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ツィゴイネル★ワイゼン  作者: 夜方
12/18

橘神結 4


「クソッたれ」


 くしゃみを二回した後で、灰沢トランがそう呟いたのは今から十五分程前のことだった。


「で、どーしよっか? ランちゃん」


 褐色肌の執事風が立ち去るのを確認した廃ビルの一室で、露出度の高い忍装束に身を包む藤林ココロが尋ねる。


「どォするもこォするも……」忍装束のココロと、白魅から剥ぎ取ったコートを裸に羽織った売れないロッカー風の自身とを見比べながら、トランが継いだ。


「……こッからなら家に戻るより、直接『学校』に行った方が早ェな」


 そんな訳で、四人は一路『夜の学校』目指して歩き始めた。


 つと、ランはスマホを取り出すと、間もなくして神結に手渡す。

「お姉ちゃん無事だったんだねっ!」電話の向こうで栗生恵太の声が弾けた。


 歓喜の後で、「無茶なことしてお姉ちゃんのバカっ」むくれるような涙声。心から心配してくれていた恵太に、神結の顔が涙と鼻水に塗れていく。

「お姉ちゃんのバカっ」に、「ごべんね、啓太ぐん」という実も蓋もないやり取りが続くのを見るに見かねて、トランがスマホをひったくる。

「こッちはもう大丈夫だ。厳さんにもよろしく言ッといてくれ」短く言って、電話を切った。

 キキが貸してくれたポケットティシュに顔を埋める神結。目を背けるトランは、すでに別件に通話を繋いでいる。「ああ、一応片はついた」

 その先から、子供の癇癪じみた、無駄に大きな声が響いた。


「ちゃんとひまりに感謝しなさいよっ、授業そっちのけで調べてあげたんだからっ」


 ずびずびと神結が鼻をかむのを背に、トランは向日葵と話している。

 翡翠色の髪と瞳をした千枝者原キキと、ココロに見つめられる神結の顔には、既に笑みが戻っていた。

二人の話に神結は相槌を打ち、スマホをしまいがてらトランは鼻を鳴らす。

 お腹を鳴らしながら、ココロがキキへと尋ねた。


「キキちゃん、今日の食事当番って誰?」


「今日はトミーの特製ハンバーグ。トミーのハンバーグはなかなかのモンだからさっ、カミーユちゃんの用事さっさと済ませて食べようゼ。ところでカミーユちゃん、ハンバーグ好き?」


 やたらテンション高くココロが歓声を上げる。

 その隣で、

 

 ――大好きっ。特に×××××のハンバーグはもう最強で、キキちゃんにも食べさせたいな。


 思えども人なのか店なのか、ナニ製のハンバーグなのかも紡げずに、神結は小さく頷いた。


 それでも、夜のピクニックといった賑やぎの中を神結は歩き続ける。

 間もなくしてその瞳に、廃墟だらけの街にあって異質なまでに趣の違う建造物が映った。


 それは、この街のどの闇よりも漆黒の色をした教会――。


 頂上に尖塔を備えたその建物は一見カトリックのチャペルにも思えたが、その先端に十字架は掲げられていない。自身の常識において、そういった建物の基本色は白であったから不自然に感じつつも、神結は不思議なまでにその建物に惹かれた。

 建物自体は確かに黒色をしていたが、そこに汚れの要素は微塵もない。例えるなら、磨きぬかれた黒曜石の黒。その外観に舞い落ちる白い灰の闇が触れると、蛍の光のように淡い輝きを灯しながら灰の闇は消えていった。


 美しくも慎み深いイルミネーション。

 目を奪われる神結の隣で、キキがにっこりと微笑んだ。


「夜の学校にようこそ」






 キキに促されるままに、神結は黒いチャペルの前に立つ。

 荘厳な雰囲気を醸し出す建物と同じ漆黒の扉を半分ほど開いたキキに導かれ、高鳴る鼓動を感じながら神結は一歩を踏み出した。


 そして……。


 二歩目を踏むことなく身を固めた。

 神結の目と、チャペルの屋内にいた男の窪んだ瞳とが合った――それは見上げるほどの大男。

 神結と比べると大人と子供ほどの体格差もあるその大男は、黒髪の短髪に顔中を覆うように幾つもの傷が走っていて、一目あった瞬間に菓子工房ドゥ・フロコンの厳さんを抜いて神結の強面ランキングで堂々の一位に躍り出た。

