藤林ココロ 3
夜の学校の廊下に伸びる闇、トランが消えていったそこを見つめながらココロは、
「なんだよランちゃん……ひょっとして気遣ってくれたの、かな」
呟くと腰を落とした。
「……まさか、ね」
トランの前では笑って見せた顔。そこににわかに陰りが差すと、見る間に天真爛漫を絵に描いたようなココロの顔からは完全に余裕が消え失せ、疲労が色濃くなる。
壁に背を預けたままで座り込んだココロは、まるで悪夢でも振り払うように後頭部を何度も壁に打ち付けた。
ほんの少しの気休めが対処療法となることはなかったが、何もしないよりはほんの少しだけマシだった。
「起こしちゃった、か……」
息をするのも辛そうに、それでも呼吸を整える為に深く息を吸い込む。
そして薄く靄のかかった頭の中で、気を紛らわすように思い出す。
いみじくも、灰沢トランはかく語りき――魔導師には、四つの型が存在する。
最も基本的な型でありながら、全ての属性値を満遍なく底上げし、ゆえにあらゆる魔道に精通することの出来る者を――〝万能型〟。
相性の良い属性を突出して引き上げる一点突破主義者を――〝特化型〟。
それらは、極めれば『大魔導師』と呼ばれる存在にも成り得る、魔導師でも数少ない二つの型。
そのどちらにも成れない、低から中度の術式を組み合わせで補完し合うことを前提とした魔導師が――〝技能型〟。
自身はこの技能型に分類される――、とトランは言った。中途半端の代名詞のような〝技能型〟ではあってもトランは悲観することもなく、〝技能型〟は組み合わせの妙で新たな術式――自分だけの術式を創れるという利点があるのだ、とも語った。
そして、そのどれにも属さない、言うなれば魔道の才能に乏しい者が、後天的に魔道のワザを手にした場合を――〝特殊型〟という。
無理やり魔道のワザを手にした代償として、使用できる魔法はただのひとつだけ。その代わりに、無制限にそれを発動させられるという大きな利点と欠点を併せ持つ彼ら〝特殊型〟の魔導は、妖の血を色濃く残す者たちのワザに良く似ている。
生まれた時にはすでに〝力〟が傍らに寄り添う存在――『一族』。
その『祖』が、百鬼夜行絵巻に描かれた通りの姿をしていたかどうか、今はもう定かではない。だが、子から子へと受け継がれた力の系譜は、途切れることなく、今も脈々と流れている。
力を手にするということは、力を正しく使用しなければならないという義務が生じる――かつてトランはそう言っていた。
それを正しく、そして効果的に使用すること。それこそが〝不夜城〟における生存戦略。おそらく一族と呼ばれるどの連中も、そのことを十分に理解しているはずだ。
しかし、それでもやはり、手にした力に魅せられ、酔いしれ、溺れる者が出てくるのも、世の常なのかもしれない。
白魅と行動を共にしていたあの二人組。金髪ボウズにトカゲのタトゥーを入れた男と、顔中にピアスをつけた男もまたそういう類だった。
「――喰らって、そして死ね‼」
白魅のアジトの灰ビルへとトランが突入した頃、タトゥーにボウズヘアー――火トカゲの一族、不知火のザラキが吼えた。
ザラキの怒声に反応するように、顔中にピアスを施した鎌鼬の颯シイラギが両手を突き出す。途端に風がその掌に集まり始める。
それを見留めて、ブカブカのパーカから、『クナイ』を覗かせたココロが地を蹴った。
「連携術式――〝第六地獄の炎〟‼」
ザラキの咆哮に、シイラギの圧縮した風が破裂した。形状を変えた姿、それは竜巻。
発生するかしないかの瞬間、ザラキが右手で作った手筒へと息吹く。
着火。
赤黒い炎――紛れのない轟炎。
炎の顎が、口を開いて獲物へと襲いかかる――唸りを上げる灼熱の炎獣のように。
