悪な言葉を用意すべきよねぇ◆」


 タールの床に転がる断片。ミンチになった意識を見下ろし、少女は無邪気に笑う。


 自身がミジンコ程の存在になったことを感じながら、トランはその巨大な存在を見上げていた。まさに絶対的な、神でも望むように。

 それでも、バラバラにされてなお正気を保つ精神は、改めてその存在を真っ直ぐに捉えていた。あるはずもない真紅の瞳で射抜いているかのように。その行為は、神を見据えてなお唾を吐きかける行為にも似た……。


「あははっ◎」


 少女が腹を抱えて笑いだす。


 気づいた時、トランは白の大地に立っていた。

 

 僅かの距離を置いて。

 上目づかいで見上げる少女。

 小柄な少女を、今度はトランが見下ろしていた。


 その後で。

 

 わざとらしく残念そうな顔をした少女のトレモロ。


「じゃあその日が来るのを、我はあいも変わらず気長に待つとしましょおか。まぁトラントラントラン、お前には期待しているしねん。こればっかりは惚れた者の弱みだよねぇ*」


 ふん、と鼻を鳴らしてトランは踵を返す。

 そして声を張り上げた。


「顕現せよ――〝獣夢イケロス〟!」


 それを合図に、白の世界は音も立てずに消えていく。


 さなか。


「そう。それっ。我が貸し与えた力にぃ、我が宿敵の子の名を刻むその性分。お前のそういう性分に我は期待しているのよお∽」


 少女の壊れた笑い声だけが響いた。






 シャットダウンしていた世界の再起動――。それは銅鑼が叩きならされる音と共に。


 召喚させた防御盾、〝苦悶する双子座の天使ヘッズ・オア・テイルス〟に打ち込まれる蠍と蜂のキメラ。その弾幕。


 目覚めたように感覚を研ぎ澄ましたトランが、防御盾から身を翻した。

 転瞬。毒針つきの弾丸、いやも応もなく放たれるキメラは、しかし宙で分解するように臓物と液体を撒き散らして弾け飛ぶ。

 トランの先で、迫り来るそれを真っ向から撃墜させていくモノ――トランの両手に携えられた二丁の自動拳銃。銃底に長い鎖を尾のようにたなびかせる、鈍く、黒く光るその銃の名を――〝獣夢イケロス〟。

 トランは〝獣夢イケロス〟の引きがねを引き続ける。飛んでくる対象物、それに命中させるだけでも至難だというのに、トランの放った弾丸は百発百中。キメラをことごとく弾き飛ばす

 ただの魔導師たるトランの、まるで熟練されたかのような射撃の精度。そして、見る限り十から十五発が装弾数であるはずのオートマチックピストルから、〝特殊型シュトック〟でもないのに無制限に放たれる弾丸。

 その光景に苦痛シュメルツが僅かに揺らいだ。コンマ数秒、だが確かに〝死蜂空間充填ハニカム・ブロック〟の陣からキメラの射出が遅れた。


 なんのことはない。魔法でも何でもなく、全てはあの銃の差し金なのだ――。銃底で次々と銃弾を生み出し続けるのもあの銃なら、ひとりでに照準を定めるのもあの銃が勝手にやっていることなのだ……。


 そう苦痛シュメルツが気づいたときには既に、トランの身体はすでにトーチカを脱し、宙にあった。

苦悶する双子座の天使ヘッズ・オア・テイルス〟を踏み切り板にして、一枚、二枚と飛んだ二段ジャンプ。


 駆け引きなら決して犯してはならない苦痛シュメルツ側の失態。相手の仕掛けが何であれ、袋小路に追い詰めたなら最大のメリットたる弾数無制限の自力でもって、力ずくで押し切るべきだった。相手に退路を与えてしまったのは紛れもなく苦痛シュメルツの失態。だが、他ならぬ宙に回避したのはトランの失態に他ならない。


 それを理解していればこそ、苦痛シュメルツはもはや揺るがなかった。

 宙に逃げた者と、地から迎撃する自身の優位性に一縷の油断もすることなく――〝死蜂空間充填ハニカム・ブロック〟。宙に向けられた十六と十六、合わせて三十二の六角形のペンタグラムから、勢い良くキメラが飛び出す。