 

 微動だに出来ずただ立ち尽くす神結を見て、大男は礼拝者用の席のように並ぶ横長の椅子を掻き分けてやってくる。

 さながらフランケンシュタインの怪物、といった大男の一挙一動から目を離せずにいる神結。しかし、ふいに気がついた。大男の隣には、もう一人の男の姿があった。


 彼らの着ている服は、キキの着る修道服に似た衣装を男性用に作り直したような物で、それは黒色をベースにしていたから大男にばかり目が行きがちだった。大男の影で目立たなかった男は、焦げ茶色の髪にプラスチックの下フレームの眼鏡を掛けていて、なんだか神結にちょっとオシャレに目覚めた男子学生、ついでにいうなら生徒会長キャラを連想させた。

 神結に少しの安堵感を与えた彼が口を開く。


「君ぃ、ドコのドナタさん?」


 口からついて出たのは、神結の勝手なイメージとは違った関西弁。

 そして、彼は怪訝な表情をしながら神結の顔を見つめた――。


 ――三つの瞳で。


 彼の額には、両の眼とは別にいつの間にかパックリとした瞳が見開かれている。

 まるで逃がすまいとでもいう風に大男の与えてくる圧迫感と、上から下から三つの視線で這われるようなゾワゾワ感。神結が身を強張らせていると、大男の影からひょいと別の影が顔を出した。


「ねーキキちゃん。この子、キキちゃんの新しーお友だち?」


 それは神結やキキよりも背高の女性だった。

 キキと違い、ぴっちりと第一ボタンまで留めて生真面目さ溢れる修道服風だったが、その分長い手足とふくよかな胸の線が露になっていて、それはそれでちょっと危険な気もする。

 ウェーブがかった長髪はベージュよりも淡いクリーム色。柔和な顔のつくりと相まって、どこかほんわりとしたイメージ。


 クリーム色の彼女が口にした「キキちゃんのお友だち」という言葉にすがるように、神結はクリーム色の彼女から、翡翠色のキキへと視線を預けた。

 しかし、せっかくの助け舟のチャンスもどうやら聞き取れなかったらしく、キキは「ニャにが?」と聞き返す。


 震える子犬のように、助けてコールをキキへと発信し続ける神結。だが、神結の見据えた先で、キキも先程とは印象が違って見える。

 キキの翡翠色のショートヘアーが両側でピョンと跳ねていた。クセか何かかと見直した神結はその正体に気づく。それは、髪ではなかった。時々思い出したようにピョン、ピョンと跳ねる。それは……


 紛れもなく――〝耳〟。翡翠色と同化するその形は、まさに猫のそれだった。


 廃ビルでトランが言った『バケネコ』という言葉。単に渾名の類と思っていた神結は動転する。


 ――「ニャにが?」、それってまさかのバケネコジョーク? 


 それもコミでの驚天動地。

 翡翠色の耳をしばたかせるキキに目が釘付けになっていると、


「ひゃっ!?」


 神結の身体がびくんと跳ねた。

 慌てて振り向いた先で、神結のスカートがもこもこと動いている。下半身のスースーする感覚と共にハモり声が聞こえた。


「縞パンなのね」「なのね」


 小学校低学年といった風体の女の子が二人、慌ててタイツを捲り上げる神結のスカートの後ろから顔を出した。

 薄紫の瞳と髪に、血管が浮き出るほどに色素の薄い双子の少女。識別の為かなんなのか髪の毛を右と左にそれぞれ結った、身体を寄せ合うシャム双生児のような少女たち。


 イタズラの過ぎる幼子の行動にほんの少し取り戻した冷静さ。神結はあえて大人びた余裕を取り繕って口を開きかけたが、妙に据わった双子の瞳に射られて注意も出来ずにそのままだんまり。