自身のスピードをトップギアへと入れたココロに避ける術は無かった。
ココロは轟炎の中へと飛び込んだ。
燃え盛る赤に照らされて、歪な笑みが二つ。浮かぶ。
圧倒的な暴力で相手を虫けらのように踏み潰す。それは麻薬のようなものなのかもしれない。
だが、だからこそに。
「……ゴメン」
歪な笑みが二つ。凍りつく。
制御することなど最初から考えられていない力の炸裂――、轟炎。それが名残すら残さず、消え失せる。
弱々しくもはっきりとしたココロの声、自分たちの背後から聞こえたそれの意味を即座に理解することも出来すにザラキが呆然と呟く。
「まさか、俺たちの間を、あの炎の中を駆け抜けたっていうのか……!?」
恐怖しかなくとも、二人は振り返らずにはいられなかった。
ココロはただそこに立っていた。
パーカとジーンズが焼け落ちると、引き締まった肢体に張り巡らされた網目状の鎖帷子と、その上に臍を覗かせて黒い一枚布を巻いただけに見える装束が現れる。金色のステッチが施されたそれは、どちらかといえば『忍者』というより『くのいち』に近い姿。
遠目にはスリット入りのミニスカートにしか見えない一枚布から、スラリと突き出た、無駄のないカモシカのような足。バッシュを脱ぎ捨て、露になったその脛部と両手の甲には、それぞれ脛当てと籠手がついてはいたが、それはむしろ防具としての頼りなさを強調しているかのようだった。
本来なら嘲笑の対象でしかないその姿に、しかし二人とも声すら絞り出せずにいた。
少しだけ悲しげな表情で二人の男を見つめるココロの、右と左の肩にはそれぞれ梵字のような光が浮かぶ。それが表皮の上に浮かび上がった血管状の光となって身体の中心、露になっている臍部へと走っていた。
それぞれの梵字から収縮し、流れては臍下三寸の丹田へとその光が吸収されて消えていく。
そのほんの僅かの時間に、グチャグチャという咀嚼音と、ゴキュリゴキュリという嚥下音が空気を震わせた――それはまるでココロの〝内なる存在〟が、何かを貪っているかのようだった。
ココロは呟く。
「ゴメン……」
その「ゴメン」がなんの「ゴメン」なのか、ザラキには想像も出来なかったらしい。
先にそれを理解したのはシイラギの方だった。
「か、風……俺の……」
そしてザラキもようやく理解する。自身の傍らにいつも有った存在が、欠片一つとしてそこに無いということに。
「俺の風が……」
ザラキが声にならない悲鳴を上げる刹那、膝から崩れ落ちたシイラギが絶叫した。
「……喰われちまったァァァァァァァァァ‼」
昇華されることもなく、ただの暴力としての用途に成り下がってしまった中途半端な力。それはあまりに無残な気がして……。
欠片ひとつ残さず〝喰らい〟つくしてやった。それについては後悔などまったくない。
だが、藤林ココロの中で、その丹田とも呼ぶべき中心で、それは啼いていた。
腹の虫にして――大喰いたる内なるモノ。それは伊賀衆十七代目たる後継者にして、最後の一人たる自分が託されたモノ。
自身の左右の掌にそれぞれ刻まれた印を介して、二人組から喰らった〝火〟と〝風〟の力は、体内の脈を循環して丹田に刻まれる〝陰陽五行風水術〟の〝金〟術で厳重に封印された存在の糧となった。
食べ合わせが悪かった、そんな理由ならまだ良かったかもしれない。ココロにだけ聴こえるその存在の咆哮。それは紛れもなく貪欲なる暴食性が目覚めたゆえに他ならない。食した中途半端な力が、その存在に飢えを思い出させたのだ。
「中途半端に刺激しちゃったな……」
瞳は瞑ったままで、息を整えようとする。苦痛が通り過ぎるのを待つように、必死に耐え忍ぶことしかココロには出来なかった。