 それを眼下に認めて、しかしトランも揺るがない。


「顕現せよ――〝人夢モルフェウス〟!」

 

 二丁の自動拳銃を両の掌で叩き合わせるように重ねる。


 瞬間、二丁の拳銃がその形状を変えた。

 現れたのは一丁の銃。特注の弾丸を射出する為のような太さをした銃身。繊細なトランの手には持て余すほどのいかついフォルム。実戦には不釣合いな、細やかな装飾のあしらわれた鈍く輝くコルトタイプのリボルバー――〝人夢モルフェウス〟。


 その引きがねをトランは迷いなく引いた。


 轟音と強力な反動を持って射出されたリボルバーの弾丸。それは銃身と同じ黒色をしたマグナム弾。螺旋する帯を纏うさまは、まるで小さな隕石。発射してまもなく、銃弾は本来のサイズの五倍はあろうかという黒い塊となった。

 キャンバスに見立てた空を、異物が削り取り、侵食していくかのような光景。漆黒の流れ星。災厄の訪れにも似たその一撃。


 キメラの群れと、一発の弾丸。それがぶつかり合ったとき、勝敗など有って無いようなものだった。


 黒い彗星はキメラを削り落とし(・ ・ ・ ・ ・)ながら先へと突き進む。

 撃ち落すわけでも退かせるわけでもなく、ただ軌道の通りに進む弾丸は、それでもなおその軌道を止めようとキメラを射出し続けた苦痛シュメルツの形成した陣を、その右腕ごと削り落としてようやく消えた。


「ぐっ」と小さく呻き声。それでも苦痛シュメルツから悲鳴が上がることも、消滅した右腕の根元から血が噴出すことも無い。

 右腕を失い一瞬バランスを崩す苦痛シュメルツは、しかし、残された左手で〝死蜂空間充填ハニカム・ブロック〟の陣を形成する。

 ノイズを撒き散らしながら周囲を覆ったスズメバチの群れ。だが、キメラを呼び出すための陣は間に合わない。リボルバーの銃口は、すでに義眼の左目にピタリとあてがわれていた。


「でェ、苦痛シュメルツ。お前、いつから人間やめちまッたんだ?」


 この絶対的に主導権を握られたはずの瞬間に、問われた苦痛シュメルツはくつくつと笑う。拘束衣の、失われたはずの右腕は、まさにミイラ男の包帯のようにグルグルと渦巻いては再現されていく。


「なるほどな、無制限に撃つことが出来る代わりに対物効果しか得られない二丁拳銃に、魔法も何もかもを削ることが可能なリバルバーか。こっちは弾数の制限はありそうだな」


 自身の左の義眼に突きつけられた六発装填の回転式拳銃を見るでもなく、苦痛シュメルツは話す。


「実際目の当たりにするのは初めてだ。それで、どこで手に入れたんだトラゥム。その――〝輝けるトラペゾヘドロン〟を」


 トランの左耳。多面体の形をした黒色ピアスが鈍く、怪しく、輝いていた。


 自嘲ぎみにトランは、


「釣れたんだよ。亜空間に釣り糸たらしてたらなァ。でもよォ、釣りをしてるはずの側が釣られる場合もあるってなァ、知ッた時には遅いッてこともあるもんだ」


 苦痛シュメルツはさして面白そうでもなく継いだ。


「そうか、それは笑い話だな。〝唯我ジ・ワン〟絡みの術式とは〝かせ〟もさぞや大きいのだろう……だがな、トラゥム。何度も言ったはずだ。俺が見たいものはそんなモノじゃない、と。どうしてもというのなら、終わらせるしかない。俺の〝最終宣告コンドーレンツ〟でな」


「奥の手なんか使われる前に決着をつけるッてのが〝技能型ミュンツェ〟のやり方だって知らなかッたのかい、苦痛シュメルツ?」 


 ひとり幕を下ろそうととした苦痛シュメルツの言葉を、トランは遮る。


「お前が俺の手品の種を見破ったように、俺もお前の種は解ッてんだぜ? お前の〝枷〟の正体を、な。強力な術式を得る代価、それが〝枷〟。自身の一部を触媒に捧げるという〝枷〟をかして魔力を上乗せるッてのはよくある話さ。俺も最初お前は左目を触媒に捧げたくれェにしか思ッてなかッたよ」