 目の据わった双子はハモりながら話す。


「縞パンなんて何様のつもりかしら」「かしら」


 大人びた余裕など木っ端微塵。思えば今日だけで、白魅にはクズと呼ばれ、ヤサグレ王子には迂闊なバカ女と罵られている。で、極め付けがこれ。媚びたような笑みを浮かべては神結の呟き。


「……ですよねー」


 助け舟など今は昔。そのすぐ隣までやってきたキキが、クリーム色の彼女の質問に答える頃には、神結はすでに出来上がっていた。


 神結の――卑屈にせせら笑う金髪碧眼少女の、紹介が始まる。


「……友達にはさっきなったばっかだゼ。元々はあいつらの友だち……かな?」


 キキが首を傾ける。

 キキの誘導する先へと視線を預けた、黒いチャペルで神結を迎えた五人。

 その視線の先に灰沢トランを見留めた五人は一様に、


「うげっ」


 と、声を上げた。


 確実に歓迎ムードでないチャペル内へと足を踏み入れるトラン。舌打ち交じりに口を開く。


「そんなんじゃねェよ、コイツは俺のしもべBだ。なァ、女」


 未だ続く神結の卑屈。


「……ですよねー」


 そんな中、ココロが歩み出た。


「ひどいぞトラちゃん! そんな言い方カミーユちゃんに対して失礼だぞっ! それにしもべAっていう人にも失礼じゃないか!」


 藤林ココロの一言はその場にいる全員の心を打つものがあった――まさか自分がトランの言うところのしもべAだと気づいていないとは……。


 しんと静まり返ったそれは微妙な空気に他ならなかったが、皆が分かってくれたと勘違いするココロは一人満足気に頷く。

 そんな微妙な空気を打破すべく、勇気ある一人が一石を投じた。


「それはさておき、ココロ。今日は久々の変態コスプレデイなんかぁ?」


 下フレームメガネの三つ目が放った一言は、ココロにとってはまさにボディブロー的一撃。身体をくの字に折り曲げつつも、どうにかこうにか持ち堪える。


 必死に満面の笑みを取り繕うココロ。


「口は悪いところもあるけど、みんないいヤツらだから安心してね」


 言いつつも、瞳の端に光るものが浮かんでいるのを神結は見逃さなかった。


「じゃあ改めて」前置きした後で、ココロは話し始めた。


「こっちの大きいのが気は優しくて力持ちの『トミー』で、口が悪いけど実は目は悪くないメガネが『マタタ』」


 ココロが掌を向けた先で、トミーと呼ばれた大男はその体格とは裏腹に遠慮気味に会釈する。


 下フレームメガネの三つ目男は、「百乃目ドウノメマタタや、よろしくな」と快活に言った。


「あと、こっちが『小伊万里コイマリ』ちゃんで、双子が『時行トキユキ』ちゃんと『時逆トキサカ』ちゃん」


 クリーム色の彼女は、柔和な瞳をなおさら緩ませて。


「おねえさんの名前は、落葉ヶ淵小伊万里ラッパガフチコイマリっていーます。何か困ったこととかあったら気軽に声を掛けてくださいねー……」

 