と、その時。
「コロちゃん、〝波旬〟がまた暴れてるんですかー?」
いつからそうしていたのか、ココロの開いた瞳のすぐ間近、大きな瞳で落葉ヶ淵小伊万里が覗き込んでいた。
〝波旬〟――今から五百年もの昔、第六天魔王と称された男が、己が野望の成就の為に持ち込んだとされる存在。
「龍を喰らう龍、波旬の世話をするのが伊賀衆の役目だからね、もう慣れてるよ」
男亡き世にあって代々それを隠し、守り続けてきた伊賀の一族の十七代目たるココロは、なんでもないよという風に微笑を取り繕ってみせた。
しかし、その額には油汗が滲んでいる。そもそも忍たる自分が、傍らにやってきた小伊万里の気配に気づく余裕すらなかったのだ。なんでもない訳がなかった。
それでも小伊万里を安心させようと。
「もうすぐ落ちつくと……」
言葉を継いだココロだったが、その声を小伊万里が打ち消した。
「無理はからだに良くないですよぉー」
そしてニコリと笑う。傾げた首にかかる、ココロの栗色をさらに柔らかくしたようなクリーム色の髪の毛がふわりと揺れた。
「内に閉じ込めようとすればするほどからだには負荷がかかりますからー、例え一時的にであっても外に放出すれば楽になるはずですよー」
ココロにもその理屈は解る。でもそんなことをすれば、糧として取り込んでのち純粋なエネルギーへと変換させた力を咆哮のままに解放すれば、どうなるか。想像に容易いことだった。きっと夜の学校など消し飛んでしまうはずだ。
ココロは否定の言葉を紡ごうとする。それを小伊万里の長い人差し指が制した。ココロの唇にそっと触れた繊細な人差し指から、小伊万里の体温が伝わる。
「だからあたしが来たんです」
言い終えて人差し指をそっと離す。
「おいで――〝春景讃水図〟」
小伊万里の薄い唇がそう告げた時、小伊万里の頭上に様々な記号や数字と文字が重なるようにして、淡く発光する輪が出現する。天使の輪に酷似したそれを、増え続ける記号や数字の類が穴の部分を埋めるようにして膨らんでいった。
発光が止んだ時、その物体から『色』が失われる。無色でフワフワと浮かぶそれは、円盤状と球状を行ったり来たりする不形成の液体だった。その形状はまるで水を受ける皿のようであり、同時に水そのものだった。
「あたしたち、落葉ヶ淵の一族の能力は水を介しての他者への――〝干渉〟。もちろんコロちゃんみたいに〝波旬〟を飼いならすことはできないけど、お手伝いは出来ますよー。これから分散させた自然中の脈へ、〝波旬〟の力を導きますからー、おねえさんにしっかりついてきてくださーい」
小伊万里が自信に満ちた顔でそう言った。
苦笑を浮かべたココロが、
「かたじけない」
「かたじけない、くない」小伊万里の返答、そのあとで。
「あたしがリードしてあげますからー、コロちゃんの『筆おろし』はおねえさんに任せてくださいねー」
やはり自信満々、誇らしげ。
小伊万里とココロの間に、小伊万里の頭上から分裂した液体の一部が、無重力状態のようにふわふわと浮かぶ。
その中へと小伊万里は右手を差し入れた。
また瞬あたりに間違った使い方の言葉を吹き込まれたのかな――、そんなことを考えながら、苦笑を浮かべるココロも液体へと右手を差し入れる。
そして、小伊万里の小さなつくりの手を握った。
漆黒。
おぼろげに。
閃光。
映る像。
まにまに。
それは……。
夜の学校の周りに立つ。
白い灰降る白い街並み。
その白くそびえる。
人の。
そして妖の。
死んだように生きる彼らの墓標とも呼ぶべき、未完成のまま放置された作品の群れ。
その中で。
――あれはトラちゃん?