 トランの深紅の双眸、そこに一瞬かげりが差す。


「……だが、違うな。お前は〝枷〟として、その『全身』を捧げちまったんだ。なァ苦痛シュメルツ、お前、いつから人間やめちまッたんだ? ……その拘束衣は魔法防御の為のモノなんかじゃねェ。それは仮初めの亜空間を形成する為のモノ。自身の肉体こそが『巣』なんだろォ?」


 肯定も否定もしない苦痛シュメルツは、


「だとしたら、この拘束衣を解き放てばどうなるか、それも解っているはずだな?」


「だから言ったはずだぜ? 〝最終宣告コンドーレンツ〟なんて使わせる前に決着をつけるのが〝技能型ミュンツェ〟だッてなァ――」


 トランが新たな名を告げる。


「顕現せよ――〝物夢パンタソス〟」


 呼応するように大型のリボルバー、そのかたちが変わる。

 銃身が長く伸びた形状――狙撃銃のフォルム。しかし、その頼りなげな細く長い機関部には、どうみても一発の弾丸しか籠められそうにない。


 背中にあてがい、腕の間を潜らせたビリヤードのバックショットのような構えのまま、銃口は変わらず左の義眼に合わせられていた。無理な体勢にも関わらず、トランは右の親指に少し力を籠めるだけですぐに引き金をひける状態のまま、微動だにしない。


「お前がさッき話した種明かしには続きがあッて、〝獣夢イケロス〟が無制限に撃てる代わりに、破壊力抜群の〝人夢モルペウス〟は六発。〝人夢パンタソス〟に至ってはただの一発を使い切ッちまッたら、しばらくはどれも顕現自体が出来なくなッちまうのさ。だからお手上げッてヤツだよな、コイツを撃ッちまッたら俺はよォ。だがなァ、コイツの威力はエグいぜ? コイツは物も何も透通過してひとつの生命、その魂を打ち抜くまで止まらない。だからコイツでお前の魂を打ち抜いちまえば、外見上は半永久的に再生を果たすお前もお終いッてワケだ」


 言葉は薄闇に消えていった。


 二人の間に流れた静寂。

 永遠にも思える一瞬、その中で。

 

 終焉の口火を切ったのはトラン。


「でェ、苦痛シュメルツ。肉体のほとんどを捧げたお前の『コア』は……その義眼の中だろォ?」


「全て予想の話か、トラゥム。それでお前は命を掛けるか、そのただの予想で」


 スズメバチのノイズが一層激しさを増した。


「いいとこ相打ちだな?」


 苦痛シュメルツの言葉に無表情なままでトランは、


 ――あのクソだめ、『ミスカトニック』産まれの災厄同士、クソより安い命の俺らにゃお似合いの最後かもしれねェな……。


 告げようとした。

 だが、まさにその時。


 空を閃光が走った――。


 淡雪の灰闇が煌くさまは、まるで星など無い空の、星降る夜。

 その細かな帯電を伴う灰に触れて、トランはそこにココロの気配を感じた。


 ――コロ……?


「……まさか、な」呟いて、トランは笑った。


 そして。


「俺は死なない。死ぬとすりゃお前だけだぜ、苦痛シュメルツ


 きっぱりと言い放つ。


 一瞬の沈黙、そして苦痛シュメルツもふっと笑った。


「このまま続けてもお前の〝宣告〟を目にすることは適わないらしい。なら俺は命を掛けるつもりはない」


 スズメバチは六角形の陣へと消えていく。

 苦痛シュメルツは踵を返すと、


「まあいい、どうせまたいつか会うことになるだろう。黒夢シュヴァルツ・トラゥム、お前にも、他の十一人にも、な」


 去り往く。

 その背中へ向けてトランは、


「あのなァ苦痛シュメルツ、さッきから勝手に言ってくれてるがよォ。俺はもうトラゥムじゃねェの。その名で呼ぶんじゃねェよ」


 この灰の街で自らが刻んだ名、正確には何度教えても発音を覚えられず面倒くさくなって、もうそれでいいと折れた自身の名を告げる。

 藤林ココロに初めて呼ばれた名、を――。


「俺はトラン――、灰沢トランだ」



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