 そして真面目な顔で、


「……困ったことなくてもー、なんなら夜のオカズにしちゃってもいいですからねー」


 言い切って、破壊力抜群の胸の先を突き出すように、なぜだかえへんと誇らしげ。

 分かって言っているのか言わされているのか、真意はともかく作り笑いを浮かべる神結。その傍らで無言の双子は、未だ据わったままの目で神結を凝視している。

 その視線に気圧されながらも神結は、


「ふ、二人とも、可愛いね」


 握手しようと手を差し伸べたが、右にひとつだけ髪を結った少女はそれを払った。そして駆け出す。左に結った少女もそれに倣って駆け出した。

 二人一緒に横長の椅子目掛けてダイブ。二つ並んだ椅子にそれぞれうつぶせたままで、両足をジタバタと動かした。


「かわいいって言われたね」「言われたね」


 その様子を唖然と見つめたままの神結の隣で、ココロの紹介は続いていた。


「で、この子は『ヌイ』くん」


 え? と神結は驚く。

 この場には五人しかいないと思っていたが、実はもう一人いた。

 紹介されても大男のトミーの後ろに隠れて、顔だけ覗かせた少女のように線の細い黒髪の男の子。ぱっと見はドゥ・フロコンの恵太くんと同い年くらいに見える。


「こう見えて縫ってすごいんだゼ」


 寡黙な少年の代わりを務めるようにキキが口を開いた。


「ここの制服も全部縫がつくったんだ。そうだ、カミーユちゃんが今着てる制服ボロボロだから、ここのヤツ貸したげるゼ。今着てるのは縫がキレイにしてくれるからさ、ネ、縫」


 キキに言われて、縫と呼ばれた少年はこくりと頷く。


「ありがとう」


 神結が声を掛けると少年の頬にうっすらと桜色が差した。


 その場にいる誰もが微笑みを浮かべ、辺りをほっこりとした空気が包む。

 ところがまさかのそこで波乱の幕開け。蛮族の襲来にも似た不測の事態は、すなわちトランの突然の横槍。


「あのなァ、キキ。コロが間違ッてるだけで、その女の名前はカミーユじゃねェぞ」


 満を持して神結の紹介をスタンバっていたココロにすれば、当然の憤慨。


「なに言ってんだよ、ランちゃん。カミーユちゃんはカミーユちゃんだろ」


 トランはタバコに火を点けると、溜息混じりに煙を吐き出す。


「この女の名はカ、ミ、そんで小ッさいユ。だから橘カミュだぞ? なァ、女」


「違うよね、カミーユちゃんはカミーユちゃんだよねっ」


 二人に詰め寄られ、逃げ場のない神結は「どっちも違います」とは言えなかった。

 目を伏せたままで、もはや「どっちでもいいです」と神結が口を開きかけた時、「ドスン」という鈍い音がチャペル内に響き渡る。

 トランの後頭部に命中したのは、随分と傷みの目立つ辞書サイズの本だった。

 後頭部を押さえたままでトランは蹲ったが、無駄な足掻きのように口に咥えたタバコは落とさなかった。

 そして、トランの背後でクルクルと回転する本も床に落ちることはなかった。それは、ゆっくりと宙を泳いだ後で、収まるべき場所に収まる。トランから少し離れた、黒いチャペルの入り口に姿を現した人物の右手へ、と。


 古い本と同じくして、傷みの目立つ赤と黒の布を重ねたような頭巾をかぶる小さな、小さな老婆がそこに立っていた。

 老化という言葉だけでは片付けられないその身長は、双子よりもさらに小さい。長い年月の下、擦れてしまった頭巾に施された刺繍。それと同じように、色褪せて見える金髪。片方が半分塞がった両の瞳は、神結のものより淡いブルーをしていた。


「ババア! 何しやがるッ‼」


 立ち上がったトランが煙と一緒に暴言を吐くと、老婆はしわがれた、しかし良く通る声を張り上げた。


「それはこっちの台詞だわっ! 連絡もよこさんと一ヶ月も勝手に休みおって、何考えとるかっ‼」


 ヤサグレ王子と小さな老婆の火花散る戦場から逃げ出して、身を慄かせる神結はすがるようにキキを見た。


「あ、あのトランさんって定期的にここに通ってるんですか? 講師か、何かで?」


 キキはきょとんとした表情を浮かべた後、声を上げて笑う。


「んなわけないじゃん♪ あたしもコロもトランも、まだ十六歳の学生だゼ?」


 ――は!?


 唖然とする神結の隣で、


「あれ? 言ってなかったっけ?」とココロがのんきな声を上げた。


 神結が呆然と見つめた戦場では、変わらず銃弾が飛び交っていた。


「……なんだとババアッ! 三段跳び級の卒業試験パスすりゃ『ネクロノミコン』譲るッつう約束、反故にしといて偉そうに説教してんじゃねェぞッ‼」


「あんなもん私ゃ合格とは認めとらんわっ! それに『ネクロノミコン』なら譲ってやったろうがっ‼」


「あれァ『断章』だろうがッ! あんなもん、早い話がパチモンだろうがッ‼」


「はんっ! トラン、おまえにはまだ『断章』で十分だわっ! 『断章』で、の‼」


 マニアックなやり取りが続く中、神結はココロへと尋ねる。


「で、でもトランさん、タバコ吸ってるじゃないですか?」


「ああ、あれなら……」


 ココロが口を開きかけたとき、トランが早口でまくし立てた。


「俺はタバコなんて一言もいってねェぞ! これはマンドラゴラの根とミスルトゥとリコリスとバニラを乾燥させて作ったタバコッぽいモンだ! タールもニコチンもゼロだァァァ……」