累々たる廃屋の一角。その裏に身を潜める小さな影の正体を見留めて、ココロは呟いた。
頭を冷やすと言って夜の学校を出て行ったトランが、傷だらけの姿でそこにいた。
白い灰の舞う空に在って、見下ろした先へと声を掛けようとする。しかしそれを小伊万里は制した。
「無理ですよぉーコロちゃん、トランちゃんには声は届きませんよ」
声は間近に聞こえた。そして確かに小伊万里の気配も息遣いもすぐ近くに感じる。だがその姿はどこにもなかった。
「あたしたちは今、〝波旬〟の蓄えたエネルギーを正しく飛散させるための順路を作っている最中。空の脈と意識を同化しているから、脈が触れた場所を覗き見ることや、その人の精神に寄り添うことは出来ても、こちらから働きかけることは出来ないんですー」
「だけど……」とココロは呟く。
黄色と黒の生命体の中心に、並々ならぬ気配を感じた。
きっとそれは空の〝龍脈〟と同化することによって、意識が研ぎ澄まされているからなのだとココロは気づく。
地の〝龍〟へと意識を傾け、それが触れた場所からおおよその位置を把握する探索術式。ココロにとって馴染みも深いそれが、数多の情報を一か所へと収集するものだとするのなら、自らが数多の情報の一部となって駆け巡る感覚。舞い落ちる灰を連鎖的に介して飛ぶ意識は、今やこの街の空と空気と溶け合い、空間そのものと混じり合っていた。
そして、覚醒し、敏感に過ぎる意識の一端は察知していた。禍々しいまでの気配を。
ならば――、とココロは思った。ならば小伊万里もそれに気づいていないはずはないだろう。
小さく小伊万里が頷いた気がした。瞳を俯けたままで。
「それでもあたしたちには何もできないんです。意識が触れられている間、トランちゃんを見守ることくらいしか」
覚醒した意識だけが空にあった。小伊万里の姿はどこにもない。ココロの肉体もそこにはなかった。
「……ランちゃん」見守るだけの境遇に、ココロは力なく呟くことしか出来ない。
当惑と困惑の中、廃墟の対角線上を見やった時、長身痩躯に拘束衣を纏った人物の姿が跳躍する。
その時だった。
トランが身を隠す廃屋の壁の一部が、パンと音を立てて弾けた。「あれは――」ココロが口にした頃には、土くれは宙でくるくると回転しながら銀製のコイン状へと形を変えていく。
――瞬の〝瞳子〟?
ココロが思った瞬間には、意識はすでに飛んでいだ。
働きかけることは出来ない。小伊万里はそう言っていたが、そもそもがどうやら制御すら出来ないらしい。ココロがそう理解した時には、その視界には学び舎たる黒のチャペルが映し出されていた。
『瞬』、というワードを頭に連想した瞬間、目的の場所に到着できるというのは便利に過ぎる検索機能といえなくもないだろうが、もはやここまでくると覚醒すら超えて意識の暴走のような気さえしてくる。
トランのことを気にかけつつも、灰が触れるたび淡い発光を灯すチャペルに、ココロは見知った三人の姿を見つけた。
「――ってか瞬ぁ、覗きとかってマジありえねーゼ」
カポンという洗面器が床に置かれる音を上に、千枝者原キキは軽蔑の瞳で見下ろした。
辺りに銀色のコインが浮遊する〝灰の街〟の薄汚れた空を背に、鐘つき塔の最上部、浴室間近の窓から身を乗りだしたキキは、壁に垂直に立っていた。物理の法則を無視して。
夜の学校の壁に、一際大きな影と共に背を預ける百乃目瞬は、キキを見上げるでもなく、
「そんなんゆうたってしゃあないやろ、緊急事態やし」
宙ではジト目模様の銀色のコインが幾つもくるくると回転している。
「文句ゆぅなら俺の〝乱痴気瞳子〟の視界に入ってきた連中に言ぅてやぁ」
夜の学校目指してやってくる影。のそりのそりと歩いてくる集団、その様はさながらゾンビ映画の趣き。
と、その集団の一角からふいに声が上がる。
「たっ、助けっ、助けてくれっ」
見れば、白髪まじりの髪を引っ掴まれた初老の男。鉄パイプじみた杖を振り回し、撃退したと思った次の瞬間には、別の男に髪の毛を引っ掴まれている。