 激しさを増す戦場にあって、神結の声を聞き漏らさなかったトランはある種あっぱれだったろう。しかし神結へと気を逸らしたそれは、そのままトランにとっての致命傷となった。

 再び放られた辞書サイズの古書が右のこめかみに命中すると、トランはそのまま昏倒した。


「やれやれ」老婆が呟くと、トランの脇に転がる〝タバコっぽい物〟の火が音を立てて消える。そのまま老婆は、神結とココロへと歩を進めた。


「ココロよ、おまえがこの馬鹿たれの手綱を握らんでどうするのだ」


 老婆の小言に、「えへへ、ゴメン」とココロ。そして続けた。


「この人がエイボン先生だよ、で先生、こっちが……」


「橘神結です」


 名前のくだりが長くなるのは面倒なので、神結は即答した。


「あの、わたし……」神結は続けかけたが、「ふむ」と唸るとエイボンはきっぱりと言った。


「記憶消去の〝魔導〟だの」

 

 呆然と頷く神結に、エイボンは微笑みで返す。


「こんなに傷だらけになって、辛かったろうに。まずは着替えておいで。大丈夫、もう大丈夫だからね」


 優しい声だった。



    ☆★☆



 まずは着替えておいで――、そうエイボンに言われた神結だったが、千枝者原キキと落葉ヶ淵小伊万里に連れられてチャペル内を巡っていた。


「真新しい服に身を包む前の、熱いシャワーはセットだって知ってましたかー?」

 

 よく分からない持論を展開する小伊万里だったが、神結にとってその申し出は非常にありがたい。

 白魅たちに廃ビルへと連れられていく道中も、着いてからも、引きずり回されては地面に転がされた。神結の顔やからだは埃まみれだったし、かさぶたになったなったはずの右の膝からは、タイツ越しにまた血が滲んでいた。熱いシャワー、その響きだけで小躍りしてしまいそうなほどに心が浮かれる。


 すると。


 どうせなら――、と言って割って入ってきたのはキキだった。


「浴室までいくついでに、学校の中を案内してやるゼ」


 ない胸を張って自慢げにキキが言う。


「それは良い考えだねーキキちゃん。そうだよ、そうしましょー」


 破壊力抜群の胸を張って小伊万里も言った。

 面目なさそうに胸を引っ込めたキキが、新しいバブルガムを口に放りこんだ。


 キキと小伊万里に連れられて歩くチャペルの中は、外観と同じくして磨きこまれた黒曜石の荘厳さに満ちていた。しかし先刻と違って白い灰の闇が触れられぬ内側は、より一層漆黒の度合いが強く見えた。

その漆黒の壁に備え付けられた燭台の上では、少しも減らない蝋燭が温かな明かりを灯している。それもまたエイボンの〝魔導〟の成せるワザだ――と、鼻の穴を少し膨らませてキキが語った。


 しばらく進むと急に廊下は行き止まる。どこまでも続くような気さえした廊下だったが、光の加減でそう見えるだけで、実際にはそこまでの広さではないらしい。

 チャペルの一階部の前半分、礼拝場にも似たスペースをキキたちは『教室』と呼んでいた。

教室の左右から続く廊下に挟まれる形の後ろ半分には、生徒たちが交代で当番する『調理場兼食堂』。その二階部が、『エイボン先生の部屋』となっているらしい。


「エイボン先生の部屋は、魔導師なら一度はお目に掛かりたいっていう魔道書やら魔道器の数々が並べられてんだ。いわゆる宝の山ってヤツだゼ」


 少し得意げに、キキが語って聞かせる。


「さっきトランがえてた魔道書、〝ネクロノミコン〟もその部屋に丁重に保管されてんだゼ。っても、先生の部屋には滅多なことじゃ入れないからさ。そもそも先生以外で見たヤツもいないんだけどさ」