「どっかで見た顔やけど、誰やったっけなぁ?」
瞬が小首を傾げると、宙を舞うジト目模様のコインたちも傾く。
三つ揃えの仕立ての良さそうなスーツは所々が破れ、顔の青あざも生々しい。息も絶え絶えに、それでも男は怒鳴り散らそうとする。
「貴様らっ‼ 棟梁たる私にこんなことしてっただで……」
「あ」瞬とキキが呟く。
元から大きな瞳を見開いて、階下の瞬へとキキが声を荒げる。
「おいって、瞬がノンビリしってっからジーサンやられちゃったゼ!?」
鉄パイプを振り回していた初老の男は、瞳も虚ろな集団に一斉に覆い被されてピクリとも動かなくなった。
集団は、スーツ姿や作務衣姿と衣装もバラバラだったが、男へと襲い掛かった様子はまるで息を合わせたかのようで。それは何かひとつの意識の元の行動、例えば強い憎悪だとかなんだとかを連想させるかのようでもあった。
そんな凄惨な光景を眺めながらも、瞬はのんびりと言った。
「まあ大丈夫ちゃう? 俺の〝瞳子〟の見立て通りなら、まともな人種じゃないようやし。骨格やら筋力の付き方を見るに、おそらく『開発屋』か『調教屋』ってとこやろ」
瞬の言葉に、一転興も覚めたようにキキはバブルガムをぷくうと膨らませる。
「なんだよ、キスクラの人間かよ。ならべっつにいいけどさ」
悪名高き梟雄の幕切れも今や昔。ところで――、といったふうに。
「ト、トランくんは?」
瞬の隣で、トミーが尋ねる。
「アイツなら十二ブロック先で交戦中や、コイツらはさしずめトランの相手が送り込んできた操り人形ってとこやろ」
「無茶すんのも気がひけっけどさ、そもそもこいつらって洗脳解きゃ元に戻せんの?」
回転をつけて勢いを殺しながら、落下してきたキキが会話に加わる。着地の瞬間、両足のショートブーツに灯った白い発光が淡く消えていった。
「ちょっと待ってや」と言った瞬は――
「キ、キキちゃん、壁に立つの上手になったよね」
「おれの魔導って二点にしか形成できないだろ? だから腹筋と背筋スゲー鍛えられてんだ、トミーにならあとで見せてやってもいいゼ」
――誇らしげなキキと頬を赤らめるトミーを後ろに、身を乗り出した。
両の瞳を閉じ、額の瞳だけが見開かれる。それに応じるように銀色コイン、そのジト目が次々と見開かれていった。
スローテンポなロボットダンスにも似た奇怪な動きで歩を進める集団、そのぐるりを旋回する幾つものまん丸に見開かれた瞳。集団は、威嚇するように着かず離れずのコインに向けて野犬のような唸り声を上げている。
間もなくして、
「ダメやな、連中の額の蜂、あれの針が血管中に張り巡らされてその毒液が全神経を支配しとる。アイツらもう死人やから助からん。言うなら蜂に支配されとる〝蜂人間〟や。脳からやなく、針が直接神経に作用する分反応は鈍ぃ思うけど、その分筋力やらはカスタマイズされてるみたいやから気ぃつけや」
瞬が感慨もなく言った。
「そっか。瞬の『目』で解析できる程度のレベルってなら、そりゃおれたちにとっては『救い』だゼ。だったら――」
敬虔な修道服調のスカートを捲くり上げ、ピンで留める。ショートブーツと、白のニーハイを履いた太ももが露になる。
懐から取り出した白の指ぬきグローブを両手に嵌めながら、キキが言った。
「――あいつらには、おれたちが『救い』をくれてやろうゼ」
「俺の目の程度うんぬんってぇ別にいらんやろ、今」
ぶつくさ言いながら両手をポケットに突っ込んだ瞬が肩を竦める。そしてそのまま一歩身を引く、と同時に蜂人間の周囲に浮かぶコインがふわりと距離を離す。
宙を彷徨っていた視線は、コインの結界から解かれたようにして瞬たちに向けられた。
わずかの間のあと、亡者の一個小隊は断末魔の悲鳴にも似た雄叫びを上げて文字通りの特攻を開始する。先頭に立つのは、鉄パイプを振り回す先の男。