 手にした者の人生まで狂わせる、人類史上最高にして、最凶の書物――〝ネクロノミコン〟。


 それは、三段飛び級の褒美としてトランが所望し、結局手にすることの叶わなかった最高位の魔道書らしい。

 その代わりに彼が手にしたのは一九七八年にジョージ・ヘイなる人物によって編集された一種の洒落本だったそうだから、まあ怒るのも当然と言えば当然なのかもしれない。


 と。


「でも洒落本といっても魔道書には変わりないですからー、使い方次第では凶器にもなりますけどねー」


 小伊万里がニコニコと笑いながら、さらりと怖いことを言う。


「それってどんな風にですか?」 


 神結が恐々尋ねると、


「むー」と顎に人差し指を添えて考えた後で、小伊万里はクリーム色の瞳をまんまるにしながら答えた。


「さっきのトランちゃん見てましたよねー、あの大の字にうっつぶせるさま。あれって完全な凶器じゃないですかー?」


 ――凶器というか、鈍器として?


 なんだか少しずれた人だな、と作り笑いを浮かべる神結の隣で、


「コイマリの言うことマトモに聞いてると疲れっから、適当に流しちゃってオッケーだゼ。冗談も本気にしちゃうようなヤツだからさ」


「ひどぉーいキキちゃん、それじゃあたしまるで子供みたいじゃない。こんないたいけな少女をつかまえてー……ってあれ? 少女って子供かなー? そういえばあたし、まだ少女って呼べる年齢なのかなー? でも少女じゃなかったらなんていうんだろ? 少年の次は青年だから、少女の次は青女? 青少女? ひょっとしてあたし聖少女っ!?」


 クリーム色の瞳を細めながら、「むー」と顎に人差し指を添えて唸る彼女を横目に、


「なっ」肩を竦めてキキが笑った。


 途切れた廊下はもう片方の廊下と合流し、裏口へと至る。

 裏口の扉を開け放つと、渡り廊下伝いに別棟へと続いていた。

 縦に長い塔のような建物。最上段に大きな鐘を備えた、昔の鐘つき塔が今では学生たちの『寮』となっているらしい。


「寮のお風呂は二十四時間いつでも入れるようになってるから、すぐに入れ……」


 寮内へと案内しようとするキキの言葉が淀む。ピョンと跳ねた翡翠色の〝耳〟がせわしなく動いていた。

 人一倍聴覚の優れた彼女がまず初めに気づいたその音。コツン、コツンという壁を打つような音が神結にも聞こえる。

 音の出所が、自分たちが今来た廊下とは別の廊下らしいと気づいた神結が、そちらを窺おうとするより早く、さっきまでむーむー唸っていた小伊万里が声を上げた。


「かたじけないけど、あたしちょっと用事を思い出したから行ってくるねー。キキちゃんはしっかりカミユちゃんを浴室までお連れするんだよ」


 言うが早いか小伊万里は駆け出す。立派なボディを揺らして、とたとたと危なっかしい子供のように。


「なんだよ、かたじけないって」


 キキの声。それに反応するように後ろを振り返った小伊万里が盛大に転ぶ。その拍子に目を瞑った小伊万里は、そのまま立ち上がるとふらふらと壁にぶつかっていった。


「キキちゃん、どこぉー? どこなのぉー? 真っ暗だよぉー、犯されちゃうよぉー」


 憐れな声を上げながら右往左往する小伊万里へと、呆れ顔で近付いたキキが「おい、目を開けなって」両手を掴む。


 するとクリーム色の瞳をぱっちりと開けた小伊万里は、


「かたじけない」


 言いながら再びとたとたと駆けて行った。


 小伊万里の後ろ姿をぼんやりと眺める神結の隣で、


「……あれがイッコ上とは、先が思いやられるゼ」


 キキがさめざめと言った。



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