「ん、ぬぐぅ」と奇声を発しながら、手足もバラバラのフォームで掛けてくる蜂人間たち。血管中を駆け巡った『針』があちらこちらからズヌズヌと出入りしている。
迫り来るそれを眺めて、
「そ、それじゃあ――」
グローブを嵌めたキキとは逆に、殺し屋じみた黒い皮手袋を外したトミー。人の頭すら簡単に握りつぶせそうな巨大な右手、ゴツゴツとした金属製の義手が現れる。
握られたトミーの無骨で大きな拳と、白のグローブで握ったキキの小さな拳。
「――行くとしようゼ」
拳と拳を合わせる。
傷顔の強面に眼光の鋭さが伴い、今までのおどおどした声音を払拭して叫ぶトミー。
「魔導砲解放――〝悪戯妖精〟‼」
巨大な右義手、その腕が分解して、飛ぶ。
いくつかの金属片は中で止まると、それを紡ぐように金色の線が繋いだ。それはさながら星と星とを繋ぐ正座の図。
繋がれた星たちが描き出したのは、重機関銃の様相。角ばった機関部と長い銃身。固定式重機関銃たる、例えるならブローニングM2座とでも呼べそうなそれをプラネタリウムとして形成する。
トミーの失った右手の付け根、腕の部分に上下左右に弾倉が飛び出す。十字の弾倉が回転を始めると、ブローニングM2の先端からは、その子供たちとも呼ぶべき光弾が弾き出された。
機関銃の轟音と共にばら撒かれた銃弾が命中するや、蜂人間からは次々と鬼火が躍った――それは炎の魔力を籠めた〝魔弾〟による追撃。
鉄パイプを振り回す突撃隊長に先導された、前衛の蜂人間たちが一瞬のうちに薙ぎ払われる。
プラズマの放つオレンジと舞い上がる黒煙。その荒々しさとは裏腹に、人で無くなった者たちを塵ひとつ残さず消滅させる――浄化の炎。
しかし、失った感情に動揺の色も見せず、第一陣を掻き分けてやってくる蜂人間の死の行進。
トミーが新たに照準を定めるより速く、キキが飛び出す。その両手、白いグローブが輝くと、拳自体が白く発光していく。
呼吸を合わせるようにトミーも駆けた。援護射撃の体勢を整えたトミーがその右手の砲を向けた瞬間、
「――〝自由落下〟」
キキの両の拳に纏った白い光越しに、空気が歪んで見えた。
魔弾の轟音が再び轟くのと同じくして、キキは蜂人間の群れに飛び込んでいった。
「――コロちゃん」
ココロが夜の学校で繰り広げられる防衛線に固唾を呑んでいた時、ふいに小伊万里の声が聞こえた。
我に返ると、ココロの意識は夜の学校の長い廊下にあった。
ココロと小伊万里の姿を、壁に等間隔に並んだ蝋燭の炎が照らしていた。二人は廊下の壁を背にして、足を伸ばして座り、互いに寄り添っている。
それをココロは宙から見下ろしていた。
瞳を閉じて寄り添う抜け殻のような肉体。だか確かに、ココロの右手と小伊万里の左手が繋いでいた。
心と心を――意識を。
「コロちゃん、感じますか?」
姿は見えない。それでもうんと近くに小伊万里の存在を感じて、ココロは頷いた。
「ここに在る意識が、同時に世界の果てにもあるのを、感じるよ」
「路は形成されましたー。幹のように太く伸びる柱を解きほぐして、幾つもの細かい筋へと枝分かれした順路は、〝灰の街〟の世界の果てまで続いています。あとはその軌道に〝波旬〟の力を乗せて、導いてやるだけですよぉー」
肉体として感じることは出来なくとも。絡み合った指先、その感覚を確かめるように、確かに握り締める。
「さあ行きますよぉー、コロちゃん。意識の向こう側まで」
「うん、行こう」
一にして、無数となり。
数多の枝となって、その先へと。
意識は空の果ての果てを目指す。
それに導かれるように、顕現させた力はやがて金色の光となって空を駆け巡っていった。
一筋の光は、平穏を取り戻した学び舎に振り落ちる灰を貫いて。
一筋の光は、離れた空の下にいるトランの中を通り過ぎて。
最後の光が筋となって、色褪せて空の闇と溶け合い、消えていくのを見届ける。
そして。
傍らにずっと寄り添っていてくれた意識、その温もりを確かに感じた。
ココロは目覚める――真っ先に彼女の顔を見つけるために。